09
「今、何と言った?」
ジークヴァルトは自身が聞かされた言葉がすぐには信じられず、咄嗟に問い返した。
円卓会議が開かれ、どちらが後継をするかが話し合われた。
話し合いの結果、ジークヴァルトではなくエルンストが後継となり、立太子することとなった。
それは構わない。
ジークヴァルトには王位に対する執着も多くはなかったし、民衆のアーデルベルト人気を考えれば、今の状況で自身が王太弟となる可能性は限りなく低かった。
エルンストのスペアとして王子の地位には今しばらく留められるだろうが、アーデルベルトに第二王子が生まれるかエルンストが結婚でもすれば、お役御免と臣籍降下が決まると思っていた。
エルンストはともかく、アーデルベルトの年齢を考えれば遠くはない未来で、その頃には後継争いから命を狙われる危険もずっと低くなるだろうと考えていた。
そうすれば。
「新たに立太子されるエルンスト殿下の許嫁として、我が妹のシェイラが指名されました」
そうすれば、シェイラとの婚約も公表することができるだろうと考えていた。
目の前が真っ暗となる心地に思わずよろめき、不甲斐ないことにヴィリーの肩を借りることになる。淡々とした口調で告げたものの、ヴィリーの表情にもやるせなさが垣間見える。
一体何故、こんなことになってしまったのか。年下に対する態度ではないと思いつつも視線を向ければ、首を振る様子にぶつかる。
「我が父が、エルンスト殿下の立太子に賛同し、その見返りに王妃の位を望んだとのことですが」
「マティアスが、まさか!」
「えぇ、当家はあまり王家に近づくことを好まないはずだったのですが」
代々優秀な官僚と軍人を多く輩出してきたマティアス侯爵家は、特段家の繁栄のために王家の力を欲していない。寧ろ宰相職の円滑な運営に王妃など面倒さえ思っていたはずのフェルディナンドの行動は、一面では錯乱のようにも映る。
が、あの父をして判断を間違えるはずもないと知るヴィリーは、シェイラの婚約とともに自身に下された命に、父の宰相としての貪欲さを思い知らされた。
「父の考えることは分かりません。けれど、父の命によりシェイラはエルンスト殿下と婚約し、私は軍属することになりました」
「ヴィリー?」
軍属、お前が?
ジークヴァルトは再び驚く。
確かにヴィリーが軍属するだろうことは決まっていた。
が、それは1年以上先だ。学術院の5年になったばかりの未成年の彼が、卒業することなく軍属するなどあり得ない。
「何故だヴィリー、学術院はどうした」
「単位は揃えていたんで、一応卒業扱いにはしてもらっています」
もう少し、学生生活を楽しみたかったんですけどね。
本心をちらりを見せつつ、それ以上は口にしない。
円卓会議の夜、フェルディナンドは3人の子を自身の書斎へと呼んだ。
シェイラは換えがきかないものの、軍属するのはヴィリーか兄のイザクのどちらでもよかった。ジークヴァルト同じ年で既に成人しているイザクの方が、一方では適任者とも思われたが、ヴィリーは自分が引き受けると言い張った。
仕方がないではないか。
ヴィリーがもう1人の兄と慕う人が、かわいくて仕方がない妹が、荒波にさらされるというのに自分だけが外から見ているなんて出来やしない。しかもイザクは軍人よりも文官向きときている。
泥を被ろうと決めたのだ。
「私は、宰相である父の命を受け、シレジアに派遣されました」
「ヴィリー」
「ジークヴァルト殿下が王位を簒奪しようとの行動を起こさないよう、監視をするためです」
「なんだそれは」
「監視は、殿下が今の地位を失う日まで続きます。私はそれを引き受け、これを賜りました」
早馬を飛ばすために巻いていたとばかり思っていた布を剥ぎ取れば、隠されていたヴィリーの右目が現れる。
「シェイラ=マティアス、お前が?」
「はい」
胡乱げな双眸に見下されながら、シェイラは腰を落とす。視線は磨き抜かれた床へと向けられ、ただ、高貴な人の次の言葉だけを待つ。
「顔を上げよ、シェイラ」
ヴィリーがシレジアへと旅立ったのと同じ日、シェイラはフェルディナンドに連れられ、王宮を訪れた。
婚約者となったエルンストと対面するためである。
ジークヴァルトの婚約者としてこれまで何度も王宮に来ていたシェイラだったが、エルンストと間近に会うのはこれが初めてだった。
叔父と甥の関係だというのに、ジークヴァルトとは少しも似ていない。ビッドナー子爵家の血が濃いのか灰の双眸は酷薄な印象を与える。
共に現れたマルグリッドに顔を上げるよう言われると、不安げな視線を隠し切れず、やはり伏せ目がちになってしまう。
シェイラはまだ、自身に突きつけられた状況のすべてを受け止め切れていない。
ジークヴァルトの婚約者ではなくなったことも。
エルンストの婚約者となり、これから未来の王妃として教育を受けなければならないということも。
自分がエルンストの婚約者とならねばならない理由も。
「気持ち悪い」
「エルンスト!」
容赦無く言い放ったエルンストに、シェイラは肩をふるわせる。
マルグリッドが叱責しようとするのを逃れ、お前が婚約者なんて認めないと言い放ち、エルンストは部屋を飛び出して行く。
初対面は最悪だった。
が、それでもシェイラはこの地位にしがみつかなければならない。望もうと望むまいと、そうしなければならないとフェルディナンドにより命じられた。
何よりもその命じられた言葉に恐れおののき、本来シェイラの持つ快活さが今、すっかり影を潜めてしまっている。エルンストにも困ったこととため息をつきつつも、明るさの感じられないシェイラにマルグリッドは不満げでさえある。
シェイラがエルンストの婚約者となることは、マルグリッドにもエルンスト自身にも何の相談もなく決められた。欲にくらんだ宰相がねじ込んのだと貴族社会ではささやかれてもいる。
フェルディナンドはそんな陰口に対し、何一つ言い返すことなく、シェイラに婚約者として務め上げるようにと命じた。
シェイラは受け入れるしかなかった。
そうしなければ万に一つも願いはかなえられないと他でもない、国王その人が告げた。
この左目を、受け入れるしかなかった。
『我が僕として、この鈴を受けよ』
シェイラよ。
ヴィリーよ。
この鈴を我が手の者の証とし、つながれ、その役目を果たすがよい。
『すべては陛下の御心のままに』