よーしよし
静寂。まるで自分自身さえもこの静寂の一部と化しているような気さえする。
暗い。空が紫色に染まり、今が夕暮れ時であることを示している。
そんなことをぼんやりと考えているうちに、王田は意識を取り戻してきた。
「んあ? 俺は今まで何を……いだだ!」
全身、特に胸と左肩のあたりに強烈な痛みを感じ瞬時に意識が覚醒する。
「ぐぉおお……」
痛みにうめいているとステータス画面が出てきた。
”スキル『痛覚耐性(激)』を獲得しました”
画面を確認した途端、急に痛みが引いてきた。完全にとはいかないが、10人程度ならまとめて相手ができる程度には動ける。
「痛覚耐性か……。つくづく便利だな、スキルってのは」
今までずっと横になって独り言を言っていたが、状況を思い出しようやく立ち上がる。しかし、立ち上がるだけなのにかなりの疲労を感じた。疲労自体は直接的なケガなどではないので、スキルの恩恵を受けられないらしい。やっかいだな、と王田は思った。
今の状況は、討伐対象であるキングウルフを倒し、気絶してしまった後だ。頭目のいなくなった集団は統率が取れない状態であり、回りでおろおろとしている配下であろう狼たちも襲ってこない。しかし、この膠着状態がいつまで続くかもわからない。人なら十分に相手できるが、人よりも強い狼が相手となると、今の王田にはさすがにきつい。
どうしたものかと考えながら、撲殺丸を肩に担ぎなおす。回復具合は6、7割といったところか。周囲に目を配り狼たちの動きを警戒していると、不意に小さな鳴き声が聞こえた。いや、これは鳴き声というよりも……。
ゆっくりとキングウルフの方に目を向けると、なんと首をもたげてこちらを見ていた。確実に頭を潰したはずなのに。再び戦闘態勢に入ろうとする王田だが、狼は弱々しくこちらを睨みつけるだけで動こうとしない。いや、動けないのだ。むしろ動けるだけの力が残っていたことに王田は尊敬の念すら覚える。
小さく遠吠えを上げるキングウルフに、回りの狼たちが呼応するように遠吠えを始めた。長く響く独特の音が山を覆っていく。
今までこういったことは何度もあった。死力を尽くして戦い、お互いどちらかが倒れるまで殴り合った。中には負けを悟った時点で逃げだす奴もいたが、俺より弱いくせに逃げずに戦った意志の強い奴もいた。この狼はそいつと同じだ。力としても強いが、精神も並のものではない。こういう真に強い奴はなかなかいない。俺はこいつを死なせたくない。そう思った。死をも恐れぬ気高き心。それを持つ者には敬意を払え。それが俺の流儀だ。
何か方法はないか。戦士として、お互いが一騎打ちを果たした。そんな相手を、強者を、むざむざと死なせるものか。俺はまた、こいつと戦いたい……!
「ステータス!」
王田はステータス画面を呼び出し、情報を確認していく。何か、何かないのか。いや、これは……。
「”眷属服従”」
そのスキルを呼び起こすと、王田を中心に魔法陣が広がった。魔法陣は、王田が移動するとついてくる。そのままキングウルフに近づいていき、完全に魔法陣に入ると新たなステータス画面が目に入った。
”キングウルフを眷属として服従させますか?”
「ああ」
”対象が服従の意を示しました。キングウルフに名前を付けてください”
どうやらキングウルフもこちらの意図に気づいたようだ。情けなどで生かされるのではなく、死力を尽くして戦ったもの同士として。それにしても……。
「名前、名前ね。名前ぇ? ポチとかじゃかっこつかないしな……」
早くしなければキングウルフはどんどん弱ってしまう。
「ええい! お前は、ジャバウォック! ジャバウォックだ!」
”対象が承認しました。これより眷属となります”
名前を決め眷属化が確認されると同時に魔法陣が収束し、鎖のようになり王田とジャバウォックを繋ぎ留めた。両者の魔力が行きかい、お互いに触れると弾けて消えた。
”スキル『譲渡』を獲得しました”
譲渡でも何でもいい。今はジャバウォックの回復を優先させなければ。ええと、どうやるんだ?
「”譲渡・回復”!」
とりあえず適当に叫んでみる。すると、さっきまで感じていた、体が回復する感覚が弱まり始めた。代わりにジャバウォックの体の傷がみるみると治っていく。どうやら成功したようだ。出血が収まり、傷の表面が逆再生のように消えていく。ひとまずはこれで安心か。
「ふぅうう~。これで依頼達成かぁ。まあ、めでたしめでたし、ってな!」
ようやく全て終わったと思い、座ってジャバウォックの回復を待つことにした。そういえば、回りの狼たちはどうすればいいのか。全く考えていなかった。しかし、どうやらジャバウォックの眷属化を理解しているようで、襲ってくることはなかった。
しばらくしてジャバウォックが立ち上がれるようになると、遠吠えを始めた。あおーんと長く響く鳴き声を出し、少しすると新たな狼が現れた。ジャバウォックと同じ色だが、少し小さめの狼だ。その狼とジャバウォックが意思疎通をするように時々吠えたりすると、他の狼を連れて山の奥の方に走っていった。眷属化しているせいか、ものすごく曖昧だが少しだけ意思の内容が読み取れた。どうやら今の縄張りよりももっと奥に引っ込めと言っているらしい。王田が来たことで、自分たちが討伐対象になっていることを知ったのだと感じた。
(すげぇ賢いな)
聞き分けもいいし、人の軍隊よりもよほど優秀なのではないか。自分の経験を思い出してそう感じるほどであった。
さて。残ったのは王田とジャバウォックだけである。僅かながらに感じられるジャバウォックの意思だと、王田に着いて行くと言っているようだ。王田としても馬の必要がなくなるし、強力な味方を得られて満足している。横に立って歩く相棒としてはちょうどいいと感じた。
やることはすべて終わったし、討伐の報酬を受けに街まで戻ることにした。もはや夜といっていい時間帯だが、山の主が隣にいる以上道に迷うことはない。王田の後ろを大人しくついてくるジャバウォックを見ると、無性に撫でたくなってきた。王田の性格や性質上、動物と触れ合っているというのはこっちの世界でも元の世界でも、天地がひっくり返ってもあり得ないと思われているので、撫でられるのは誰も見ていない今だけだ。
「よーしよし、わしゃしゃしゃしゃ~」
誰も見ていないことを確認すると、顔をうずめて撫でまくる。なんだ、この柔らかさは。戦闘ではあれだけ苦戦させられていたのに、こうして触ると一級品以上の手触りだ。うおお、素晴らしい。
一通り堪能した後は、素に戻って下山を始める。この時点で、王田とジャバウォックは完全回復し、いつでも戦える状態だ。この後戦うことはないと思うが、戦闘に際してはいつでも戦えるように準備だけはしておく。それにしても……。
「ジャバウォック、お前もうちょっと小さくならねえかな」
そう、でかいのだ。全長7メートル超えの狼がその辺を歩いていたら確実に目立つ。夜とはいえ、間違って攻撃されないようにするには何か手を打たなくてはならない。
そう思っていると。
「わぉん!」
ジャバウォックが一声鳴くと全身が淡い光で包まれ、みるみる小さくなっていく。
「おお! これならちょっと狼に似たシベリアンハスキーにしか見えねぇ! よくやった!」
1メートルほどの大きさまで小さくなり、さらに撫でやすくなったジャバウォックをわしゃわしゃと撫でる。やはり手触りは最高だ。
そうこうしていると馬をつないだところに戻ってきた。幸い、戦闘におびえて逃げたりはしておらず、ゆっくりと草を食んでいた。木から紐をほどき、鞍にまたがり手綱を握る。
「よし、行くぞ! ジャバウォック!」
「うぉん!」
さすが狼なだけあって脚が速い。少し早めの馬でも十分に追いついている。むしろ楽しいのか、王田が操る馬を追い越したりもしていた。
「はっはっは! いい夜だな、風が気持ちいいぜ!」
「わぉーん!」
ともに叫んでいると、正面に光が複数見えた。光までは1分ほどで着きそうだが。
(チッ、せっかくいい気分だったのに)
どうにもよくない雰囲気が漂ってくる。
ある程度近づいてみると、高級そうな馬車の周囲を、松明を持った男たちが囲んでいるようだった。
「ジャバウォック、戦闘態勢だ!」
「わん!」
いい気分を害され少しイラッとしながらも、これから起こるであろう事態を予測し、王田は撲殺丸を構えた。