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六話 バツを付ける恋

 アヤナに抱いてしまった苛立ちは、長い間、俺の中に居座り続けた。だが、教室で感じていたような意味の分からない苛立ちではなくなった。まるで、何かの問いを投げかけられているような感覚だ。


 ――お前は、どうして、アヤナに苛立っている?

 アヤナが嫌いだからだ。

 ――本当にか? 妹のように可愛がっていたじゃないか。

 それとこれとは違う。

 ――また、逃げたな。アヤナはお前のことが。


 俺は、進めていた足を止め、奥歯を強く噛みしめた。行き場のない苛立ちは、体に纏わりついて拘束する。体をきつく締め付ける鎖を壊すには、アヤナ、という存在と縁を切ればいい話だ。彼女とは、血縁関係があるわけでも、恋愛関係にあるわけでもない。とても簡単な関係だ。

 同じ境遇で、同じ施設で育った者同士――シンプルな関係。でも、シンプルなだけあってとても厄介な関係でもある。それを語ろうと思えば、永遠に語ることが出来るだろう。二時間でも、三時間でも、二十四時間でも……だが、結局、辿り着く答えは、どれも同じなのだ。たったの二文字で言い表すことが出来る。

 それは、「嫌い」――これだけだ。

 俺は、アヤナが大嫌いだ。施設で出会ったときから、今になっても。理由を語りたいのだが、一人では、どうにも語ることが出来ない。

 きっと、一人で、アヤナを嫌いになった理由を話したのなら、泣いてしまうだろう。かっこ悪く目を手で覆いながら、暗い部屋の中で、声を殺して泣いてしまう。

 噛みしめていた奥歯が、じんじんと痛くなり、大きくため息をついた。

 黒い空に、白いため息が広がる。止めていた足を方向転換して、家とは、真逆の方向へと足を進めた。向かっている場所は、いつもの公園の東屋だ。だけど、今日だけは、「いつもの公園の東屋」という文が、無意識のうちに変わっていた。

 俺が、向かっているのは「いつもの公園の女性が本を呼んでいる東屋」だ。


   *


 公園に辿り着いたときには、どっぷりと闇に染められ冬の寒さが浮き彫りになる、そんな時だった。人の姿は愚か、気配さえも感じることはなく、ただ、冬の静寂だけがいる。

 俺は、マフラーに顔を埋め、コートのポケットへと深く手を突っ込み、嫌われている東屋へとゆっくり歩き出した。その間。いや、その間もたった一つのことを考えていた。

 アヤナのことだ。

 だけど、彼女のことを考えていると、どんな時でも、真っ黒でドロドロな沼の底を探しているような気分になる。幼いころに施設でやったクリスマスパーティーでも、神社に住み着いている野良猫を可愛がっていた時でも、些細なことで喧嘩をした時でも、顔を顰めながら、あるかもわからない沼の底を探している。

 今だって、アヤナが言っていた「ドラゴンを見た」という訳の分からない妄言を考え、沼に手を取られている。

 そもそも、どうして彼女は、俺にそんなことを言ったのだろう。

 ただの冗談。でも、悪戯にしては、教室を出る時に微かに見た表情が引っかかる。それに、彼女が、演技を出来るとは思わない。自分の思い通りにならなかったら、すぐに涙を目に溜めるのは悪い癖だ。

 じゃ、どうして、あんな<嘘>を付いたのだろう。

 そんな思考の途中で、肩を軽く叩くように声をかけられた。

「こんばんは」

 俺は、思考をシャッドダウンし、声の方へと意識を向け、「こんばんは」と返す。

 東屋の中に取り付けてある二つの小さな光に照らされた、いつかの女性が、文庫本を片手にクスリと笑う。

「君、今日は、上機嫌なんだね」

 俺の口から疑問符が漏れる。

 女性は、自分の口元を両手の人差し指で持ち上げながら「笑顔だ」と言った。

 俺は、その時初めて、自分の表情を意識し、口元が緩んでいることに気が付いた。少しだけ、頭の中がパニックになり、同じ疑問が、いくつも並べられた。

 どうして、俺は、笑っているんだ――

 そして、俺ではない本当の俺が、答えた。

 この女性に会えたことを喜んでいるんだよ。

 意味が分からない。俺の中の俺が答えたことの意味も、そう思ってしまった理由も。じゃ、今は、その意味を知るときではないのかもしれない、そんな屁理屈でまとめた。

 頭の中が落ち着いた俺は、女性とは向かいの席に座り「今日は、寒いですね」と言う。

 女性は、好意的な笑顔を浮かべ「そうだね。 それに、そろそろ今年も終わってしまう」と言った。この短いやり取りだけで、会話は終わってしまった。俺は、それが、なんとなく寂しく感じられて、どうにか、次の話題が無いか模索を続けたが、これといったものは見つからず、結局、静寂の中に溶けることを選び、ベンチに深く座り直したら、女性が言った。

「何か面白い話はない?」

 俺は、視線だけで疑問符を浮かべる。女性は、クスリと笑って続けた。

「いつも読んでいる本を読み終えてしまってね。 男子高校生だったら、女の子と話すときの鉄板の面白トークを持っているもんじゃないの?」

 彼女の笑みは、好意的というより意地悪な物に変わっている。だけど、そのまま無視をする気にはならなかった。俺は「待ってください」と言って、面白トークを頭の引き出しから引っ張り出す。

 趣味の話、十二月の理想の話、テレビに出ていた若手芸人の話……多くはないが、いくつかの話題を絞り出すことができた。でも、女性が望んでいる話とは的外れのような気がして、全てをぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に投げ入れる。

 俺は、正面に座る女性の方を見た。女性は、膝の上で手を重ね、俺のことを見ている。

 その時、一つだけ<面白トーク>になりそうな話題を見つけ口を開いた。

「これは、俺の友達が話していた。 馬鹿みたいな話です」

「タイトルは?」

 俺は、一呼吸分ほど上を見上げて考え、タイトルを付ける。

「妄想少女……ってとこですかね」

 女性は、興味があるのかないのか分からない相槌を打った。

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