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09.「次は、わたくしの番ですわね」

 野営の陣に、キチューゼルの『双剣の青竜』の旗が立った。

 焚き火の明かりに照らされ、たなびく国旗をミーチェはぼんやりと眺めている。


「緊張なさっていますか」


 ジャリ、と革靴で土を踏みしめる音がした。


「ディーダでしたか……そうね、緊張なのか高揚感なのか分かりませんの。落ち着かなくて」

「初陣ですからね、仕方のないことです」

「相手が人間でなく魔鳥だというのは、果たして幸運なのかそうでないのか……」


 ミーチェは苦笑した。


「むしろ魔鳥で良かったと思いましょう。油断できる相手ではありませんが、奴らから国民を守るという分かりやすい目的は、兵を束ねるのに有効です」

「ええ。それにしてもまさか、貴竜祭の最中になるとは、ですわね」


 魔鳥が、街を襲っている――

 その報が入ったのは昨晩であった。


 魔鳥。

 空を飛ぶ生き物の中では竜の次に大きいと言われる魔物。

 羽を広げた幅は、大きいものであると大人が二人手を広げたほど。

 普段は魔の森の浅い場所に住むが、ときどき家畜などを攫っていく。


 しかし、今回は家畜ではなく、人間を襲った。

 その町は魔物の森から最も近くにある地方城塞都市。他国との交易の中継地点にもなっている重要地だった。

 しかも魔鳥の数は、優に百を超えているという。


 王都の貴竜祭のせいで手薄になっている地方の軍だけで撃退できる数ではない――ミーチェは判断し、国王軍の派遣を決めた。


 本来なら貴竜祭の真っ最中であるミーチェたちがこうして出軍しているのは、そのためであった。


「ねえディーダ。魔鳥が魔物の森に大量発生している可能性もある、と報告も受けましたけれど」

「はい、約二十年周期で大量発生すると言われています」

「前回は十七年前……でしたかしら」

「その通りです」

「わたくしが、攫われたときね」


 ディーダは頷いた。


「はい、大量発生した魔鳥の一部が王都に至り、街を襲いました。そのとき、ちょうど外にいらっしゃった幼いミーチェ様が魔鳥に攫われたのです」

「わたくしは魔物の森にまで運ばれたと聞きました。それをお父様率いる国王軍が救ったと」

「はい……本当にご無事で何よりでした」

「……次は、わたくしの番ですわね」


 ミーチェは晴れた夜空を見上げた。

 人々が恐怖の夜を過ごしているというのに、この美しい星空はなんて皮肉なのだろう。


「……いえ、逆に慰めになるかもしれませんわね」


 街では現在、城壁で魔獣避けの草を焚いて魔鳥の侵入を防いでいるという。

 しかし草は二日分しか蓄えがない。

 一日は緊急の伝達係が王都へと向かう往路に、そして残り一日はミーチェたちが強行で軍を進めるのに使ってしまった。街にはもう、余裕がない。


「ディーダ」

「はい」

「明日は夜が明ける前に発ちます。そう各隊に伝令を。このあとの軍議もそのつもりで、と将軍たちに伝えなさい」


 凛と、しかし、静かに。

 普段の呑気で陽気な気配など微塵もない、王女としての顔がそこにあった。


 ――この方は、大丈夫だ。


「御意」


 ディーダは胸に拳を当て、腰を折った。


 そこに、ディーダの背後の藪がガサリと音を立てた。

 即座に剣を抜いてミーチェを庇う。


「―――ルゥ!」 


 藪からゆっくりと現れたのは、灰白色の大きな狼。

 ミーチェは歓喜を上げた。ディーダを追い越し、ドレスを揺らし太い首筋に跳んで抱き着いた。


「ルゥ……! 昨晩から姿を見ないから心配してましたのよ! わたくしを追い掛けてきてくれましたの? ああ、二日ぶりのモフモフ!」


 すりすりすりすりと忙しなく襟の毛皮に擦りつくミーチェに、先ほど見えた王女としての威厳はもはやゼロ。


「……ええと、ミーチェ様、俺は伝令の指示をしに……」

「よろしくお願いしますわね! わたくし今ちょっと忙しいので軍議に遅れるかもしれません!」


 臣下を一瞥もせず、狼に必死なミーチェは紛れもなく狼王女だった。


「……ほどほどになさってくださいね……」


 心無し寂し気な背中で、ディーダは去っていった。


 革靴で土を踏む音が遠ざかると、ぐるる……とルゥが鳴いた。鼻先をミーチェの首元に押し付け、もう誰もいないと教えるように。

 キャッキャとはしゃぎながらルゥに抱き着いていたミーチは、今は声も上げず、動きもしない。


「……情けない話ですの」


 灰白色の毛皮から顔を上げたミーチェの瞳は、不安に揺れていた。


「怖いんですの。街を救い、兵を失わず、城壁を越えて凶暴に舞い来る百もの魔鳥を撃退する――そんなことがわたくしの指揮で出来るのでしょうか」


 もちろん、指揮するのはミーチェだけではない。

 長年国王に仕える将軍も、頼りになる隊長たちも、皆ミーチェを全力で支えてくれるだろう。

 だが、彼らを使うのはミーチェだ。


 一通り学んではいる。女の身で指揮官の訓練も受けた。それでも。


「震えてるんですのよ」


 ミーチェの手は、ルゥの首の後ろで組まれたまま離れない。――いや、指が震えて力が入らず、剥がすことができないのだ。

 ミーチェはそのままルゥの首に顔を摺り寄せた。


「ねえ、知っています? ディーダは、わたくしが強いと思っていますの。こう見えて信用されてますから」


 ふふ、と笑う声には力がない。


「そんな訳ありませんのに、ねえ? 蝶よ花よと育てられた十七の小娘が、急に国軍の総指揮に立てられて強気でいられる訳がないのに。――それでも、わたくしは強くあらねばならない。キチューゼルの、たった一人の王女なんですもの」


 魔鳥の撃退に失敗すれば、国王軍はダメージを受ける。しかも、次は再び王都が狙われるかもしれなかった。


「ルゥ。離れないで。せめてこの出軍が終わるまでは――」


 ぎゅう、と抱きつくミーチェに、ルゥは無言だった。


 しかし少しの間の後、一歩後退し、するりとミーチェの腕から首を抜く。


「――ルゥ?」


 眉を落とし、不安げに揺れる青の瞳を見つめ、ルゥは、指を組んだまま膝に落ちたミーチェの手をぺろりと舐めた。

 次に、頬をひと舐め。

 そして、小さく、だが力強く「ガウ」と鳴いた。

 琥珀の瞳は、とても好戦的で、美しかった。


「……一緒に、戦ってくれますの? わたくしと?」


 守ると言われた訳でないのは分かった。

 ミーチェは戦いを怖がって、助かりたくて震えているのではない。総指揮官として孤独に立つミーチェの隣に寄り添ってくれる、と言ってくれたのだ。


 ルゥは、肯定するように低く鳴いた。


「ありがとう」


 ミーチェ自身を理解してくれる。それが嬉しかった。

 毛皮の頬の上に口づけるようにして顔を寄せる。


「やっぱりルゥが一番ですわ……だから……今夜こそ」


 ぎくり。

 表情の変わらないルゥの体が硬直した。


「今夜こそ、出立まで一緒に寝てくださいましー! あっ、ルゥ、逃げちゃダメですわ! こら!」

「王女、何叫んでるんですー? 近所迷惑ですよー」

「あ、ルゥが来てる」


 背後の天幕から女官たちが出てきた。


「あれ? ディーダ様の声が聞こえてたと思ったのに気のせいだったかしら」

「え、本当? ディーダ様ー! 王女はコレなんで、私たちへの夜這を歓迎しますよー!」

「ルゥ! 行っちゃダメですのー!」


 満点の夜空に、軍の野営地に似合わない、姦しい女たちの声が響き渡った。



 ◇*◇*◇



 軍議が終わり、見張りを残してほとんどの兵たちが寝静まった頃。


 軍の野営地から少し離れた場所で、革靴で土を踏みしめ歩く音が響いていた。


「……どういうことだ」


 立ち止まり、森の奥を睨みつけるディーダの視線の先。

 闇の中から、灰白色の狼がゆっくりと出てきた。


「どうして今頃になって、ミーチェ様の前に人の姿を現した」

『よく私だと気づいたものだ。人型を見せたのは初めてだったと思うが』


 琥珀の瞳が僅かに細り、低い声がディーダの頭に響いた。

 念話。

 久しぶりに脳に直接語り掛けられる声に、くらりとした。


「……灰白色の髪に琥珀の目、背の高いバカ力を持った正体不明の男、となったら思い当たるのは貴様だけだ。しかもわざわざあの坊主頭を再起不能にして」

『私がやらなければお前がやっていただろう?』


 違うとは言えなかった。

 ミーチェへの侮辱の数々に、腹に据えかねたのは自分も一緒だったからだ。

 だが。


「他にやり方があったはずだ。どうしてわざわざ姿を見せた」

『先に約束をたがえたのはそちらの方だと思ったがな』


 闘技大会の優勝者をミーチェの結婚相手にしようと画策したのはディーダではなかった。けれども、それを好機だと思っていたのには違いない。

 勝算もあった。――この狼が、人化をして試合に出るなんてしなければ。


「ミーチェ様はもう相手を決めるお年だ。我々も待つことができなくなった」

『我々、ではなくお前が、ではないか?』


 怒るわけでもなく。琥珀の瞳は淡々とディーダを捉えていた。

 城に居る時には抑えている圧力を、今ルゥは隠しもせず放っていた。ディーダはそれを一身に受けている。


「……条件、は」


 脂汗を流し、必死に脚を踏ん張って息を吐く。


「条件は、ミーチェ様が思い出せば、だったはずだ。しかし『黙って待つ』という貴様の方針で十七年間様子を見たが、一向に兆しがない。我々は十分に待った。王女への数々の婚義申し入れもずっと退けてきた。だがもう限界だ。これは、ミーチェ様と国のことを考えてのことだ」

『なるほどな……では、私も方針を変えよう』

「……どういう、ことだ?」


 聞き返すまでに間ができたのは、尋常でない圧力プレッシャーに声が出なかったせいだけではない。

 これまで、国王が何度提案しようと頑なに己のやり方を変えようとしなかったこの狼が、ここへ来て方針転換をあっりと言い出したからだ。


 一体、この狼に何があった?


『大したことではない。やはり私を変えるのは、あれ(・・)だけだということを実感したまでだ』


 尾を一振りし、ディーダに向かって歩き始める。

 一歩近づくごとに圧力が増し、あと数歩の距離にまで寄ったとき、ディーダは耐え切れずとうとう膝をついた。


『私の傍に居て平気なのは、あれ(・・)くらいだ。気にすることはない』

「待て、ミーチェ様に、何をする気だ」


 すれ違い、野営地に向かおうとする狼に、苦しい生きの下から声を絞り出す。


『――そうだな、心配ならば、お互いのために期限を貴竜祭の終了時と決めようか。何、心配せずともお前たちの大切な王女に怪我などさせぬ』


 立ち止まった狼は、灰白色の毛を煌めかせ、地に跪くディーダを見下ろした。


『私が取るのはちょっとした――ショック療法、というやつだ』

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