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08.「……それが、答えだ」

 夢を見た。


 天から無数に垂れてくる植物の蔓が、緑の波打つ布のようにミーチェの眼前に広がっていた。蔓には所々に小さな赤い実が生っている。

 テテンのカーテンだわ、とミーチェは思った。


 向こうには重い闇が続いているのに、テテンのカーテンはミーチェを守るように光を帯び、闇と彼女を遮っている。


 舞台のような光景。

 その前に、一匹の灰白色の狼が立っていた。


 ルゥ。


 ミーチェが呼べば、ルゥは琥珀の瞳を細め、ひたひたと歩み寄ってくる。

 両手を広げて迎えるミーチェの前まで来たとき、ルゥの輪郭が揺らめき、青い光になったかと思うと、次にはあの青年の姿になった。


「約束しよう。お前が私を覚えていたら、その時はーー」



 ◇*◇*◇



「きゃー、王女!」

「……はっ」


 女官の声で目が覚めた。

 目の前に広がっていたのはテテンのカーテンではなく、自分の瞳の色と同じ、澄んだ青空。

 不自然に仰け反っているミーチェの背は、女官たちが両側から必死に伸ばしている手に支えられていた。


「貴女たち、器用ですわねえ……」


 身体が落ちるほどに馬から身を乗り出す二人に、ミーチェ半ばぼんやりと褒めたが、女官たちには思い切り眉を顰められた。


「王女の方がよっぽど器用ですけど」

「騎乗しながら寝るなんてなかなか出来ないですよ。ほら身体起こして」

「はーい、ですわ」

「真面目にやってください。こんなときに寝不足でどうするんですか」

「わたくしは悪くないんですわ」


 悪いのは、あの方です。

 ミーチェは昨日自分を救ってくれた灰白色の髪の男を思い浮かべた。


 ◇


『早く思い出せ、私を』


 ――思い、出す――?


 琥珀の瞳に吸い込まれそうになりながら、ミーチェは答えた。 


「――無理ですわ」

「は?」


 腹の上で子犬が「アンッ!」と高く鳴いて尻尾を振った。

 男は、きっかり三度、目を瞬かせた。


「無理です、と申しましたの。思い出せなんて言われても、入れた覚えのないものを出すことができる訳がありませんでしょ? 貴方も、無理を要求をするならそれなりに何か手助けするべきではありませんの?」

「手助けとは」

「ヒントとか、きっかけとか……あっ、でも痛いのとか苦しいのとか、下手なショック療法は勘弁ですわよ」

「……なるほど、ショックか」

「だから穏便にお願いしますって申していますのに!」


 つい勢いで胸ぐらを掴んでしまった。

 しがみつくように両手で男のシャツを握っているこの状態。当然相手の顔はミーチェに近づく。

 琥珀の瞳を間近で見てしまい、ミーチェの顔は時間差でボンッ、と赤く小爆発を起こした。


 こ、これは一種のショック療法ですかしら……。


 しかし全く効き目はない様だ。

 ミーチェが青くなったり赤くなったりしている間、男は一言も発しない。

 眉を上げたまま、僅かに口を開いて固まっているだけ。

 もしかして驚かせてしまったのだろうか……いや、呆れてる?

 表情を読み取るには、まだ彼のことを知らなさ過ぎた。


「……そうか、そういえばお前はそんな人間だった」

「『そんな人間だった』の辺りを思い出すためのヒントはいただけませんの?」


 男はミーチェの頭を無言でくしゃりと撫で、そのまま身体をひょいと膝の上から下ろした。


「子犬の毛皮が乾いたようだ。時間切れだ」

「え……ちょっ……」


 マントを羽織り、岩の上からひらりと飛び降りてあっさり去ろうとする男を追いかけ、ミーチェは岩の端まで駆け寄った。


「あの……お名前を教えてくださいまし!」


 男はそれに、横顔で答えた。


「……それが、答えだ」

「貴方の名前を思い出すことが、答え……?」


 彼の背中は何も答えず、そのまま林の奥へと姿を消した。



 ◇*◇*◇



 わたくしの、おバカ……!


 長閑な森の中を進む馬の上で、手綱を握りしめながらひとり闇を背負っているような王女に、周囲の臣下たちは怪訝そうな視線を送っている。


 昨日を思い出し、浮かぶのは後悔ばかりだった。

 なんて可愛げのない答え方をしてしまったんだろう。後悔が渦をぐるぐる巻いていて抜け出せなくなっている。


「……だって、あの方が悪いんです。あんな急に、わたくしと会ったことがある、だなんて」


 きっと彼の勘違いだ。あんなに綺麗な男性なのだから、一度会ったら忘れる訳がない。


「でも、でも、本当は、そうだったらいいな……なんて思ってしまいましたの」


 実は過去に会っていた、なんて、女官たちがよく話題にしている恋愛小説のようではないか。聞いていた時はピンと来なかったけれど、今なら分かる。時を越えた出会い――これは想像よりもずっとトキメクものだった。

 自分は思っていたよりもずっと乙女だったらしい。

 新しい扉を開いてしまいそうだった。


「しかしそうすると、想像が広がりますわね。彼が亡国の王子であるとか」


 しかし、少なくとも彼の年齢程度の過去に、滅亡した国があったという話は無い。ミーチェはうーん、と唸った。

 背後の女官たちは、馬を寄せてひそひそと囁きあう。


「ねえねえ、王女ってば、何をブツブツ言ってるんだと思う?」

「昨日も寝ていないみたいだから、目を開けて寝言言ってるんじゃないかしら」


 当然、女官の声は思考に集中するミーチェの耳には入らない。


 奇跡的な関係……他に、どんな設定があるですかしら。


 ミーチェは考え込んだ。

 ええと、例えば、ホラ。


「そう! あの方が、ルゥの生まれ変わりだったりするんですわ!」

「王女、ルゥ死んでませんよ」

「この人ときどき大丈夫かなって思うわ……」


 困ったことに、扉は一度開いてしまうとなかなか閉じない。

 森の小鳥の囀りだけが、ミーチェを慰めてくれていた。


 そこに軽快な蹄の音を響かせ、赤毛の愛馬に跨ったディーダが近づいてきた。


「ミーチェ様、お加減でも悪いのですか」

「ディーダもわたくしを笑うんですの!?」


 ディーダが目を丸くしてのけ反った。


「ええと、兵たちが、ミーチェ様の様子がおかしいと申しておりましたので……」


 完全に被害者妄想の勘違いだった。

 彼の本気の心配を疑うなんて失礼なことをしてしまってミーチェの方が動揺した。


「……あ、そういうことですの。だ、大丈夫ですわ。騎乗時間が長くなってきたので背が少し痛くて伸ばしていただけです」

「なるほど。確かに移動時間も長いですし……」


 そうしてディーダは前後に伸びる隊列を見渡した。

 兵の数は千を超える。平和な、決して大国でないキチューゼルで、この規模の兵を実戦で動かすのは十七年ぶりであった。


 今日のディーダは詰襟の軍服に、隊長以上だけが着用を許可されているマントを羽織って帯剣していた。明らかに戦闘を前提とした雰囲気を纏っている。

 対してミーチェも、軍服に近しいデザインのドレス。上半身は豪奢な青の詰襟に、燕尾のように伸びた後ろ身ごろ。スカートは機能性を重視した柔らかい素材で、膨らみも限界にまで抑えられている。

 これは、軍を率いるにあたり、ミーチェのためにあつらえられた軍用ドレス。男性用と違い、ミーチェの細腰を十分に魅せるラインになっているのは「戦いのときも美しく!」という女官たち主張が臣下たちを動かした成果である。


「ミーチェ様、一度休憩をお取りになりますか」


 こんな場だというのに、ディーダはいつも通りにミーチェを気遣う。


「甘やかすのはやめてくださいな、ディーダ」

「失礼いたしました」

「……とは言え、予定通りの進軍であれば、そろそろ野営の準備をしなければなりませんわね」


 陽の傾きがそろそろ夕方を伝えてきていた。


「ええ、兵たちにも疲労の色が強いですし」


 強行軍で兵たちにも疲労が見えていた。

 先ほどまでのミーチェのやりとりも、そこそこの疲労の中行われていたのだが、あの呑気なやりとり、実は意外にも、兵たちの緊張感を和らげる働きがあったことをミーチェたちは知らない。


「ミーチェ様、予定より早いですが、野営の許可をいただいてよろしいでしょうか」

「許可します。……ふふ、なんだか、変な感じですわね」


 いつも通りほんわりと笑っているようだが、ミーチェの瞳には冷静な緊張感があった。


「それは仕方ないでしょう。なにせ今回はミーチェ様の――国王軍の総指揮官としての初陣なのですから」

ブックマーク、ポイント評価、ありがとうございます。

完結予告をしていたお盆まであと少し。予定より少し話数が伸びそうですが、皆さまの応援が執筆の励みになっています。

次の更新は明日8/7です。

さて、これからいよいよ急展開です。なぜミーチェたちは出軍したのか。それも含めて次話で!

(ところでお盆って何日からですかね?('ω'))

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