05.「な、なんて無茶苦茶な」
「――ディーダ様、素敵ー」
「ああ、カッコイイ……」
ディーダが去った後、女官二人が悶えていた。
「ディーダ様、絶対ミーチェ様のこと好きですよね」
「私もそう思います! あれは絶対、他の選手へのけん制でした」」
「そうそう、わざと観客席に見えるようにして手の甲にキスするなんて……きゃー!」
きゃっきゃと騒がしいことこの上ない。ミーチェが座る椅子の背もたれはとても高いので、後ろに下がってしまえば観客席から見えることはないが、それでももう少し大人しくしてほしいものだ。
「貴女たち……観客の前ですのよ。もう少し大人しくなさって」
「だって、だって……」
「貴女方の想像力にケチをつけるわけではないけれど、わたくしとディーダは乳兄妹ですわよ。あのくらいのこと、昔から日常茶飯事ですわ」
応援するのも彼が身内だからだし、口にはできないが、例の坊主頭を叩きのめしてほしいからだ。他意などない。
女官たちは納得いかず、口をそろえて「でも、でも」と繰り返す。ディーダの魅力を語る二人の言葉を半分も聞かず、ミーチェは適当に相手をした。
わたくし、王女なのに、どうして聞き役になっているのかしら。
なんとなく理不尽さを感じたが、これがキチューゼルの国風なので仕方がない。
しかし……とミーチェは首を捻った。
どうして人は、ルゥの魅力を分かってくれないのだろう。
ルゥの魅力はモフモフだけではない。
琥珀の瞳に、長くシャープな顔立ち。逞しい胸元に、細い腰という何ともそそる体のフォルム。柔らかい毛皮の下には、人の何倍もの力を発揮する強靭でしなやかな筋肉がついている。
ルゥの筋肉は、今闘技場で試合をしている選手の、無駄に厚く発達した大腿筋や三角筋、上腕二頭筋のように見掛け倒しで重いだけの筋肉とは違うのだ。
細いのに、人間の運動力を軽く超える。そんなルゥの体は、ミーチェにとって外見の次に魅力的だと感じるところだった。
「それに、ルゥはわたくしのことを何よりも分かって、大切にしてくれますわ……」
子供の頃、城の広大な庭で迷って泣いているときに彼に出会った。
何も言っていないのに、彼はミーチェの涙を舐めとり、泣き止むのを待って、最後には服を咥えて城まで運んでくれたのだ。
絵本で見た狼よりずっと大きなルゥ。彼がミーチェを咥えて城に現れたとき、城中がてんやわんやになった。
はて、あの大騒動はどうやって収まったのだろうか。残念ながらミーチェには記憶がない。
記憶にあることはたった一つ。
『るー、いっちゃダメですのぉ~』
立ち去ろうとする彼を泣いて引き留めたのが、ミーチェだったこと。
本来なら野生に返るところを、彼はミーチェのために残ってくれた。たまにフラっと居なくなるのは、寂しいけれど仕方ないことだと思っている。
ルゥは、ミーチェが仕事や勉強をサボろうと逃げると、誰よりも先に探し出してくれた。
ただの我儘逃亡のときはさっさと捕まえてユマの前に差し出されたし、そうでないときは、夜になるまで隠れるのを付き合ってくれた。
時にはルゥに構ってほしくて逃げ出したこともあるけれど、そんなときは絶対に捜しに来てくれなかった。だから、なんちゃって逃亡はすぐにやめた。
城の全員が、王女としてミーチェを構う中、彼は人間のルールに縛られることなく、彼のルールでミーチェを構った。
ミーチェは理解している。
ルゥは、ミーチェが王女として生きようとしているから支えてくれるのであって、ミーチェが違う決意をしていれば、きっと違う形でミーチェを助けてくれるだろう。
「本当に優しくて恰好いいのは、ルゥですわ……」
しかしルゥは人ではない。
今の生活を変えるのは嫌だけれど、たった一人の王女として、ミーチェは結婚をせねばならなかった。
だが、致命的なのは、ミーチェは男性の顔が判別できないこと。
「うう、筋肉のぶつかり合いにしか見えないですわ……」
闘技場で試合をする男性が、肉の塊にしか見えないのはオンナとして終わっている。
「もうくじ引きで相手を決めてもいいかも……」
ミーチェのため息は、闘技場の斧使いが、対戦相手の長剣を根元から破壊したことで湧いた歓声に消えた。
パワフルな技に観客が興奮し、審判も斧使いの勝ちを宣言する。
武器を破壊され、試合続行不可能と判断されたときは、武器を破壊した側の勝利となるルールだ。
闘技場は大歓声に包まれていた。
「今の試合も見事でしたねー。斧使いは、既婚者ですから候補者から外れますけど」
「ええ、そうですわね……」
ちょっと疲れてきた。なんだろう、昨年までは楽しく観覧できていたのに。
父親が横にいないだけでこんなに変わるものなのだろうか?
そう思ってから気づいた。
「ああ、昨年まではルゥを連れてきていたんでしたわ……」
我儘を言って、足元に伏せていてもらったのだ。
そうすれば観客からは見えない。
ルゥも見たいだろうと、ときどき、こっそり顔を上げてもらってドキドキしながら一緒に観戦した試合もある。
きっと、観覧しながらずっと構ってもらっていたから、退屈せずに済んだのだ。
「王女のコレはもう病気ね」
「そうね」
女官が呆れたが、物憂げにため息をつくミーチェの耳には届いていなかった。
◇*◇*◇
ことが動いたのは、次の試合であった。
「……? あれ? あんな選手いた?」
闘技場を見下ろす女官の声に、ルゥに想いを馳せていたミーチェは現実に返った。
「いいえ。私も選手の顔は一通り確認しているけれど」
だって王女の結婚相手になるかもしれないし。と言う女官の声は無視し、ミーチェも闘技場に視線を落とす。
「……!」
その選手を見た瞬間、ミーチェの心臓がドクンと跳ねた。
居たのは、長い棒を一本持っただけの男だった。
背が高く、灰白色の髪をした、若い男。
顔は良く見えない。けれど長いマントの下にある身体は、ミーチェの眼で見て、無駄のないバランスの取れた筋肉であることが分かる。
「あ、あの選手の名前は何て言いますの?」
どうしてこんなに心臓が鳴っているのか分からない。どこかで会ったことがあるのだろうか? 急かす様に名を尋ねるミーチェに、女官はリストを何度も眺めてから答えた。
「……それらしい選手はいません」
「え? そのようなことがありますの?」
「分かりません。というか、この試合に出るのは我が国の軍の人間だったはずなのですけれど」
おかしいなーと女官は首を傾げるが、それはミーチェも一緒だ。
「あっ、相手の男、こないだ王女に無礼な発言をしたやつですよ!」
闘技場のもう一つの入り口が開き、入ってきたのは、先日の懇親会でミーチェに「狼王女」と罵った無礼な坊主頭だった。頭に大袈裟に包帯が巻かれている。
あら? あんなに大怪我だったかしら。
坊主頭を治療した当の本人たちは、リストを見ながらうんうんと悩んでいた。
「うーんやっぱりリストには無いです。でもあのゴツい坊主頭には負けて欲しくないですね。アイツ、強いらしいですけど、あの謎の選手の細さではどうかしら」
「ねえ、坊主の武器は何だっけ?」
「ええと、ちょっと待って」
女官がリストを見直しているうちに試合は始まった。
坊主頭は、三日月刀を抜いた。
三日月刀は、赤の国で通常に使われている刀。しかし、男の持つ三日月刀は、普通の物よりも幅も長さも倍ほど大きい。
「あんな重そうな刀を軽々と持つなんて、王女じゃないけど、さすが無駄に筋肉つけてないなって感じ……」
上腕二頭筋と胸筋、そして広背筋が筋が浮き上がるほどに発達した身体。ミーチェも彼が大物を扱うことは予想していた。
が、これに棍棒一本で立ち向かう相手の男は大丈夫なのだろうか。
大きな武器を見ても動揺する様子なく、静かに立つだけの男を、ミーチェははらはらと見守った。
先に仕掛けたのは、坊主頭だった。
それほど速くはないが力強く踏み込むことで、武人の身体が一気に大きくなったように見えるかもしれない。向かい合う相手には充分にプレッシャーにはなるだろう。
ミーチェは拳を握った。これほどのめり込むように観覧するのは初めてかもしれない。
女官たちも身を乗り出していた。
信じられないことに、勝負は一瞬でついた。
灰白色の男が片腕で棒を横薙ぎに殴っただけで坊主頭が地面と水平に吹っ飛び、闘技場の壁にぶつかったのである。ミーチェには、闘技場が揺れたように感じた。
そのまま武人の身体がどさりと床に落ちる。泡を吹いているところを見ると、気絶したのだろう。
あんな大柄な男の身体が闘技場の端まで飛んでいくなんて。
会場が、驚愕で静まり返った。
「な、なんて無茶苦茶な闘い方ですの……」
ミーチェは唖然とした。
「棒術の型も何もない、ただ殴っているだけ……なのにあの圧倒的な速さと力……すごいですわ……」
床に沈んだ武人など視界に入っていなかった。
灰白色の髪に、ミーチェの視線が惹きつけられる。
心臓が、たまらなく早く鼓動を打っていた。強い。けれどそれだけではない。長身と、しなやかで強靭な彼の動きに、すっかり見入ってしまっていた。
こちらを見てくれないだろうか。
気付けば、ミーチェは椅子から立ち上がり、観覧席の柵まで寄っていた。
両手を胸の前で祈る様に握る。少しだけでいい。顔を見たい。
冷静に考えれば、男性の顔を見たいとこんなに強く思ったことはなかった。
このとき頭の中は、どうしたら彼がこちらを振り返ってくれるか、ただそれだけ。「見事でした」とでも声を掛ければ、あるいは振り返ってくれるだろうか。
と、ミーチェの視線に気づいたように、男がこちらを振り仰いだ。
「……!」
ミーチェは彼にくぎ付けになった。
美しい男だった。通った鼻筋に、薄い唇。顎も首の筋肉も細いのに、全くひ弱さなど感じない。
その理由は、爛々と輝く琥珀の瞳。ルゥと同じ色だった。
圧倒的な力と自信に満ち溢れた瞳なのに、どこまでも静かで。
それが、ミーチェの心を射抜く。
会場は一転して大歓声に包まれていたが、ミーチェの耳には煩いほどの己の心臓の音しか聞こえていなかった。
男が、視線を外し、マントを翻して闘技場から立ち去って行く。
ミーチェはその場に立ち尽くし、彼の姿が消えてもずっと出口を見つめていた。