04.「あっ、こら、しーっ、ですわ」
相手に一撃を入れられた男が石の闘技ステージ上でどさりと倒れ、観客からの大歓声が上がった。
「王女、私の応援していた選手が勝ち抜きました!」
「やっぱり思っていた通りの結果でした! ああ、素敵!」
背後の女官二人は大盛り上がりである。
曖昧に頷きながら、ミーチェはうんざりと豪奢な椅子に背をもたれさせた。
ここは闘技場の一番高い位置にある王族用観覧席。観客からの視線を一身に集める場所だ。
意識し、気品ある仕草と笑顔を保ったまま、空気だけはしっかりうんざり感を出すという器用なことができるのは、ミーチェが生まれながらに王女だからである。
「王女はどのお方がいいと思います?」
「そうそう、王女のご意見、聞きたいです」
瞳をキラキラ輝かせながら聞いてくるのはやめて欲しい。しかし、闘技大会に浮かれる彼女たちの反応は普通である。強い男はカッコいいのだ。
しかし、顔がすべて同じように見えている自分にはまったく意味のない基準。ミーチェは彼女たちの盛り上がりを壊さぬよう、慎重に言葉を選んだ。
「そうですわねえ。どの方も甲乙つけがたいですが、ひとつ前の試合の、二刀流の方の剣技は見事だったと思いますわ」
「あ、きれいな動きをされていましたね! 初出場の他国の方のようですね」
「ああ、確かに私も注目選手だと思います。ですが、出場前に女性と仲良く一緒にいるのを見たという情報がありますので、残念ながら恋人持ちです。……ということで、他にどの方がよかったですか?」
ここまで女官に言われ、ミーチェはようやく彼女たちの目的を知った。
要は「どの男性に勝ってもらって、結婚相手にしたいと思っているか」が聞きたいのだ。
昨日ようやく独身男性ばかりの懇親会(ミーチェ的には圧倒的無意味な時間)を終えたのに、ここでも結婚相手について探りを入れられるとは。
「はっきり言いますけれど、わたくしは、この中から結婚相手を選ぶなどと一度も言っていませんのよ? 毎年開催されているのに、今年に限ってこんな婿選び大会のようになって困っていますの」
「それは、今年で王女が十八歳になるからですよ?」
言われなくても分かってる。
大抵、王族は十八歳で結婚相手を決め、そのまま婚約することになっていた。
だが、何も闘技大会で相手を決めることはないのだ。
どうして貴竜祭の闘技大会の優勝者に結婚相手となれる権利を与える、というような雰囲気になっているのかミーチェには全く理解できなかった。
「国王が、十八歳のときの闘技会で優勝され、そこで王妃様に求婚されたんですよ」
答えたのは、女官でなく、後ろから入ってきたディーダだった。
きゃあ、と女官二人が黄色い声を上げた。
ディーダは二十代半ばという若さで、国王の護衛隊長となっている将来有望な軍人だった。
しかもその立場に見合った軍人として申し分ない腕の持ち主で、加えてこの甘いマスク。国王の覚えがめでたい上、現将軍の息子であり、女性に人気がないわけがなかった。
城で護衛の仕事をしているときよりはずっと簡素な軍服に身を包んでいるディーダを振り返り、ミ―チェは聞いた。
「ディーダ、お父様がこの大会でお母様に求婚したというのは本当ですの?」
初耳ですわ。とミーチェは目を瞬いた。
父が、若い頃に大会に出場して優勝したことがあるのは知っていたが、それに便乗して母に求婚していたというのは聞いたことがない。
「ええ、以前陛下に直接聞きました。古参の中では有名な話ですよ」
そう言ってディーダは柔らかく笑った。今日、彼はミーチェの補佐でここにいるわけではないので、いつもよりは気楽そうだ。
ミーチェの椅子の斜め後ろに控え、眼下の闘技場を眺めながらディーダは父のことを説明してくれた。
「優勝者は望みをひとつ叶えてもらえる、というのがこの大会の醍醐味なのはミーチェ様もご承知の通りです。まだ王子だった陛下はそれを利用し……というのは多少語弊がありますが……大会で優勝して望みを叶えようとしたのです。陛下が望まれたのは、当時商人の娘であった王妃様でした。前もって、王妃様と約束していたそうです」
「お母様のご実家は大きな商会ですから……王族に嫁入りすること自体は珍しくはないと思うのですけれど、どうしてお父様はわざわざそんなことを……」
「まあ、王女、そんなの決まっていますわ」
きゃあきゃあと騒ぎながら女官が言った。
「ロマンです。自分のために必死に戦い、優勝した王子から求婚を受ける……女性としてこれほど盛り上がるプロポーズはありませんもの」
「そうなのですか……?」
「まあ、そういうこともあるかもしれませんね」
ディーダは意味深に苦笑した。
「なるほどですわね。なら、今年に限って大会前からやれ男性選びだのやれお見合いだのとせっつかれていた理由は理解しました。考えてみれば、勧めてきたのは古くからお父様に仕える者ばかり」
「でしょうね。先日のお見合い懇親会を画策したのも、調べてみたら財務大臣でしたから」
「彼、いちばん古いですものね……まったく無駄なことですわ。わたくしが最高に盛り上がれるのは、求婚なんかより、ルゥをモフモフしているときですのに」
モフモフを思い出しているのだろう。観客から見えない膝の上で、手をわきわきさせるミーチェに、女官たちが残念そうにため息をついた。
せっかくロマンティックだったのに、狼王女はやはりモフモフに話を持って行ってしまった。
「それより、あの狼は?」
次にディーダが口にしたのは、王女が興味を失くした国王の昔話でなく、いつも傍にいる狼の話だった。
そういえば、ディーダは決してルゥの名を呼ばない。
「ルゥですか? 今朝から姿を見ていないんですの……また黙ってどこかへ出かけてしまって。本当はこっそり連れてこようと思っていましたのに」
しょぼんとしてミーチェは答えた。
しかし、椅子を挟み、ディーダと反対側から覗き込む女官たちは揃ってぷるぷると首を振った。
「やめてください王女。私たちはルゥが居なくて安心してますよ」
「そうです。ルゥが一緒では恐ろしくてこの場に居れません」
「貴女たちまでそんなことを言うなんて」
ミーチェは扇で顔を半分隠し、眉をしかめた。ルゥのことになると「王女」の顔が崩れてしまう。
「ルゥは美しくて凛々しいではありませんか。 貴女たちはルゥを見てうっとりしませんの?」
「それ、何度もお聞きになりますけれど……私たちはルゥでうっとりなんてしませんよ」
「王女には懐いているからそんな風に呑気に言えるんです。私たちがうっかり近づくと空気がビリっとするので、いつか噛まれるかと思うと怖くて」
ぶるっと震えた二人は顔を見合わせ「ねー」と頷き合う。
確かに彼が美術品であれば安心して観賞できるかもしれないが、頭を丸かじりされそうな大きな口と牙と爪を持ち、決して油断することなく過ごしているのが分かる獣相手にうっとりなどできない。
「だから王女とルゥが、昨日のように一緒に寝てるのがとても信じられないです」
「あっ、こら、しーっ、ですわ」
扇で二人の口を塞いだが、残念ながら遅かった。
「ミーチェ様……?」
背後から低い声が下りてきて、ミーチェはぎくりと肩を揺らした。
そろりと振り返れば、仕事モードの生真面目な顔がこちらを見下ろしている。
「ディ、ディーダ……」
「まだ、あの狼と寝てるので……?」
二人の女官は「あらあら、知ーらないっと」とミーチェを取り残し、壁際に逃げて行く。
残念ながら味方はいなかった。
「狼と寝るのはもうやめてくださいと先日言ったばかりですよ? あれから一週間も経ってはいないではないですか」
「だって、ルゥがいないと落ち着かないのですもの」
仕方なく開き直る。
ディーダに怒られるのはちょっと面倒だが、やっていることを悪いと思っているわけではない。
「ルゥ、わたくしが寝付いた頃にベットを抜け出してるみたいなんですのよ。ディーダが怒ってるのを理解しているからですわ」
「そうではないと思いますが」
だからもう少し大目に見て、というミーチェの要望をディーダはバサッと斬り捨てた。
「もう少しお立場を自覚なさってください。ミーチェ様も結婚相手を見つけなければいけない年なのですから」
「分かっていますわ。狼王女と言われないように振る舞いなさいってことですわね」
「いえ、それは構いません」
「……?」
大きな瞳できょとんとディーダを見上げた。
「狼王女と噂されておけば、ミーチェ様の外見と地位だけが目当ての男はとりあえず避けられるでしょう。それでも寄ってくるのは、本気で地位が目当ての者か、本気でミーチェ様をお慕いする方のみ。噂だけなら、決して害にはなりません」
「では、どうして一緒に寝るのを怒るんですの?」
扇で口元を隠しているが、頬が微妙に膨らんでいるのを見ると、どうやら扇の下で口を尖らせているようだ。
ディーダは誰にも言っていないが、彼は、ミーチェが自分と母親だけに見せるその表情が嫌いではない。
少し怒りが落ち着き、少し和らいだ顔で答える。
「単に、今後のことを心配しているのです。実際に結婚なさった後も夫ではなく、ずっと狼と寝るおつもりですか? それでは貴女がいつも気にしている、世継ぎなど到底望めませんよ」
「そ、それはなんとか、確率で」
「ミーチェ様、その言い方はどうかと……」
ディーダはちょっと困った顔をした。ディーダは生真面目軍人だが、決して堅物なわけではない。仕事の間はしかめ面でミーチェを叱ることもあるが、今日のようにオフの場では、それこそ兄のように柔らかい顔をする。
兄のような彼に、ミーチェは遠慮なく口答えした。
「こう言ってはなんですけど、わたくし、この立場に生まれたからには相手を選ぶつもりはないですわよ? 良い方なら国を治めていただければいいし、不適合であればわたくしが女王となればいいのですから」
ミーチェは、決して女王の器として不足はない人物だった。やや率直で変わり者ではあるが、外交や政治の判断の的確さはこれまでの公務で充分に評価されている。
臣下たちも、その意見で一致していた。
それでもミーチェが女王となる前提で動いていないのは、過去、この国に女王が居たことがないせいだ。
強さが重んじられるこの国で、細腕のミーチェが、果たしてどれほどの民衆の支持を得られるのか。
可愛らしい王女としての人気と、国王としての支持は同じようで違うのである。
「とは言え、後継ぎさえ産めればわたくしの役割の半分は終わるのです。相手は二の次ですわ」
王女の割り切った考え方に、後ろに控えていた女官二人はやれやれといった顔をした。
もっと困った顔をすると思ったディーダは、意外にも優しく微笑んでミーチェの手を取った。
「ミーチェ様はそれでいいと思いますよ。貴女に相応しい方はきっとおります。狼さえ何とかなれば、国も、世継ぎも問題ないのですから」
「さすがディーダ。分かってくださるのね」
「ええ、長い付き合いですから」
ディーダの笑みに、女官たちから小さく歓喜が上がった。
「さて、そろそろ試合が始まりますので、私はこれで。優勝してみせますから、ご覧になっていてくださいね」
「ええ、精一杯頑張ってくださいませね。応援していますわ」
「ありがとうございます」
ディーダはしなやかに腰を折ると、ミーチェの手の甲に口づけを落とした。ミーチェは王女として、微笑んでそれを受け取った。