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03.「穏やかなお茶会など無粋でしたわね」

 二度目の逃亡を警戒してか、ディーダにがっちり手を握られてエスコートされ、辿り着いた会場には若く逞しい男性たちが待っていた。


 今日は立席式のお茶会だった。


「王女、我が国に一度お越しになりませんか」

「ミーチェ王女、私が魔獣を打ち取った話をぜひ」

「我が領地名産のフルーツをお贈りしたく……」


 紅茶カップとソーサーを持ち、優雅に窓辺に立つミーチェの周りには人だかりが出来ていた。


 大会の主催者である王族と、厳しい予選を勝ち抜き、本大会への出場が決まった選手の交流会――と見せかけた、王女対屈強な独身男性陣のお見合い交流会。


 ミーチェはもうじき十八歳になる。

 王族は十八歳になれば婚約者を決めねばならなかった。

 結婚相手を探している、花盛りの可憐な王女に男性が群がるのは必至。

 しかもここにいるのは腕に覚えのある者だけでなく、各地でそれなりの地位や財力を持つ若い男たち。条件としては魅力的な男性ばかりであった。

 そんな、よりどりみどりの状況で。


「三角筋、腹直筋、上腕二頭筋、大腿四頭筋、下腿三頭筋……」


 表面上は微笑みを絶やさないミーチェの頭の中は、呪文のように筋肉が巡っていた。

 筋肉。筋肉。筋肉。

 むさ苦しいことこの上ない。

 確かに、武を尊ぶ国キチューゼルでは、強い者はそれだけで尊敬される。貴竜祭という派手な舞台で優勝すれば、あっという間に英雄並みの人気を得られるのだ。


 が、ミーチェは別に筋肉好きなわけではない。


 筋肉で人を見分けるのも必要にかられただけだし、筋肉質な男性が多いから見分けやすかったからというだけだ。

 今この場で、右をルゥが、左をディーダが固めてくれていなければ、失神したフリでもして退場してたかもしれなかった。


「最悪、そういう手も使えますわね……」


 割りかし真面目に呟いたら、


「ミーチェ様、余計なことはお考えになりませんよう」


 ディーダにすばやく小声で窘められた。

 ルゥも心無し咎めるような目をこちらに向けてきている。


 おかしいですわ、この二人、わたくしの心を読めるのかしら……。


 ミーチェは冷えた紅茶を飲み。目をそらして誤魔化した。


 しかし、本当にむさ苦しいですわね……。


 我慢できず、ミーチェは空いている手でそっとルゥを撫でる。ルゥのモフモフだけが今のミーチェの救いだ。


 大きな獣が隣にいるせいで、ルゥのいる右側は、人が若干距離を置いていた。やはりこの狼は武人でも警戒する空気を放っているらしい。

 ミーチェは安心してルゥを撫でた。初めは頭、徐々に手が下りて頬に。

 ルゥは何か言いたげな視線を投げてきた。「場をわきまえろ」という意味なのはミーチェだけが理解できること。「お願いですの、ここを乗り切るためにモフモフさせてくださいな」。無言のまま、大きな瞳で強く訴えた。

 しばらく見つめあった後、ルゥはミーチェにしか分からぬほど小さな息を吐き、視線を周囲に戻す。

 許された――ミーチェの頬がにんまりと緩んだ。


 もう咎められることもない。だんだん大胆になり、とうとうミーチェは身体をぴたりと灰白色の毛皮に寄せ、腕をルゥの顎の下からくぐらせて包み込むように向こう側の頬を撫で回した。


「ああ……この柔らかな手触り、厚み……幸せですわ……」


 ぐる、とルゥが鳴いた。


「ミーチェ様」


 こほん、とディーダが咳をした。


「あら?」


 我に返れば、何とも言えない顔のディーダと、困惑しきった選手たちがミーチェを見ている。


 やってしまったですわ。


 ミーチェの額からちょっと汗が流れた。

 あまりに気持ち良すぎて周りが見えなくなっていたらしい。


 と、ミーチェたちから離れた場所から笑い声が弾けた。


「いやいや、キチューゼルに『狼王女』がいるというのは本当だったか」


 ガハハという野太い声に、その場の全員の視線が一斉に向く。

 大柄で褐色の肌の男が、丸坊主の頭に手を置いて下品に笑っていた。


「王女の御前です。失礼ですよ」

「いやあ、予想の上を行く執心っぷりだなぁ?」


 ディーダの厳しい声に対し、坊主頭はニヤニヤと笑い、わざとらしく顎を撫でる。


「オレは国に女がいるから全く興味はねェんだが、噂の狼王女がどんなモンか興味本位で誘いに乗ってみたワケだ。そしたらまさか、周りの男が目に入らねェほどご執心とはなぁ」


 褐色の肌は赤の国の人間の特徴。ディーダは内心舌打ちする。赤の国の武人は、我が強く、自分を押さえず激高する迷惑型が多い。毎年街の中で揉め事を起こすのもほとんどが赤の国の者絡みだった。

 もちろん全員がそうではないが、この男はどうやら面倒なことに、迷惑タイプのようだ。


「婿探しもせず、ケモノにうつつを抜かしている狼王女。そりゃ男も寄って来ねえだろ。もう狼と結婚したらいいんじゃねェか? 」

「貴様、控えろ」


 敬語を剥ぎ取ったディーダが、一歩前に進み出る。

 この場には自国だけでなく、他国の有力者も出場者として出席しており、立派な社交の場であった。そこで王女を愚弄するのがどんなに無礼で愚かなことであるか。


「なあ王女さんよ、その大好きな狼に、まさか毎晩慰めてもらってたりするんしゃねェだろうな!」


 下品なジョークを下品で包んで、男はゲラゲラと笑った。

 作法も何もなく掴むように持っていた紅茶のカップを煽り、カパっと中身を一気に飲む。


「ちっ。酒でもありゃー、もっと楽しく見物できるのにな」


 器を無作法にひっくり返して舌打ちするという、全く品のない態度に、周囲の男たちも眉を潜めた。何人か、正義感から拳を握って踏み出しかけた者もいたが、「乱闘は許さぬ」とばかりにルゥが睨みを利かせ、怯ませて引かせた。


 ディーダはと言えば、この坊主頭の素性をようやく思い出していた。

 初出場ながら、予選での圧勝ぶりに、優勝候補の一人とされいている男。また赤の国の有力者の縁者であるため、勢いで斬ればあとあと面倒なことになる。

 立場と怒りの狭間で、ディーダは歯ぎしりした。


「まぁ確かに、こんなお茶会つまらないですわよねぇ」


 そこに、のほほんとした声が割って入った。

 誰かと思えば、同意をしたのは当の本人であるミーチェだった。

 それまで冷え冷えとした視線を男に送っていたくせに、急に態度を変えてしみじみと頷くミーチェに、ディーダはぎょっとした。


「ミーチェ様、何を」

「赤の国のお方、貴方の仰る通りだと思いますわ。考えてもみれば、ここにいらっしゃる皆さまは揃って武芸の達人。穏やかなお茶会など無粋でしたわね。そんなこと気づかないんてうっかりしていましたわ」


 首を少し傾け「ごめんなさいましね」とにこりと微笑む顔に、一触即発の空気が僅かに緩む。

 空気を変えた無邪気で美しい微笑みに、緊迫していた周囲の男たちからも、ほう、とため息が漏れた。


「ミーチェ様」


 しかし、ディーダの気は収まらない。

 ミーチェへの無礼をこのままにしておくなど、国の威厳に関わる上、何よりもディーダ自身が許せなかった。


「ディーダ、お黙りなさい」


 穏やかながらも有無を言わせないミーチェの声に、ディーダは思わず口を閉じる。


「貴方は気が短くていけないですわ。この方の言うことは尤もなのですよ? やはり、ただのお茶会など退屈なだけですわ」

「しかし……」

「ですから……余興をお見せしないと、ですわよね?」


 ディーダに向けたミーチェの笑顔は……目が笑っていなかった。

 ディーダはそれを見て、口元を緩める。

 ああ、忘れていた。ミーチェ様はそんな方だった。


「ええ、そうですね」


 ディーダが肯定する静かな返事と同時に、ミーチェの手首が軽やかに翻り、紅茶のカップが投げられた。

 一直線にカップが飛んだのは、もちろん坊主頭の無礼者の方向。


 油断していた坊主頭は慌てた。反射的に腰に手をやったが、何も帯びていなかった。そこでようやく茶会の前に武器を預けていたことを思い出す。武器を取ることができなかった男は、顔の正面に迫る茶器を払い落とそうと切り替えた。


 しかしその眼前に、剣を抜いたディーダが一瞬で距離を詰めていた。

 坊主頭の間合いに入る直前、ディーダの剣が紅茶カップを真っ二つにする。

 ディーダのスピードと剣技に、周囲からどよめきが起こった。


 だがそれでは終わらなかった。

 次には、ディーダが振り切った剣の軌跡を追うようにルゥが二人の間に、これまた一瞬で割り込んだのである。


「うぁっ!?」


 牙を剥いた大狼に驚いた坊主頭が、間抜けな声を出して顔を手で覆った。

 しかしルゥは坊主頭になんぞ目もくれず、空中で首を捻り、宙に浮いたままのカップを自分の横面で思い切り叩きつける。

 ルゥの力は人間などよりずっと強い。

 急激にスピードを上げたカップは、避ける間もなく褐色の丸刈りの頭頂部に当たって粉々に砕けた。

 ガチンとバリンが融合したような音が広間に響く。


「ってェ! 何をしやがる……!」


「あらあら、申し訳ありません、ちょっとした余興をお見せしようとしたのに失敗してしまいましたわね。わたくしのルゥが失礼いたしましたわ」


 丸坊主の頭には、割れたカップの破片が草むらのように刺さっていた。褐色の肌に白い陶器の草は良く映えた。

 坊主頭は怒りでぷるぷるしていた。頭に血が集まったせいか、ときどきぴゅーっと小さく血が吹き出ている。


 無神経に無礼発言をまき散らした男が、優男と狼に見事にやられ、今、頭に破片をザクザク生やしている。

 誰かが、たまらずにぷっと吹いた。それを機に、広間には小さな笑いが広がっていった。

 中には仲間の肩を叩き、声を出さず大笑いしている者もいて、なかなか痛快な空気となっている。


「皆さま、本大会ではわたくしのような失敗はなさらないでくださいませね? 皆さまの活躍を拝見するのをとても楽しみにしておりますから」


  坊主頭の武人とのことがすっかり無かったように、ミーチェはにこやかに選手たちに語り掛けた。

 気の良い選手の中には、カップを持ち上げて了解の意を伝えてくる者もいる。


 お茶会はその後、和やかに再会され、無事に終了した。



◇*◇*◇



「ミーチェ様、お見事でした」


 私室に戻ってソファーに沈み込んだミーチェに、ディーダは冷たい飲み物を手渡した。


「わたくしは何もしていませんもの。ルゥとディーダの連携のお蔭ですわ」


 あの後、坊主頭は怪我の治療の名目で会場から強制的に連れ出された。恐らく、茶会での話を聞きつけ憤慨した女官たちから、めいいっぱい消毒液を掛けられ、痛い治療を丁寧に受けさせられてから城から放りださたことだろう。


「許せなかったんですの」


 ミーチェは口を小さく尖らせた。

 それはそうだろう、とディーダは思った。あんな侮辱的な言葉、女性が浴びせられて穏やかでいれるはずがない。


「許せなかったんですの。あの男……あの男、ルゥをバカにして!」


 が、ちょっと思っていたのと違った。


「ルゥは立派な狼なのです。なのにわたくしと、おっ、お楽しみ、なんて、ハレンチなこと言って! 許せないですわ。傷口に唐辛子塗ってやりたいですわ~!」


 あんなに冷静に対応していたのが嘘のように、ミーチェはビロードのクッションをボスボスと叩いて怒りをぶち撒けた。

 この場に狼が居なくてよかったとディーダは思った。ミーチェが自分よりも狼を貶められたことを悔しがっている事実、本狼ほんにんには知られたくなかった。


「ミーチェ様……狼は狼ですから、気にしていないと思いますが。それより、あの男、赤の国の軍人です。王族への許しがたい侮辱、断固として赤の国に抗議を申し入れましょう」


 ぽすっ、と、細腕の拳がクッションに落とされた。


「……そんなのでわたくしの気が収まると思って?」

「……すみません。思いません」

「抗議なんて意味ないですわ。あの男が、国から生ぬるく罰せられるだけではないの」

「ご尤もです」

「……ディーダ、わたくしが知る中では貴方が一番優勝に近いですわ」

「はい」


 謙遜などしなかった。事実、ディーダは初出場で優勝を狙う気でいる。


「あちらも優勝候補。どこかで貴方と当たるはずです。ディーダお願い、あの男をメッタメタにやっつけてくださいませ!」


 ミーチェは唇を噛んでディーダをまっすぐ見上げた。


「こんな侮辱……許せないんですの」


 青い瞳にほんのり滲む涙に、ディーダは掛ける言葉を迷った。

 この涙は、狼を想って出ているものだ。


 ディーダは迷った末、「御意」とだけ答えた。

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