番外:想いニ方(ふたかた)6
「お久しぶりですお父様。……お加減はいかがでしょうか」
囁き声に近いような気がするのは、病人に気を遣ってのことだろうか。
普段から感情表現がはっきりしているミーチェなのに、今の淡々とした様子に違和感を覚えながらガルグは部屋に入った。
部屋の奥に置かれた、大きな天蓋付のベッド。
天蓋から落ちる日よけの厚手のカーテンは開けられていた。向こう側には医者が用意したものだろう、薬や医療道具が仕舞われている箱が積まれ、サイドテーブルには洗面器やタオル、ガーゼなどが置かれていた。
そしてベッドにはクッションに埋もれて横になる人物が。
口元には髪と同じ色の青い髭。それが弱々しく動いて言葉を発した。
「お加減、か……患部の痛みは随分引いた。患部は、な……」
「そうですか」
ベッドに近寄り、ガルグは驚いた。
最後に王を見たのは一年前だったかと思う。確かキチューゼルの王らしい、逞しい身体を持った精悍な男だった。しかし今や彼はすっかり痩せ、男盛りの中年という年齢であるはずなのに、初老ほどに年をとっているように見えた。
臥せって数カ月で一体何があったのか。
「外が騒がしかったようだが……何かあったのか」
「少し探し物をしていたのですわ。兵たちが大袈裟に騒いでしまっただけですの。大したことはございませんからすぐに落ち着きますわ」
表情を変えず、ミーチェは静かに答えた。
何か、別の感情を抑え、あえてそうしているようにも見えた。
「そうか、ならよい……。それより、そちらの御仁はもしかしてガルグ殿か」
「ええ」
人化した姿で会うのは初めてだったが、さすがは王、すぐにガルグが分かったらしい。国王は横たわったまま、頭を下げるように僅かに動かした。
「床にありながらも、話は聞いておりました。時間はかかったが、貴竜様が取り持たれた仲が形になることを王として嬉しく思う」
国の民を総べる王と、魔獣の王。二人はそれぞれに治める者を持ち、頂点に君臨するという点では対等だった。
魔獣を下に見る人間もいるが、国王は十七年前に山狼に軍をぶつけ、惨敗しただけでなく、その後の騒動で壊滅しかけた軍を敵であったのを救われた恩があった。
国王はガルグを認めていた。そして二百年を生き、貴竜と友情を交わす彼に敬意を払っていた。
ガルグに向ける眼差しには、信頼が込められていた。
「娘を……頼みます」
「それは無論だ。王が心配することはない」
ガルグは迷いなく頷いた。
「ありがたい。これでようやく肩の荷が下りた……」
安心したように、ふぅ、と息を吐き、国王は枕に頭を沈めた。
「ところで国王よ。この部屋に子犬がいるだろう」
ガルグの隣に黙って立っていたミーチェは「そういえば」と周囲を見渡した。しかし、自分たち以外に動くものは見えない。
ガルグ(の鼻)は間違いなくここだと言っていたのに、手前の部屋にも、この部屋にも、子犬の姿はなかった。
「犬……?」
ガルグの唐突な問いに、ベッドの国王は首だけを向けて怪訝な顔をした。ガルグが急に出した話題が分からないという顔だ。
「子犬……とは、最近城で飼いだしたという犬のことでありましょうか」
ガルグはベッドの向こう側に厳しくを目をやっている。
「ああ、その犬に用がある。この部屋にいるのだ」
「先ほどまで寝ておりましたので存じませんが……そんなもの、いったいどこに」
きょろ、と王が目だけをガルグの視線と同じ方向に向けたとき、突如、子犬がベットの上に現れた。
どうやらベッドの反対側に潜んでいたらしい。ベットより少し高い位置まで積み上がっていた医者の道具箱を階段のように駆け上がり、飛び乗ったのだ。
ポンと飛び出した丸い毛玉に、ミーチェは驚いて目を丸くした。
しかし、尻尾を振り、短い脚で飛び上がるように駆けてきた子犬が満面の笑顔を振りまいてズンと着地したのは、ちょうど国王の腹の上。
「ぐがはぁっ!」
軽いはずの衝撃に国王は悶絶した。
「アンッ!」
自慢げに吠えた拍子に、子犬が咥えていた物が寝具に落ちた。
だが着地点の国王はそれどころではない。
痛みを受けた反動で布団が跳ね上がった。寝具の中で身体を捻って背中に腕を回し、ぎこちない海老反りでプルプルと脂汗を吹き出させている。
「――こ、腰が……っ!」
「腰?」
ガルグは思わず聞き返した。
しかし痛みに悶絶する王にガルグの声など届かない。
国一番の武人と言われ尊敬を集める国王は、子犬の着地というささやかな衝撃一つで、今や涙と鼻水まみれだった。
王は一番近くに立っていた、愛する娘に必死に縋った。
「助け……! 腰がぁ……腰がぁ……!」
「すぐ医者を呼びましょう」
子犬を抱え、ミーチェは淡々と答える。
ちなみに子犬は、王が暴れた反動でぽーんと放り出され、ミーチェの腕の中にちょうど収まっていた。落ち着かせるように撫でるミーチェに向かい、つぶらな瞳で愛想を返している。
対して、王は涙まみれの顔で、娘の言葉にショックを受けていた。
「みーたん冷たい……!」
「いい年してみーたんはやめてくださいませ」
モフモフへの愛情とは天と地。
王女はどこまでも王に冷たかった。
青い瞳は氷点下の眼差しで王を見下ろし、「うざい」という表情を隠しもしていない。
武を尊ぶ国の頂点に立つ男は、一回りも二回りも小柄な愛娘に必死に這い寄り、情けなく手を伸ばした。
「パパのことが大切じゃないのぉ!? 二か月間、一度もお見舞いに来てくれなくて寂しかったのにぃ!」
「ええい、情けないですわね! ぎっくり腰くらいでそんなに騒ぐんじゃありませんのよ!」
娘は縋る手をパシッと払い落とし、冷たく言い放った。
「……ぎっくり腰……?」
「僕ちゃんだって急にグキってなってびっくりしたのにぃ!」
「その情けない自分呼びもおやめなさいっていつも言ってるでしょう! 失恋のショックでぎっくり腰だなんて恥ずかしくて誰にも言えずに必死に隠した臣下やわたくしの気持ちがお父様に分かるのですか!」
「ああ、その叱り方、ママにそっくり……!」
「説教中に陶酔するんじゃありませんのよ!」
「……失恋……?」
状況についていけないガルグを残し、父娘は激しく言い合っている。
「陛下! ご無事でございますか!」
すっかり無視されているガルグの疑問に返事をしたのは、勢いよく開いた寝室の扉と、どやどやと駆け込んできたディーダ率いる護衛兵だった。
ディーダは国王のベッドの横に立つガルグを目に入れ剣を構えたがすぐに国王の異変に気付く。
「陛下! 腰が悪化を……貴様が原因か!」
殺気を膨らませるディーダに、違う違う、とガルグは顔の前で手を横に振ったが、当然、頭に血が上った男の眼には入っていない。
曲者を捉えようと護衛兵ごと飛びかかってきたディーダたちに、ガルグはやれやれとため息をついた。
とりあえず、さっさとこれを片付けて話を聞かねばなるまい。




