番外:想い二方(ふたかた)2
石畳の地面の上には、男たちが累々と折り重なるように倒れていた。
「化け物め……っ」
唯一の生者のように、その中央で剣を支えにして膝を着いていたディーダは、歯の間から呻いた。
服は裂け、顔も血と泥にまみれ、普段きれいにしている金髪はボサボサに乱れていた。
肩で息をするディーダの隣で、倒れていた男がもぞりと動いた。
生きている。
剣も折れ、顔に痣を作り、シャツは裂け切って辛うじて身体にかかっている程度である。それでも生きていた。
「隊、長……あいつ、何者ですか……」
顔を上げることも出来ず苦しい息の下で男は訊いた。ディーダの部下の一人だった。
「言ったろう。化け物だ」
舌打ちせんばかりの顔で、今自分たちを全滅させた男の去っていった方向を睨み、ディーダは答えた。
「……あんな強いの、反則、だ……」
部下は、それきり静かになった。
ディーダは、くっ、と唇を噛みしめた。
しかししばらくすると、動かなくなった部下の、石畳に伏せられた顔の下から、小さくしくしくと泣き声が漏れてきた。
呼応するように、なんとディーダの前後左右からも同じように男の声を殺した泣き声が聞こえてくる。
気付けば、この場に倒れる五十名近い屈強な兵たち全てが揃って男泣きをしていた。
「一発くらい殴ってやりたかった……」
「あのきれいな顔に泥をつけてやりたかった……」
「強すぎる……やられた記憶がない……」
男たちは全員生きていた。
見れば、手にしている武器は、刃を潰した剣や槍、矢でも先端に厚い革を巻いたものなど、模擬試合用の得物ばかり。
ここは軍の演練場だった。
闘技大会優勝者を招いての公式訓練、と銘打ってはいたが、実は軍一体となってガルグへの果し試合を仕掛けたのである。
何を果たすための試合なのかといえば。
「強くて顔がいいなんて卑怯だ……」
「モテない男の敵……」
「ううう、王女……こんな男に惚れるなんて、仕方ないけど悔しいいい」
「俺たちの癒しの元がああぁー」
つまりは軍のアイドル、王女ミーチェの心を奪った男に対しての私怨の憂さ晴らし。
どんなに隠していても王女を側で見守って(鑑賞していた)男たちにはすぐに分かった。あの空のように澄んだ青い瞳が、大会であの男を見たときから恋する色に変わったことを。
許せなかった。ボコボコにしてやろうと思った。
けれど魔獣のように強い優勝者に個人で戦いを挑んで勝てるはずがない。男たちはすぐさま悟った。そして結託した。モテない男同士には通じるものがあるのだ。
モテる男も引き込み、男たちはとうとうこの日を迎えた。
むさくるしい軍生活の中で、唯一のよりどころだった美しい王女に想いを向けられている男。
実際目の前にして、美男子ぶりに目がやられるかと思ったが、モテない男たちは憎しみで燃え上がった。全員で痛めつけてやると殺気まみれで襲い掛かったのである。
ついでに亡き者にできればラッキーだと、兵たちは本気で思っていた。
しかし見事、全員返り討ちにあったのである。
「本気でやったが……くそ」
兵たちの血眼の訴えを抑えつけることもなく、率先してこの訓練を実現した当の本人、ディーダは地面を拳で打った。
魔獣の王に一人でかかって敵うとは思っていない。ミーチェの想い人を消そうとは考えてもいなかった。しかし、先ほどの部下の言葉ではないが、ディーダもあいつの横っ面を一発殴ってやりたかった。ついでに剣で何撃か加えてやりたかった。可能なら何撃かと言わずこてんぱに。
しかし、軍の有志(彼女いない独身)でまとめてかかってこのざまだ。
ディーダも一撃どころか、あの男の髪にすら触れられなかった。
せっかく上司を上手く言いくるめて正式な召喚をしたというのに。
「これでは終わらんぞ、狼……!」
唸る様な気迫を醸し出す隊長と対照的に、隣で女々しく泣いていた部下が言った。
「俺のミーチェちゃんがお嫁に行っちゃうよぉ~」
気迫は緩めぬまま、ディーダは無言で地面に立てていた模擬剣から手を離した。
傾いた剣は静かに倒れ、部下の頭の上に落に重い音を立てて直撃した。
◇*◇*◇
「――あ、王女王女」
「ガルグ様ですよ、あそこ」
中庭を見下ろす二階の廊下を歩く途中。
ふと外を見た女官二人が、同時にミーチェに窓の外を指し示した。
疲れてため息をついていたミーチェは、女官の言葉を聞くと勢いよく窓を振り返った。
さすが、ガルグの名への反応は速い。
一件目の謁見を予定より早く終え、次まで時間ができたので、気晴らしに庭にでも出ようとしていたところだった。
地方の小さな土地に関わる諍いの陳情――つまり愚痴――を聞くといういちばん疲れる仕事だったが、早く互いの情報の穴を見つけ、解決方法を提示できたのは幸いだった。親子代々仲の悪い小貴族同士の粘着質な争いは、収めるのが難しい。
ということで、ミーチェは癒しを求めていた。
ガルグの顔を眺めるのでも、ルゥのモフモフを堪能するでもいい。とりあえず声を掛けられないかと窓に寄ったのである。
中庭を挟んだ一階の回廊に、背の高い男の後ろ姿が見えた。
灰白色の、襟足だけが少し長い特徴的な髪形。
「軍の方は思ったより早く終わったみたいですわね」
口元をほころばせて言う王女に、女官二人は顔を見合わせた。
「でも、早すぎない?」
「そうね。こっちも早く終わったのに」
確かに、ディーダによりミーチェの謁見時間いっぱいに予定を組まれているはずなのに、すでに終わらせて中庭に居るとは。
中庭は、城のちょうど中央に位置している。
軍の演練場は、中庭から東に向かって各省庁がひしめき合う政務エリア、そして軍務エリアを抜け、さらに建物の外へ出た先にある。簡単に行き来できる距離ではない。
対してミーチェが先ほどまで居た謁見の部屋はここからほど近い場所にった。
健脚(というより獣の俊足)を持つガルグとはいえ、人が行きかう昼間に人外の速度でここまで駆けてきたりはしないだろう。ということは、随分と予定を繰り上げて終了したことになる。
「王女、ガルグ様を呼んできましょうか」
「ええ、お願いしますわ。あと、近くの部屋にお茶と厚手の絨毯を」
夏も近いのに厚手の絨毯とは妙な要望だが、女官たちは「はーい」「へーい」と気合の入らない返事をした。
王女はどうやら、堂々と床に寝そべって狼の毛皮をモフるつもりらしい。長年の付き合いで主人の性格を理解している女官たちが半目になったのも無理はない。
女官の一人がガルグの元へと向かおうとし、そして、一人が近くにいる使用人に指示をしようと、周囲に目を向けた。しかし。
「ちょっと、待ってくださる」
制止する王女の声が緊張感に満ちていた。
「王女? どうしたんです?」
訝し気な顔になった女官たちは、そのままミーチェの視線の先を辿って小さく驚きの声を上げた。
ガルグの前に、一人の女性が立っていた。
緊張してやや頬が強張っているものの、顔を染め、必死に男を見上げる表情は、恋する乙女そのものだった。
「あれ、確か財務大臣の孫じゃ……?」
「え。いろんな男に愛想振り撒いているって有名な八方美人がとうとうガルグ様に……?」
しかし良く見れば、大臣の娘だけではなかった。
女官たちがそっと窓を開け、周囲をぐるりと見回してみると、いるわいるわ。
回廊の隅、階上の窓、庭の植木の蔭から、女官やら、どこぞかのご令嬢やら、妙齢の女性たちがちらちらとガルグのいる場所を覗き込んでいたのである。