10.「他に誰が適任なのです」
その街は、森を抜けた先にあった。
周囲をぐるりと高い石の壁で覆い、外敵からの侵入を防ぐ城壁都市。
交易の要点でもあり、大きくはないが栄えた地方都市でもあった。
そこへまさに今、魔鳥の一群が向かっていた。
太い嘴、頑丈な脚に尖った鍵爪。人など軽々と運んで食ってしまう巨大で凶暴な魔物の鳥は、空腹に喘いでいた。
仲間の数が増えたせいで、森には食糧が足りない。
あの壁の中には食べ物がたくさんある――本能と匂いで魔鳥は集まり、街を目指す。
二日間、嫌な臭いのする煙のせいで中に入れていなかった。
飢餓も極致となり、魔鳥は狂うように涎を垂らし、おぞましい鳴き声を上げながら街に向かう。今日こそは、今日こそは食料を。
――しかし、街の手前に広がる平地から、なんとも食欲をそそる、美味しそうな臭いがした。
遮るもののない平地の真ん中に、一匹の狼と、青いドレスに身を包んだ、青い髪の、若い女。
――たべものだ。
香しさに一瞬で頭を占領され、魔鳥たちは目的を変えて急旋回した。
たった一人の女に、百を超える魔鳥が向かう。
「――あらあら、聞いていた数より随分と多いじゃないですの。これは予定外ですわ」
両脇には、草を大量に燃やす焚火が大きく煙を出し、まるでかがり火のようにミーチェを煽っていた。
額に汗を垂らしながら、ミーチェは好戦的に笑う。
「それでもやらねばなりません。――ルゥ、行きますわよ」
同意するように鳴くルゥに、ミーチェはドレスを翻して跨った。
◇*◇*◇
「魔鳥が計画通り、王女へと向かいました!」
「当然だ」
物見の報告に、苦々しく、ディーダは唇を噛んだ。
「魔物寄せの香に、好物である少女がいるんだ――魔鳥が向かわない訳がない」
魔物は若い女を好んで食べる。子供は小さすぎて物足りないし、男は筋張って固い。柔らかく、量もある若い女は奴らにとって格好の餌だった。
どうしてこんなことに――ディーダは歯ぎしりをした。
◇*◇*◇
「ミーチェ様、今、何と?」
「わたくしが囮になりましょう、と言ったのです」
昨晩。隊長以上が集まる野営のテントの中で、ミーチェの迷いのない声がディーダの目を丸くさせた。
「王女の貴女が、そんなことをする必要はありません」
「――魔鳥は速い。馬ではすぐに追いつかれてしまいますわ。けれどルゥならできる。そしてルゥに触れることができるのはわたくしだけです」
「しかし!」
「ディーダ」
止めたのは、ディーダの父である将軍だった。
「――王女、損害を最小限に抑えたいという気持ちは私にもよく理解できる。しかし、我が国唯一の後継者である貴女をに囮にすること、我々はとても了承できない」
「なぜ?」
ミーチェは小さな顔を傾けて将軍を見上げた。
「将軍、建国祝いである貴竜祭の最中に余計な血を流すことを厭うたのは貴方がたもでしょう? それに他に誰が適任なのです。女官? 街の民? どちらにしても食い殺される未来しか見えない」
「それは、誰か適当な兵に――」
「魔鳥は鼻が利く。男と分かれば寄って来る数が減るかもしれない。それに、馬しか乗れないのでは、その兵の運命は他と一緒ですわ」
王女の青い瞳は、強い光を宿し、屈強な男たちを見回した。
「街への被害を最小限にするため、手前の平地で魔鳥を打つ。それが最良だというのは全員一致の意見のはず。もしくは、他に良案でも?」
一同は黙り込んだ。
羽を持つ魔鳥に城壁は意味はなさない。また、人相手であれば威力を発揮する大砲も魔鳥には届かず、届いたとしても倒すには至らない。
誰かを囮におびき寄せるのが最善。これは彼らにもよく分かっていた。
「確かに王女が囮になるのが一番効果的だが、貴女は訓練もされていないただの女性だ。それに、国王陛下がこれを知ったら何と言われるか――」
「お父様にはわたくしから一筆したためましょう。きっと王女としての判断を受け入れてくださるはずです」
「王女」
「この問答は終わりです」
有無を言わせぬ声の強さに、将軍たちは口をつぐんだ。
「明朝、囮を使い、街から距離を取りながら、魔鳥を地面に引きつけて一気に叩きます。魔鳥を引きつけたあとは、将軍、貴方たちにお任せしますわ」
「――御意」
多くを飲み込み、一同は頭を下げた。
ミーチェは苦しい顔をする彼らを見渡し、固い顔を崩して無邪気に笑った。
「大丈夫、心配しないで。わたくし、逃げるのと、ルゥにしがみつくことだけは得意ですのよ」
◇*◇*◇
「ルゥ、来ますわ!」
ミーチェの叫びと同時に、ルゥが横に跳んだ。
そこに、魔鳥が鋭い鍵爪を突き立て土埃を上げる。
……こ、これはなかなかしんどいですわね……!
魔鳥は確かに速かった。
ルゥの驚異的な身体能力がなければ、ここまで逃げることは出来なかったはずだ。
しかし、百を超える魔鳥の襲撃から縦横無尽に避けるルゥの動きに、細いミーチェの身体は翻弄された。
「もう少し、頑張って、ルゥ……!」
痺れる腕を叱咤し、ルゥを何度も励ます。
ルゥも限界まで体力を使っているのか、徐々に疲労の色も見えてきた。
「もう少し、あの岩まで……!」
目の前に、背の高い岩に両側を挟まれた場所があった。
あれを抜ければ、森に入る。
魔鳥は大きすぎて、木が密集している森の中まで追いかけて来ることは出来ない。
岩まで、ルゥがあと五回地面を蹴ればたどり着く。そんなタイミングで、一羽の魔鳥がミーチェのすぐ後ろまで迫った。
「王女! 頭を下げて!」
声の主を確認することなく、ミーチェはルゥの背に押し付けるように頭を下げた。
駆け抜けるミーチェたちとすれ違うように、二つの影が躍り出た。
ミーチェ専属の女官二人が、長い槍を持って高い岩の上から魔鳥の背へと飛び降りたのである。
ギエエエエエー!
魔鳥が血を吐きながら地面に転がった。
背から腹に、二本の槍が交差するように突き出している。
「やっりーぃ!」
「ねえ……それってギャグ?」
難なく着地した二人はハイタッチを交わし、緊張感がない会話をした。
この二人、実は、ただの女官でなくミーチェ専属の護衛でもあった。
ミーチェが見出し、教育した、最強の女官たち。
距離的に追いつかれる可能性があったこのポイントに、ミーチェが命じて女である彼女らを配置させたのである。
二人の槍によって血を吐き絶命した魔鳥には、仲間たちが群がり、争って共食いをしていた。
「何をしているのです二人とも! 早くこちらへ!」
汗だくのミーチェが、岩の向こうから二人を呼んだ。
女官たちが振り向けば、そこに食事にあぶれた魔鳥たちが数羽向かってきている。
「きゃー!」
「やだー!」
全く緊張感のない叫び声にミーチェは脱力した。
女官ドレスを持ち上げ、全力疾走の二人。
人間にしては速いが、それでも魔鳥たちが距離を詰めるのはあっという間だ。
「魔弓隊、撃てえええぇい!」
そこへ、野太い号令と共に、無数の矢が魔鳥に降り注いだ。
背後の森に隠れていた将軍率いる一団が、魔鳥へと攻撃を仕掛けたのだった。
雨のように降る矢は、不思議と一本も地面に刺さることなく、全て空中の魔鳥へと突き刺さっていく。
「歩兵隊! やってしまええええぇ!」
一応国王軍なのだが、そんな号令でいいのだろうか。
しかし将軍の気合に、槍隊、それに続いて剣を抜いた兵たちがそれぞれに雄叫びを上げながら現れた。
臭いを消すため身体や武器に泥や木の汁を塗りたくった男たちが、ミーチェたちを追い抜き、岩の上、両側、中央から一斉に襲い掛かる。
魔弓から放たれた矢は狙いを外さない。まず魔鳥を射落とし、地面に落ちたあと兵が集団で叩く。
それがキチューゼル軍の、魔鳥との戦い方だった。
とは言え、地に落ちても魔鳥の鍵爪と嘴は侮れず、油断すれば命を落とす。
しかし、兵たちは猛烈な気合で魔鳥を打ちのめした。
百を越える魔鳥に臆する様子の兵は一人もいない。
これはキチューゼル軍が元々勇敢だったから、というだけではなかった。女性たちの活躍で開幕した戦いが、男たちを奮起させたのだ。
魔鳥は、半分ほどに減ってきていた。
「これならすぐに終わりそうですね、王女」
「ええ」
まだ油断はできないが、確かに終息は近そうだった。
「じゃあ一旦後ろへ下がりましょう。急いで匂いを落とさないと」
女官が水場への移動を示唆した。
魔物寄せの効果のある香を間近で炊いたのだ。ミーチェの服や髪、ルゥの毛皮にはまだ匂いが残っている。早く洗い落とさねばならなかった。
「ミーチェ様、ご無事ですか」
そこへディーダが駆け寄ってきた。よく見れば彼の青い軍服は半分がどす黒くべったりと染まっている。
「……! ディーダ、その血……!」
はたと気づいたようにディーダは己の服を見下ろした。
「ああ、御見苦しくて申し訳ありません。先ほど一羽、片脚を切り落としまして。そのときに血を被ってしまったようです」
「……貴方の怪我ではないのね……?」
「はい、無傷です。それより香を落とすのでしょう? 念のため俺も護衛します。現場は父だけで大丈夫そうですので」
「心強いですわ。お願いします」
先導するディーダについて行こうとミーチェたちが歩き出した時。
キエエエエエー!
一匹の魔鳥がこちらへと向かって飛び込んできた。
片脚が無く、本来指が生えていた場所からはまだ夥しい鮮血が流れ出している。
先ほど、ディーダが仕留め損ねた魔鳥であった。
「くそっ、自分の血の匂いを追い掛けて来たか!」
剣を抜き、魔鳥へと斬りかかるディーダ。
同時にルゥが魔鳥の首へと噛みついていた。
二方向から同時に攻撃され、魔鳥はルゥを振り落としながら宙へと逃げた。
しかしすぐさま向きを変え――ミーチェへと襲い掛かる。
「――ミーチェ様!」
ミーチェの身体は魔鳥の鍵爪一本で軽々と捕まれ、そのまま、空へと舞い上がった。