ネコ!
瓜坊は事務所ビル裏の月極め駐車に車を駐車し、「着いたよー」とオレに声を掛ける。
駐車場にはネコのワンボックス車も駐車されている。
ネコも帰ってきてるのか。
ということは、調査は失敗したのか?
おそらくオレの失態も報告しているだろう……
怒っているだろうな……
事務所に行きにくいな。
そんな事をお構いなしに瓜坊はスタスタと前を進む。
事務所ビルはそれほど大きくない雑居ビルみたいなコンクリート壁の5階建てだ。
瓜坊は事務所ビルを指差しながら各階の説明をする。
1階はガラス張りの歩道に面した見通しのよい美容室で、2階から4階までがピースリサーチのオフィスになっている。
2階は経理室と面談室でミノリちゃんは主にここで事務職をしている。3階は通称ボス部屋と呼ばれる社長室と朝礼を行った会議室があり、4階は編集室で調査員は主にここで撮影した映像の編集や報告書を作成しているらしい。
5階は今は使用されていなくテナント募集中らしい。
一番驚いたのは報告書を作成するのに朝まで作業することもあるということだ。
事務所ビルの入口まで来ると、瓜坊は美容室の女性スタッフと目が合い、手を振っている。
どうやらピースの調査員はここの常連客らしい。
「とりあえず4階いこーねー」
瓜坊がエレベーターのボタンを押す。
うわ、めちゃくちゃ緊張する。
今日はまじで緊張してばっかだ。
間違いなく今日という1日で寿命は縮んだと思う……
「こら、ヒヨッコ! いつまでそんな顔してるの!」
瓜坊はオレにデコピンを喰らわせる。
オレは脳内で嫌なことばかり想像していたのでたいした痛みを感じなかったが「痛っ!!」と反応を示した。
4階に着きエレベーターを出ると、真っ暗で何も見えなかった
天井を見ると蛍光灯は外されている。窓は黒いフィルムが貼られている。
「ただいまー! ヒヨッコ連れてきたぞー!」
瓜坊は勢いよく編集室のドアを開ける。
まず最初に驚いたのは部屋の広さに対してパソコンとテレビの数が多いことだ。
各10台ずつくらいあり、調査員の人数より多い。
カーテンは全て閉まっているが、さすがに蛍光灯は点灯していて明るい。
オレが室内を見渡していると、ツインテールで黒縁眼鏡の女性が歩み寄ってきて右手を差し出してきた。
「獏と申します。宜しく御願い致します」
「今日入社した、えーと…本名は言わない方がいいですかね?」
「新人くん改め、ヒヨッコですよね?有名人ですよ?」
オレは「よろしくお願いいたします」と獏と握手をする。
獏は自分の席に戻り、パソコンの打ち込み作業を再開する。
「キツネでーす。よろしくちゃーん」
キツネという男性がパソコンのキーボードを打ちながら、手を振るので、オレもその場で「よろしくお願いいたします」と会釈する。
「朝礼でカッパ、ゴリさんとネコにカメ、それとミノリちゃんにも会ったから、これで全員だね!」
瓜坊はそう言うと獏の隣の席に座る。
意外と人数少ないな
零細企業なのか?
「あ、あの、オレは何処に座れば?」
「その辺でいいよ、そことか」
瓜坊がネコの隣の席を指差した瞬間、ネコは無言でビクッとする。
瓜坊と獏は目を合わせてお互いに「ふふっ」と笑っている。
オレはネコの後ろに立ち、「今日は、オレのせいですいませんでした!」と謝罪する。
全員が作業を中断してオレを見ている。
編集室内に無音の空気が流れているから、かなり気まずい。
「とりあえず座れ」
ネコはビデオカメラからパソコンにUSBケーブルで繋ぎ編集作業をしながらオレには見向きもせずに言った。
パソコンのモニターには対象者の比羅田が子供と笑顔で楽しそうにキャッチボールをしている姿が映し出されていた。
比羅田……元はと言えばあいつが……
「あの……」
「何?」
ネコは相変わらずオレに見向きもしない
怒っているんだろうな……
「調査のほうは?」
「失尾した」
失尾という単語は初めて聞いたが、対象者を見失ったんだなとすぐに分かった。
ネコほどの調査員が失敗するなんてことは、完全にオレが原因だろう。
「オレの失敗のせいです! 責任取って辞めますので!」
「あっそ、辞めたければ辞めろ! 獏、退職届けを印刷しろ」
ネコがそう言うと獏はマウスをカチカチと操作し、プリンターからウィーンという音がした後に紙が出てくる。
獏さん仕事はやっ
いやいや、今はそんなこと感心してる場合じゃない。
「ほらよ」
ネコが猫目の鋭い目付きでオレにボールペンを渡してくる。
向かいの席のカメが「ネコ!」と言い視線を向ける。
「カメ、オレが辞めるって言ったら止めるか?」
「止めないね」
「うひひー、私も止めない」
カメと瓜坊ははっきりとネコに言う。
「その前にお前は失敗したのか?」
「尾行…失敗したんですよね?」
「確かにあれから比羅田がどこに行ったかはわからない。ラブホテルに行ったかもしれないし、行ってないかもしれない。でも時にはその曖昧な結果がいい結果をもたらすことがある」
「どういうことですか?」
ほんとに全然意味がわからない。
日本語は難しいとかそんな次元じゃない。
「友人と愛人の線引きはどこだ?」
ネコは怪しい笑みを浮かべて言う。
そう言えばさっきも同じ事聞いてたな。
オレはその答えを見付けることが出来ずに無言になる。
「めんどくせーやつだなー、誰か説明してやってよ」
ネコが周りを見ながら言うと、全員が自分のパソコンのモニターに集中する。
「ヒヨッコ、お前は人助けをして失敗したと本当に思ってるのか? おれも似たような場面に出くわした事がある。でもおれは助けれなかった。それなりに後悔したよ。でもお前はおれに出来なかったことをした。あのまま手遅れになって助からなかったらおれはまた後悔してた」
ネコは真剣な表情でオレに言う。
こいつ過去になんかあったのか?
うっすらネコの目に涙が滲んでいるのは気のせいか?
「ジロジロ見んな、気持ち悪りーな、もともとお前なんてお荷物になると分かってたからな。お前は何も気にしなくていいってことだ。いい結果が出なくてもおれが責任を取るから」
ネコは何かに賭けているのか?
オレには見当もつかないけど、とりあえずオレのすべきことは……
「いい結果出ればいいですね!」
「ヒヨッコが偉そうに」
ネコは初めてオレの目を見て笑った。
「はいはい~、ネコに残念な知らせがあります。ボスも苦汁の決断でした。皆も聞いてください」
カッパが編集室に急に入ってくる。
「あららー、ネコ御愁傷様~やっぱりヒヨッコにも責任取らしたら?」
キツネがネコの髪をくしゃくしゃと撫でる。
ネコは賭けに負けたのか?
こいつは少なくとも調査員として間違ってないし、技術もすごい。
責任取るって辞めるつもりなのか?
「ネコ、さきほど経理に見舞金を経費に請求しましたね?ミノリちゃんは領収書が無いなら無理と受理されませんでしたー。残念!」
カッパが嬉しそうに言うと編集室内に爆笑が起こる。
「瓜坊、見舞金はいくら入ってました?」
「3万円…ぷぷっ」
瓜坊は吹き出しながら答える。
「常識無さすぎ。普通は5000円くらいです。お返しする方の身になってみては?」
獏も笑いを堪えてる。
「ネコ、爆死だねー御愁傷様~」
キツネも腹を抱えて笑っている。
ネコは顔を赤くして「うるせー」と言っている。
は?なんだ?この空気は……
残念な知らせってこのことなのか?
ガチャ
突然に編集室のドアが開き、金色に染めた短髪のチンピラ風の男性が入ってくる。
先程の空気とは一転し静寂に包まれる。
「おつかれ」
男性がポツリと言う
「お疲れ様です!!」
全員が声を揃えて、大きな声で挨拶をする。
この人がボスだと言うことはすぐに分かった。
朝礼の挨拶と今の挨拶が全然違う。
ネコまで背筋が伸びている。
金のネックレスに金の時計を身に付け、いかにもそっち系のあれだ。
こえー、めっちゃやばい奴来たよ……
「お前が新人の…ヒヨッコだっけか?」
「はい! 今日入社しました!」
「どうだ?」
「はい?」
「調子はどうだって聞いてんだよ?」
こえー、声が出ない
カッパが「ゴホン」と咳払いをして、目で何かを訴えてる
「今日はネコに迷惑を掛けてしまいました!」
オレがそう言うとカッパは「あちゃー」というリアクションをする。
「T区の比羅田の案件のこと?」
ボスがカッパに問うと、カッパはハンカチで頭の油汗を拭く。
「は、はい、ボスの指示通りにネコの調査に同行させましてですね、ちょっとしたイレギュラーが」
カッパは吃りながら説明を続ける。
あのカッパが焦るということは、本当にヤバい奴なんだな
「婆さんのこと?」
「は、はい」
「命に別状ないんだよな?」
「検査をしてから明後日には退院できると連絡がありました」
「なら、いいじゃん」
ボスは機嫌良さそうに話す。
「そういえばネコ!」
「はい!」
ネコが立ち上がり大きな声で返事をする。
「比羅田の案件は延長が決まったから、またよろしく」
「了解しました!」
プルル、プルル
内線電話が鳴り、獏が受話器を取る。
「はい、ボスですか? こちらにいらっしゃいますが、はい、はい」
「オレに? 誰?」
「すすきののクラブ『インフィニティハザード』のキララ様からお電話だとミノリちゃんが……」
「おま! 声でかいんだよ! 社長室に内線回せ」
ボスは急いで編集室から退室する。
「ふー、嵐が去りましたね。キララ様に感謝です」
カッパがそう言うと全員がため息を吐く。
ガチャ
「忘れてた! ネコ、ほら!」
ボスが再び現れて、財布から一万円を3枚取り出して、中央のテーブルに置き、すぐに出ていく。
「さっきもボスが言っていましたが、比羅田の案件は延長取れました! はい拍手~」
カッパが笑顔で拍手すると全員が拍手をする。
「どういう事ですか?」とオレが聞くと、ネコはカッパに説明を促す。
「私達は依頼主の調査料金から利益を得て給料を貰ってます。期間が延長するとさらに上乗せの調査料金が発生します。それだけ利益が増えるので会社にとっては良いことなんですよ」
「でも何で延長に? 浮気調査は失敗したのでは?」
「新たな二対象者の存在が延長の決め手です。依頼主も慰謝料を請求できる人が増えますからね」
カッパは丁寧に説明する。
「じゃー、新たな二対象者が出てきた時に嬉しそうにしてたのは……」
「つまりそういうことだ」
ネコは本当はいい奴なんだ!
調査員としてもすごい奴だ!
「うひひー、じゃーこれは私の取り分ってことで!」
瓜坊がテーブルの上の3万円から1万円を抜き取る。
「瓜坊! それはおれの金だ、かえせ」
ネコは瓜坊から1万円を取り戻す
「へー? 言っていいのかなー?」
「おい、待て」
「みんなー、見舞金は5000円でしたー! ネコはボスからお金を騙しとるのに成功しましたー!」
瓜坊が編集室内を走り回りながら叫ぶ。
「ネコ……それはさすがに…」
カッパが頭を抱える。
「呆れた……あの状況で」
獏も鳩が豆鉄砲をくらった顔をしている。
「今日は飲みにいくぞーー」
「おう!」
瓜坊がそう言うと全員が楽しそうに手を挙げる。
前言撤回、ネコは最低だな(笑)
だけど……
「良かったですね」
オレは心からそう思ってネコに言った。
ネコは照れ臭そうに「あぁ」と鼻を擦る。
ほんと感想お願いいたします!
心折れそうw