泥沼と動かない時計
耳をすませて、彼女たちの会話を聞いていると、ふと疑問に思った。
ここに男は居ないのだろうかと。
考えてる間に彼女たちの声は次第に大きくなり、広樹の耳に自然に入る。
「大丈夫かしら、あの人」
「きっと大丈夫よ。私が選んだ人だもの」
女の問いに純子は優しく笑い眉を下げながら言った。
他の女も純子を中心に話に加わっている。
「そうね、貴方の選んだ人だものね」
「うん……」
純子が連れてくる人間はいつも惜しいところまでゲームを進めることが出来ていたのだ。
「私たちに出来ることはあの人が無事にダイヤを見つけて帰ってくることを願うだけね」
その言葉でひと段落ついたようだ。
彼女達はなにやらお酒のようなものを飲む。会話一つなく不安を取るようにどんどんと飲んでいく。
彼女たちの会話を聞き、広樹の心に何かが残った。
泥人間の願い。
広樹への期待。
足音を立てずに寝室に戻り、ベッドへダイブする。仰向けになり泥人間のことを考え独り言を言う。
「俺への期待……か、純子たちはずっとゲームクリア出来る人を待っていたんだよな。何人もの人が失敗して来た迷路ゲーム。
俺にできるのかな。いや、俺が彼女たちを救う……。救わなければならないんだ」
広樹の中で何かが吹っ切れたようだった。
うじうじと考えてる暇はない。
今は力を蓄えるために寝る、そう思い広樹は目を閉じて眠りに入った。
「広樹! 起きて」
ゆさゆさと体を揺らされながら広樹は目を覚ます。眠そうに目をこすり挨拶をすると、純子は微笑み、ご飯出来てるよと声をかけて部屋を出ていった。
身体を起こし、いつも通りに窓を開け背伸びをするが、気持ちよくもなんともない。
「ここには太陽は無いのか? 」
広樹は眉間に皺を寄せながら外の景色を見つめている。
「広樹? ご飯……」
純子が再び広樹の部屋に来た。太陽を探す広樹の姿。純子は見ただけでそれがわかった。
「ここには太陽は来ないの」
後ろから声をかけた。
「どうして?」
「この世界の時間は止められているの。ダイヤはこの世界を動かすあの建物の中にあり、そのダイヤには魔法がかけられているの。
あなたがクリアしない限り太陽は永遠に来ない」
純子はそっと広樹を見て視線を落とした。
「でも、大丈夫。貴方ならここを救ってくれると信じてるから」
不安が見え見えの笑顔が広樹に向けられる。広樹は何も言えずに黙り込む。
「早くご飯にしないと、冷めちゃう」
静かになった空気を変えようと純子は広樹の手を引いた。
今日もどろが付く名前の料理が並んでいる。だが、そんなこともう気にしない。広樹のために作ってくれているからだ。それに味もすごく美味しいのだ。
黙々とご飯を食べる、会話がない。
「あのさ」
広樹の声が部屋に響き、純子は首を傾げる。
「どうしたの?」
「迷路ゲームの事なんだけど、ゲーム開始を早めることは出来るの?」
純子は目を見開いた。
もちろん出来る。ゲーム開始は早ければ早い方がいい。太陽のないこの世界で長時間居るのは力が減っていくのだ。
「出来るよ。早くゲームをしたいの?」
純子はそう尋ねると大きく頷いた。
昨日の話を聞いて、みんなの表情を見ていると悩んでる暇などないと思えてくるのだ。
「わかった。じゃあ入り口まで連れてってあげるね」
純子は車を準備し、広樹を乗せすぐに出発した。広樹は胸を張り真剣な顔で前を見つめていた。
「着いたよ」
そう言って着いた場所はなにやら落とし穴のような所だった。
下を覗くと茶色い泥の海。
「ここに飛び込めばいいのか?」
「ええ、でも時計のところまで私が連れてってあげるから」
純子が広樹と手を繋ぎ、一気に泥沼へと飛び込んでいく。
ベタベタと泥は広樹にくっつく。
どんどんと深く深く落ちていく。
広樹の身体が泥に埋まると同時に広樹は目を瞑り口を塞ぎ鼻を塞ぎ、息を止め、その中へ溺れていった。
息が出来る。苦しくない。ベタベタしていない。
広樹はゆっくりと目を開けた。真っ先に見えたのは純子の顔だった。
「よかった。意識が戻って」
ここは何処なのだろうか。広樹が今いる部屋は、何か大きな画面がある所だった。
「ここは何処なんだ? 泥にまみれて……」
「ここはゲーム開始の入り口。あの泥沼はここへ来るための通り道よ。ここへ来たからには後戻りはもう出来ない」
純子は広樹を見つめた。
「もしクリアできたらどうなるんだ? 」
自信は無いが、広樹の意思は強かった。
「クリアできた時はこの時計は動き、この世界は元に戻る。ゲームで死んだ人も生き返り、あなたも元の世界へ戻れるわ。
じゃあゲーム設定をまずしなきゃね」
そう言いながら大きな画面の前に広樹を立たせた。
広樹がまっすぐ立つと画面には幾つかの文が移り始めた。