裏世界
臆病で怖がりな広樹。
一年前から会社員になり、お金がやっと貯まったので一人でマンションに住む事にした。
マンションを借り一ヶ月が立つ。
順調に仕事も生活も進んでいる中、広樹に災難が降りかかる。
会社をリストラされたのだった。その日の夜広樹は自棄酒をし、家へと帰った。
「んだよ……。クソッ」
広樹はイラつきながら家の中でもお酒を飲んでいる。その時だった。
「きゃあああああああ」
外から女の叫び声が聞こえてきた。
広樹はびっくりして急いで外へ出て行く。マンションなので下まで降りるには時間がかかる。広樹は部屋を出ると上から覗くように下を見た。
「あれ? 大きな声がしたんだけどなぁ」
あたりを見回しても誰も部屋から出てきていない。下を何度見ても何もない。広樹は不思議に思った。確かに悲鳴は聞いたはずだったが、何も変化がないとするとただの空耳だったのかと思った。気持ちを落ち着けるためかしばらく部屋の前で空を見上げていた。
風は一つも吹かない。
彼はほんの数分経つと暑さに我慢できず、部屋に入って行った。部屋に入るとクーラーが効いていて外とは大違いだ。
広樹は大きなため息を着き、落ち着いた様子でゴロンと布団に寝転んだ。
さっきの悲鳴はいったい何だったのか、はっきり聞こえたはずなんだ。そう思うとじっとしてられなく、もう一度部屋の外へ出て行った。
下を見てもやはり何もない。周りからも何も音が聞こえてこない。ちらりと自分の時計を見ると夜中の十二時になっていた。
「こんな遅い時間にうるさくする奴なんか居ないか」
はははと笑いながら部屋に戻ろうとドアを開けた。
「あれ? 俺ドア閉めたっけ」
広樹は少し不思議に感じた。前に出た時もドアを開けて入った。広樹は自分でドアを閉めた覚えがないのだ。
それに中に入ると広樹の部屋の電気が消えている。不思議に思い部屋の電気をつけ、その場に座った。
『ギィィィ…ギィィ』
しばらくすると廊下から変な音がし始めた。何か嫌な気配も感じる。少し臆病な広樹は廊下を確認する勇気はなく、そのまま布団にもぐった。
『おいで。おいで。ねぇ』
眠ろうと目を閉じると、そんな声が聞こえてくる。だがそんな声は無視だ。
だんだんと声が近づいてくる。部屋の前でつぶやいた途端、声はすっかり病んでしまった。
だが、嫌な気配は一向に消えない。それよりか恐怖が増している。ただただ廊下で広樹が来るのを待っているようだった。
『来てくれないんだ……。
来てくれな……いんだ。
来てくれ、な……ぃ、だ……』
一旦静かになったと思えば、また声が聞こえる。その声は次第に低く小さくなり、廊下に響く。その言葉が終わると、今度は小さなすすり泣いているような声が聞こえる。
「俺に、俺にどうしろってんだよ」
布団の中で震える広樹に、泣いている声の主が応える。
『私を助けて……? 廊下にいるの、お願い』
その声は震えていた。広樹は従うしかないと思った。もしそのまま放置していたら、ここに住めなくなる気がしたからだ。
広樹はドアを開け、廊下を見た。
『こっちに来て』
ごくりと唾をのみこむと広樹は廊下に座る声の主、女性のそばへ行った。その瞬間、女は広樹に抱き付いた。そして、彼の顔を自分の手で包み、口を開いた。
『助けて。助けて』
最初は小さな声で言っていた。だが声は次第に大きくなり、広樹の顔を包んでいた手の力も強まり、女は顔を上げ広樹を見つめてこう繰り返していった。
『助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて』
広樹は恐ろしくて何もできないまま女にされるがままだった。広樹が固まって見ていると声はだんだん小さくなり、つかむ力も弱まった。
女はうつむくと同時に溶けて泥になって行った。
「な、なんだったんだ」
状況が読み込めない泥まみれの広樹はそのまま目を閉じて廊下で眠りに入って行った。
朝になると何もなかったかのように泥がなくなり、広樹は布団で寝ていた。
「なんだ、夢だったのか」
広樹はほっとしたように笑うと、洗面所へ向かった。顔を洗おうと洗面所の蛇口をひねるが水が出てこない。
必死に回しているととっての部分が取れ、その中から泥が噴き出したのだ。それは昨日触った気がする泥と同じ触り心地だった。ハッとしたかのように鏡を見ると昨日廊下にいた女が鏡にうつって笑っていた。
『ふふ、おいで』
不気味に笑いながらそういった。昨日聞いた『おいで』の声と全く一緒。広樹は逃げようと洗面所のドアをひねったが、鍵もないのに鍵がかかったようにドアは開いてくれない。鏡から女の手が伸びてくると、広樹の首をつかみ、一気に鏡の中へと連れ込んでいった。
「……ここは」
広樹が気を失ってから半日が過ぎ、目を開けるともう夜になっていた。体を起こすと周りには似たような女の子がたくさん居る。困ったようにみんなを見ていると泥の女が広樹のもとへ近づき笑って言った。
「裏の世界へようこそ」