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四次元ポケット密室殺人事件


 家にたどり着き、玄関口で、タバコを取ろうとポケットに手を突っ込んだ時、少し、余計に膨らんでいるように感じていたが、その時はスルーして、一服のあと、もう一度その膨らみが気になったので、俺はポケットを手探りしてみた。

 

 鍵…


 俺が手にした物は、小さな透明な袋に密封された、金色にメッキされた古風な、鍵の頭には丸い輪っかが施された、洋風の鍵が入っていた。

 

 …?こんなもの…。

 俺は拾った覚えもなく、かと言ってズボンのポケットに鍵が自ら紛れ込んだりするはずもなく、それを手にした感覚は不思議で疑わしい感覚だった。


 まさか!

 さっきうろついたいろんな店のどこかで、俺が、気づかない内に盗んでしまったとでもいうのか??


 確かに、袋詰めされたその鍵は、売り物のようでもあった。

 部屋に入る、そしてぼんやりとそれを見詰めて、しばらくするとそれに疲れて、何故だかそれをもう一度履いているズボンのポケットに戻してしまった。


 その日はそれで済ませてしまった。

 俺は一度履いたら一週間くらいは余裕で履き続ける。

 下手をすれば一ヶ月間くらいも洗わずに。

 一張羅なんだからしかたがない、そのかわり、窓際に放置して、いつも日光だけは当てている。

 俺は自宅ではトランクス一丁で過ごすのだ。


 翌日。

 街を歩いているとふいに突っ込んだポケットに、やはりその感触があった。

 それで思い出して俺は、その鍵の入った袋を取り出して、眺めてみた。

 やはり…

 俺はそれを眺めて、鍵をこの袋から取り出してしまおうと思いついた。

 何故、昨日見つけた時点でそれをしなかったのだろうか?

 軽い疑問は色々あったが頓着せずに先に進んでみた。

 しかし!

 

 …頑丈な袋だ!

 フィルムは糊付けされているようなのに、その境目をつまんで引き離そうとチカラを込めても、全く歯が立たないのである。

 少しだけ伸びたが、しかしチカラを抜けばすぐに縮んで元に戻っていた。

 なんという、強情な袋なんだ。

 それに、昨日の時点では目にも止めなかったが、その袋には小さなリボンが装飾されていた。

 試しにリボンを引き離そうと引っ張ってみたが、それすら敵わない。一体?


 気味が悪くて俺はもう一度ポケットにしまった。

 どうして、本当に気味が悪いのであれば捨ててしまわなかったのだろう?それほどに、俺の何かを惹きつけるものが、この鍵と袋にはあったとでもいうのか?


 俺は突然、予定にも無かった友人宅へと向かった。

 お陰さまで俺も友人も、暇だけなら山のようにあったのだ。

 俺も、友人も、ここんところニートだった。

 

 友人は俺を招き入れた。

 そして、俺は友人に鍵の袋を見せたのである。


 夜。

 俺はその鍵の袋に憑かれてしまった。

 夜じゅう、その袋を、どうやって引き裂いて、どうやってその鍵を取り出すか?

 しかし、どうやっても俺は、それを破り取り出すことは出来なかった。

 リボン…

 そのリボンは俺の精神を引き寄せた…

 そして…誘い込まれるように俺は…リボンを…解いていた……


 友人の部屋。

 うっすらとした記憶のただなか。

 いつから俺はここにいたのだろう?

 

「そうして…君は気づいたらその鍵を、ポケットに入れていたと言うんだね…」


 !

 これは、昼間の…会話じゃないのか!

 俺は…時間の迷路にでも、迷い込んでしまったというのか…


「ああ…」


 違和感を引き摺りながらも、俺は自分の意志とは裏腹に、友人との会話を進めていった…それは…俺が記憶している…昼間の友人との会話の…まるで書割のような進み方だった……


「それで、さっきはいろんな店を回ったんだが、知らないあいだに万引きしてしまったんじゃないかと疑念にとらわれてしまって…なんだか怖くなってしまったというわけさ?」


「しかし!それなら君だって少しくらい覚えているはずだろう?」


「ああ…酒でも飲んでいるかのようにね?以前、俺は酒の席のあと、ある女を口説いたという噂を流されたことがあってね?そんな記憶一切なかったし、俺はたまにはハメを外して前後不覚に陥ることだってあるけれども、その日はつまらない席だったから、俺はそそくさと、途中で抜け出してしまったくらいなんだよ。それでも。そうやって広まった噂というのは、俺の記憶を超えて、俺を脅かした。もしかして、俺の知らない現実がもう一つあるんじゃないか。という疑念がね、俺につきまとってしまったというわけさ?」


「ふうん。パラレル世界ねえ…僕にはそれは、記憶障害の一種のように聞こえるんだけれども?」


「ああ…それはそれで同感だよ。俺が忘れてしまっているということ。でもね?例え何をしたって、その一切を記憶から剥がれ落とすということはありうるかね?この鍵の袋だってそうさ!俺は下手をすると、万引きという軽犯罪を、知らないあいだに犯してしまっているのかもしれないよ。でもね、それでも少しは覚えているというものじゃないか?俺はむしろ、そう虚偽の真実を手渡されたがために、その後俺の中だけの、もうひとつの物語がどんどん膨れ上がってしまっていて、それが鮮明に俺の脳内に刻まれてしまって、俺は、本当はそれを犯してしまったんじゃないかと思うようになるというわけさ…映像として再現されたその記憶は…虚偽であるのに現実の記憶のようにありありとしていて、最早俺は犯罪者としての過去を持つ、そういった、人格にすら多大な影響を持たせる結果になってしまうんだよ」


「まあ記憶というものはそういうものさ、夢や幻覚と同じで、現実より現実らしいということは大いにありうるし、それは振り替えてみれば、記憶として全く同質ではあるからね?この世界に黒幕がいて、そいつが誰か、例えば君や僕の記憶を操作するのだとすれば、僕は立派な犯罪者だし、君も然りだ。世界は拠り所を失ってしまえば、非常に…危ういもんだね?」


「ああ…。ところで、この袋は頑丈でね。いくら引っ張っても破れようがないんだ。この境目なんかを見てくれよ、一見、糊付けしているように見せかけているだろう?しかしこれはフェイクだ、ばっちり全ては頑丈に癒着していて、一斉は密閉されたままだ。本当に頑丈さ、これをどうやって加工したのだろう?」


「どういう意味だい?」


「ああ。だから、例えばダイヤモンドを削るには、ダイヤモンドの粉をもってしか出来ないようなものさ。これを加工するには、これ以上のものでなければ不可能な気がして…」


「それは飛躍的だな。ひとつやってみようじゃないか」


 友人は部屋の隅からハサミを持ってきた。

 そして、その鋭いハサミで、袋を、挟み込む…


 グニャリイイ!!!


 驚いた、砕けた方はハサミのほうで、その頑丈すぎる袋を挟み込んだせいで、柔らかい歪んだフォルムになって、ハサミは曲がってしまい、もう使い物にはならない。


「これは!これは驚いたね!君の言うとおり、もしかしたらこいつを加工できる技術や物質なんて、この世に存在しないんじゃないかとさえ思えて来たよ…」


 どうしてそんな飛躍を発想するのだろう?

 どうしてこんなにもありえないような現象が、目の前に広がっているのだろう??




 友人は俺を連れ出して、あるところへと引っ張っていった。

 タクシーに乗りながら、友人と語り合っていたが、俺はそれより、さっきの出来事について、頭を整理しなければならなかった…

 

 俺は友人に語る。

 

「この鍵の鍵穴は一体どこにあるのだろう?」


「さあ…これはただのフェイクで、そもそもこれに合う鍵穴なんてないのかもしれないし」


「そうも思われるが、しかし、俺はありそうな気がしてならない」


「そりゃ、鍵なんだからそれに合う鍵はある方が正解だよ、まあ単なる飾りに見えなくもないがね?鍵のカタチをしたキーホルダーもあるくらいだよね?あれは酔っ払った時には困っちゃうよね、間違った方で刺してうまくいかずに、眠り込んでしまうなんてことにもなりかねない」


「しかし…」


 俺は更なる虚偽の記憶に蝕まれていった。


「俺は、この鍵はパンドラの匣の鍵で、例えばこの世の全ての悪が、この鍵のチカラで封印されているような気さえしている」


「またまた飛躍かい?」


「ああ、止まらないようだな。しかし!そして、なぜ、パンドラの匣の鍵を、俺のポケットは誘い込んだというのか…どうして、今、俺とお前はこの鍵を手にしているというのか…」


「この鍵の鍵穴のありかは解らないかもしれないが、この頑丈すぎる袋の構造くらいは解明出来るかもしれないよ…」


 俺は、友人の話は半分に、更なる記憶の洪水に飲まれていた。この鍵はある密室の鍵で、閉ざされた部屋の中には死体がある。なぜその鍵を俺が持っているのか?

それは、俺がそいつを殺したからに違いない。

そして、俺はショックを受けた結果、ストレスとなる部分、つまり、俺がソイツを殺してしまったという事実の記憶の部分を一切消去してしまい、俺は部屋の記憶ごと、この鍵と鍵の入った袋だけを、忘れてしまったかのように今、見つめているのだと…


「この鍵穴のある部屋は、一体…どこにあるというのか…」


「君?僕の話の途中に割り込んで、何を言い出すと言うんだい!まあいい、それでね、そこへ行けばいい…」


 俺は飲まれるままに任せていた…

 友人は、俺を、どこへ連れて行くというのだろう?


「それで…その施設には高性能の顕微鏡があるのさ…」


「顕微鏡?一体何の話だ。お前にそんな知り合いがいたか!」


「知り合いもなにも…僕が十年来勤めていた研究所じゃないか」


「十年来…お前のそんな話…まったく…記憶にない……」


 その施設はいかにも最新鋭の設備に満ちていた。

 そして、促されるまま、その、高性能な顕微鏡へと、袋を設置した。


「お前…一体…どういう立場なんだ??」


「だから言ったろう…僕の古巣で、今だってたまに世話になってるし、逆に世話をしているよ」


 迷宮…記憶が何ひとつ噛み合わない……


 そして!

 覗いたそのミクロの世界に、俺は更なる度肝を抜かれてしまった!

 その袋のミクロの内部へとピントを合わせていくと、そこには、ありえないように精細に造られた、密室の部屋が!

 そして、その部屋の中には、死体が転がっている。

 その部屋は内鍵になっており、死体の男のポケットからは、袋に入った鍵が、少しだけ飛び出しているのが確認された……


「この袋の構造は非常に頑丈で…しかも、驚くべきことに、それを加工することは、現在の技術では出来ません。はっきり言ってしまうと、この袋を未来世界で製造し、それを過去へとタイムマシンで送った方が、可能性としてはありえます…」


「何の話かわからないが!それより!密室が見えないのですか!密室に転がった死体が、あなたは見えないのですか!!」


「それに頓着する必要はありません。我々の世界には見えなくても必要のないこともあります。ミクロ世界で密室殺人が起こっていたとして、それより、我々の世界に必要である事は、この袋が、いかに頑丈であるのか、そして、この袋をどうすれば加工し製造することが出来るのか、それにつきますから」


「でも、この袋は結局は開放することは出来ないんですよね?そうしたらやはり謎は膨れ上がる一方だ。この袋の中は完全な密室であり、出入りすることなど不可能、ならば、この密室の部屋に転がった死体の殺害者は、どうやって中に侵入し、どうやって、外へとにげたというのでしょう?」


「鍵……」


 俺は顕微鏡のレンズ部から目を放し、セットされた袋へともう一度視線を移す。


「この鍵で…この内部にある部屋の内鍵を開放すれば…すべては解き放たれるのかもしれない…」


「でも…どうやって!」


 友人は俺にまくし立てていた。


 帰りのタクシーで、友人は、徒らにその袋に着いたリボンを触りながら、俺に話し込んでいた…


「結局、最新技術をもってしても、謎は更に強まるばかりだった…しかし、未来技術により、過去へと送られた贈り物…この発想はなかなか普通の科学者には生まれないものだな…」


「ところでお前、何もんだ!!」


 俺は疑念が深まっていた…これは…悪だくみされた、書割の設定なのか……??


 友人はそのリボンをくるくると弄んで…そしてとうとう…それを…解いてしまった……



「…それでね?」


 友人が喋っている、俺に向かって…しかし!


「ここは…」


 部屋!俺は友人とタクシーに乗っていたはず…しかし、再び、解かれたリボンから時間の混線は始まっており、軈て俺と友人を昼間の情景へと引き戻したのだろうか?


「君は普段からそう冷静な男であるとは思ってはいないけれども、しかしこの奇妙な鍵入りの袋に捕らわれすぎてしまって、増々混乱をきたしているようだね?」


 友人は俺を宥めているようですらある…


「重要な事は疑問にぶち当たった瞬間さ。君はこの鍵入りの袋にある領域を超えた不信感を抱いてしまっているようだ。であるとするなら、君はそれにより何度となく沸き起こってはしこりを残して立ち消えてしまう疑問の壁に対して、有効な対策を施していかなければならないのではないかい?それこそ、科学の精神というモノに違いないよ」


 俺は友人がこれまで俺に抱かせていた印象とその積み重なりの結果という彼と俺との歴史、つまり俺の記憶にとっての友人という記憶に持っていたものとは別様の記憶を示している。俺はパラレル世界へと跨ぎ、意識の変容…というか変容した人生を歩む友人の持つ意識へと対峙しているのだろうか?


「ひとつつかぬことを聞くが…」


 友人は会話のトーンを少し変えてきた俺に気づいたようだった…突然の転回に俺を注意深く見詰めている… 


「君は…いつから科学に詳しくなったんだね?」


「……」


 友人は不審な表情。 

 

「いつからって君に会う前からじゃないか…それに!」


 険しい表情…


「……」 


「君はもしかして記憶障害ではないか?僕が君に出会ったのはそもそも君が僕に君の研究所に引き入れたあの日だったじゃないかい?やはり忘れてしまったのかい?」


「…研究所…俺の…?」


 真っ白な意識…友人を見詰める…友人の顔は混線をきたしてキュビズムのような不気味な造りをしている……


「俺はニートだ!俺は禄な仕事をしていない暇だけはたっぷりある自由人だ!」


「…おいおい、やっぱり君は記憶障害なんだね!それともフザケているのか?君は研究所のリーダーじゃないか!」


「何だって!!」


 俺が全く知らない現実…やはり、俺はパラレル世界を跨いでしまったという風に考えるしかない!それにしても、俺が科学の研究だと!!


「その表情からして迫真だね、君は真剣なようだ、嘘をついているのではなさそうだ…」


「記憶障害、と言ったな?しかし、俺には君の言う現実とは全く別物の記憶が、別の人生として過去へ向かってひと連なりに思い出されてしまうんだよ…」


「しかし僕が思う君とは違うようだし、それって僕のほうこそ記憶障害なのか…」


 沈黙が広がる……


「…いや、でも僕が君の研究所に引き抜かれたことは確かなんだよ」


 友人はそう言って部屋の押入れへと向かった。


「ほうらやっぱり…」


 彼はあろうことか顕微鏡を持ち出した。


「これは君が僕にくれた顕微鏡だよ。以前の僕の研究所には無かった新型のやつで、君が顕微鏡を新調した時に譲り受けたものだよ。覚えはないかい?」


 友人が指差した箇所を見て俺はやはり強い疑念と…しかしそれを超えた驚きが感覚されている。

 そこにはハッキリと俺の手書きの署名がなされていたからだ。


「これは…」


「記憶…というか…現物としてここに一つの頼りがあるにはある…それでも、僕が今直面している感覚はとても妙な感覚だね?この僕が手にしている過去の証拠だって造り物のように疑わしい気がするのは何故だろう…」


「その顕微鏡は俺が君に譲ったものだよね?」


「…ああ…僕の記憶ではね?」


「…俺のほうがおかしいんだと思うよ、記憶…というか、むしろパラレル世界を跨いで君が…しかし…俺のほうだってそうだ。俺は研究所のリーダーなんて知りもしないし…」 


 再び沈黙。しかし俺が口を開いて沈黙は破られる。


「その顕微鏡でこの袋を覗いて見ないか?」


「……」


 やはり沈黙…

 しばらくの間、友人と俺は無言で見詰め合うのだった……



 顕微鏡を覗いた俺はどうしたって凍りついてしまう、しかし、それは用意された驚きへ向けての、僅かな疑念にほかならない。それより、友人の見せたものの方が一等新鮮な驚きであり、凍りつきだった。


「これは…部屋があるね!とても不思議だよ…君は少しも驚かなかったが、それは何故だい、これが用意された現実であるかのようだったよ」


「ああ…俺は研究所に行ったんだ」


「??君の研究所に!」


「…いいや。俺はただ連れられてね?しかし、それは今から後になるんだ」


「よくわからないな?ということは、つまり君は一度その研究所へと行ったあとにタイムスリップして現在に後戻りしたってわけか…」


「ああ…信じられんがそういうことだろう?俺はそこでこの、ミクロの密室を見た。君は死体を見たかい?」


「死体…この中にあるのか?」


「ああ…振動でピントがずれたのかな」


 俺はもう一度覗き込む。やはり少しピントがずれている。


「ほら、この状態で覗いてみてくれよ」


「…これは…本当だ、これは明らかに死体…しかも誰かに殺されたようだね?」


「君もだんだんと受け入れているようだから不思議だよ。きっとそのとおりでその男は誰かに殺されたんだ、よく見てくれよ、ポケットのあたりに鍵の袋が見えないか?」


「えっ…本当だ!君の袋と同じようなものが…」


「ああ、そうなんだ。信じられん話だよ。俺はパラレル世界のこのあとでそれを見たんだ。そして推論したよ、その部屋の鍵は内鍵で、そしてその鍵を開放するためにはその鍵の袋自体を使えばいいのだと…」


「…この袋は信じられないが見たとおり部屋自体でもある。いわば鍵であり部屋…君はその巨大な方の鍵で、それ自体でもある小さな方の部屋の鍵を開放すればいいと言っているのか?」


「…ああ」


「一体どうやって?」


「さあ…そこまでは結論に至らなかったが、しかし、そう思う他いい案はないような気がしないか?」 


「だって…そんなこと無理に決まっているだろう…」


「それと…少し逸れるが、この鍵の袋のリボンがあるだろう?」


「リボンね…頑丈で引きちぎれないリボン…」


「ああ。所がソイツは簡単に解けてしまうのさ。ただ、それをやってしまうといけないね?」


「…何を言っているのかい?もしかしてあの、パンドラの匣の話か」


「その話は混線せずに残ってくれているようだな、ある意ほっとしたよ」


「どういうことだい?」


「このリボンがポイントさ、これを解いたがために俺は、何度かパラレル世界を跨がなきゃならなくなった」


「リボンを解いたせいで?本当かい」


「ああ…きっとそうだ。だからやらないで欲しいよ」


 友人はレンズから目を離していた、そしてじっとリボンを見詰めていた…


「不思議な事が次々に起こるもんだな、君はきっとパラレル世界を跨いでいるんだろうよ、そして、君や、僕の対峙する世界を、それがために引っ掻き回している筈だ」


 友人と俺はそれから話し合った。

 互いの過去を隈なく照らし合わせ、そして最後にリボンを解く、それが手順だった…


「…もう掘り起こす過去は残ってなさそうだな」


「そうだね、いよいよリボンを解くときさ…」


「しかし…君が俺に引き抜かれて知り合ったなんて、やはり信じられないよ」


「僕だって同じだよ、もうそれは何度も話し合ったじゃないか。後は君が解くか僕が解くかだ」


「どっちにしたって同じだと思うがね?しかしこういうのはどうだ…君が右側を、俺が左側を持ち、同じタイミングで解くんだ、別に左右は入れ替わってもいいと思うがね」


「なるほどそれは面白い。やってみようよ」


 結局俺が左を、友人が右側を…

 …リボンは解かれていった…… 



 ゆっくりとした永遠が数瞬に込められていたのだと思う。

 リボンは解かれていった、しかも、俺の記憶と友人の記憶の様々な情景は溶け合っていった…友人は知らないが俺はそうだった。並んで驚くべき情景が俺を支配していった…

 俺でもなく友人でもない新しい記憶…或いは眠っていただけの情景…記憶。

 俺と友人はかつて意識を共有していた一つの存在であったのだろうか?

 それほどに二つの意識はピッタリと重なり合い、違和感がなかった。

 その二つが重なれば重なるほどに意識や記憶が鮮明に蘇ってきた…

 俺は、やはり友人の言うように、研究所のリーダーなのである、そう思われたし、とても不思議な事だが、その研究内容も事細かに脳裏に焼き付いた。


 俺は間違いなく研究員で、彼を引き抜いた研究所のリーダーなのであった。


 そして混入する新たな意識が。

 それは恐ろしいものだった。

 顕微鏡の部屋で倒れていた男…死体。

 その死体は、どうやら俺が知っている誰かが…殺したものである、という認識…或いは友人が…それとも俺自身が……


 パンドラの匣…

 開けてはならぬ記憶の匣…

 もしくは、パラレル世界の扉。


 意識が世界へと引っ張られていく…

 俺は…そしてリンクされた友人はようやく、別様の世界へと到着したようである…

 

 部屋だった…

 やはり、ここは…友人の部屋…


 ぼんやりと意識は回復していく…

 彼はどこだ?

 いつものように会話の最中で覚醒していくのではなかったのか……


 ハッキリと回復して、部屋を見渡す、すると…


「!」


 死んでいる、友人は倒れている…俺は袋に入った鍵を持っていた……


「どうして…」 


 そう。

 俺は鍵を持っていた。

 それは頑丈な袋で破ろうとしても破けようがない…


 それは未来世界からの贈り物で、現世界では加工できない発明品である。

 それは現在の科学技術では破ることが出来ずに、無論それを開発することなど出来なかった…


 俺はそれを大量に未来世界から持ち出したのか?

 部屋の机の上には大量にそれが並んでいたのだ。

 否。

 それは彼が大量に仕入れたのかもしれない…

 俺と彼とは口論をしていたようで。

 ひょっとするとこれこそが彼と俺とのいさかいの原因だったのかも知れない…

 因果はどうだってよかった。

 真相だけを俺は…あと一歩を進んで知ることが出来さえすればいいんだ…


 すなわち…

 血に染められた鍵入りの袋……


 試しに、その袋で部屋のいろんな物体に撫で付ける。

 それは驚異的な切れ味だった。


 俺はこれを使い、友人を惨殺したんだろう…

 血に濡れてべと付いたリボン……

 

 部屋を去ろうか…


 俺は殺人を犯した、パラレル世界で…否、恐らく、因果律はどこへ逃げ去っても俺を追い詰めるだろう…

 俺は、パラレル世界へと、友人の殺人を、逃避行していたに違いない…


 ならば。

 

「…何故だ!」


 友人の部屋のドアノブはいくら回してみてもピクリとも動かない。

 無意味なことだと解っていたがドアを押しても引いても左右に動かしてもやはりピクリともしない。 


「これは内鍵だ!あの密室と同じで…」


 顕微鏡の殺人者は、どうやって逃げおおせたというのか…

 密室殺人鬼のトリック!!


 俺は発作的に友人宅の押し入れを物色にかかった…

 

「あった!」


 それはすぐに俺の目に飛び込んだ。


 顕微鏡…

 

 俺は縋るように…それが神であるように…啓示を求め…背徳の…全能感をこの身へと撞着するかのように、狂った、激し

い、欲望と憧憬に誘われて、俺は無心で鍵の袋をセットしたその顕微鏡のレンズへと顔を近づけていった……


 部屋…

 やはりそこには死体が…そして!


 犯人だ!

 顔は…見たこともないような顔をしていた…

 しかし。

 犯人はまだ逃げてはいない……


 さて、どうやって…どうやって逃げおおせる……?


 顔も見たこともない殺人鬼の運命は、すなわち同じく殺人鬼である俺の運命に等しかった!

 俺は逃すまいと必死で凝視していた…


 そして!!


 犯人は迷う素振りもなく、部屋の隅に離れた所からもう一度死体へと近づいた。

 そしてポケットを…探っていた……


 袋…

 それはいかにも、鍵の入った袋だった!

 

「もうひとつ…あるというのか……」


 犯人の犯行に使った血塗られた鍵の袋とは別に、もうひとつの鍵の袋が、死体のポケットにはあった…

 そして、犯人はやはり迷いなく…


 リボンを解く!!!


 するすると解かれていくリボン…

 みるみる間に…彼は部屋から消えてしまった……


 俺はようやく理解した…

 犯人は…殺人を犯した…パラレル世界の無数の犯人たちは…逃れようのない因果律へと正面から向かっていく……


 犯人は…一時的な安穏を求めて…別世界へと逃亡するのだ…

 鍵の袋のリボンを解いて……


 どこへ逃げたって降りかかるであろう殺人者としての運命…逃れられない因果律…


 俺は…死体と成り果てた友人のポケットを探り、鍵の袋を探り当て、一時の安穏と…因果律とを行き来しながら、簡単に解けそうな蝶結びのリボンに手を掛けて、それでも簡単には解きかねているのであった……

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