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「…………」
「…………」
広場から歩くこと数分。人通りが少ない路地に入ったところでライトは握っていたルナの手を離す。
ルナはというと、広場から口を開くこともなく顔を俯けたまま黙々とライトに手を引かれるままについて歩き続け、ライトが手を離すと繋がれていた腕をだらりと力無く垂らし、ピタリとその場に立ち止まっていた。
「……とりあえず、座らない?」
どうしたものかと頭を悩ませた挙句、良策といえる案が出なかったライトはたまたま目に入った古ぼけたベンチを指し、そこに座らないかと提案する。
その提案に、ルナはこくんと無言で小さく頷くと、ゆっくりとした動作でベンチの左端に腰掛けた。
「…………」
「…………」
そしてライトがベンチの右端に腰掛けると、再び訪れる沈黙。
思春期に突入してからこれまで、ルナと姉である風香以外の女子と会話らしい会話をした覚えがないライトに落ち込んでいる女子にどのような声をかけるべきかわかる筈もなく、ただ所在なく視線を彷徨わせる。
顔を俯けたままどこと無く負のオーラを纏っている女子に一体どのような言葉をかければいいのか、多額のお金を支払っても情報屋から買いたくなったが、残念なことに彼が知っている情報屋はシグただ一人なのでアテに出来ない。というかしたくない。
もしアテにしようものならあの情報屋は確実に今のルナすらネタにする。
引っ掻き回されるのはライトとしても勘弁なので、どうすることもできず、とにかくルナの機嫌が治るのを待つしか無かった。
「……ごめんね」
「……え?」
いつまでも続く沈黙に居心地の悪さを感じていると、不意にルナがぽつりとそんな言葉を漏らした。
「ライト君にみっともないところを見せちゃったから……」
「みっともないだなんてそんな……事情は断片的にしかわからなかったけど、弱い人の為にあの話をしたんでしょ? それは立派なことだと思うけど……」
「うん……」
なんとか言葉を絞り出すが、それでもまだルナの表情は晴れない。
「……答えたくなければ答えなくていいけど、ルナはなんで楽園に入ってるの?」
怒られるのを覚悟で、思い切って気になったことを聞いてみる。
ライトが今日の会議を見ていた限りでは、他の楽園メンバー……とりわけギルドマスターとはお世辞にも良好な関係を築けているとは言えなそうな様子だったのだが、何故そんなギルドに留まっているのだろうか?
これはあくまでゲームであり、言ってしまえばそこでの人間関係など、見方によっては現実のそれよりも重要性は薄い。
気軽にとは言えないだろうが、十分「嫌なら辞める」が可能な環境であるにも関わらず、それでも留まるに足る理由というものが考えつかないライトが尋ねると、ルナは整った顔に薄く自嘲的な笑みを浮かべた。
「……そんなに大した理由じゃないよ。単に私のレベルが高くて、あの人に誘われただけ。留まってる理由だって強力なギルドに居れば下層プレイヤーの友達のギルドを保護して貰えるからっていう理由だし」
「下層プレイヤーの保護?」
「そう。レベルが低い人達が効率良くレベルを上げるには経験値効率の良い場所でレベリングをしないといけないのは分かるよね?
でも経験値効率の良い場所っていうのは大体有力なギルドに差し押さえられるの。
その場所を使うにはそこを独占してるギルドの傘下に入って、なんらかの代償を払ってその狩場を使わせて貰うしか無いんだけど、このゲームでその効率の良い狩場っていうのは三分の二が楽園に独占されてるの」
「それで、その友達って?」
「私をオンラインゲームに誘ってくれた友達。
ちょっとした事件に巻き込まれてから中々レベルが上げられなくてね……短い間だったけど、下層プレイヤーを集めた小さなギルドをやりくりしてたんだ」
「してた? ……もしかしてさっきルナが言ってた楽園のせいで潰れたギルドって……」
ふと先のルナとグラオスの会話の中に登場した潰れたと言うギルドが脳裏をよぎり、聞いてみるとルナは小さく頷いた。
「鋭いね……そうだよ、私の友達のギルド。その子も前にやってた据え置き型のゲームではかなりのプレイヤーだったんだけど、このゲームの戦闘についてこれなくなっちゃって、ドロップアウトしちゃったんだ。今は首都近郊で少しずつリハビリをしながらレベリングをしてるって言ってたな……」
そう言うルナの顔は何処と無く悲痛そうで、これ以上聞くのは躊躇われたライトが会話を打ち切ろうとしたところで再び口を開いた。
「さっきあんなにマスターに食ってかかったのも原因の半分はそれでね。前々からあの人達とは反りが合わないと思ってたから、もう留まる理由も無いし辞めようとしたんだけどやっぱりマスターに止められて、代わりにしばらくギルドをお休みしてたの」
「じゃあ僕と出会ったのって……」
「……そう、ちょうどその時でね。気晴らしにフィールドを歩いてたらたまたまライト君が戦ってるのを見つけたんだ」
成る程、道理でギルドのことになると口を噤んでいたわけだ。
それにしても、ギルドの維持費とやらはそれほどにかかるようなものなのだろうか?
ライトはギルドの経営などしたこともないし、そもそもギルドというものの存在を知ったのもごく最近だ、その辺りの知識はまだまだ足りていないが、それでも首を捻らずにはいられない。
構成員が三十人で、考えられる出費としては各種アイテム代、装備の維持費、情報代、後はセーブに使う宿屋代程度のものだと思うが、どうしてそれで多くのギルドからお金を徴収しなければならなくなるのか。
確かに高レベルプレイヤーともなると装備の更新やメンテナンス、強化などで金を必要とする場面も出てくるのだろうが、それにしてもそう毎月毎月多額の金を使う必要は無い筈だ。
ルナにそれを聞いてみると、ルナは更に表情を曇らせ、吐き捨てるように答えた。
「傘下のギルドにはとても言えないけど、あの人達は集めたお金の半分以上をこの世界での贅沢に使ってるの。
例えば高い宿屋に高い料理。それにカジノに、倫理的に問題があるけどそれこそ尻の軽い女性プレイヤーとの援助交際まで」
「……ッ、援助交際!? ……ここってゲームの中だよね? その……そういう行為も出来るものなの?」
「……出来るよ。体の作りは現実のものとほぼ同じだからね。どちらもの合意の上で服を脱いで、身体を重ねる。現実と何も変わらないよ」
「え、えっと……ち……ちなみに経験のほどは……?」
「あ、あるわけ無いでしょ!? 私はライト君が………」
言葉の途中でゴニョゴニョと一気に声のトーンが落ちたので後半は聞き取れなかったが、とにかくルナはそういう経験は無いらしい。
それを聞いたライトが僅かに安堵し、次の瞬間何故安堵したのか首を捻っていると、んんっ! という咳払いと共にルナが殊更に大きな声を上げた。
「そ、それで!そんなギルドに居るのはぶっちゃけ一回皆殺しにして脱退届けを叩きつけてやりたいくらい嫌なんだけどね。仮にも最強のギルドって言われてる人達を敵に回すのはちょっと気が引けるし、一度は友達のギルドを拾って貰ったっていう恩もあるから中々抜けられないの」
そう言ってルナははぁ……と鬱々とした様子で溜め息を吐く。
「なるほど……思ったより複雑な事情があるんだね……」
「うん……こんな愚痴みたいな話を聞かせちゃってごめんね」
「ううん、いいよ。人間溜め込み過ぎると爆発させちゃうし、たまにはガス抜きも必要だよ。ルナの気が少しでも楽になるなら愚痴くらいいつでもどれだけでも付き合うよ」
「ふふ、そう言ってくれると嬉しいよ」
そう言うと、ルナは俯けていた顔をやっと持ち上げる。
その顔には先程までの暗い表情は無く、いつもの柔らかな微笑みがあった。
「……うん、やっぱりその方がいいかな」
「え?」
「あ……いや! なんでもない!」
「………そう?」
ライトの挙動不審な態度にルナは首を傾げていたが、今しがた言いかけたセリフを聞かれるわけにはいかないので、全力で誤魔化す。
「暗い顔より笑顔の方が良いな」などという、今時小説や映画の主人公か女たらししか言わないようなセリフを聞かれようものなら、おそらくライトは転移塔にまっしぐら、そしてリスタ村に転移してしばらく無心でウルフを狩り続けること請け合いだ。
幸いにもルナは深く気にしないことにしてくれたのか訝しみながらも誤魔化されてくれた。
「…………」
「…………」
そしてそこで会話が途切れ、再び訪れる静寂。
なんとも言えない雰囲気が漂う中、その静寂を打ち破ったのは、ちりりんという鈴の音のような音と共にライト宛に届いた一通のメッセージだった。
「ん、アルマダさんからだ。会議終わったっぽいね」
「メッセージにはなんて?」
届いたメールの着信を告げるシステムメッセージから受信メッセージに飛ぶと、そこにあったメッセージの差出人は先刻広場で別れたアルマダだった。
「えっと……内容的にはボス戦開始の詳しい時間と集合場所。それとレイドの編成だね」
ルナの言葉に答えると、ライトはウインドウの隅に触れて可視化させる。
するとルナは開けていた距離を詰めて座り、横から覗き込んできた。
「えっと……日曜の二十時に参加者はリスタ村広場に集合、その後移動し、二十一時に開戦予定か……」
「パーティー編成は……私がA隊、やっぱり楽園の隊か……しかもグラオスと同じ……」
「僕がE隊……E隊ってどこのギルド?」
メッセージにはアルマダが気を利かせてくれたのか、ライトの参加パーティーだけでなくルナの分の参加パーティーまで追記してくれていた。なんとも仕事ができる男である。
「E隊はアルマダさんの隊だよ。ギルドは無敵の盾、ちなみにアルマダさんは無敵の盾のギルドマスター」
「へっ!?」
てっきり幹部の一人とばかり勘違いしていたが、まさか三帝のギルドマスターその人だったとは。
楽園のグラオスとは違い、親しみやすそうな人格からは想像が出来なかった。
「それにしてもいきなりアルマダさんの隊かぁ……やっぱりライト君は凄いね」
「凄いって何が?」
「アルマダさんの隊って、このゲームの中で≪無敵艦隊≫って呼ばれてるんだけど、その理由が、これまでのボス戦でその隊だけ完全壊滅した事が無いからなの。
全員がSTR-VITタイプの壁戦士でね、ことボスのタゲ取りと火力、防御力においては凄い信頼度を誇ってるの。
そんなところにいきなり配属なんて、アルマダさんは随分ライト君のことを買ってるみたいだね」
「なるほど……そういうことか」
それにしても……キャラネームがアルマダでパーティーの二つ名が無敵艦隊とは、狙ってやっているのだろうか?
「あとはそうだな……全体の編成としては多分だけど、D隊までが楽園メンバーで、EからG隊までが無敵の盾メンバー、H隊とI隊は楽園傘下の魔法使い(メイジ)、回復役部隊になると思う」
「あー……確かに会議の様子を見た感じだとそんな感じだったね」
まあ、なんにせよ初陣だ。
少しでも役に立てるよう頑張らせて頂こう。
そんな決意と共にライトがぐっと拳を握ると、ルナが大きなため息を吐き出した。
「はぁ……気が重いなぁ……せっかくライト君とボス戦に挑戦出来ると思ってたのに……」
「はは……残念だけどしょうがないさ。そういえば、僕達もボス戦の準備とかしなくていいの?」
がっくりと項垂れるルナに苦笑い混じりの言葉をかけると、ルナはぱっと顔を上げた。
「そういえば準備もしないとだったね。
……回復アイテムとか色々準備するものはあるから準備は明日にしよっか。明日はまだ一緒に居られるし」
「了解、じゃあよろしく」
「うん!」
ルナが笑顔で頷くと同時にピピッという電子音が響き、彼女の前にシステムメッセージが現れる。
ルナは「ちょっとごめん」と断りを入れてから、ウインドウの操作を始めた。
「どうしたの?」
「ん、さっき言ってた友達からメッセージが届いてね。ちょっとクエストを手伝って欲しいんだって」
「そっか。えっと……どうしよう。手伝うなら僕は抜けてもいいけど……」
先ほどのルナの口振りから察するに、その「友達」とやらは十中八九女性だろう。
女性との対話スキルが壊滅的なライトはその場にいない方がいいのではと気を遣って問いかけると、ルナは人差し指を立てて顎に添え思案顔を作る。
そしてしばし黙考したのち、小さく一度頷いた。
「んー……ちょっと時間も出来たし、ストレスの解消もしたいから手伝おっかな。あ、ライト君は抜けなくていいよ。どうせだし友達を紹介するよ」
「……そう?じゃあ迷惑じゃなければ……」
控えめに言うと、ルナは「迷惑なんかじゃないよー」と笑いながら素早いキーボード操作でメッセージの返信を送る。
白く細い指が滑らかにホロキーボードの上を踊るのはまるでピアノの演奏を見ているようで、なんともルナの容姿にマッチしていた。
ちなみに、ライトは楽器はせいぜいリコーダー程度しか出来ないが、何もかもが規格外な彼の父親はピアノやギターのようなメジャーな楽器からニッケルハルパのような超がつくほどマイナーな楽器まで一通り演奏ができるとのこと。
ここまで来るとあの男に出来ないことの方が少ないような気がしてならない。
ちなみに風香は幼い頃のライトの子守唄に聞かせる為だけにピアノ教室に通い、全国規模のコンクールで最優秀賞を受賞するほどに上達したらしい。
相変わらず情熱と才能を向ける方向を間違っている人である。
「よし! ライト君、友達との待ち合わせ場所に行くから着いてきてくれる?」
そんなズレたことを考えているうちにどうやらメッセージを送ったらしいルナが声をかけてきたので、思考を打ち切り了解と返事を返す。
そして先よりも幾分軽い足取りで、二人は路地裏を後にしたのだった。




