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「はい、お待たせ」
取り残されたライトがしばらく椅子に腰掛け所在なくぼうっと視線を彷徨わせていると、唐突にかちゃり、という音が耳に届き、それによりハッと意識を取り戻したライトが顔を上げると、そこにはほんのりと湯気を上げるティーカップがソーサーの上に置かれていた。
「ミルクティーで良かったかな?」
「う、うん、ありがと」
ライトの言葉に笑顔で「どういたしまして」と答えると、ルナは銀のトレーに載せていた自分の分のミルクティーをテーブルのライトの向かいの席に置き、トレーをストレージに仕舞うと椅子を引いて腰掛ける。
席につくとルナはカップを持ち上げそっと唇に付けるとゆっくりと傾けるので、ライトもそれに追従するようにカップを持ち上げると、「頂きます」と一言断り白い陶器のカップの縁に口を付ける。
「………美味しい」
カップを傾け、芳香を発する熱い液体をゆっくりと少しずつ口に流し込むと、ライトの口内にミルクティーらしい上品なまろやかな甘さが広がる。
ライトが仮装世界で何かを飲食するのはこれが初めてとなるが、お茶を飲む、ということすらも現実となんら遜色がないほどにリアルで、ライトは一瞬ここが本当に仮想世界なのかすら疑ってしまった。
そもそも、ライトとしては仮想世界内での飲食に関しては全くと言っていい程期待をしていなかった。
飲食をすると言っても、現実世界で何かを飲み食いするのとは違い仮想世界の中では「プリセットされた味覚のパターンを組み合わせ、「それっぽい味」を再現しているに過ぎない」というのがこれまでのライトの考えだった。事実、転移してきた直後の広場では屋台の発する薫香に興味を引かれはしたが、自ら進んで食べたいとは思えなかったのだ。
だがどうだろう?実際にルナが淹れてくれたミルクティーを口に含んだ瞬間、そんなライトの考えは見事に崩された。
ゆらゆらと立ち上る湯気と、湯気から微かに香る匂い、口内に流れ込む熱い液体、上品な甘み。どれをとってもそれは「それっぽい味」などという中途半端なものではなく、まごうことなきミルクティーだった。
「凄く美味しいよ、ルナ」
「そう?よかった。料理スキルの熟練度はまだまだ上げてる途中だから不安だったんだ」
「そうなんだ……」
ライトの手放しの賞賛を聞くと、ルナはホッとしたように胸に撫で下ろし、次いでふにゃっと表情を崩した。
「なんだか不思議だね……現実ではまともに話したこともない二人がこうして仮想世界で一緒のテーブルを挟んでお茶を飲むって。」
「確かに、僕も未だにこの状況が信じられないよ」
ライトが夢中でミルクティーを堪能していると、唐突にルナがしみじみとそんなことを言い、ライトもすっかり空になったカップをソーサーに置いて苦笑を返す。
するとルナはふふっと笑い、明るい語調で思い出すように口を開いた。
「最初ライト君をあの森で見た時はびっくりしたよ~。
バリバリ初期装備の人が十匹以上のウルフとスキルもシステムアシストも無しで戦ってて、しかも防戦になるどころかどんどん狩っていくんだもん。
本当はライト君のステータスを見るまで熟練プレイヤーが初心者のフリをしてるのかと疑ってたよ」
「はは……あのことはもう思い出したくないかな……」
そんなやり取りで弾みがついた二人はーー片方は苦笑成分が多いもののーー笑い合いながら会話を続ける。
ライトはあまり自分から人に話しかけられるような気安さは持ち合わせていないが、話しかけられればそれなりに答えるタイプだ。
ルナの柔らかい語調で語りかけられ、ようやく肩の力が抜けたライトは椅子の背もたれに背を預け、首を勢い良く横に振ってトラウマ一歩手前の光景を無理矢理消去してから思い出したようにウインドウを展開する。
「そういえばさっきウルフと戦った時に色々ドロップ品が出たんだけど、その中にちょっと気になるものがあったんだけど……これ何かわかる?」
そう言ってライトはメニュー・ウインドウのアイテム欄を呼び出し、ストレージのリストの中をクリックし、一つのアイテムをオブジェクト化するとごとっと重い音を立ててテーブルの上に置く。
するとこれまで優しい笑みを浮かべてライトの行動を見ていたルナがそのアイテムを見た瞬間、ルナの顔は驚愕に染まりガタッ!と椅子を鳴らして立ち上がりライトに詰め寄った。
「こ、これ……≪青狼の金牙≫!?ドロップ率0.001パーセントの超レアドロップアイテムじゃない!」
「め、珍しいの?」
ルナの余りの剣幕に若干たじろぎながら聞くと、ルナは「取れるんじゃないの?」とライトが聞きたくなってしまいそうな勢いで首を縦に振る。
「……ライト君がさっき戦ってたブルーウルフいるでしょ?
これはそのブルーウルフから0.001パーセントっていう超低確率でドロップするアイテムでね、それ自体でもかなり価値があるアイテムなんだけど、それには売る以外にも用途があるの」
「アクセサリーを作るのに使われるのよ。」
ルナが「それは……」と用途の説明に入ろうとすると、いつの間にかルナの隣に立っていたマリアがその言葉を引き継いだ。
「アクセサリー?」
「はい、ルナ。フル回復したわよ。
ええ、その牙を加工してプレイヤーが装備するネックレスとか指輪とかのアクセサリーアイテムを作るの。
青狼の金牙は無数にあるアクセサリー素材の中でも最高級のものでね。
それで作ったアクセサリーには必ず何かしらの支援効果がつくって言う細工でこの世界での生計を立ててる職人としては喉から手が出る程に欲しい超貴重な素材アイテムなのよ」
左手に持った純白の剣をルナに返し、マリアはライトが聞き返した言葉にそう続ける。
「まあ、装飾品加工スキルを極めた職人じゃないと加工出来ないっていう条件があるけどね。
だからこそ、金牙を加工したアクセサリーにはちょっと凄い金額がつくのよ。
前に一度だけ市場に出回った時は確か……10Mシルだったかしら?」
「じゅ、10メガ!?一千万も出したプレイヤーがいるの!?」
顎に手を添え言ったマリアに、流石にそのことは知らなかったらしいルナが驚愕の声を上げる。
十Mシル……十×十の六乗で一千万シル。ライトが狩ったブルーウルフが一体で落とす金額が二千シル、つまり、ウルフ五千体分の金額がたった一つのアクセサリーにかけられたということだ。
これがいかに異常なことなのか。ゲーム初心者のライトにでもそれは理解できる。
「まあ、プレイヤーじゃなくてギルド単位だったと思うわ。
傘下のギルドから金を集めに集めて、トップのギルドのマスターがそれを落札したんだって。
あなたもよく知ってる人よ、ルナ」
マリアに突然話を振られたルナは、数度目を瞬かせてから微かに呟いた。
「もしかして……マスター?」
「最も、秘密裏に開かれた言うなら闇オークションみたいなものだったから知らないのも無理はないけどね。
まあそれはいいのよ。それで、それはどうするの?そのままじゃ売るしか用途が無いわよ?」
「うーん……マリアさん、これってこのままでもそれなりの値段するんですよね?」
一唸りすると、ライトは右手の指先でつんつんと牙をつつきながら、マリアにそう問いかける。
するとマリアは当然とばかりに頷いた。
「じゃあルナ、今日は大分世話になっちゃったしお礼になるかわからないけど……これ、受け取って」
「え、ええ!?」
ライトが意を決して金色の牙をルナに差し出すと、牙を差し出されたルナは大きく目を見開いて本日何回目かの驚愕の声を上げた。
「だ、ダメだよ!これはライト君が取ったドロップでしょ!?
それに私はこれを受け取るような大したことしてないし!!」
「そんなこと無いよ。ウルフから助けて貰ったし、高いアイテムを使ってまで俺をここに連れてきてくれたし。何より色々教えてくれたからさ、だからそのお礼だと思って受け取ってよ」
「でも………」
そう言っても頑として受け取ろうとしないルナを見兼ねたのか、マリアが口を挟む。
「いいじゃない、受け取れば。
男の子からのプレゼントを受け取るのは女の子の特権よ?
なんならあたしが加工してあげましょうか?工賃は……ライト君の男気に免じてタダにしてあげるわ」
「マリアさん、加工できるんですか?」
「ええ、あたし生産系のスキルコンプしてるし。……で、ルナはどうするか決めた?」
「うーん……じゃあ、ありがたく受け取ることにするねライト君。」
マリアの問いかけにそう答えると、ルナはライトに頭を下げて礼を言い、割れ物を扱うかのように両手で丁寧に牙を持ち上げ、マリアに渡す。
「何に加工するの?」
「じゃあ……イヤリングでお願い。ゴメンねライト君、このお礼はいつか必ず……」
「ううん、気にしないで」
申し訳なさそうなルナにライトが笑いながらそう言うと、ルナはもう一度頭を下げた。
それを見届けると、マリアはパンパン、と手を叩いて声の調子を上げる。
「さ、次はライト君の装備の更新ね。
ルナからのメッセージだと、予算は二十万、AGI(敏捷性)とSTR(筋力)特化の装備で、武器は耐久度と重さ重視だったわね。間違いは無い?」
「うん、ライト君はHPが多いし、他のステータスも現時点でトップクラスを張れるくらい高いから、防御は余り気にしないで攻撃と敏捷性に重きを置いた方がいいと思う」
「了解。さっき要望に添えそうなものを見繕っておいたわ。
奥の倉庫にまとめて置いておいたからルナ、案内してあげて。
あたしはその間にこれを加工しておくわ」
「うん、ライト君行こっか」
ライトが二人の会話の中の専門用語の嵐に目を回していると、突然ルナがライトの手を取り、奥へと歩き始めたので、ライトはまたもやそれに従い着いて行った。