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転機

「やあ、グッドモーニングカナタちゃん」

「……」


 電話を取るなり硬直してしまったのは、名前をいきなり呼ばれたのもあるけれど「グッドモーニング」という挨拶の意味が分からなかったから。

 何と返せばいいのか悩みながら時計を見てみると、時刻は夜の九時。どう考えても、おはようございますという時間では無い。


「あの……どちら様ですか?」

「ああ、すまん。君の婚約者のお父さんだ」


 そう言われて先ほどの挨拶に納得する。神城くんのお父さんが赴任しているのはニューヨークだから、日本との時差は約半日くらいだったはず。今は向こうは朝なのだろう。

 それでも、携帯では無く家の電話であるにも関らず、私が出たという事が分かった理由が謎のままなのだけれど。


「うちの不肖の息子は元気か? もし狼になって襲ってきたら、俺の部屋にある七番アイアンで殴ってくれ」

「元気ですよ。それと神城くんはそういう事はしないと思います」


 冗談なのか本気なのか分からない言葉に答えながら、後でゴルフバッグの在り処を確認しておこうかと考える。別に神城くんを信用していないわけでは無いけれど、もしこの家に泥棒でも入ったら、武器として使えるかもしれない。


 高そうなゴルフ道具も、ゴルフをやる人が居ない今のこの家の状況では、防犯用具にしかならない。

「信用されてるなユウキは。でもあまり信用してやらないでくれるか?」

「え?」


 言われた意味が分からなくて、思わず聞き返す。それに返答は無くて、ただ受話器の向こうから「どう説明したらいいか……」と微かに聞こえてきて、しばらく待っていると先ほどまでより真剣な声が聞こえて来た。


「あの子は昔叱りすぎたせいか、他人に迷惑をかけることが悪い事だと思ってるみたいでな。何か悩み事とかあっても、誰にも言わないし、わがままも言わない。まあ例外はマコトちゃんくらいか」


 それを聞いて思い当たる事はあったけれど、それ以上にマコトが例外と聞いて嫌な感情が浮かんできてしまったのは、自分では分からないけれど嫉妬なのだろうか。


「そういうわけだから。お母さんにも言ってあるけど、ユウキが何か無茶してたら俺の部屋にある七番アイアンで……」

「神城くんを殴らせるためにゴルフバッグ置いていったんですか?」


 色々と悩む事はあったけれど、とりあえず冗談が確定した事につっこんでおいた。



「ユーキ。大山寺の遊園地が閉園するんで、五百円で一日乗り放題らしいぞ」

「へえ」


 いきなり携帯に電話してくるなりマコトから言われた事に、僕は単純に安いなあと思いながら返事をした。

 何よりも、名前からして何か起こりそうな地名にある遊園地が、今まで潰れてなかったのにも驚いたのだけど。


「『へえ』じゃないだろ。カナタ誘って行けよ」


 毎度毎度のお節介に、僕は溜息をつきそうになったけど、良い考えかと思い直す。

 小学生の頃にはよく通ったので、カナタさんを案内するには問題無いし、何よりあのカナタさんのテンションが上がったらどうなるのかにも興味がある。

 何しろクールビューティーという評価がしっくりくるくらい、普段のカナタさんは冷めている雰囲気がある。よっしー辺りが馬鹿を言ってクラスが笑いに包まれても、カナタさんは笑ってないことが多い。

 かと言って、大笑いしているカナタさんも非常に想像し辛いのだけど。


「あれ? マコトは来ないの?」

「行くか。おまえらいい加減に私を間に挟むのヤメロ」


「私はクッションか」というマコトの愚痴を聞きながら、確かにクッションみたいだなあとマコトの体の一部を思い出しながら思う。カナタさんは……僕は気にしない。


「カナタ着やせしてるけどそれなりにあるぞ」

「何が!?」


 考えている事を読んだように、想像の翼がはばたきそうな事を言ってくるマコトに、咄嗟に聞き返した。

 すると「詳しく聞きたいか?」と囁いてくるマコト。受話器の向こうでは、嫌になるほど見慣れた、意地の悪い笑みを浮かべているに違いない。

 その後僕は自己嫌悪に陥ったけれど、何故なのかはあまり言いたくない。



「うわ、結構こんでるね」


 遊園地の敷地内に入るなり目に入った光景を見て、神城くんが驚いたような顔をしたけれど、閉園前のサービス期間なら当たり前だろうなと私は思った。

 それに中に人は多くても、外で待っている人は少なかったから、これ以上人が増える可能性は低いかもしれない。そう思えば、歩くのが困難と言うほどでは無い今の混みようは、遊園地側からしてみればまだ足りないのではないだろうか。


「とりあえず……何から乗ろうか?」


 そう言いながら神城くんが眺めているのは、振り子のように揺れている、船の形をした乗り物。

 それは九十度近くにまで揺れて垂直に近い状態になると停止し、再び勢いをつけて揺れ始めると、乗っている人たちの悲鳴が聞こえてくる。

 確かにあれは面白そうだけれど、マコトに言われた事を先にやっておいた方が、後々楽かもしれない。


「マコトに絶対にお化け屋敷に入れって言われたけど」

「カナタさん。ここにはお化け屋敷なんて無いんだよ?」


 そう言って振り返った神城くんの顔は、何故か必死さを感じさせる笑顔だった。

 色々と疑問に思う事はあったけれど、本当にお化け屋敷は無いのかとパンフレットに目を通してみる。すると確かにお化け屋敷は無かったけれど、マコトが言いたかったであろうアトラクションは確かに存在していた。


「神城くん。この『死者の館』っていう」

「……行きたいの?」


 最後まで言わせずに聞いてくる神城くんは、眉が下がって本当に困っている様子で、見ていて何だか微笑ましくなってくる。

 そしてそれを見て「死者の館」に行く事を決めた私は、マコトの事を言えないくらい性格が悪いのかもしれない。


「うん」

「……分かった。逝こう」


 そう言って肩を落としながら歩き始める神城くんに案内されたのは、白い壁に囲まれた大きなアトラクションだった。

 壁には血が垂れた様な字で「死者の館」と書かれていて、パンフレットによるとお化け屋敷のお化けを、ゾンビや巨大な蛇といったような化け物に変えたものらしい。


「お二人様ご一緒ですか?」

「はい」

「ではこれをお持ちください」


 受付の女性に聞かれて返事をすると、近くのかごの中から取り出してきた緑色の像を渡される。

 それは翼をたたんだ悪魔のような姿をしていて、中々凝っているなと思ったけれど、触ってみたらどうやらゴムで出来ているみたいだった。


「その像を出口のそばにある台座に置かないと脱出できませんので、途中で落とさないようにご注意ください。像を無くしたり、途中でリタイアしたくなったら、近くに居るゾンビさんに言えば裏口から外に出られますのでご利用ください」


 リタイアしたくなるほど臆病な人が、果たしてゾンビに話しかけられるのだろうか。

 そんな事を思いながら、像を持って先に入って行く神城くんの後に続く。嫌がっていたわりには、その後姿は頼もしく見えた。



 僕は幽霊は平気だ。

 今までの十五年ほどの人生の中で、心霊現象の類にはあった事が無いし、知り合いにそういう人も居ない。

 だから実際に幽霊が居たとしても、これからも僕はその手の事には遭遇しないだろうし、巻き込まれないだろうという確信みたいなものがある。


 だけどゾンビはダメだ。

 あり得なさでは幽霊と変わらないけど、死体が動くという事態は想像するだけで鳥肌がたつし、何よりその体を破壊しないと止まらないというのが性質が悪い。

 しかも腐りかけているのも居るし、手がもげてるのだって居る。要するに、恐いというよりも生理的な嫌悪感が半端無いんだろう。


 ……なんて言うのは言い訳で、やはり単純に恐いのかもしれない。


「大丈夫?」

「……なんとか」


 だからと言って、女の子に手を繋いでもらってお化け屋敷を進むのは、立場が逆で情けない気がしないでもない。

 精一杯の強がりとして、カナタさんの隣を歩いているのだけれど、物音がするたびに周囲を見渡す僕の姿は情けなかっただろう。カナタさんも自覚はしていないのだろうけれど、口元が緩みっぱなしなのだから。


 ゾンビをテーマにしたこのアトラクションは、中は古い洋館を模していて、照明も当然少ない。

 そのせいかどうかは定かでないけれど、ゾンビの役をやっている人たちの姿は本当にリアルに見えて、その散漫な動きの演技も本物のよう。本物のゾンビなんて見たこと無いけど。


「さっきの蛇のぬいぐるみ少し間抜けだったかも」

「……うんそうだね」


 しかしそんな中でもカナタさんは余裕がありまくるらしく、僕が一目見た瞬間に後退りそうになった大蛇の模型にもまったく驚かず、むしろどんな素材で出来ているのかと触っていた。

 これは僕が恐がりすぎなのか、それともカナタさんの肝が据わりすぎているのか、どちらなのだろうか。


「もうすぐで出口のは……」

「ヴァアアアアァァァァッ!!」

「!??!?」

「きゃっ!?」


 洋館の区画を抜け、付近に居るゾンビたちを生み出したらしい研究所を模した場所に出たところで、突然背後から雄叫びを上げて何かが出てきた。

 何なのかは分からない。僕は後ろも見ずに、カナタさんの手を引っ張って走っていたから。



「聞いてない! 前来たときあんなの出なかったし!」

「うん。さすがにビックリした」


 思わぬ不意打ちだったらしく愚痴る神城くんに、私は笑いそうになるのを堪えながらそう返す。もっとも、ビックリしたのは本当だけれど。


「次の部屋もゾンビが居て、そこ抜けたら終わり……のはず」

「また何か出てくるかな?」


 先ほどの不意打ちのせいか、自信のなさそうな神城くんにそう聞くと、気の毒になるほどにうろたえて見せてくれた。

 神城くんならもしゾンビが襲ってきたとしても、あれほど動きが遅いなら返り討ちに出来るだろうに、何故これほど恐がるのだろう。


 一方の私は所詮作り物だと思ってしまうとあまり恐くないので、このアトラクションの見所は、既に神城くんの驚きっぷりへと変わってしまっている。

 だからだろうか。最後の最後に油断してしまい、あんなことになったのは。


「あー……この台座に置けば終わりだよ」

「うん。お疲れ様」


 台座と呼ぶにはお粗末な、腰くらいの高さの黒い円柱を指して神城くんが言ったので、私は神城くんの苦労を労いながら持っていた像を置いた。

 そしてそれと同時に、何かが手首へと纏わりつく。


「……ッ」


 一瞬神城くんの手かと思ったのだけれど、視線を向けてみるとその手は台座の中から出てきていた。予想外の不意打ちに、思わず声を上げそうになる。

 それを堪えきったと思ったところで、今度は壁から次々にバリバリバリと連続で何かが突き破る音がしてくる。


 すぐそばの壁から出てきたのは、ボロボロの衣服が纏わりつき、削げた肉がぶら下がる手の群。

 それらが一斉に手を掴まれて動けない私の方へと伸びてくる。


「……」


 私はその一瞬で起きた光景に呆然としながらも、無意識の内に大きく息を吸い込んでいた。



「最後の凄かったね」

「……うん」


 売店で買ってきたオレンジジュースを差し出すと、ベンチで休んでいたカナタさんはやや俯きながら受け取った。

 最後に壁から一斉に手が出てきたのにはカナタさんも驚いたらしく、しばらく沈黙した後に、伸びてきた手が怯むほどの悲鳴を上げた。

 それは普段のカナタさんからは想像も出来ない声量で、そばに居た僕は耳から物理的に何かが突き抜けたんじゃないかと言う程のダメージをもらってしまった。


「……神城くん知ってたの?」

「え、知らなかったよ?」

「じゃあ何で笑ってるの?」


 そう言って拗ねたようにそっぽを向くカナタさんは子供っぽくて、今までの印象が変わってしまうくらい可愛かった。

 誓って言うけど、僕はこの反応が見たくて最後の事を言わなかったわけじゃ無い。本当に数年前に来たときは何も無かったのだ。

 最後の最後だから、スタッフの人たちもはじけているのかもしれない。


「次何にする?」

「……絶叫系以外で何かある?」


 予想以上に精神力を消耗したのか、遊園地の敷地を跨いで滑走するジェットコースターを横目に、カナタさんがそんな事を言う。

 絶叫系以外というなら、メリーゴーランドかゴーカートか。とにかくその辺りだろうか。

 そう提案すると、カナタさんは少し悩んだ後にゴーカートを選択した。

 その操縦が豪快だったのは、ある意味予想通りだったかもしれない。



 ゴーカートの後は、とりあえず全アトラクションを制覇する事を目標にし、遊園地の敷地内を端から端まで巡る。

 混雑している割には待ち時間もほとんど無く、ストレス無く遊びつくす事が出来た。


「あー何か足が痛くなってきた」

「うん。こんなに遊んだの久しぶりかも」


 座っているアトラクションが多いせいか、体がこって仕方ないらしい神城くんが大きく伸びをするのを見ながら、私は自分が笑っていることに気付いた。

 当然かもしれない。こんなに遊び続けたのも、それ以前に他人とこれほど長い持間一緒に居るのも、私にとっては久しぶりだったから。


 そして同時に、いつの間にか神城くんと一緒に居る事に慣れて、気を許している自分に気付いた。

 あれほど警戒していた相手が、今では一緒に居るのが心地良い。


「閉園まで時間あるけど、もう帰る?」


 疲れたのかそれとも私を気遣ったのか、帰るかと聞いてくる神城くんに咄嗟に「帰る」と言いそうになったけれど、まだ乗っていないものがあった事に気付き思い直す。


「観覧車。最後に乗らない?」

「そういえば乗ってなかったっけ。じゃあ最後の締めだね」


 設置されて何十年と経っているのだろうか、古い観覧車は所々の塗装がはげていて、ある意味他の絶叫マシーンより恐い事になっていた。

 それでも今まで動いていたのだから大丈夫だろうと思いながら、順番待ちの列に並ぶ。

 前に居るのは家族連ればかりらしく、組み合わせを考えれば三組ほどしか居なかった。前に並んでいる幼い姉妹がはしゃいでいるのを微笑ましく思いながら、傾いて見えなくなってしまった太陽の位置を考える。

 タイミング的に調度いいかもしれない。


「次の方どうぞー」


 係員の人に案内されて、四人連れの家族が降りていった観覧車に急いで乗り込む。

 自然と隣に座りそうになって、苦笑しながら対面に座る神城くん。徐々に上って行く観覧車の外を眺める。


「やっぱりボロいねこれ」

「うん」


 神城くんの言う通り、間近で見る観覧車を支える鉄骨はボロボロだった。

 閉園するのも、老朽化したアトラクションを修理するのに限界が来て、新しく作り直す費用が無いからなのかもしれない。

 今日回ったアトラクションは、メリーゴーランドやコーヒーカップにいたるまで、どこか古臭いものばかりだったから。

 そんな事を思いながら視線を近くに見える海へと向けると、そこには期待していた通りの光景が広がっていた。


「神城くん。太陽が海に沈んでる」

「え?」


 空と水面を紅く染めながら、太陽が水平線の向こうへと沈んでいっていた。

 山間にある私達の街では、決して見ることの出来ない光景。何でも無いその光景が、今はとても綺麗に見える。


「海の夕焼けも綺麗なんだね。朝焼けは見たことあるんだけど」


 神城くんの言葉に「初日の出?」と聞くと、神城くんは微笑みながら首を横に振る。


「小学生の頃にね、父さんに船釣りに連れて行ってもらったんだ。日の出前に出航したんだけど、日の出の瞬間は海が太陽の光で金色に染まってさ。眩しかったけど、一生忘れないくらい圧倒的な景色だった」


 そう言って笑う神城くんの顔から、徐々に赤みがなくなっていく。別に神城くんが赤くなっていたわけでは無くて、太陽が徐々に水の中へと消えていってしまっているから。

 そして太陽が沈みきって暗くなる頃には、観覧車はもう四分の三ほど回ってしまっていた。どんな事でも終わりは来るけれど、何となくそれが名残惜しかった。


「カナタさん。新年になったら一緒に初日の出見に行かない?」


 その気の早すぎる提案に、呆気に取られてしまったのは仕方が無いと思う。

 けれど私を見つめ返してくる神城くんは真剣で、私は意識しないうちに「いいよ」と答えていた。


 後にして思えば、神城くんは焦っていたのかもしれない。

 神城くんは私以上に私を愛し、そのために私以上に終わりが来ることを恐れていたのだから。



「はい神城です」

「グッドイブニング、ユウキ」

「ああ、何だ父さんか。おはよう」


 朝も早くの非常識な時間にかかってきた電話に出ると、相手はニューヨークに飛んで行った筈の父さんだった。

 時間を考えろと文句を言いそうになったけど、よく考えたら向こうは深夜だと思い引っ込める。さらに冷静に考えたら、どっちも問題があるということに気付いたけど、言っても無駄なので流す事にした。


「何だとは何だ。二ヶ月近くも自分からは連絡しないとは、どんな親不孝者だおまえは」

「だって特に話す事ないし。近況報告みたいな手紙は送っといたけど」

「何? 俺は読んでないぞ!?」

「母さんに言ってよ。返事はちゃんと来たし」


 もしかして家にろくに帰っていないのではないだろうかと思いつつ、何やら受話器を置いて「かあさーん?」と言いながら移動しているらしい父親の復帰を待つ。

 というか母さんは起きているのだろうか。


「まあ手紙は置いといてだ。カナタちゃんとは上手くいってるか?」

「友達以上恋人未満って感じだけど、友達すっとばしてるからいまいち判断がつかない」


 例えるなら、折り返し地点の無い持久走だろうか。良い感じで進んでいると思うけど、転機が無いから到達点が果てしなく遠く見える。

 マコトが言うには、以前までのぎこちない空気はなくなったらしいけど、かといって婚約者として上手くいってるかどうかは別だろう。


「そうか……。実は八月に一旦帰るつもりなんだが、それまでにこちらに来るかそちらに残るかもう一度考えておけ」

「……は?」


 予想外の言葉に、僕は意識せずに気の抜けた声を出していた。


「やっぱり人様に自分の子供を預けるのはな。それにニューヨークには日本人学校もあるし、卒業してから日本の大学を受験するにも問題は無いぞ」

「ちょっと待って。その辺りは納得したんじゃなかったの?」


 あの初めての親子喧嘩は一体なんだったのだろうか。

 そんな僕の思いを知ってかしらずか、父さんは心配そうな声で続きを話す。


「ユウキ。俺はおまえの父親だ。おまえの面倒を見る義務がある。なのにおまえに何かあっても、俺達は何も出来ないんだぞ? 親としての責任が取れないんだ」


「取らなくていい」と言いそうになって、言葉を飲み込ませるように口元を押えた。

 本来なら当然の事。まだ成人もしていないのに、知り合いが面倒を見てくれるとはいえ、子供を一人残して海外に赴任する事の方が異常だ。

 だからここでどんな反論をしようとも、それは僕のわがままだ。


 だけどそれを自覚して、僕は一世一代のわがままを押し通した。


「大丈夫だって。中学以降は、何も問題起こさなかったし」

「そういう事じゃ無いんだが、まあいい。とにかく八月に一度戻るから、それまでに日本に残りたい理由をまとめておけ」


 そう言うと電話は一方的に切れた。それは意地悪ではなくて、このままでは口論になると思った父さんが気を遣ったのだろう。

 だけどその気遣いが、僕は嫌いだった。


 昔から父さんは、とにかく僕との全面衝突を避けていた。

 母さんが言うには嫌われたくなかったかららしいけど、僕はむしろ自分を正面から受け止めてくれない父さんに腹が立った。

 そしてだからこそ、初めてと言っていい正面からのぶつかり合いで決めた答えを、あっさりと覆されたのが納得いかなかった。


「……八月か」


 受話器を戻しながら出した声は、自分でも驚くほど弱弱しかった。

 父さんを納得させる事が出来るほどの、日本に居なければならない理由。

 それが僕を悩ませ、苦しませる事になった。

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