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嵐の前の騒がしさ

 朝リビングへ行くと、カナタさんの姿が無かった。

 いつもなら六時には起きてきて、ユミさんと朝食やお弁当を作っているんだけど、今日は寝坊したらしい。

 休日でも八時までには起きてくる、規則正しいカナタさんにしては珍しい。

 僕がそんな事を言うと、ユミさんは何やらおかしそうに笑った。


「あの子低血圧だから、ホントは朝に弱いの。最近はユウキくんに知られたくなくて頑張ってたみたいなんだけどね」


 それは意外。というかカナタさんが隠したがってるのにアッサリ教えてくれるユミさんは、未来の義母ながら中々良い性格をしてる。


「ユウキくん見てきてくれる? あの子起こしてから覚醒するまでに十分くらいかかるから」

「分かりました」


 ユミさんに頼まれ二階へ。

 いくら最近カナタさんのガードが下がってきているとはいえ、寝ている女の子の部屋に入るのはどうかと思ったけど、義母さんに頼まれたので仕方ない。

 心の中でそんな言い訳しつつ、カナタさんの部屋をノック。返事がないのを良いことに、ゆっくりとドアを開けた。


「……」


 やはりカナタさんはまだ寝ていた。

 寝相が良いらしく、肩までかかった布団に乱れはない。寝返りすらうってないんじゃないかと思うほど、綺麗な姿勢で寝ている。


「……カナタさーん。朝だよー」


 起こしに来たのに、静かに寝息をたてるカナタさんを邪魔したくなくて、つい小声になってしまう。

 当然起きない。カナタさんは綺麗な姿勢のまま、綺麗な顔で眠っている。


 カナタさんまつげ結構長いなー。あっ、泣き黒子見っけ。


 女の子の寝顔を観察するのはデリカシーが無いかもしれないけど、カナタさんが可愛いから仕方ない。

 むしろカナタさんが可愛いのが悪い。責任を取るべきだ。


 そんな清家くんが聞いたら「論理破綻してるぞ」とつっこんできそうな事を考えながら、指先でカナタさん頬をつついてみる。


「……ん」


 眉を寄せながら顔をそむけるカナタさん。


 可愛い。むしろ可愛い。

 カナタさんが可愛いすぎるので二回言った。


 キスしたいなー。でも流石に寝込みを襲うのはなあー。


 そんな頭がわいた事を考えていた天罰だろうか。

 頬をつついていた指先を唇へと伸ばした瞬間、ガリッと嫌な音と痛みが全身を駆け抜けた。


「みぎゃああああーーーーッ!?」


 指を食いちぎらんという強さで噛まれた。

 本能的にあげた悲鳴はご近所に響き渡り、隣の家から駆けつけてきたマコトに僕は救われた。



「相変わらず寝起き悪いなカナタ」


 学校への通学路。通学鞄を肩越しにぶらさげたマコトが、久方ぶりのチェシャ猫笑いで言う。

 確かに私は寝起きは悪い。ベッドの上に座ったまま数分ほど経ってから動きだし、顔を洗ってようやく完全に覚醒する。


 その間は母さん曰く触れるな危険。じゃあ何でユウキくんを寄越したのかと聞いたら「通過儀礼」とのこと。

 確かにいつまでも隠しておけることじゃないけれど、ユウキくんに警告くらいしてくれても良かったのに。


「まあ普通に起こさずに遊んでたユウキも悪いだろ」

「……うん」


 清家くんと並んで前を歩くユウキくんを見る。

 その右手の人差し指には痛々しい包帯。マコトは自業自得だと言うけれど、少し血が滲んでいたし、罪悪感がある。


「しかし寝起き悪いのを知らなかったと言うことは、おまえらまだ一緒には寝てないのか」

「当たり前でしょう」

「……当たり前なのか?」


 ……え?


 真顔で聞かれたので、何だか自分が間違ってる気がしてきた。

 いくら婚約者でも、一緒には寝ないでしょう普通?

 あれ? でも高校生ならそういう関係を持っていてもおかしくないわけで。

 いや、でもうちにはお母さんが居るし。


「結婚するまで処女とか時代錯誤な事は思ってないだろ?」

「え……駄目?」

「……いやダメではないけど、そもそもユーキが夜這いかけてないのが私には驚きなんだが」


 よば……。


「……ユウキくんはそんな事しない」

「その信頼の仕方は問題ありすぎる。ボクシングで発散してるとはいえ、やりたい盛りの男だし、あんま無防備だと食われるぞ」


 食!?


「でも確かにユーキがそのあたりをどう思ってるのか、っていうのがあるな。聞いてみるか」

「ユウキくんに?」

「流石のユーキも私に聞かれたら言わないだろ」


 じゃあ誰に。


「居るじゃないか。心理分析に定評のある男が」


 瞬間、こちらの話を聞いていたらしい清家くんが走り出した。

 即座に追うマコト。放たれた猟犬が獲物を狙うかのような俊敏さだ。


「え? 何? 何事?」

「……さあ」


 一方こちらの話を聞いていなかったらしく、突然始まった鬼ごっこに戸惑うユウキくん。

 あ、捕まった。


 それなりに運動ができるとはいえ、頭脳系の清家くんが超運動系のマコトから逃げ切れるはずもなく、背後から羽交い締めにされて御用。

 憮然としつつ大人しく捕まっているのは、観念したのではなくマコトが密着していて恥ずかしいせいだろう。

 マコトも他人の事を言えないくらい無防備だと思う。半分は分かっててやっているのだろうけれど。



「神城、婚前交渉についてどう思う」


 昼休み。珍しく清家くんに誘われて二組に弁当を食べに行ったら、唐突に真顔で猥談一歩手前な質問をされた。


「えー……ちょっと婚前交渉の意味をはき違えてるかもしれないから、図書館行って辞書ひいてきていい?」

「婚前交渉とは、婚姻を結ぶ前に性交渉を行うことだ」


 苦しい逃げ口上を言ったら即座に封殺された。

 流石だ清家くん。説明が辞書的というか事務的すぎていやらしさが欠片もない。

 逆に言えば、何で思春期男子がこんな空気で婚前交渉について語らなきゃいけないの。


「早く言え。俺もこの話題はすぐにでも終わらせたい」

「そもそも何でそんなこと聞くの?」

「国生」

「把握」


 一言で大体理解した。

 相変わらずマコトに振り回されてるなあ清家くん。

 最近は黒川さんにも振り回されてるし、女難の相でも出てるんじゃないの。


「て、聞かれてもね。カナタさん次第かなあ。カナタさんが嫌なら我慢するし」

「……できるのか?」

「うん。正直無理」


 だってカナタさん可愛いもん。

 触りたいし撫でたいしキスしたいしエロい事もしたいよ。

 でもそれでカナタさんに嫌われたら死にたくなるし。


「何かもうカナタさんが好きすぎて、最近自分が変態なんじゃないかと心配になってきたよ」

「……男なら仕方ないだろう」

「安心しろ。男はみんな変態だ」


 清家くんのフォローに続き、話が聞こえていたらしい黒川さんからもフォロー(?)された。

 ……どこに安心要素があるのか分からないよ。



「来週末に練習試合するぞ」


 放課後。部活動が始まるなり、マコトが新入部員を集めて言った。

 それにざわつく新入部員たち。何で自分たちに話すのかと思っているみたいだけれど、経験者であるナオミさんなどは目を輝かせている。


「瀧見と前田、あと佐野は試合やってもらうから、気合いいれとけよー」

『え?』


 前田くんと佐野くんが揃って声をあげる。


「俺まだボクシング始めたばっかなんすけど」

「反則しない限りは自己流空手殺法でいいよ。相手に凹られてボクシングの動き覚えろ」

「凹られるの前提っすか!?」


 マコトの無茶ぶりに絶叫する前田くん。

 そして不安そうな佐野くんが恐る恐る手をあげる。


「あの、僕は何故?」

「新入部員の中で一番頑張ってるご褒美だ」

「……」


 そんなご褒美いりませんと顔に出しまくっている佐野くん。

 でも頑張っているのは本当だし、本人が控えめなので、ご褒美云々は置いておいても、試合に出してあげるのは良いことだと思う。


「あと瀧見。反則無しなら何も言わないから勝て」

「……はい」


 一方文句の欠片も漏らさない瀧見くん。

 相変わらず何を考えているのか分からない。人の事は言えないけれど。


「部長、私は? 私は試合ありませんか?」


 そして顔が輝きまくっているナオミさん。

 流石マコトの同類。餌を前にした犬のようなはしゃぎっぷりだ。


「ああ、私と同じ学年の女子が居るから、そいつとだな」

「強いですか?」

「劣化ユーキだな。まあ女子にしては強いぞ」

「おお!」


 劣化ユウキくんと聞いて喜ぶナオミさん。一方私は嫌な予感がした。

 劣化ユウキくんな女子ボクサー。そんな知り合いは一人しかいない。


「マコト。練習試合の相手って……」

「この近辺で練習試合できる規模のボクシング部なんて、星岡学園しかないだろうが」


 つまりあの子が、嵐がやってくる。


「あー、そういえばリュウくんとカスミさんに会ってなかった。楽しみだなあ」


 暢気にそんな事を言うユウキくんを尻目に、危機感を募らせる私。

 会おうと思えば会えたのに会いに来ていない。何か企んでいるに違いない。

 そう思い私は新入部員たち以上に気合いを入れた。

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