遠慮思慮
ボクシング部最大の課題、新入部員をいかにして獲得するかという問題は、意外な形で解決した。
まず最初にやってきたのは、小柄で大人しそうな一年生の佐野くん。
昔いじめられっこだったというその佐野くんは、自分に自信をつくるためにボクシングを学びたいと、オドオドしながらも話してくれた。
先に入部していたナオミさんをチラチラと見ていた辺り、それだけが理由じゃないみたいだけど、そこは微笑ましいとスルーする事に。
しかしこの時点で、後の面倒くさい事態を予想しておくべきだったかもしれない。
次々に現れる入部希望者。しかし目的はどう見てもナオミさん。
佐野くんの例もあるし、それが悪いことだとは言わない。しかし一部新入部員は、ボクシングに興味が無いことを隠そうともせず、隙あらばナオミさんに話しかけようとする始末。
どうやらナオミさんの本性が日本語では出ないせいで、その人気は鰻登りらしい。
元々ボクシング部自体がお遊びレベルだし、強い事は言えないけど、ここまであからさまだと嘗めてんのかと言いたくなる。
「中嶋さんロードワーク行こうぜ」
「いえ……私は部長と行きますから」
「えー? 何で同じ新入部員なのに」
「中嶋は女子で経験者だから別メニューだ。いいから走ってこい野郎ども」
しっしっと犬でも追い払うみたいに言うマコト。
そんなマコトの態度を気にした風もなく、一年生たちは「中嶋さんまたねー」と軽く言いながら出て行く。
あのチャラ男集団に混ぜられて、佐野くんはまたいじめられはしないだろうか。
そんな事を考えていると、ナオミさんが突然回れ右をして僕に詰め寄ってくる。
『何とかしてよあの盛りのついた雄豚ども!?』
『うっわ、変わり身はやっ』
襟首を掴んで睨みつけてくるその様は、さっきまでにこやかに手をふり返していた少女と同一人物とは思えない。
佐野くんが見たら絶望するに違いない。いや、案外受け入れるかな?
『馴れ馴れしいだけならまだしも、私が筋トレとかスパーリングしてると、ナメクジみたいに視姦してくるのよ! アメリカなら訴えて勝てるわ!?』
『ここは日本です』
しかしそれも分からんでもないというか。
流石ハーフというべきか、ナオミさんのスタイルは日本人離れしている。
女子にしては長身で、腰の位置も高く、ボクシングのせいか体は引き締まっていてしなやかだ。
下心が無くても見入ってしまう。そんな美しさがある。
まあ件の男子たちは下心満載だろうけど。
『いつもの調子で蹴散らせば? 間違いなく幻滅するだろうし』
『日本語で話してると、遠まわしな言い方しかできなくなるのよ! 英語で言ってもあいつら理解しないし!』
そりゃナオミさんの聞くに耐えない罵詈雑言を、正確に聞き取れる高校生はそう居ないだろう。
先輩方は何となく分かるみたいだけど、マコトなんかはまったく聞き取れないらしいし。
「中嶋は何だって?」
「あの馴れ馴れしい奴らを何とかしてくれって」
僕がナオミさんの言葉をオブラートに包んで翻訳すると、マコトは「ああ」と漏らして苦虫を噛み潰したような顔をする。
「私だってやる気の無い奴は追い出したいんだけどな」
「それだと先輩たちも追い出さなきゃ筋が通らないんだよね」
そしてその先にあるのは、部員不足による同好会への格下げと部費の削減だ。
部長であるマコトには頭の痛い問題だろう。
「カナタにでも聞くか? 後腐れ無く十人斬りやってのけたし」
「その話詳しく」
さらりと放たれたマコトの言葉。しかし婚約者としてはさらりと流せないので、マコトが逃げないように両肩を掴むと先を促した。
マコト曰わく。初めてユーキに気迫で圧倒されたとかなんとか。
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冷やした飲み物を持ってきたら、そのままユウキくんに奥の更衣室に引きずり込まれた。
何事かと思っていたら、ユウキくんが居ない間に何人かの男子に告白されていたことを、マコトから聞いたらしい。
もしかして嫉妬してるのかと身構えたけれど、次のユウキくんの発言は予想から大きく外れていた。
「大丈夫だった? 断ったら逆上されたりしなかった? ストーキングされたりとか、付きまとわれたりしなかった?」
ストーキングと付きまといは同じじゃないのかというのは置いて、ユウキくんのあまりに心配そうな様子に驚き、少し申し訳なくなった。
私は中嶋さんの事を、口では気にしていないと言いつつも、心の奥で少し疑っていた。
なのにユウキくんは、私の事を欠片も疑わず、それどころかうろたえるほど心配してくれている。
「……ごめんなさい」
「何が!?」
謝罪がいきなりすぎたせいか、ユウキくんが絶叫した。
頭の中でいろいろ考えて、断片的な言葉を発してしまうのは、私の悪癖かもしれない。
清家くんあたりなら、少し考えた後に時間差で理解してくれるのだけれど、それは例外だろう。生き別れの弟でしたと言われても、納得してしまうくらい近しいものを感じるから。
「中嶋さんの噂、少し疑ってた」
「あー……それはむしろ噂流したよっしーが悪いよ」
違う。そうじゃない。
噂が無くても、ユウキくんと中嶋さんの親しげな様子を見れば、私は嫉妬していたと思う。
最近は平気だけれど、マコトにだって私は嫉妬していた。邪険に扱われている、橘さんにすら。
私は彼女たちが羨ましいんだと思う。
ユウキくんが私を大切に思ってくれているのは分かる。誰よりも私を愛してくれてるって信じてる。
だけど、大切に思われているからこそ、そこに遠慮を感じてしまう。
遠慮なんてしないでほしい。
以前はユウキくんと親しくなりすぎる事を恐れていたのに、なんて身勝手な思いだろう。
上手く言葉が出なくて沈黙が続く。
すると不意に、ユウキくんが俯いていた私を包み込むように抱きしめてきた。
「……あ」
「カナタさん。僕ってまだ頼りないかな?」
「……え?」
言われた言葉の意味が分からなくて、疑問の声が漏れた。
「カナタさんってさ、こうして欲しいとか、これは止めてとか、あんまり言わないよね。無口だっていうのは分かってるけど、マコトには結構話してても、僕が相手になると急に口数減るし」
「……」
それは仕方ないというか。同性と異性では態度は変わってしまう。
そんな私の言い訳を察したのか、ユウキくんは密着していた体を少し離すと、微笑みながら私を見下ろした。
「遠慮なんかしないでよ。ちょっとわがまま言ったくらいじゃ、僕はカナタさんを嫌いにならないよ。僕はカナタさんに頼って欲しくて、頑張ってきたんだから」
「……あ」
そう言われてやっと気づく。
私だってユウキくんに遠慮してたんだ。
「……ごめんなさい」
「んー。しばらくこのままなら許す」
そう言うと、ユウキくんは私のの頭を胸に押しつけるように抱きしめてきた。
何だか最近抱きしめられる事が多いなあ。
そんな事を思いながら、私はユウキくんの手の中に体を預けた。




