遠→零距離恋愛 前
「つきあってください!」
屋上へと続く階段の踊場。告げられたのはシンプルで、だけど万感の思いの込められているであろう一言。それに私は呆気にとられて、何も言えずにただ瞬きをする。
「……ごめんなさい」
ようやく口から出たのは、シンプルで残酷な一言。それを聞いた名前も知らない男子生徒は、一目で作り笑いと分かる顔で「やっぱりかぁ」と呟いた。
「俺じゃ美藤さんとじゃ釣り合わないよなぁ」
「……そういう理由じゃないんだけど」
そもそも知らない人にいきなり告白されて、あっさり受け入れる人など居るのだろうか。
……いや、居た。
告白はしてないけど、初対面で一目惚れとか恋を通り越して、結婚前提を受け入れた奇特な知り合いが身近に居た。
「じゃああれ? まだ神城とつきあってんの? 遠距離恋愛始まって半年でしょ」
「違う」
遠距離恋愛。
その言葉に違和感を覚え、意識しない内に返していた。それを聞いた男子生徒は、わけがわからないとばかりに顔をしかめる。
「カナター。早くしないと昼休み終わるぞー」
「今行く。それじゃあさようなら」
「ちょっ、待って。神城とつきあってないなら何!?」
踵を返して歩き出した私に、男子生徒が慌てた様子で聞いてくる。
「……婚約者」
「はい!?」
私は一瞬考えると、歩みは止めないまま言い放つ。
背後から男子生徒の間の抜けた声が聞こえてきて、私は何だか愉快な気分になって笑っていた。
「カナタ最近よく笑うな」
階段を降りて合流するなり、マコトが私の顔をマジマジと見ながら言ってきた。
自分ではあまり意識していなかったけれど、確かに以前ほど笑うことに抵抗は無くなっている事に気づく。そしてその理由に思い至ると、また自然に笑みが浮かんできた。
「ユウキくんが笑顔も好きだって言ってくれたから」
「ご馳走様。そういやそんな事もあったな」
私の言葉に、マコトは呆れた顔で言う。
「しかしユーキがアメリカ行ってもう半年か。四月には帰ってくるって?」
「うん」
壮絶な親子喧嘩の末に敗北し、アメリカへと連れて行かれたユウキくん。しかし転んでもただでは起きないというのか、英会話をマスターしたら帰国すると、おじ様に半ば勢いで約束させたらしい。
そして約束通りについに帰国。時期はこちらの高校の新年度に合わせて四月。今から待ち遠しくて仕方がない。
「……早く春休み終わらないかな」
「まだ始まってすらねえよ。というか学生として間違ってるだろその願望は」
マコトはそう言うけれど、私にとっては休みよりユウキくんの方が大事だ。今すぐユウキくんに会えるなら、今年の夏休みを返上してもいい。
私がそう言うと、マコトは苦虫を噛み潰したような、何とも奇妙な顔をした。
「……まあ両思いになるなり遠距離恋愛だしなあ。たまってるのか?」
「……? 何?」
「いんや。じゃあユーキが帰ってきたらどうすんだ? どっかデートでも行くのか?」
マコトの問いに、私はしばし考え込んでしまう。
とにかくユウキくんと会いたいという気持ちが大きくて、ユウキくんが帰ってきたらどうするかなんて考えてなかった。
ユウキくんと会って何をしたい……何をしてほしい?
「……抱きしめてほしい。ギュッて」
「……おまえ本当にカナタか?」
何故か驚愕の顔で言われた。
ユウキくん。最近マコトが失礼です。
・
・
・
『ユキ! 俺のタオルどこやった!?』
『椅子の上! 自分で置いてただろ!』
スパーリングの最中に怒鳴ってくる男に向かい、迫ってきたグローブをかわしながら叫ぶように言い返す。
アメリカにきて半年。最初はうまく言葉が通じず苦労ばかりの毎日だったけど、今ではとっさに言い返せる程度には英語に慣れてきた。
もっとも、いまだに日本訛りが抜けなくて、たまにからかわれるんだけど。
『お疲れユキ。相変わらず速いな』
『速さが僕の武器だから。簡単に捕まってはあげないよ』
スパーリングの相手が拳を向けてきたので、それに拳を軽く当てながら言い返す。
本場アメリカでのボクシング。最初は僕みたいな速さだけの非力なボクサーがやっていけるか心配だったけど、何とかやってこれている。
半年の間に身長も伸びて筋肉もついたので、非力という弱点も今では問題にならない。まあその分体重が増えたので、ギリギリフェザー級だったのに完全なライト級になってしまったけど。
『ユキ。今日はもうあがっていいぞ』
『はい。少し涼んだら帰ります』
髭面の海賊みたいなトレーナーにそう返すと、僕は奥にある更衣室へと向かった。
「ユウキさん。少しよろしいですか?」
「ん、何ナオミさん?」
突然日本語で話しかけられ、反射的に日本語で聞き返す。
振り返れば、そこには僕より少しだけ背の低い女の子。予想通りというか、このジムで僕の名前をちゃんと「ユウキ」と呼ぶのは彼女しかいない。
ユキは女の名前だからユウキだと何度も訂正したのだけど、大多数には違いが伝わらなかった。仕舞いには『じゃあおまえが女になれよ!?』と訳の分からない逆ギレをされる始末。
そんなこんなで名前については諦めた。僕だって英語の発音おかしいから、人のことは言えない。
「今までご指導ありがとうございました。日本の高校への入学が決まりましたので、お礼と報告に参りました」
「ああ、最近見かけなかったのって受験のせいか。合格おめでとう」
僕が祝福の言葉を送ると、ナオミさんははにかむように笑ってもう一度お礼を言った。
彼女の名前は中嶋ナオミ。僕より一つ年下の日米ハーフらしい。虫も殺せないような顔をしているのに、ボクシングを趣味にしていて、しかも結構強い。
きっかけはこのボクシングジムに通い始めて一週間ほど経った頃。日本語の勉強を熱心にしている彼女を見かけ、何気なく手にした本を覗いたら、とても許容できるものじゃなかったので、口を出したのが始まり。
もしあの時ナオミさんを放置していたら、男言葉で話す美少女が誕生する所だった。
……既に故郷に一人いるけど。
「ユウキさんも4月に日本に帰るんでしたよね」
「うん。もう早く帰りたくて仕方ないよ」
単純にホームシック気味なのもあるけど、好きな人と離れ離れなのが辛い。電話は頻繁にしているけど、無口なカナタさん相手ではあまり会話は弾まない。
話なんてしなくてもいいから、カナタさんのそばにいて、時間を共有したい。何もせずにボーっとしているのだって、カナタさんと一緒なら金にも勝る時間だ。
「婚約者がいるんでしたっけ。日本についたら紹介してくださいね」
「それは構わないけど。日本だってそれなりに広いんだから、場所によっては気軽に会えないかもしれないよ。ナオミさんお婆さんの実家だっけ? どこにあるの?」
「三鷹市です」
「……ぱーどぅん?」
「発音がおかしくなってますよ。三鷹市の三鷹東高校に通うことになっています」
同名の別の町の学校……なわけがない。
世間は狭いけど世界も案外狭いらしい。この場合狭いのは日本だろうか。
「ではユウキさんは先輩になるんですね。先輩という呼称使ってみたかったんです」
呆気にとられる僕に対し、同じ高校だと聞いたナオミさんは、両手の平を会わせるとうれしそうに言った。
今年も人間関係が濃くなりそうだ。何故かそう確信した。




