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零れ話 お返し

「少しずつ返してくれ」


 誕生日を数日後に控えた日曜日。待ち合わせ場所で会うなりそんな台詞を添えて渡されたのは、可愛らしい色のリップだった。

 彼らしくない意外なプレゼントと、よく意味の分からない言葉に首を傾げる。すると彼は困ったように眉を下げ、ゆっくりと首を振った。


「いや、今のは俺らしくなかった。忘れてくれ」

「どうらしくなかったのか詳しく説明を求める」


 私の言葉に、彼は驚いた様子を見せると、さらに困った様子で目をそらした。

 もっとも、付き合いの短い人間には、相変わらずの無表情にしか見えないだろうが。


「……俺を恥死させる気か」

「斬新な死因だな。その時は私が人工呼吸で蘇生する故、説明を頼む」


 引かない私に、彼はしばらく迷う素振りを見せたが、不意に背を向けると無言で歩き始めた。


 いじめすぎたか。

 へそを曲げてしまった恋人の背を追いながら、私は悪いと思いつつ笑みを漏らした。



「という事があったのだが、どういう意味だと思う?」

「そこで何で僕に聞くかな。僕男だから。清家くんと一緒のカテゴライズで恥ずかしいから」


 休み時間の教室にて、クラスメートであり清家の数少ない友人である神城に話を聞くと、あからさまに嫌そうな顔で応じてくれた。


「清家と似たタイプの恋人が居るからだが。それに文化祭で美藤をお姫様抱っこでかっさらった男が、今更何を恥ずかしがる」

「過去を掘り返すのやめて! 死ぬ! 悶死する!?」


 頭を抱えて机の上でのたうち回る神城。どうやら校内一のバカップルにも、それなりに羞恥心はあったらしい。

 ちなみに悶死は恥死とは違い、ちゃんと辞書にも載っている。


「さあ自分の墓穴を掘りたくなければ清家の穴を掘るといい」

「えーと……リップはどこに使う?」

「口に決まっている」


 私が即答すると、神城は「だよねー」と何とも気の抜けた声を漏らした。


「じゃあそのリップが清家くんに返る……付着する状況は?」

「……つまり遠まわしに接吻を要求していたと?」


 ようやく答えにたどり着いた私に、神城は呆れたようにため息をついた。


「接吻なんて単語がさらりと出る黒川さんも、大概人とズレてるよね」

「人というのは大概平均からズレているものだろう。私はこの世には程度の差はあれ変人しか居ないと思っている」

「何その極論!?」

「では聞くが、私たちの周りに完全無欠にマトモな人間は居るか?」

「……居ない」


 神城の友人である吉田と愉快な仲間たちと、私含む女子レンジャー。何かあると集まる集団だが、校内でも有数に濃いのは間違いない。


「まあそれは置くにしても、確かに清家らしくない要求だな」


 無口で無愛想なのは相変わらずだが、それでも付き合い始めてからは小さな気遣いなどを見せてくれては。

 しかしそれでも、今回のように遠回しであれ好意を素直に表してくれたのは初ではないだろうか。


「……キスか。そういえばしていなかったな」

「そうなの? 二人ともクール系だから、しれっといくとこまでいってたのかと」

「清家は冷静なのは上辺だけで、内はかなりのヘタレだ。美藤もそうではないのか」

「僕はキスはカナタさんからされたけど」

「……なんと?」


 今はともかく、当初は神城が惚れまくり美藤が戸惑っているように見えたので意外だ。

 もしかしたら状況的には私たちに近いのだろうか。


「相手が好きになってくれるまで待とうとしたら、待ちすぎて相手が反撃に出たという事か」

「反撃て。とりあえず黒川さんも愛情表現は分かりやすくしてあげてね。清家くんたまに悩んでるから」

「ふむ。ならば全校生徒の前で、清家は私の物だと宣げ……」

「過去を掘り起こさないで下さいお願いします」


 机にへばりつくように突っ伏したまま懇願する神城。

 とてもボクシングインターハイの覇者には見えないヘタレた姿だった。



「というわけで清家。キスをしよう」

「……」


 放課後の帰り際、私は清家と別れる道まで来ると、迷いなく宣言した。

 対する清家は少し目を見開いた後、頭を抱えて顔を伏せた。その姿を可愛いと思う奇人は、恐らく世界を探し回っても私だけだろう。


「……忘れてくれと言った」

「忘れるものか」


 相変わらず無愛想な声に、私は怯まず返す。すると清家は観念したように顔を上げたが、その顔を見た殆どの人間は、彼がかなり不機嫌だと感じたことだろう。


「俺をからかうのがそんなに面白いか?」

「失礼な。私が君をからかっているとでも思っていたのか」


 怒ったように言う清家に、私は自分でも意識しない内に言い返していた。

 すると清家は、今度は誰の目から見ても分かるほど目を見開き、訝しげに私を見つめてきた。

 無言の視線が説明を求めている事に気付けるのは、私と神城くらいのものだろう。


「自分が変人である自覚はあるが、私はそこまで恥知らずではない。私が恥を忘れるのは君が絡んだときだけだ。つまり君は責任を取るべきだ」

「結論だけ一気に飛んだ」


 珍しく清家が大きめな声量つっこんできたが、私はただ黙って頷く。


「それも自覚している。しかし自制できないという事は、私は今恋に狂っているのだろう」

「……冷静に狂うとはたちが悪い」

「そんなたちが悪い女が君の恋人だ。それとも捨てるか? 刺すぞ?」

「また結論が飛んだ!?」


 珍しすぎる清家の叫びに、少し楽しくなってくる。


「黒川、そろそろ勘弁してく……」


 弱音をはく口をふさいでやる。近すぎて表情は分からないが、文字通り息を止めるのが分かり、意地が悪いと自覚しつつも楽しくなってきた。


「な……」

「奥手なのも君の魅力だが、もう少し積極的になってくれないと私が悪者みたいだな。それに……」


 唖然としている清家に背を向けて、私は自分の唇に人差し指を当てながら言う。


「自分の送ったリップの色くらい覚えておくといい。お返しだ」


 そう告げると、私は清家に背を向けて歩き出す。しかし意外にも清家はすぐに正気を取り戻し、私の隣に並んで歩き出した。


「どうした? 君の家はこちらでは無いだろう」

「……送る。妙な問答のせいで暗くなってきた」


 言いながら清家が顔をのぞき込んできて、私は咄嗟に視線をそらしていた。


「黒川。今照れてる?」

「君こそ照れてるだろう」


 珍しく反撃をしてくる清家。しかしそれも嫌じゃない。

 お互いに何度か視線を合わせ、そのたびに自然と笑みを浮かべながら、私たちは帰宅した。

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