零距離ラバーズ
インターハイ初勝利。そんなめでたい試合の後だというのに、神城くんはどこか様子がおかしかった。
浮かれていなければ、落ち着いているわけでもない。ただぼーっとしていたかと思うと、拳を握ったり開いたりして、唐突にニヤリと笑う。
もしかしてマコトや原田部長みたいに、神城くんまで闘争本能に目覚めたのだろうか。私がそう聞くと、神城くんは何故か驚いたように目を丸くすると、しばらく間をおいて苦笑した。
「ちょっと違うかな。ただなんて言うか、殴り合いでしか分かり合えない不思議な関係もあるんだって気づいたみたいな。……あ、別に殴り合いを肯定するわけじゃなくてね」
必死に言葉を尽くして説明してくれる神城くん。けれど申し訳ないことに、私にはさっぱり理解できなかった。
殴り合って友情が芽生える。多分女子のほとんどは分からないし、分かるのはマコトみたいな特殊な子だけだと思う。
ともかく、世捨て人というか悟りをひらいたというか、神城くんの様子が次の試合大丈夫かと心配してしまうものなのは確かで、それに気づいたとある二人が、何やら企むのも当然なわけで。
「よし、気分転換にデートしてこいマネージャー」
「芥先輩は私が抑えとくから、心配すんな」
揃って笑顔で親指を立てる原田部長とマコト。
似たもの同士というか、仲が良すぎて実は兄妹なんじゃないかと疑いたくなってくる。憎たらしさはマコトが数段上だけれど。
とは言え、私も神城くんと行きたい場所があり、先日出鼻をくじかれたので、出かけるのはやぶさかではない。
神城くんにはどこに行くのか告げず、バスで揺られる事十分ほど。目的地には辿り着いたけれど、いざとなると目的自体を敢行するのに躊躇いが出てくる。
ああ本当に。口に出さなくても思いが伝わればどれほど楽だろうか。
「鹿来ないねー」
そんな私の気持ちを知ってか知らずか。騒音と言って良いほどけたたましく鳴く蝉の声に紛れて、神城くんはいつも通りの和やかな口調でそう呟いた。
宇喜多という人とのことを気にしているかと思ったけれど、表面的にはいつも通り。因縁はあの試合で片付いたのか、それとも未だに引きずっているのか。私には分からない。
でも、青痣のついた顔が晴れやかに見えたので、何らかの答えは得る事ができたのかもしれない。そう思い、私はこの件について口出しする事は止めた。
「というかこれ本当に神社? 寺じゃ無くて?」
学校の校舎よりも大きいのではないかという、鮮やかな赤い建物を眺めながら、神城くんがそんな事を聞いてくる。
私達が来たのは、立派な赤いご本社以外にも様々な神様が祭られている神社で、敷地内には神様の使いとされる鹿も生息している。
しかしその鹿は警戒心が強いらしく、誰もが思い浮かべる奈良公園の鹿のように群がってくることはなく、林の中からこちらをじっと窺っているだけ。まあ実際に群がられると非常に迷惑なので、むしろありがたいのだけど。
「でも神社に行きたいって、カナタさんお寺とか神社好きなの?」
「そういうわけじゃ無いんだけど……」
ご本社から離れて摂末社のある南側へと向う最中に、神城くんが不思議そうに尋ねてきたのに、私は否定しながらも語尾を曖昧に濁した。
困ったときの神頼み。今の私の心境は正にそれで、その事をわざわざ説明するのも恥ずかしい。
この後の事を考えると、どちらにしろ恥ずかしいのだけど、本当の目的地につけば神城くんも察するはず。
「……何あれ?」
地面を睨みつけながら考え事をしていると、何かを見つけたらしい神城くんが、呆気に取られたように声を漏らすのが耳に入ってくる。
つられて視線を向けて、私はついに目的地についてしまったのだと気付く。
赤い本社に比べれば地味な、白い壁の建物。その近くに、ピンクと白に色分けされた、ハート型の物体が大量にぶら下がっている。
そのお社の名前は夫婦大国社。
大国主命と須勢理姫命の夫婦神様が祀られた、良縁・夫婦和合にご利益のある霊験あらたかな……要するに縁結びで有名な神社だったりする。
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一目見て驚いたハート型の板は、型破りな事に絵馬だったらしい。少し眺めてみると、恋愛やら夫婦間の願い事ばかり書かれている。
「こういう所にカナタさんから誘うとは思わなかったなあ」
古めかしい神社に、ピンクのハートが群れを成すというシュールな景色を眺めながら呟くと、隣に立つカナタさんは何も言わずに少しだけ視線をそらした。
この反応はどう受け取ればいいのか。少なくとも焦っているのは確かだろう。暑いとはいえ、汗が急に増えたところからして。
しかしどうしたものだろう。
僕の手元には、本当に絵馬なのかと疑いたくなるハート型の板があるけれど、いきなりの事なので何を書けばいいのか分からない。そもそも神社でおみくじをひいた事はあっても、絵馬を書いた事はないと今更気付く。
隣にいるカナタさんは何を書いたのかと覗こうとしたけど、それに気づいたカナタさんはサッと絵馬を裏返して隠してしまう。
「……」
そして頬をわずかにそめながら無言で抗議。その様子に罪悪感なんて欠片もわかず、むしろ愛おしくて仕方が無いのは、僕が恋にとち狂っているせいだろうか、それともカナタさんが可愛すぎるせいだろうか。
「うーん……」
ともかく何を書くべきか。「この恋が上手くいきますように」というのは曖昧すぎるし、「カナタさんが僕を好きでいてくれますように」というのも他力本願みたいで嫌だ。
そうやって悩んでいる僕を、カナタさんは急かす事も無くじっと眺めている。
自分が何を書いたか見せてくれなかったのに、僕の書くところを見張っているのは、ちょっとずるくないだろうか。
「……よし」
悩んだ末に書いたのは、「ずっとカナタさんの事が好きでいられますように」という、他人が見たら首を傾げそうなもの。
だけどそれは悩んだ末に僕が気付いた確かな願いだった。
カナタさんがそこに居るだけで。カナタさんが僕を見てくれただけで。カナタさんが笑ってくれただけで嬉しいのは、僕がカナタさんの事をどうかしてるくらいに好きだから。
だからそれがずっと続くようにそう願ったけれど、それは願わなくてもずっと続くと確信している事でもある。
だからこれは、願い事じゃ無くて宣言かもしれない。
僕の絵馬を見て戸惑っているように見える、隣にいる彼女に向けた、もう何度目か分からない宣言。
「……ごめんなさい」
「何が!?」
絵馬を奉納した所でカナタさんが呟いた一言に、全速力で振り向いて叫んだ僕を誰が責められるだろうか。
聞きようによっては拒絶ともとれる言葉。しかしカナタさんはそういう意図で発したわけでは無いらしく、僕の反応に目を丸くした後、しばらくしてはっとしたように首を横に振る。
「私、一度も神城くんに返事してないから」
しばらく言っている意味が分からなかった。しかしカナタさんが僕の絵馬を見つめているのに気付き、僕の告白まがいの宣言に対する返事だという事に気付く。
確かに。僕は今まで事あるごとにカナタさんが好きだとアピールしてきたけど、カナタさんは僕の婚約者である事は認めても、僕の事が好きだとか嫌いだとか言った事は無かった。
「最初は神城くんが遠いと思った。でも今は逆。……近すぎて、明確な答えを出したら、何か取り返しがつかなくなりそうで。上手く言えないけど……恐いんだと思う」
カナタさんの独白は、僕は想像もしなかったけれど、どこか納得してしまうものだった。
僕もカナタさんとの距離をはかりかねていたけれど、カナタさんは僕以上に距離に敏感で臆病なのかもしれない。
いくら距離が近付いても、壁が消えないと思っていた。だけどカナタさんは、距離が近いからこそ、壁を取り除けなかったのではないだろうか。
「本当に、私もマコトみたいになれたらいいのに」
「それはちょっとヤダ」
落ち着いていて控えめなカナタさんが、男勝りで口調の荒いマコトみたいになる。
想像出来ない。というよりしたくない。一体どのような悪夢だろうかそれは。
「……ユウキくん」
「うん。……あれ?」
名前を呼ばれて振り向いたけれど、何か違和感を覚えて首をひねる。
「あ、名前……?」
名字ではなくて名前で呼ばれた。それに気付いて口を開きかけた所で、いつの間にかカナタさんの顔が鼻の頭同士がぶつかりそうな位置にあるのに気付く。
そして僕が何かを言う前に、カナタさんの顔がさらに近付き、僕たちの距離は零になっていた。
「……」
触れ合ったのは一瞬。突然の事に僕が呆然としている間に、カナタさんは背を向けていて、どんな顔をしているのかは分からない。
「い、今は言葉に出来ないけど、いつか絶対に答えるからッ」
カナタさんらしくない、早口で大きな声。それを聞いて、カナタさんの一連の行動がかなり勢い任せだったのだろうと気付くと、不思議と余裕が出てきた。
「だから……待ってて。私の事を、ずっと好きでいてください」
「……うん」
偶然か必然か、絵馬に書いた事と同じお願いをされて、僕は胸が温かくなるのを感じ、意識せずに頷いていた。その声が自分で驚くほど嬉しそうだったのは、仕方が無いと思う。
そもそも順番があべこべ。言葉以上に確かな応えを貰ったのだから、返事は一つの区切りでありけじめでしかない。
言わば僕は予約済み。カナタさんが決意出来るまで、ずっと待つことにしよう。
例え二人の距離が零じゃなくなっても。




