表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/36

Have a crush on

「美藤。神城の一試合目のセコンドは代われ」


 試合当日。ホテルのロビーで顔を合わせるなり、原田部長は携帯電話を顔から離しながらそう言った。

 突然の宣言に私はわけが分からずに首をかしげたのだけど、原田部長は携帯電話をしまって笠原先生の方をちらりと見た後、私にだけ聞こえるよう声をひそめながら離し始める。


「いきなり喧嘩ふっかけるようなやつが、試合中に自重できるとは思えないんだよ。もし何かあったとき、美藤はすぐに動けないだろうからな。先生には慣れてないから一試合目は見学させるっつってるから」

「それは……」


 確かにそうだろう。もし宇喜多がやりすぎそうになっても私は何も出来ないし、神城くんが酷い怪我をしても、冷静に対処出来ないかもしれない。

 実際にはそんな事は杞憂で、宇喜多がきちんとルールに則った試合をする可能性が高いと思うけれど、原田部長としては万が一に備えておきたいのかもしれない。


「じゃあ私の代わりに原田部長が?」

「いや、芥が応援にくるらしくてな。そのままセコンドに放り込む」

「……」


 それは芥先輩は大迷惑では無いだろうか。そう思ったけれど、芥先輩なら神城くんに何かあっても即座に対処してくれそうだし、ある意味適任だと思うので納得する事にした。

 同時に宇喜多が何かやらかしたら、暴走しそうだとも思ったのだけれど、これ以上悩んでも仕方が無いので考えない事にする。



「帰りたい」


 会場である市の総合スポーツセンターにつくなり、僕は冗談抜きの本音を自分でも意識しない内に漏らしていた。

 その言葉に反応したのは、隣を歩いていたカナタさんだけだってけど、カナタさんは何も言わずにしばらく考える素振りを見せると、自然な動作で僕の右手を握ってくる。

 それに少し驚いた後、少し情けなくなってくる。お化け屋敷の時と同じ。隣を歩いてはいるけど、実際には僕が引っ張られていると言っていい。

 ああ本当に情けない。だけどそれ以上に嬉しいのだから、今はこれで良いのかもしれない。


「それじゃあ荷物は二階に置いて、試合の時間が近づいたら下りてくるように。先生は一階で待機してるからな」

「分かりました」


 原田部長が答えたのを確認すると、笠原先生はそのまま一階へと下りていく。それを見送りながら、僕は荷物を床に置くと備え付けられた椅子へと腰かけた。

 コの字型の吹き抜けになっている二階からは、板張りの体育館のような一階の様子が見える。中央には、熱気の中で逸る選手達を待ち構えるように、白いリングが静かに鎮座している。

 それを見て少なからず血が滾ったのは、認めたくないけど事実だろう。

 殴り合いは好きじゃ無い。これは誰になんと言われようと僕の本心だ。

 だけどリングの上で、強い人と闘う中で神経が研ぎ澄まされていく感覚。その通常の世界とは切り離されたような空間が好きな事、高揚していく感覚に酔っている事は否定出来ない。

 どんなに言い訳を重ねたって、はたから見れば僕もマコトも原田部長も同類なのかもしれない。

 むしろ好きじゃ無いと言いながらリングから離れられない僕は、まるで麻薬の中毒者のようで、マコトのように戦いを純粋に楽しんでいる人よりも重症なのかもしれない。


「大丈夫?」


 そんな自己分析をしていると、正面を見据えたまま動かない僕を心配したのか、いつの間にか隣に座っていたカナタさんが僕の顔を覗き込んでいた。

 気付いたらすぐ近くにあったカナタさんの顔を見て、僕は少なからず驚く。それは距離が近いというのもあるけれど、カナタさんの様子がとても無防備に見えたから。

 最近の態度からして、カナタさんの内心で何らかの変化があったのは間違いないらしく、どこか以前より力が抜けている気がする。


「ありがとう。大丈夫だよ」


 そう言って微笑んで見せたのは、カナタさんを安心させようと思ったからでは無く、単に嬉しかったから。

 そんな僕の顔を見て、カナタさんは一瞬だけ目を見開くと、つられたように笑ってくれた。それだけで少し恥ずかしくて、同時に胸が温かくなってくる。

 だからそれに免じて、後ろに見えたものは無視してやることにする。

 カナタさんの顔の向こうで、幼馴染と先輩が揃ってニヤニヤしてるのは断じて無視だ。


「……は?」

「え?」


 しかし無視しようとした二人の顔が、申し合わせたように間の抜けたものに変わる。そしてしばらくするとカナタさんの表情まで呆気にとられたものに変わり、背後から何かが駆け寄ってくるような音がしてくる。


「神城さーーーーんッ!!」

「ハァッ!?」


 振り返った瞬間に目に焼きついたのは、ほぼ地面に水平な体勢で宙を舞うカスミさん。何でここに居るのかと聞きたいところだけど、その前に一直線に僕に向ってくるその体を何とかするのが先決だ。

 これがよっしーあたりだったら迷わず避けるなり撃墜するなり出来るのだけど、カスミさん相手にそれをやるわけにもいかない。そもそも僕が避けたら、そのまま僕の隣に居るカナタさんと衝突するのは間違いない。

 要するに受け止めるしかないのだけど、それによって僕の立場がとてつもなく悪くなりそうな予感がするのは、気のせいでは無いだろう。世の中は何故これほど不条理なのだろうか。


「待て」

「はうっ!?」


 しかしそうやって覚悟を決めようとしたところで、突然僕の前におどり出たマコトがカスミさんの体を受け止め、そのまま勢いを殺すようにぐるりと一回転する。

 さすがマコト。同じ階級の女子のタックルを完全に受けきるとは。という僕が受け止めていたら、そのまま後ろに体が折れ曲がっていたのではなかろうか。


「何をするんですか国生さん!? 私は同性愛には理解が深いですが、自分自身にその毛はありませんよ!?」

「私だってねーよ!?」


 マコトの体から離れて地面に降りるなり、どこかズレた発言をするカスミさんに、マコトが心底のものであろう抗議の声を上げる。

 でもカナタさんと仲良すぎて怪しいなあとか僕は思っていたりするのだけど、それを言うとこの場がさらに混乱するので、沈黙を守った方が懸命だろう。言った瞬間に、マコトから振り向きざまのコークスクリューがきそうだし。


「カスミ。空気を読め」


 マコトとカスミさんのやり取りを見ながら、どうしたものかと考えていると、カスミさんが文字通り飛んできた方向から、リュウくんが普通に歩いてくる。

 カスミさんへの苦言も普通で、本当にこの二人は双子なのだろうかと疑問が湧いてくる。リュウくんも恋をしたら、間違った方向に一直線な可能性はあるけど。


「読んだからぶち壊しに来たんじゃ無いですか!」

「なお悪いだろ」

「結局何で居るんだおまえらは」


 相変わらずフリーダムなカスミさん。それに付き合っていたら埒があかないと思ったのか、マコトは話す相手をカスミさんからリュウくんに変える。

 それに溜息をついてから答えるリュウくんを見ていると、溜息をつくたびに幸運が逃げるという話が本当のような気がしてくる。顔つきからして幸が薄くなっていっているし。


「カスミが神城の応援に行く計画を立てていたから、念のためについて来た。抑えがなくなると何をするか分からん」

「……お疲れさま」

「……原因の一端が言うか」


 本心からの労いに、少し責めているような視線と言葉が返ってくる。

 でも僕は初対面の時に真正面からカスミさんの思いを一刀両断しているわけで、これ以上何をどう対処しろというのか、逆に問い詰めたい。


「もう、こんな愚兄の事は気にしなくて良いんですよ神城さん。誰が何をしようが、不幸を背負う事を定められたような不運の持ち主なんですから」

「いや、なら尚更労わってあげようよ。あとさり気なく腕取ろうとしないで」


 いつの間にか左隣に座っていたカスミさんが、満面の笑みで言い放ったのに対して、こちらも笑いながら戒めつつ、伸びてくる手を避け続ける。

 僕もカスミさんもボクサーなだけに、その攻防は無駄にハイレベル。威嚇と笑顔は似ているというけど、今の僕の顔は間違いなく威嚇に近いだろう。


「……」

「え?」


 しかしその攻防も、僕の右隣に座っていたカナタさんが、突然立ち上がったことによって終わった。

 カナタさんは無言のまま僕とカスミさんを一瞥すると、二歩で僕たちの前に移動し、そのまま自然な動作でボクとカスミさんの間に体を滑り込ませるようにして座る。


「……」


 そして何を言うでもなく、言のままズリズリと体を押して僕とカスミさんの距離をあける。

 これは僕の所有権をカスミさんに主張しているのか、僕に浮気するなと警告しているのかどちらだろうか。


「あら美藤さん、居たんですか。存在感が薄いから気づきませんでした」

「……」


 カスミさんの笑顔の質が変わり、その口からカナタさんに向って明らかな挑発が放たれる。しかしカナタさんはそれに答えることもせず、ただ視線をゆっくりとカスミさんの方に向けるだけ。

 ……恐い。無言なのが余計に恐い。

 ここで普通に言い争いでもしてくれれば、マコトかリュウくんによって仲裁されていたのだろうけど、二人は今のところ争う気配は見せていない。

 しかし周囲を支配する空気は張り詰めた糸のようで、切れた瞬間に仲裁する隙も無く取り返しのつかない状態になるという予感がする。

 一触即発。その四字熟語が相応しい状況に、まさか自分が遭遇する事になるとは。


「よし。芥が来たらしいし、そろそろ一階に下りるぞ」

「はいっす。ほら行くぞユーキ」


 そして言葉だけ聞くと逃げるように聞こえるのに、まったく動じた様子も無く対処するマコトと原田部長の神経は、どうなっているのかと不思議に思う。

 そんな疑問は横に置き、言われた通りに一階に下りて危機を脱したつもりになった僕だったけど、試合が近いという事は宇喜多との闘いが近いという事だと気付きすぐに落ち込んだ。



 神城くんたちが居なくなり、橘兄妹もしばらくして後を追い自分一人になったのを確認すると、私はゆっくりと静かに肺の中の空気を吐き出した。

 らしくない。そう自覚しているのに行動を抑制出来ないなんて、恋の病はやはり侮れないという事だろうか。


「いやはや、仲が良いようで何よりだ」

「……おじ様」

「そこはお義父さんと呼んでもらいたいところだが、まあいいか」


 いつの間にか隣に座ってくつろいでいたのは、神城くんのお父さん。突然話しかけられても私が驚いていないのは、先ほど橘さんたちが来た時に、柱の影からこちらを見ているのに気付いたから。

 そして何よりも、服装に注意がいきすぎて、突然話しかけられたことに驚いていられない。


「サングラスは外さないんですか?」

「ああ、見に来たのがユウキにばれないように。念のためにね」


 室内なのにサングラス。それは怪しい上に無意味に思えるけれど、まだ許容範囲という事にしておく。だけどいい歳をして、ノースリーブのシャツというのはどうなのだろう。

 剥き出しになっている腕は、ほぼ同じ体格の原田部長よりも筋肉質で、四十路を越えた人のものには見えない。

 親子喧嘩で負けたと神城くんが言っていたし、もしかしておじ様も何か格闘技をやっているのだろうか。支社長をしながら、そんな事をする暇など無さそうだけれど。


「しかし本当に仲が良さそうで安心したよ。ユウキがカナタちゃんにいかれてるのは今更だけど、カナタちゃんがユウキに惚れる可能性は低いと思ってた」

「……」


 神城くんに惚れていると口に出して言われてしまい、私は自覚しないうちに熱を持った顔を隠すように俯いていた。

 私だって出会った当初は、神城くんの事を好きになるなんて想像できなかったし、そうなるのを恐れていた部分もあった。けれど今では、神城くんとどう付き合っていこうかと悩んでいる。

 そしてそうやって私と神城くんのあり方を考えている内に、本来ならもっと早く聞いておくべきだった疑問が浮かんできた。


「どうして私を神城くんの婚約者にしたんですか?」


 何を今更と言われてしまいそうな、だけど気になって仕方が無い疑問。

 生まれた時から決まっている婚約者だなんて、今どき私たち意外に存在するのだろうか。そもそも私たちが、まったく別の人を好きになっていたらどうしていたのか。

 疑問は一度生まれると、湧き水のように際限なく溢れ出して来る。


「最初は冗談だったんだよ」

「……は?」


 内心で創作のようなロマンチックな理由を期待していたため、その答えは私を呆けさせるには十分な威力を持っていた。

 むしろこの場合は、期待していた威力が無かったというべきか。座ろうとしたら椅子を引っ張られて地面に尻餅をついたような、何とも言えない感情が胸の奥の熱を急速に奪っていく。


「君のお母さんとうちのがほぼ同時期に妊娠してね、しばらくして性別も分かった頃に、酒の席で君のお父さんが『どうせだから結婚させるか』と言い始めたのが……まあ最初だな」

「……お父さん」


 あんまりといえばあんまりな理由に、写真でしか顔を知らない父親に向って呪詛を吐きそうになる。

 とは言え死者を悪く言うのは良くないし、何よりおじ様の顔が真剣なものになってきたのに気付き、気を持ち直して続きを聞くことにする。


「でも恐ろしい事に奴は本気で言っていたらしくてね、シラフの時に聞き直したら『俺の娘は信頼出来る奴の家にしかやらん!』と咆哮してな。まあ要するに、まだ生まれても無い娘を溺愛してて、どこの馬の骨とも分からん輩に嫁がせたく無かったと」

「……」


 何故だろう。私はほとんど父の事を知らないはずなのに、父のイメージが壊れていく。

 もし父が生きていたら、鬱陶しいくらいに私を溺愛していたであろうというのは、喜ぶべきなのか呆れるべきなのかどちらだろう。 


「だが知っての通り、君が生まれる前にお父さんは亡くなった。……何で亡くなったかは聞いてるかな?」

「事故だったと聞いてます」


 私が母から聞かされた通りに答えると、おじ様は眉を下げて何かを堪えるような表情になる。父が死んだときの事を思い出してしまったのかもしれない。


「……まあそういうわけでね。遺言のつもりで、カナタちゃんとユウキを婚約関係にしてしまったわけだ。勿論あの阿呆の言葉を厳守するつもりなんて無いから、二人の気が乗らなかったら無しの方向でね」


 ついに父親が阿呆呼ばわりされてしまったけれど、言動を聞いた限りでは同意してしまいそうだったので流す事にする。

 しかしその一見すれば親馬鹿としか思えない主張のおかげで、神城くんと婚約者になったのだと思うと、その異常とも言える愛に感謝したくなった。

 少なくとも父さんはおじ様の事を信頼していて、その息子の神城くんなら、私を不幸な目に合わせたりしないだろうと思ったのだろう。


「でも……何故今年に入るまで会わせてくれなかったんですか?」


 元々婚約に乗り気でなかった私に言う資格は無いかもしれないけれど、もっと早くに会っていれば、今よりもっと神城くんと自然に付き合えたのではないかという思いはある。

 だから少し責めるような口調で言ってしまったのだけど、おじ様はそれを特に気にする様子は見せずに話し始める。


「俺が……君の……」


 そこまで言った所で、おじ様は口をつぐんでしまった。それはいつものような自信に満ち溢れたような口調では無く、言葉を慎重に選んだ結果話せ無くなってしまったようで、出てきた単語もどこか要領を得ない。

 その様子がまるで何かを後悔しているように見えたけれど、サングラスをかけた顔からその本心を見抜く事は出来なかった。


「君のお母さんと一時期喧嘩していてね。最近になってようやく和解したんだ」

「……そうなんですか」


 その答えはあまり納得のいくものではなかった。私の記憶にある限り、母さんは一度たりともおじ様を悪く言ったりはしていなかったのだから。

 母さんはおじ様をとても信頼している。今まで私はそう思っていたから。

 もしかしたら単に、子供の前でそんな事を聞かせるべきで無いと判断しただけかもしれないけど。


「そろそろ試合が始まるな。ユウキに見つかる前に退散させてもらうか」

「はい。また後で」


 私がそう返事をして頭を下げると、おじ様は苦笑を浮かべながら階段に近い席へと移動していった。

 それを確認してから一階へと視線を向けると、既に一試合目が始まろうとしていて、神城くんと同じくらいの体格の二人がリングに上がっていた。

 もし神城くんと原田部長が勝ち抜けば、明日以降は私もセコンドにつくことになる。

 試合の様子だけでなくセコンドの動きも意識しながら、私は試合の流れを観察し始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ