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因果応報――憎因憎果

「お釣り五十円になりまーす。……お客様? お釣りです」

「え……あ、すいません」


 子犬のクッションを赤と白のチェック柄の包装紙で包んでもらいお金を払った所で、外で待っていた神城くんが何人かの少年に囲まれているのが目に入った。

 どう見ても友好的とは思えないその様子に見入っていたせいで、店員がお釣りを差し出したのにも気付けず、そのまま外へ出そうになる。

 どうしよう。どうすれば。

 私が行ってもあの状況にプラスになるとは思えないし、何より恐い。状況も分からないのに警察に連絡するのも躊躇ってしまうし、かといって放っておくわけにもいかない。


「……マコト」


 何だかんだと言いながら頼りになる友人を思い浮かべたけれど、今回は流石に頼るのはどうかと思う。原田部長なら、失礼な評価かもしれないけど喧嘩にも慣れてそうだし、何とかしてくれるかもしれない。


「原田部長……電話番号が……」


 しかし原田部長の携帯の番号を知らない事に気付き、焦って頭が回らなくなってくる。

 そして一緒に居るマコトに電話すればいい事に気付くまで、結局五分ほどかかった。私は自分で思っているよりも、冷静な性格ではなかったらしい。



「宇喜多ってまさか僕の試合相手の?」


 人通りの少ない路地裏へと誘われるなり、少しは冷静になってきた頭で「宇喜多」という名字に聞き覚えがあることに気付き、僕は金髪の少年に向って聞いた。すると少年は馬鹿にしたように鼻で笑うと、ズボンのポケットに手を入れたままふてぶてしい顔で答える。


「そうだけどそうじゃねえんだよ。まあ覚えてないならいいわ」

「どこかで会ったの?」

「いいっつってんだろ。首傾げんな、可愛いとでも思ってんのかオカマが」

「誰がオカマだ」


 あまりの暴言に、周囲を五人ほどに囲まれているのも忘れて低い声で言い返していた。すぐにしまったと思ったけど、周囲の少年は気にした様子も無く、むしろ宇喜多という少年も含めて僕の様子を面白そうに眺めている風に見える。

 もしかしたら僕に用があるのはこの宇喜多という人だけで、他の人は興味も無いのにつき合わされているのだろうか。だとしたら案外あっさりと逃げられるかもしれない。


「細かいこた良いから、俺と戦え」

「……明日試合でしょ?」

「ここでやれっつってんだよ。頭に血が回ってないのかてめえは」


 なるべく冷静に返答しようとしていたのだけど、それに対する相手の態度が悪すぎて湯沸かし器のように一瞬で頭に血が上りそうになる。ボクシングをやっている人の中には、口も素行も悪い人が当然のように居るのだけど、ここまで自然に暴言を吐く人は僕の周囲には居なかった。


「路上でやるわけにもいかないよ。ばれたらどうするの?」

「……いいからやれっつってんだよ!!」


 出来るだけ冷静に、そう心がけていたのが逆に気に障ったのか、宇喜多はいきなり踏み込んでくると僕の顔目がけて右フックを繰り出してくる。


「ラアァッ!」

「ッ!?」


 それ自体は鋭くはあっても避けられないほどではなかった。だけど後ろに下がった僕に続けて放たれたのは、まったく躊躇った様子の無い右の回し蹴り。予想外のそれを僕はのけぞるようにして避けると、そのまま態勢を崩して仰向けにコンクリートの地面に叩きつけられた。

 そして宇喜多は倒れている僕に近付いてくると、サッカーボールを蹴るように足を振りかぶる。


「わあ!?」


 何をされるのか察した僕は、転がるようにして宇喜多の蹴りを避けると、壁に手をついて慌てて起き上がった。その様子が滑稽だったのか、宇喜多を含む少年達は嘲るように笑っている。

 それを見て、僕はようやく状況を飲み込み、頭の中を切り替える事がで来た。


「あーなるほどね。試合じゃ無くて喧嘩がしたい、躾のなってない馬鹿だったわけか」

「今更気付くてめえが馬鹿だろ。大丈夫か? 女子の背中に隠れなくて」

「は? それって……」


 もしかしてマコトの事を言っているのかと思って聞き返そうとすると、そこを狙ってきたように宇喜多が再び殴りかかってくる。

 先ほどとまでとは違い、それはボクシングのルールに乗っ取ったパンチのみ。しかしそれは本気でやっているとは思えないほどキレが無く、簡単に避けられるので不審に思っていると、不意に宇喜多が不自然に右足を引く。


「ゼアッ!」

「なるほど!」


 本命であろうローキックを、僕は前に出ていた左足を浮かせて受ける。そして左足を着地させるなり、蹴りに意識がいってがら空きの宇喜多の顔目がけて、ジャブを放った。


「嘗めんなッ!?」

「ガッ!?」


 続いて右を叩き込もうとした所で、宇喜多は顔に一撃もらったというのに怯む様子も見せずに、相打ちのように僕の顔面に右フックをたたきつけた。振り回すように放たれたそれはフックとも言えない雑なものだったけれど、力任せなだけはあり頬に鈍い痛みが残り、口の中には血の味が広がる。


「分かってんのか? 喧嘩だぜ喧嘩。ジャブでポイント稼いでも、レフリーなんざいねえんだよ」

「……そっちこそ、下手糞なキックはやめたら? ボクサーが蹴りに弱いって言っても、素人のそれが当たるわけ無いし」


 強気に言い返したけれど、今もらった一発だけで動くのが億劫になってきた。大体僕は喧嘩なんてボクシングを始めてからはした事が無いし、裸拳で何度も殴れるほど頑丈な拳はしていない。

 もしマコトなら、破壊力のある右で喧嘩でも圧勝してしまうのだろうけど、牽制しながらポイントを稼ぐパンチしか放てない僕では、相手を倒すどころか降参させる事すら難しい。要するに僕は、典型的な喧嘩の弱いボクサーなのだ。


「オイ、石拾って来い。こいつの頭割る」

「いやいやいや!? 何言ってんの宇喜多!?」


 突然の宇喜多の発言に、周囲に居た少年の一人が驚いたように言う。

 そりゃそうだろう。喧嘩だけでもまずいのに、頭割ったりしたら間違いないく傷害罪がつく。元々乗り気でない周囲の少年達が、犯罪に加担するわけが無い。


「いいから持って来いっつってんだよ!」

「へー、良い度胸してるなおまえ」


 聞き覚えのある声が背後から聞こえてきて、僕は痛む左頬を押さえながら振り返った。


「俺の頭も割ってみるか? その前におまえの頭割るけどな」

「しかも素手でな。割れるのに時間かかるだろうけど、男だったら我慢しろ」


 角になっていた場所から出てきたのは、かなり怒り心頭な様子の原田部長とマコト。閻魔も裸足で逃げ出しそうな凶悪な顔に、自分の怒りも忘れて萎縮してしまうほどだ。


「くそが! おまえら何やってんだ!? 邪魔させんじゃねえよ!」

「いや、おまえの喧嘩のために体はれねえって」

「もう逃げようぜ。警察来たらどうすんだよ」


 周りの少年にわめき散らす宇喜多。しかし周囲には余程迷惑だったらしく、既に逃げ腰で僕の包囲網も完全に崩れている。

 気持ちは分かる。今の原田部長とマコトは、冗談抜きでゆっくり人の頭を割りかねない。


「……てかおまえ来島か?」

「え?」


 宇喜多と一緒に居た少年が逃走態勢に入ったところで、マコトが宇喜多を見て眉をしかめながら言った。


「……今は宇喜多だ。そこのカマ野郎のせいでな!」


 僕も聞き覚えのあるその名前に宇喜多はあからさまに顔をゆがめると、吐き捨てるように言い放ちその場から走り去った。

 そして最後の罵倒を聞いて、僕はようやく宇喜多の事を思い出していた。小学生のときに、確かに来島という奴にオカマ呼ばわりされていた事がある。

 そして何より、宇喜多が僕の頭を石で割ってやると言った理由も察しがついた。


「神城くん? 大丈夫?」

「え、あー口の中切ったけど大丈夫」


 いつの間にかそばに居た、カナタさんの心配そうな顔を見ながら、僕は少し躊躇いながら答える。いつもより距離が近いことに驚いたけど、突然左頬につめたい感触がしてさらに驚く。

 よく見てみればカナタさんの左手にはペットボトルに入ったミネラルウォーターが握られており、左頬に触れているのは濡らしたハンカチだったらしい。その手際のよさに思わず感心する。


「……で、何でいきなり頭割られそうになってるんだおまえは?」


 そして未だに機嫌が悪そうな原田部長と、泣きそうなほど心配していたらしいカナタさんの疑問にどう答えたものかと頭を悩ませる。

 つい先ほどまではカナタさんと一緒に楽しく買い物をしていたと言うのに、何故こんなことになるのか。既に逃げてしまった宇喜多に向かって、盛大に文句を言いたくなった。

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