わたしの幸せは、わたしが決める
高校二年生の春、私は進路希望調査の紙を前にして、鉛筆を止めていた。
「大学、どこ受けるの?」
隣の席の美咲が聞いてきた。
「まだ決めてない」
「えー、もうみんな決め始めてるよ。いい大学行って、いい会社入って、結婚して……って感じじゃない?」
美咲は笑いながら言った。
「そうだね」
私は笑って返した。
でも、心の中では思っていた。
――それって、本当に幸せなのかな。
私は昔から、少し変な子だった。
テストでいい点を取ると褒められた。
「いい大学に行けるね」
部活で大会に出ると褒められた。
「将来、きっと成功するよ」
友達が彼氏を作ると、
「いいなあ。私も彼氏ほしい」
という声が聞こえた。
大人たちは、
「勉強を頑張って、いい仕事に就いて、素敵な人と結婚して、幸せになりなさい」
と言った。
みんながそう言うから、きっとそれが幸せなのだと思っていた。
でも、私はどうしても納得できなかった。
勉強することは嫌いじゃない。
でも、いい大学に行くことが、私にとって一番大切なのだろうか。
友達は好き。
でも、たくさんの友達がいることが、私にとって幸せなのだろうか。
恋愛にも興味はある。
でも、誰かと付き合うことそのものが、私の幸せなのだろうか。
そんなことを考えているうちに、私はいつも少し遅れてしまった。
周りが走り出すときに、立ち止まってしまうのだ。
***
ある日の帰り道、私は公園のベンチに座った。
桜が散り始めていた。
スマートフォンを見ると、友達のSNSには楽しそうな写真がたくさん並んでいる。
海外旅行。
新しい彼氏。
おしゃれなカフェ。
合格通知。
誕生日パーティー。
私は画面を閉じた。
別に、羨ましくない。
……たぶん。
でも、少しだけ不安だった。
「私だけ、何か違うんじゃないかな」
そのとき、公園の掃除をしていたおばあさんが、私の隣のベンチに腰を下ろした。
「どうしたの。難しい顔して」
「……幸せって、何だと思いますか?」
自分でも驚くくらい、自然に口から出た。
おばあさんは少し考えてから言った。
「さあねえ」
「分からないんですか?」
「分からないよ。人によって違うもの」
おばあさんは笑った。
「私が幸せなのは、朝起きて、お茶を飲んで、庭の花を見ること。でも、あなたがそれを毎日やったって、幸せじゃないかもしれないでしょう?」
私は黙って頷いた。
「だからね、自分で探すしかないのよ」
「でも、どうやって?」
「簡単よ」
おばあさんは桜の木を見上げた。
「嫌だったことを覚えておくの」
「嫌だったこと?」
「そう。何をしているときに苦しかったか。どんな場所にいるときに、自分じゃなくなったか。逆に、どんなときに『なんか好きだな』と思ったか」
風が吹いて、桜の花びらが舞った。
「幸せって、『これです』って誰かから渡されるものじゃないのよ」
おばあさんはそう言った。
「自分で、少しずつ見つけていくものなの」
***
その日から、私は小さなノートを作った。
表紙に、
『私の幸せ』
と書いた。
そして毎日、一行だけ書いた。
「朝、誰にも急かされずに歩いた。気持ちよかった」
「大人数で話す授業は疲れた」
「弟とくだらない話をして笑った」
「一人で本を読む時間が好きだった」
「友達と帰り道にアイスを食べた」
「テストで一番を取ったけど、思ったほど嬉しくなかった」
「海を見た。ずっとここにいたいと思った」
最初は、ただの日記だった。
でも、何ヶ月も続けていると、少しずつ自分の形が見えてきた。
私は、大勢の人の中で目立つことより、気の合う人とゆっくり話すほうが好きだった。
競争することより、昨日の自分より少しできるようになることが嬉しかった。
高価なものを買うことより、好きな場所へ旅行することが好きだった。
忙しすぎる毎日より、家でゆっくり過ごす時間が好きだった。
そして何より、
「自分で選んだ」
と思えることが好きだった。
***
高校を卒業する頃、私は進路を決めた。
それは、クラスで人気の進路でもなかった。
先生から、
「本当にそれでいいの?」
と何度も聞かれた。
私は少し考えてから答えた。
「はい」
初めて、迷わずに言えた。
「私がいいと思うので」
大学に入ってからも、私は迷った。
友達ができれば嬉しかった。
できなければ寂しかった。
自分の選択に自信がなくなることもあった。
SNSを見て、
「私の人生、これでいいのかな」
と思う日もあった。
でも、そのたびに私はノートを開いた。
そこには、十代の私が書いた言葉が残っていた。
『大勢の人が幸せだと言っているものが、自分にも幸せとは限らない』
『嫌だったことを無視しない』
『小さな「好き」を大切にする』
そして最後のページには、こう書いてあった。
『自分の人生を、自分で決める』
私はノートを閉じた。
窓の外には夕焼けが広がっていた。
きれいだった。
でも、きっと誰かに、
「夕焼けを見て幸せだと思える人になりなさい」
と言われていたら、私は何も感じなかっただろう。
自分で見つけたから、嬉しいのだ。
私は立ち上がった。
明日は何をしよう。
どこへ行こう。
誰と話そう。
何を好きになろう。
まだ分からない。
でも、それでいい。
人生は、最初から答えを知っている必要なんてない。
誰かが描いた「幸せ」の中に、自分を押し込めなくてもいい。
自分が笑った日。
自分が泣いた日。
「これは嫌だ」と気づいた日。
「これ、好きかもしれない」と思った日。
その全部を拾い集めながら、
少しずつ、
自分だけの幸せの形を作っていけばいい。
私はそうやって、
私の人生を生きていく。




