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処刑された悪女だけが、国を救っていた――姉を処刑して七日後、王都のパンは青く腐った

作者: 紫乃芽零
掲載日:2026/08/12

姉を処刑して七日目、王都のパンが青く腐った。


 それは、私の即位を祝う食料配給の最中だった。


 私の名はレオニス・ヴァルディア。七日前に実の姉へ毒杯を渡し、ヴァルディア王国の新たな国王となった男である。


 王都中央広場には、夜明け前から長い列ができていた。姉が封鎖していた西大倉を解放し、蓄えられていた小麦を民へ返す。それが、国王となった私の最初の仕事だった。


「新国王陛下、万歳!」

「穀物を焼いた悪女は、もういない!」


 歓声を受けながら、私は焼きたてのパンを一つ手に取った。


 姉の摂政政治が始まってから、王都では一日二度の食事さえ贅沢になっていた。姉は西部で収穫された小麦の三分の一を焼かせ、残った穀物を倉庫へ封じ、配給量を厳しく制限した。


 自分は王城で何不自由なく暮らしながら、民には黒く固い豆のパンを食べさせた。


 そう信じていた。


 白いパンを半分に割ると、内側に細い青色の筋が走っていた。


 最初は、祝いのために何かを練り込んだのかと思った。だが青い筋は瞬く間に枝分かれし、柔らかな生地の中へ根のように広がっていく。


 甘い花に似た匂いがした。


 列の先頭にいた少年が、すでにパンへかじりついていた。


「吐き出せ!」


 叫んだが、遅かった。


 少年は喉を押さえ、膝から崩れ落ちた。唇が青く変わり、細い体が石畳の上で激しく痙攣する。


 周囲でも悲鳴が上がった。パンを口にした者たちが、次々と倒れ始めていた。


「陛下、お下がりください!」


 近衛兵が私を囲む。祭壇の脇にいた侍医が少年の口元を確認し、顔色を変えた。


「青灰病です」


 聞き覚えのない病名だった。


 けれど、その言葉を聞いた瞬間、七日前の姉の声が鮮明によみがえった。



     ◇



 第一王女アウレリア・ヴァルディア。


 私より七歳年上の姉は、三年前に父王が亡くなってから、ヴァルディア王国の摂政を務めていた。


 この国では、女は王位を継げない。本来なら父の死と同時に、第一王子である私が即位するはずだった。しかし当時の私は十八歳で、王国は西部の凶作と北方の国境紛争を同時に抱えていた。


 父の遺言により、私が二十一歳になるまで、姉が国政を預かることになった。


 最初の一年、私は姉の判断へ従った。


 その翌年から、姉は変わった。


 西部の穀物を大量に焼き、三つの港を封鎖し、村々の移動を禁じた。穀物を隠していた商人を拘束し、命令へ逆らった二人の領主を処刑した。


 食事の配給は日に一度まで減らされ、貴族の宴も、教会の祝祭も中止された。


 姉は理由を、まともに説明しなかった。


「今は必要な措置です」

「いつまで続けるつもりだ」

「必要がなくなるまで」


 何を尋ねても、それ以上は答えなかった。


 二十一歳になった私が摂政の権限を返すよう求めても、今の私には国を任せられないと拒んだ。


 人々は姉を〈灰冠の悪女〉と呼んだ。


 畑を焼き、倉を閉ざし、民の口からパンを奪う冷酷な王女。


 一方の私は、姉へ反対するたびに歓迎された。配給所を視察すれば、人々は私の手を握って泣いた。市場へ出れば、「王子殿下が国王になれば、以前の暮らしが戻る」と訴えられた。


 私は、自分こそ民を見ているのだと思った。


 姉は数字と帳簿しか見ていない。自分だけが、目の前で飢える人々の声を聞いているのだと。


 宰相ハインリヒ・ベルガー公爵も、私の考えを支持した。


「アウレリア殿下は、危機を口実に王権を手放すおつもりがないのでしょう」


 ベルガー公爵は父の代から国政を支えてきた重臣であり、幼い私へ政治を教えた人物でもあった。


「西部の収穫は例年より少ないとはいえ、王国全体を飢えさせるほどではありません。殿下は穀物を焼き、民を不安にさせることで、摂政政治の継続を正当化しているのです」

「姉上は、本当に王位を狙っていると思うか」

「女王となれないからこそ、摂政であり続けるしかないのです」


 公爵が集めた証拠は、姉へ不利なものばかりだった。


 外国へ多額の金を送った記録。王家の軍を首都から遠ざけた命令書。西大倉を満杯にしながら、民への配給を減らした帳簿。


 姉が処刑した領主たちは、いずれもベルガー公爵へ近い人物だった。


 私は反摂政派の貴族たちと手を組み、王都の門を開いた。


 王城へ押し寄せた民衆と兵士を前にしても、姉は抵抗しなかった。姉の命令を受けていたはずの北部軍も、西方騎士団も、王都へ戻ってこなかった。


 私はそれを、姉が臣下の信頼まで失った証だと思った。


 裁判では、姉が国庫を私物化し、王国へ意図的に飢餓をもたらし、外国と通じて王位を奪おうとしたと認定された。


 姉は、すべての罪を否定した。


 ただし、なぜ穀物を焼いたのかという問いには、最後まで明確に答えなかった。


「証拠は提出しました」

「どこにある」

「あなたへ七度、お送りしました」

「私は受け取っていない」

「お受け取りにならなかったのです」


 その言葉に、私は腹を立てた。


 姉から届いた分厚い報告書を、何度か返送した覚えはあった。どれも摂政政治を正当化するための数字と、専門家にしか理解できない記録ばかりだと思っていた。


「最後まで、私を愚かな弟として扱うつもりか」

「愚かだとは申し上げておりません」

「では、何だ」


 姉はしばらく黙ったあと、静かに答えた。


「あなたは、民に愛されることと、民を守ることの違いを、まだご存じない」


 その一言で、私は姉を許さないと決めた。


 処刑の日、中央広場には数万人の民が集まった。


 王族への処刑は、刃ではなく毒杯によって行われる。姉は黒い喪服をまとい、白銀の杯が置かれた壇上へ一人で上がった。


「穀物殺し!」

「飢えた子供たちへ詫びろ!」


 広場のあちこちから罵声が飛んでも、姉は誰にも頭を下げなかった。


 執行官が最後の言葉を尋ねると、姉は群衆ではなく、貴賓席にいた私を見た。


「レオニス」


 王子殿下とも、次期国王とも呼ばず、幼い頃と同じように名を呼んだ。


「最初の青いパンを見たら、西大倉を開けてはなりません」

「処刑される今になって、まだ穀物を独占するつもりか」

「王城の鐘を三度鳴らし、南門を開けなさい。灰衣隊へ、すべてを任せて」

「最後まで国を脅すのか」


 姉は、小さく息を吐いた。


「七日もあれば、あなたは西大倉を開けるでしょうね」


 そこで、姉は初めて悲しそうに笑った。


「どうか一度だけでよいから、私に勝つことより、国を生かすことを選んでください」


 姉は白銀の杯を取り、毒を飲み干した。


 やがて壇上へ倒れた姉の脈を王室侍医が確かめ、死亡を告げる。黒い棺へ納められた姉が広場から運び出されると、群衆は歓声を上げた。


 その翌朝、私は西大倉の封印を解いた。



     ◇



「王城へ戻る」


 私は青いパンを地面へ落とした。


「ただちに広場の配給を止めろ。パンも小麦も、一つ残らず回収するんだ」

「陛下!」


 ベルガー公爵が人垣をかき分けて現れた。


「一つのパンが変色しただけです。アウレリア派の残党が毒を混ぜた可能性もございます」

「すでに何十人も倒れている」

「だからこそ、民を混乱させてはなりません。姉君の最後の言葉へ惑わされれば、悪女の呪いに屈したと見られます」


 侍医が青い筋の入ったパンを布へ包んだ。


「これは呪いではありません。古い医学書で読んだことがあります。青灰黴に侵された穀物を焼くと、内部に青い根が浮かぶ。粉を吸った者は肺を、口にした者は血と神経を侵されます」

「治療法は?」

「確実なものはございません。しかし初期であれば、嘔吐させ、水と塩を与え、体温を下げることで助かる可能性があります」


 広場の鐘楼を見上げた。


 姉の声が耳の奥に残っている。


 王城の鐘を三度鳴らしなさい。


「陛下、何をなさるおつもりです」


 ベルガー公爵が私の腕をつかもうとした。


「姉の命令に従う」

「アウレリア殿下は、すでに罪人として処刑されたのです!」

「その罪人だけが、この病を知っていた」


 私は近衛隊長へ命じ、王城の大鐘を三度鳴らさせた。


 一度目の鐘で、王都中の人々が空を見上げた。


 二度目で、城門を守る兵士たちが持ち場を離れた。


 三度目の余韻が消えるより早く、灰色の外套をまとった者たちが街のあちこちから現れた。


 姉が作った〈灰衣隊〉だった。


 民家へ踏み込み、穀物を奪い、逆らう者を連れ去る秘密警察。人々は彼らを、姉の手先として恐れていた。


 私が王城を制圧した日、灰衣隊は姿を消した。ベルガー公爵は、悪女の兵士たちが国外へ逃亡したのだろうと説明していた。


 彼らは逃げていなかった。


 粉ひき場の地下、閉鎖された診療所、城壁の見張り小屋に身を潜め、鐘が鳴るのを待っていたのだ。


 隊長らしき女が、広場へ馬を乗り入れた。


 短く切った黒髪に、左頬を横切る傷がある。彼女は私の前で馬から下りたが、膝はつかなかった。


「灰衣隊長ユディト・グレンです」

「姉上の命令を受けているのか」

「アウレリア殿下の非常令に従い、待機しておりました」

「七日前から?」

「三か月前からです」


 ユディトは、広場に積まれた小麦袋を見た。


「西大倉を開けましたね」

「ああ」

「そうでしょうね」


 責める口調ではなかった。


 そのことが、かえって胸に刺さった。


「姉は、私が開けると分かっていた」

「殿下は、人々へ白いパンを返すと繰り返しおっしゃっていましたから」

「今は国王だ」

「では、陛下」


 ユディトは初めて私を正面から見た。


「鐘を鳴らすのが、七日遅うございました」


 言い返せなかった。


「何をすればいい」

「西大倉と、そこから穀物を運び出したすべての倉庫を焼きます。粉ひき場を閉鎖し、井戸と市場を区画ごとに封鎖します。症状のない者は南門から出し、石灰採掘場へ避難させます」

「西大倉には、王都一月分の小麦がある」

「すべて青灰黴に侵されています」

「焼けば、本当に食料がなくなる」

「残せば、食べた者が死にます」


 ベルガー公爵が割って入った。


「陛下、正体も知れぬ者の話を信じてはなりません! 灰衣隊は、王女の命令で民へ暴力を振るった者たちです」


 ユディトは公爵を見た。


「ベルガー家が管理する倉庫も封鎖します」

「何だと?」

「西大倉の小麦を買い付け、各地へ運んだ記録があります。穀物だけでなく、帳簿も押収いたします」

「陛下、この女を捕らえてください!」


 私は、地面で痙攣する少年を見た。


 その母親が、少年の名を呼びながら泣いている。


 姉の言葉へ従わなかったのは、私だ。


 そのうえ、また自分が信じたい言葉だけを選ぶのか。


「灰衣隊へ王都の封鎖権限を与える」


 ベルガー公爵の顔が強張った。


「陛下!」

「西大倉を焼け」


 歓声のために開いた倉を、自分の命令で焼くことになった。



     ◇



 西大倉が燃えると、王都の空は夕方まで灰色に曇った。


 民衆は、再び食料を奪うのかと怒った。石を投げる者も、城門を突破しようとする者もいた。


 私は近衛兵の後ろへ隠れなかった。


 南門の前に立ち、姉が残した非常令を、自分の口で読み上げた。


「青い筋のあるパン、小麦、粉には触れるな。甘い匂いがする穀物は、袋ごと道へ置いてほしい。灰衣隊が回収する。症状のない者から、南門を通って避難してくれ」

「また王家を信じろというのか!」


 群衆の中から、男が叫んだ。


「昨日まで、あの小麦は安全だと言っていたじゃないか!」


 返す言葉は一つしかなかった。


「私が間違えた」


 広場が静まり返った。


「姉は危険だと警告していた。それを信じず、西大倉を開けたのは私だ。皆を救うと約束して王になり、その最初の命令で、多くの人を危険へさらした」


 王が民衆の前で過ちを認めれば、権威を失う。


 ベルガー公爵から、何度もそう教えられてきた。


 しかし私の権威を守るために、これ以上、誰かへ嘘をつく気にはなれなかった。


「私を許せとは言わない。今は、灰衣隊の指示に従ってほしい。責任は、王都が生き延びたあとで取る」


 群衆は、すぐには動かなかった。


 やがて、青い唇をした息子を抱える母親が、南門へ向かって歩き出した。


 次に老夫婦が続き、一人ずつ、少しずつ、人の流れが生まれた。


 避難が始まると、私はユディトに連れられ、姉が使っていた執務室へ向かった。


 政変のあと、姉の部屋は封印したままだった。裏切りや外国との内通を示す書類が残っている可能性があるとして、ベルガー公爵が誰も入れないよう命じていたからだ。


「公爵ではなく、姉上が封じたのではないのか」

「公爵閣下が封印へ掛け替えました」


 ユディトは、扉に押された蝋を短剣で剥がした。


 室内には、姉が連行された日のまま、書類と地図が残っていた。


 机の上に七つの書類箱が積まれ、どの箱にも私の名が書かれている。


 最初の箱を開くと、封の切られていない報告書が入っていた。私が受け取りを拒み、そのまま姉へ返送したものだった。


 表紙には、姉の筆跡で題名が記されていた。


『西部穀倉地帯における青灰黴の発生と、王都への流入予測』


 二つ目の箱には、青灰病にかかった家畜の記録。


 三つ目には、感染した小麦を焼いた実験結果。


 四つ目には、病人の症状と、死亡までの日数。


 五つ目には、封鎖しなければ三か月以内に王都人口の半分が死ぬという試算が入っていた。


 六つ目には、港を閉ざす前に南方諸国から安全な種麦を買い付ける契約書。


 最後の箱には、青灰病の存在を公表する順序について、姉が重臣たちへ送った指示が残されていた。


 汚染穀物の封鎖を終える前に危険を知らせれば、損失を恐れた商人が在庫を各地へ移してしまう。隣国が先に港を閉ざせば、安全な麦も薬も届かない。


 姉が理由を伏せたのは、自分の権力を守るためではなかった。


 真実が広まる順番まで、制御しなければ国を救えなかったからだ。


 裁判へ提出された感染記録は、証拠品を管理していたベルガー公爵によって、「摂政が作らせた虚偽の数字」として審理から外されていた。


 私は、一枚目からまともに読んだことがなかった。


「姉上は、説明していた」

「七度です」


 ユディトの声には、怒りも軽蔑もなかった。


「最後の二通は、直接お会いして説明したいと申し入れました」

「私は断った」

「ベルガー公爵から、摂政殿下が陛下を軟禁するつもりだと進言されていたそうですね」


 覚えていた。


 姉が会いたがっていると聞き、私は罠だと考えた。


 机の引き出しには、王国全土の地図が入っていた。


 赤い印は、穀物を焼いた場所。黒い印は、青灰病による死者が出た村。緑の印は、汚染されていない倉庫と、避難所として使える石灰採掘場だった。


 南部の古い塩坑に、大きな緑色の円が描かれている。


「これは何だ」

「冬越し蔵です」


 ユディトが答えた。


「アウレリア殿下は、南部三州で収穫された安全な麦と豆を、塩坑の地下へ移していました。王国全体で四十日分ございます」

「それだけの穀物を、どこから」

「貴族の宴を禁じ、王家の宝飾品を売り、港の使用料を前借りしました」


 外国への送金記録も、別の帳簿に残されていた。


 姉が他国へ国費を流した証拠として、裁判で示されたものだ。


 実際には、南方の海洋国から安全な穀物と翌年用の種を買い付けるための代金だった。


「船は来るのか」

「十二日後に、南港へ到着します」

「港は閉じられている」

「青い旗を三つ掲げれば、その船団だけを入港させる約定です」


 姉は、私が毒杯を渡すより前に、必要なものをほとんど準備していた。


「なぜ、ここまでしていながら、抵抗しなかった」


 私が王都の門を開いた日、姉には軍があった。


 灰衣隊もいた。北部軍を呼び戻せば、反摂政派の貴族を抑え込むこともできたはずだ。


 ユディトは、地図の北部へ指を置いた。


「北部軍は、塩坑から王都へ続く輸送路を守っています。西方騎士団は、汚染された穀物が他国へ流れないよう国境を封鎖しております」

「姉上が、王都へ戻すことを禁じたのか」

「はい」

「私が兵を集めていると知っても?」

「内戦を起こせば、輸送路も封鎖も崩れます」


 ユディトは、しばらく言葉を選んだ。


「アウレリア殿下は、王都で勝つことより、非常令が最後まで機能することを選ばれました」


 私は机へ手をついた。


「私に殺されると、分かっていたのか」

「処刑か幽閉かまでは分からないとおっしゃっていました。ただ、陛下が王になったあと、青いパンを見れば、自分の言葉を思い出すだろうと」

「それで鐘を三度鳴らせと」

「灰衣隊を再起動する合図です」


 姉は国だけでなく、姉を殺した私が国を救い直せる道まで残していた。


 そこまで考えながら、私は姉の話を一度も聞かなかった。



     ◇



 ベルガー公爵が王都から逃げようとしているという報告が届いたのは、その夜だった。


 南門で、公爵家の馬車が十二台止められた。


 荷台に積まれていたのは、宝石でも衣装でもなかった。


 冬越し蔵から運び出された、安全な小麦だった。


「冬越し蔵の穀物を、どうして公爵が持っている」


 私は南門の検問所で、公爵と向き合った。


 ベルガー公爵は正装ではなく、旅装を身につけていた。家族と近しい家臣だけを連れ、民衆が避難する列とは別の道から王都を出ようとしていた。


「陛下の御身を守るため、毒のない食料を確保しただけです」

「私を置いて逃げようとしていたのにか」

「王家の血を絶やさないためでございます」


 ユディトが、公爵家の馬車から押収した帳簿を差し出した。


 ベルガー家は半年前、西部の穀物を例年の三分の一の価格で大量に買い付けていた。


 売り手は国境の向こうにある交易商会。契約書には、青灰黴が発生した可能性があるため、食用には適さないという注意書きが添えられていた。


「知らなかったとは言わせない」


 私は帳簿を公爵の足元へ投げた。


「この穀物を国内の商人へ売り、姉上が焼却を命じると、摂政が民の食料を奪ったと騒ぎ立てた」

「危険性は、誇張だと思ったのです」

「国民の命を賭けて確かめたのか」

「アウレリア殿下は、何事も大げさに扱われた。村一つで病人が出れば州を閉鎖し、袋一つに黴があれば倉全体を焼こうとなさった」

「その判断が正しかった」

「結果を見た今なら、誰にでも言えます!」


 公爵は初めて声を荒らげた。


「私は、この国の経済を守ろうとしたのです。穀物をすべて焼けば、商人も領主も破産する。民も飢える。王女殿下のやり方では、病で死なずとも国が死んでいた!」

「だから姉上を殺させたのか」

「私は、陛下へ真実をお見せしただけです」


 その言葉に、反論できなかった。


 姉へ毒杯を渡したのは公爵ではない。


 最後に処刑を認めたのは、私だ。


 ベルガー公爵は、その沈黙を勝利と受け取ったらしい。


「陛下も、ご理解いただけるはずです。私は長年、あなたを支えてまいりました。今ここで私を処罰すれば、反摂政派の貴族すべてを敵に回すことになります」

「お前は姉上の罪を作った」

「人々が信じたのです」

「私が信じた」


 私は公爵の言葉を遮った。


「その責任を、お前だけへ押しつけるつもりはない」


 公爵の顔に、安堵が浮かんだ。


「だが、それはお前を許すという意味ではない」


 灰衣隊へ命じ、公爵家が保有する穀物倉をすべて封鎖させた。汚染された穀物は焼き、安全な穀物は避難民へ配給する。


 ベルガー公爵の財産と領地は凍結し、家族とともに王立法院へ引き渡すよう命じた。


「私の財産を奪うのか!」

「姉上が焼いた穀物を、自分の財産だと言っていたな」


 南の空が、燃える西大倉の炎で赤く染まっている。


「では、自分の倉が燃えるところも、最後まで見ていけ」


 近衛兵が公爵の腕を取った、そのときだった。


 南の街道から、低い車輪の音が近づいてきた。


 一台、二台ではない。地平線の向こうまで続く荷馬車の列が、安全を示す緑の旗を掲げて進んでくる。


「冬越し蔵からの輸送隊です」


 ユディトが告げた。


 列の先頭にある黒い馬車が、南門の前で止まった。


 灰色の外套をまとった女が、侍女の手を借りて馬車から降りる。顔色は病人のように白く、足取りもまだ確かではなかった。


 それでも、細い背中も、黒い髪も、見間違えるはずがなかった。


 毒杯を飲み、七日前に棺へ納められた姉が、そこにいた。


「……姉上」


 声にした途端、足から力が抜けそうになった。


 アウレリアは私を見た。怒っているようにも、喜んでいるようにも見えない、いつもの静かな目だった。


「七つの箱は、全部開けた?」

「ああ」

「最後まで読んだのね」

「……ああ」


 姉は、そこでようやく小さく息を吐いた。


「なら、今度は国王として話ができるわ」


 拘束されたベルガー公爵が、信じられないものを見るように姉を見た。


「なぜ……処刑されたはずでは……」

「あなたが私を殺そうとすることくらい、半年前から分かっていました」


 アウレリアは侍女から一束の書類を受け取り、ユディトへ渡した。


「青灰黴の穀物を買った契約書、感染記録を裁判から外すよう命じた書面、私の報告書をレオニスへ届けなかった使者への支払い。すべて、あなたの署名つきよ」

「偽造だ!」

「それに、冬越し蔵の場所は極秘だった」


 姉は、公爵家の馬車へ積まれた麦袋を見た。


「私の報告書を読んでいない者が、なぜ安全な穀物の隠し場所を知っていたのかしら」


 公爵の顔から、血の気が消えた。


「陛下、この女は処刑された罪人です!」


 私は、姉ではなく公爵を見た。


「罪人だったのは、姉上ではない」


 喉が焼けるように痛んだ。それでも、言葉を止めなかった。


「姉上を信じず、あなたの言葉を選んだ私だ。だが王として、今度は証拠を選ぶ」


 ベルガー公爵は連行されていった。


 姉はその姿を最後まで見届けたが、勝ち誇ることも、嘲笑うこともしなかった。


 ただ、輸送隊の荷札を確認し、王都へ運ぶ順番をユディトへ指示した。


 国がまだ危機の中にあることを、誰より分かっていたからだ。



     ◇



「どうして、生きている」


 南門の詰所で二人きりになると、私は最初にそう尋ねた。


 姉は椅子へ腰を下ろし、侍女から水を受け取った。毒杯を飲んだ影響は、まだ体に残っているらしい。


「王族の処刑は毒杯でしょう。王室侍医に薬を替えさせ、脈と呼吸を弱める眠り薬を飲んだ。棺へ入ったあと、ユディトたちに運び出してもらった。それだけよ」

「それだけで済ませる話か」

「細部を聞きたいなら、侍医の記録を読みなさい。今度は最後まで」


 以前と変わらない返し方に、胸の奥が詰まった。


「なぜ、私に知らせなかった」

「知らせれば、あなたは私を助けたかしら」


 答えられなかった。


 姉は水を一口飲み、続けた。


「もし助けたとしても、ベルガー公爵に知られれば、私を支持する北部軍と、あなたを支持する反摂政派が衝突する。内戦になれば、冬越し蔵も、輸送路も、国境封鎖も失うわ」

「だから、死んだことにしたのか」

「政治の盤上から、一度消える必要があったの」


 私は姉の手を見た。


 細い指はわずかに震えていた。生き延びることも、簡単ではなかったのだ。


「姉上、私は――」

「謝罪は後にしなさい」


 姉は私の言葉を遮った。


「王都へ送る麦が足りない。診療所には石灰と清潔な水が必要。南港の船団が来るまで、十二日あるわ」

「分かった」

「それから、勘違いしないで」


 アウレリアは、まっすぐに私を見た。


「私が生きていることと、あなたが私を殺したことは、別の話よ」


 胸を貫かれたような気がした。


「分かっている」

「本当に?」

「分からなければ、分かるまで向き合う」


 姉はしばらく私を見たあと、机に広げられた王都の地図へ視線を移した。


「では、最初の仕事よ。避難地の水量を計算して」

「私が?」

「国王になったのでしょう。働いて」


 それから十二日間、私たちは同じ地図を見た。


 姉が指示を出し、私が王命として実行するのではない。私は報告を読み、分からない数字を尋ね、自分で決定した。


 姉は私の判断が甘ければ、遠慮なく却下した。私も理由を聞かずに従うのではなく、理解できるまで問い直した。


 最初にパンを食べて倒れた少年を含め、王都の配給で青灰黴に触れた三十八人は、灰衣隊が用意していた手順によって一命を取り留めた。


 十二日目の朝、南の丘へ上ると、海の向こうに青い帆が見えた。


 一隻、二隻ではない。やがて水平線いっぱいに、安全な麦と翌年用の種、薬草と石灰を積んだ船団が現れた。


 姉が外国へ売ったとされた金は、王国を生かすための船となって戻ってきた。



     ◇



 アウレリアの裁判は、最初からやり直された。


 外国への送金は安全な穀物を買うためのものだった。軍を王都から遠ざけたのは、避難路と輸送路を守るため。西大倉を閉ざしたのは、穀物が青灰黴に侵されていると知っていたからだった。


 処刑された領主たちは、汚染を隠して穀物を販売し、封鎖を破って病を広げようとしていた。


 姉へ着せられた反逆と国庫横領の罪は、すべて取り消された。


 ベルガー公爵は、青灰黴の危険を知りながら穀物を流通させ、感染記録を隠し、虚偽の証拠によって摂政を失脚させた罪で爵位を剥奪された。


 死刑を求める声も多かった。


 けれど姉は、その声を静かに退けた。


「私は、そんなに慈悲深くはありません」


 ベルガーには終身刑が言い渡された。青灰病の被害記録と補償台帳を整理し、毎日、死者の名と年齢、残された家族の数を書き写す。


 自分が利益のために売った穀物で、誰の人生を奪ったのか。死ぬまで、一人ずつ数え続けるために。


 灰衣隊は秘密警察ではなく、疫病と飢饉へ備える常設の救難隊として再編された。


 姉は摂政へ戻らなかった。


「二度と、王冠の代わりに責任だけをかぶるつもりはないわ」


 代わりに、王から独立して災害と備蓄を監督する〈国家危機院〉が設けられ、アウレリアは初代総裁となった。


 その権限には、国王の命令へ異議を申し立て、議会へ直接報告する権利も含まれている。


 私が反対しなかったことを、姉は少し意外そうに見た。


「姉上が私へ遠慮するとは思えない」

「当然でしょう」

「ならば、制度にしておいたほうが国のためだ」


 女性が王位を継げない法律についても、議会で改正の審議が始まった。


 姉は王城へ戻らず、王都郊外にある小さな離宮を選んだ。政務のない日は庭を歩き、自分の食べたい時間に食事を取っているという。


 私が訪ねても、会いたくない日には断られる。


 姉が生きているからといって、私の罪が消えたわけではない。


 それでも、拒絶されることさえ、姉が自分の人生を取り戻した証なのだと思えるようになった。



     ◇



 青灰病の収束から一年後、王都中央広場に新しい鐘が設置された。


 毎年、最初の青いパンが見つかった日の正午に、鐘は三度鳴らされる。


 一度目は、青灰病で失われた者たちのため。


 二度目は、真実を伝えようとして、信じてもらえなかった者たちのため。


 三度目は、自分が信じたい物語だけを選ばないよう、今を生きる私たちへ警告するためだ。


 最初の鐘の日、私は執務室で七つの報告書を読み返していた。


「陛下、次の会議に遅れます」


 声に振り返ると、灰色の外套をまとったアウレリアが、さらに分厚い書類を抱えて立っていた。


「今日は、国境備蓄の見直しだったな」

「ええ。今度は途中で閉じないでくださいね」

「分からなければ、分かるまで説明してくれ」


 姉は少しだけ目を細めた。


「ようやく、王らしいことを言えるようになったわね」


 褒められたのかは分からない。


 それでも今度は、姉の言葉を最後まで聞こうと思った。


 処刑された悪女だけが、国を救っていた。


 けれど、もう彼女一人に国を救わせるつもりはない。

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― 新着の感想 ―
名作でした。
少年王って佞臣に騙されがちですよね。でも騙されたにせよ殺されかけた姉にはこの位の距離が必要なのかも。
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