七.側妃・ファリダ
その日の昼下がり、澄蘭は側妃のひとり、武人階級出身のファリダの宮に、茶会に呼ばれていた。
後宮の南西に位置する彼女の宮は、「舞灯宮」と命名されている。澄蘭の流星宮と、造りや調度は同じであるものの、華やかな主の趣味なのか、随所に色鮮やかな小物が置かれていた。決して下品にはならない、絶妙な配置を極めた宮内の雰囲気に、澄蘭は少々圧倒される。
澄蘭が伴ってきたのは、サリシャという女官だ。姷明や桃児たちは、他宮の新人女官たちと共に、宮中の細かな規則や行事についての講義を受けに出掛けている。
澄蘭を出迎えたファリダは、澄蘭の背後に佇むサリシャに気付き、「久しぶりね」と声を弾ませた。サリシャも嬉しそうに頭を下げる。
シャグンの後宮は、厳密な定員制度によって運営されている。一人の王后、最大五人の側妃。王后付き女官は二十名、側妃付きは各十名。
なお、側妃の座のうち異国人の枠は、シャグン国内階級の出身者と違い、常に埋まっている訳ではない。そのため、この度の澄蘭の降嫁に伴って、女官が新規に採用され、各宮で古参と新人の均衡が取れるよう、配属が入れ替えられたそうだ。流星宮では、七人のシャグン人女官のうち、オミアとサリシャ、あともう一人が他宮からの配置転換組だ。
(ちなみに、私がもし祖国に返されてしまったら、シャグンの女官も後宮にはいられなくなるのよね……)
実際には即、解雇を意味するのではない。優秀な者は王の暮らす宮での召し抱えになるなど、栄転もあるのだが、用心するに越したことはなかった。
澄蘭が物思いに耽っていると、不意にファリダが間近で澄蘭の顔を覗き込んできた。
「公主様のつけてらっしゃる香は、何というの? 良い香りね」
澄蘭は息を飲み、ファリダに向き直る。何かを考え出すと次々思考が流れていくのは、自分の悪い癖た。
澄蘭は気を引き締めて、二つ年上の愛らしい側妃に微笑みかけた。
「ありがとうございます。紫檀に、陳皮を加えてみたものです」
「ふうん。礼ではそういう風に使うのね。私が今使ってるのは白檀なんだけど、混ぜて使うのはあんまりないかも」
目を輝かせて言うファリダに、澄蘭は笑顔で応じる。
「祖国では、合香といって、色んな香を混ぜ合わせて使うことが優美とされていました。自分だけの独自の配合を考えたりするのも、楽しくって。……ファリダ様の白檀も、素晴らしい香りですね」
満面の笑みで、ファリダは声を華やがせた。
「嬉しい! 分かる? 父が贈ってくれたものなの。沈香や乳香、薔薇を蒸留した香油なんかもあるの。使い切れないぐらいで、毎日香を変えているわ」
澄蘭は、黙って頷くに留める。ファリダが口にしたのはいずれも高級品で、澄蘭には中々敷居が高いものだった。
ファリダはその後も、礼の貴族女性の服装や装飾品、大勢が参加する宮中行事などについて、楽しげに次から次へと話を振ってきた。皇女ではあったが父の覚えが悪く、扶持にそこまで余裕のなかった澄蘭には縁遠い話題も多く、ついていくのも困難だった。自然、「そのようですね」と曖昧に答えるに留まる。
ファリダは、煮え切らない返事を繰り返す澄蘭を、どこかわざとらしい不思議そうな表情で見つめた。
「……随分、他人事のように言うのね」
「私は、『忘れられた皇女』でしたので。養母のおかげで体面は保てていましたが、煌びやかな場や物には、まるで縁がなかったのです」
ごく当たり前のことのように、気負いなく告げた澄蘭に、ファリダが大仰に目を瞠る。その後、彼女がどこか満足気に笑ったのを見て、澄蘭は内心で苦笑した。
(これは……ご存知だったのでしょうね。情報は、商人の国では黄金に等しいもの)
この茶会も、澄蘭への牽制のためか、あるいは更なる情報収集の意図で開催したものだろう。
猫のような気まぐれさと、武人の大胆さを併せ持つ、可愛らしい妃だと思っていたが、やはり一筋縄ではいかない。
迎合するつもりもないが、あまり軽く見られるのも問題だろう。
薄荷の香りの冷茶を美味しそうに含むファリダに、澄蘭は敢えて本音をぶつけた。
「――私の立ち居振る舞いが、洗練優雅とは程遠いことも自覚しております。非才の身ながら、これからも努力して参る所存ですので、どうぞよろしくお導きください」
澄蘭の言葉を受け、ファリダは玻璃の茶杯越しに上目遣いで澄蘭を見上げる。
「……大国の公主様に、私などが不敬でしょう? あなたの侍女頭に怒られそう」
「とんでもない。私など、この国ではまだまだ赤子のようなものです。姷明もよく分かっていますわ」
麗しい笑顔で舌戦を繰り広げる二人の側妃──正式には澄蘭は側妃候補だが──に、給仕のため同席していた女官たちが、表情を強ばらせている。二人の貴人は涼しい顔で笑い合い、清涼な茶を同時に口にした。




