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六.悪意の片鱗(へんりん)

「……以上となります」

「ご苦労さま」


 その日の夜、後宮の謁見の間。文官の報告を聞いていたシュレヤが、そう告げて微笑むと、彼は微かに頬を染めた。

 隣国の皇女が、郊外の孤児院慰問から戻ったのは昼過ぎだが、シュレヤがラティカやアーリヤとの打ち合わせで多忙にしていたため、こんな時間になってしまった。文官は文句一つ言わず、シュレヤに問われるままに詳細を説明する。

 シュレヤの笑顔に勢いよく頭を下げ、文官は意気揚々と広間を出て行った。その後ろ姿が視界から消えた直後、シュレヤは表情を消して顎に手を添えた。

 壁際に控えていた彼女の女官が、静かに茶を差し出してくる。湯気の立たない冷めた茶は、シュレヤの好みだ。

 半ば無意識に茶を口にするシュレヤの背に、不意に軽やかな声が呼びかけた。


「──どうでしたの?」


 玻璃(はり)を弾いたような高く澄んだ声は、正妃アーリヤのものだ。シュレヤはさっと立ち上がって下座に移り、深く頭を下げる。シュレヤの侍女たちも、彼女に続いた。

 羽のような足取りで椅子に腰掛けたアーリヤは、いつも通りの柔らかな微笑みを浮かべている。

 文官の報告内容を要約してシュレヤが伝えると、アーリヤは静かに頷いた。


「……そう」


 言葉は続かず、アーリヤはただ微笑している。しんと沈黙が落ちるが、これは十年にわたる彼女たちの付き合いではいつものこと。気まずさはない。二人の侍女たちも慣れたものだ。

 やがて、宮に残っていたアーリヤ付きの侍女の一人が、そっと広間に入って来た。


「……王后(おうこう)陛下。国王陛下がおみえです」

「……そう」


 やはりそれだけ呟いたアーリヤが、ふわりと立ち上がって(きびす)を返す。その背中を、シュレヤは無言で頭を下げて見送った。









 翌朝、澄蘭(ちょうらん)姷明(ゆうめい)の手を借りながら身支度を整えていると、礼から同伴してきた侍女の一人が、部屋に駆け込んできた。


「……どうしたの、桃児(とうじ)


 姷明が(いぶか)しげに問うと、桃児と呼ばれた彼女は慌てて懐から帳面を取り出し、何かを書き付ける。彼女は病により声が出し辛くなっているため、必要事項はこのように、単語を書面に記すことで伝達していた。

 桃児は息を切らしながら、帳面を掲げる。


『主、食事、転』


「……澄蘭様の朝餉(あさげ)が、ひっくり返されていたということ?」


 姷明が確認すると、桃児はコクコクと頷いた。彼女はそのまま、姷明も指差す。


「……私の食事も、ということね」


 シャグンの後宮では、食事は専任の厨房女官によって準備される。それぞれの宮の女官が、決められた時間に中央の厨房まで取りに行く方式だ。

 基本的に献立(こんだて)は妃同士、侍女頭同士、その他の女官でそれぞれ共通だが、妃の好き嫌いや体質によって細かな調整がされている。また、妃が自費で、自身の女官たちに一品用意することもあった。ゆえに、用意された食事はどの宮に運ばれるものか、きちんと指定されている。

 どれが流星宮(りゅうせいきゅう)の主と侍女頭の食事であるか、特定することも容易なはずだ。


 姷明がちらりと、部屋の隅で洗面用の水や茶を用意していたオミアを見やる。彼女は表情ひとつ変えず、淡々と自分に宛てがわれた役目をこなしていた。その様子を見て、姷明はじっと何かを考え込み始める。


 澄蘭がそんな彼女をじっと見つめていると、姷明はおもむろに顔を上げて、澄蘭に問うてきた。


「どうなさいますか? 澄蘭様」


 姷明の言葉に、オミアがこちらを伺う気配を感じる。澄蘭は気付かないふりで、姷明に尋ねた。


「今日は、何も予定はなかったわね?」

「何も聞かされておりませんね」


 姷明も何かを心得たように、笑顔で答える。二人のやり取りを不思議そうに聞いていた桃児が、首を傾げた。澄蘭は微笑して、桃児に向き直る。


「あなたや、他の皆の食事は無事?」


 (せわ)しなく頷く桃児に、澄蘭は続けた。


「じゃあ、あなたは早く朝食を取りに行ってらっしゃい。──姷明、私たちは市場にでも行ってみる?」


 オミアがその言葉に目を()くが、澄蘭は()えて構わず、姷明にそう尋ねる。澄蘭の悪戯っぽい笑みに、姷明も共犯者の笑みを返して言った。


「お供いたします」







 オミアが慌てて報告に走ったのか、澄蘭(ちょうらん)姷明(ゆうめい)に手伝われながら外出の支度をしていると、血相を変えた年配の女性が部屋に駆け込んできた。


 彼女は各宮の配属の女官や、洗濯女官、厨房女官を教育・監督する統括(とうかつ)女官の長、「女官長」の役職名で呼ばれる女性だ。澄蘭たちがシャグンに到着した時、落ち着いた雰囲気と油断のならない目つきで迎えた彼女が、今は珍しく怒気を露わにまくし立てる。


「……恐れながら、皇女様。妃ともあろう方が、ご公務以外でそのように気軽に外に出るなど、言語道断(ごんごどうだん)です!」

「だって、食べるものがないのだもの。食事を提供してくださるような方に、心当たりもないし。ならば、自分で調達するしかないでしょう?」


 いつも冷静沈着な女官長が唖然とし、彼女の怒声を聞きつけて集まった流星宮(りゅうせいきゅう)のシャグン女官は、微かにざわめいている。

 そんな女官たちをちらりと見やり、開き直ったようにあっけらかんと告げた澄蘭に、女官長は深々と嘆息してみせた。そして、部屋の外で遠巻きに様子を伺っていた彼女たちに目線を向け、口早に告げる。


「……急いで、皇女様と侍女の方の食事を作り直すよう、厨房に伝達なさい」


 女官長と目の合った一番小柄な女官が、慌てて身を翻した。澄蘭は涼しい顔で微笑み、女官長に呼び掛ける。


「余分にかかった食材の費用は、私が負担するわね」


 嫌味のような澄蘭の言葉に、女官長は露骨に顔をしかめた。






 女官長や、流星宮の女官たちが部屋を出ていき、姷明と自室に二人きりとなった澄蘭は、ポツリと呟いた。


「……あの対応で、間違ってない?」


 どこか不安げな澄蘭に、姷明は眉を上げて答えた。


「少なくとも、失敗ではないかと」

「……だといいけれど」


 嘆息し、澄蘭はじっと窓の外を見つめた。



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