四.后妃たちの宴
その日の夕刻過ぎ、夜宴の会場に指定された広間で、澄蘭はたじろいでいた。
そこは、彼女が先日官僚たちと面会した謁見の間と、正妃の宮を挟んで反対側にある小さな宮だった。名を祭華宮といい、後宮行事や、妃たちの合議などが行われる場だ。大理石と黒曜石の謁見の間とは異なり、色とりどりの玻璃や鉱石が多用された、絢爛な空間だった。
シャグンの信仰の対象の一人である女神を祀った祭壇が、広間の正面に据えられている。その前に座るのが、正妃であるアーリヤだろう。
澄蘭は側妃候補に過ぎないが、今日は主賓でもあるため、祭壇を背にした正妃の左隣の席に誘われる。席の左右は、神のどちら側に座すことを許されるかで、考えられるらしい。
シャグンは階級社会であり、聖性と上下関係を重んじる国だ。長卓の席も、座る場所が細かに決められている。
祭壇を背にする正妃の右の辺、より神に近い席に座るのは、文官家出身の側妃、シュレヤだ。その向かいは商人階級の側妃、ラティカ。シュレヤの隣が武人階級のファリダ、ラティカの隣が平民階級のサミーラと名乗った。
側妃は五名のため、普段は異国出身の妃は身分枠の対象外として、正妃の対面に座ることになるようだ。ちなみに、後宮の北端にも同じ女神の祠があり、各側妃の宮も同じ考えに基づき配されている。
ただし、正妃の宮は中央になるため、異国の側妃の宮は、祠の最前に置かれている。これは単に、より王の居所から離したり、逃走や外部との接触の難易度を上げるためだろう。
澄蘭が座席に落ち着いたのを見てとると、正妃アーリヤが、おもむろに玻璃の杯を持ち上げた。
「──新たな側妃候補の、無事の到着に」
アーリヤにならい、側妃たちも杯を掲げて礼国語で唱和する。澄蘭は黙って杯をとり、居並ぶ面々に目礼を返した。
「サミーラ、塩を取ってくださる?」
「はい、シュレヤ様。……あ、アーリヤ様、お酒はいかがですか?」
「そうね、いただくわ」
活発に会話の飛び交う長卓に、澄蘭はポカンと目を見開いていた。
澄蘭の祖国・礼でも、上下関係は絶対だ。こうした宴の場でも、最上位の人間が箸をつけたもの以外は口に出来ず、上の立場の者に許可なく話し掛けるなどもってのほか。「楽になさって」との許しの言葉が出ても、上位者が口を開くまでは皆、様子を伺っている。
シャグンの正妃と側妃は、そんなやり取りもなくごく自然に言葉を交わし始め、好きな料理に舌鼓を打っている。給仕も、各妃の侍女のうち、手の空いた者が適宜行うようで、姷明も他宮の妃に気軽に呼ばれ、珍しくまごつきながら対応していた。
澄蘭の左手側に席を持つファリダが、心なしか声を張り上げて言った。
「公主様のお召しになっているのが、礼の『襖裙』ですの? 暑くはないのかしら?」
にこやかに尋ねてきたファリダの真意をはかりながら、澄蘭も微笑みながら返す。
「はい。養母が持たせてくれたものです。夏には生絹を纏ったりもしますので、意外と暑さは気になりませんよ」
「へえ! 素敵。私も着てみたいわ」
ファリダ、と制するのは、隣に座るシュレヤだ。
聞こえようによっては献上の催促となる台詞を発したファリダが、小さく舌を出す。ラティカは呆れたように溜め息をつき、サミーラはオロオロと各妃の間に視線を巡らせ、正妃アーリヤはおっとりと微笑んでいた。
現シャグン王の妃たちはいずれも、見目麗しい美姫揃いだった。澄蘭は、香辛料のきいた肉料理を少しずつ口に運びながら、そっと妃たちを順に見やる。
高位官僚を父に持つアーリヤは、象牙色の肌に輝く真っ直ぐな黒髪、吸い込まれそうに大きな瞳が印象的な、まさに深窓の令嬢といった面持ちをしている。
中級官僚家出身のシュレヤは、濃茶の髪に健康的な肌色、切れ長の黒の瞳の理知的な美女。共に二十七歳で、現王の即位と同時に入宮したそうだ。アーリヤが後宮全体を統制し、シュレヤはその補佐を務める。
ラティカは近年力をつけた商家の出で、青みがかった黒髪と褐色の肌を持つ、異国の雰囲気を持った二十五歳の女性だった。数字に強く、主に後宮の予算管理の補佐をしている。
ファリダはシャグン建国前にこの地域を治めていた武人の末裔で、二十歳になったばかり。豊かに波打つ黒髪と、緑石色の大きな瞳の、気まぐれな猫を思わせる容貌をしている。
同じく二十歳のサミーラは、地方の中級官僚家出身で、そばかすの浮いた肌と柔和な眼差しの、親しみやすい可憐な女性だ。
会話が盛り上がり、言葉は自然とシャグン語に切り替わっている。時折、シュレヤやファリダに水を向けられ、澄蘭もシャグン語で言葉を返していた。
紅紫の風味豊かな酒を一口含み、小さく息をついた澄蘭に、右向いのサミーラが不意に話し掛けてきた。
「──皇女様は、シャグン語がお上手ですね。侍女の方も流暢で、驚きました」
鈴を転がしたような可愛らしい声に、澄蘭も微笑して首を振る。
「とんでもない。皆様の礼語に比べたら、私どもなど……。学習の参考にした文献が百年以上も前のものですから、頓珍漢なことや、失礼なことを申していないか、不安で」
「確かに、古めかしいお言葉を使われることもありますが、大意は伝わっています。……あまり、そのように卑下なさらない方がよろしいかと」
低めの琴の音のような耳に心地よい声で、会話に混ざって来たのは、ラティカだった。彼女は表情に乏しく、澄蘭も初めは叱られているのかと危惧していたが、酒を飲んでも、誰に対しても変わらないようだった。
ラティカの言葉を受け、アーリヤもおっとりと微笑む。
「我が国では、謙遜よりも、はっきりと自分の考えを述べられる方が歓迎されます。……自信過剰がすぎるのも、問題ですけれど」
「あら、アーリヤ様。それって私のこと?」
ファリダが茶々を入れ、妃たちはクスクスと笑い合う。
澄蘭もほっと息をつきかけたところで、黙って会話に耳を傾けていたシュレヤが、不意ににこやかに口を開いた。
「……ところで、澄蘭様。あなた様には、祖国に婚約者がいらしたというのは、本当ですか? それがなぜ、我が国にお越しいただいたのでしょう」




