三.解けぬ怒り
大剣で叩き切るような、鋭く容赦のない大声に、澄蘭は目を見開いた。しん、と広間の空気が張り詰める。
後ろに控えていた姷明が、咄嗟に身体を強ばらせる気配を感じ、澄蘭はそっと制した。
(ラナ、というのは……あの……)
特使としてシャグンに赴き、百年ぶりの国交復活の立役者となった、澄蘭のかつての婚約者である遠珂。彼は澄蘭との面会の際、シャグンとの交渉の場での思い出を語ってくれたことがある。先方の外務官僚と交流を深め、言葉を教え合う仲になったと、嬉しそうに話していた。その官僚の姓が、確か「ラナ」だった。
温 遠珂は、澄蘭の父にその功績を称えられ、公主の未来の夫の立場に封じられた。そして、澄蘭の父と義兄の策略で、彼らの都合のために生命を奪われた。
その騒動の果てに、澄蘭は今ここにいる。
ラナは射殺すような眼差しで、澄蘭を睨み付けている。下手な誤魔化しを口にすれば、本当に斬り捨てられそうなその瞳に、澄蘭は表情を消して向き直った。
「……政敵の、策略によるものです」
激昂したラナが立ち上がりかけ、隣のデサイが慌てて制する。今度こそ立ち上がって、澄蘭を庇う姷明の背中に手を触れ、澄蘭はじっとラナだけを見つめた。
澄蘭は、ラナの殺気は心底恐ろしく感じていた。だが同時に、かつての婚約者の死をこれほどに悼んでくれる人が、この異国にいることを、心底喜んでもいた。
「彼のことは今も、──大切な、かけがえのない友だと思っております」
思わずそう呟いていた澄蘭に、ラナが微かに目を開いた。
重く静まり返った謁見広間に、デサイの柔和な声が響く。
「皇女様には、今後、我らが王の側妃とおなりいただきたく。ひとまず当面は、シャグンと礼、両国の交流の象徴として、民と触れ合っていただきたい」
ピクリと肩を震わせ、澄蘭は食えない笑顔を浮かべた好々爺を見つめた。
「……『今後』、ですか」
「はい。王の手続き完了をもって、正式に流星宮の主となっていただきます」
つまりはまだ当面、澄蘭は「側妃候補」のままということだ。何か不審な動きをしたり、民の不興を買えば、礼に送り返す──ということだろう。
澄蘭は目を細めて笑い、小さく頷いてみせた。
「澄蘭様。正妃様から、夜宴への招待状です」
姷明の差し出した封書に、澄蘭は目を瞬かせた。
シャグン重臣との面会から数日後、昼下がりのことだ。澄蘭は祖国から持参した書籍に目を通したり、シャグン語の習得に時間を費やしていた。
流星宮の、シャグンが用意した七名の女官は勤勉ながらも、澄蘭とは最低限の会話しか持たない。姷明は仕事を覚えるのに忙しく、自国から連れてきた他の侍女とは馴染みが薄い上に、その内の一人は病の後遺症で発話に難がある。
国交の象徴となることを命じられながら、正妃への挨拶が済むまでは外へ出ることも許されず、澄蘭はすっかり時間を持て余していた。姷明に手渡された書面に、彼女は食い入るように見入る。
姷明は澄蘭の心中を察したように、苦笑気味に尋ねてきた。
「夜宴はいつでしょう?」
「今晩ですって。──大丈夫かしら?」
澄蘭の身支度を手伝ってくれるのは、主に姷明とオミアだ。オミアは本日は公休日のため、その役目は姷明一人が担う。
姷明はこともなげに頷き、ふと、その細い顎に手を添えた。
「……衣装はどうなさいますか? シャグン式のものか、持参された襖裙か」
「……襖裙にするわ。お誘いの文面が、『シャグンと礼、両国の絆を深め』となっているし。皆様にご挨拶が済むまでは、一線を引いておいた方が失礼にならない気がする」
きっぱりと自分の意見を述べた澄蘭に、姷明はどこか嬉しそうに小さく微笑んで、頷き返した。




