一.異国の後宮
迷いなく歩いていく女官の後ろを、澄蘭と侍女頭の姷明は戸惑いがちについて行った。
二十日に及ぶ旅路の果て、澄蘭たちは隣国・錚雲──現地の発音ではシャグン王国に辿り着いた。
祖国・礼を発って西に向かうにつれ、少しずつ空気は乾燥し、穏やかに吹く春先の風が香辛料と草原のにおいを運んで来る。国土は礼国を四等分にしたうちの一つにも満たない広さながら、南北で気候が明確に異なるシャグンは、北は鉱石採掘、南は農業が盛んな国だ。
澄蘭たちが暮らすことになる王宮は、国のちょうど中央に位置している。
礼とシャグンは隣国でありながら、百年にわたり交流を持たなかった。礼の前王朝である暁末期の政変に巻き込まれ、多大な被害を受けたシャグンに対し、礼が敬意を欠く対応を続けたためだ。元々、暁の支援を受けて建国したシャグンに対し、礼国の民は属国の一つという認識を抱き続けていた。
長年の不和は、昨年、礼の特使がシャグンの外務官僚と面会を持ったことで、ついに雪解けとなった。互いの国が持つ悩みを解決する交易に、両国が合意し、百年ぶりに国交が復活したのだ。
豊かな資源を誇り、それらを積極的に用いた交易で発展してきた隣国との、平和的交流。
その架け橋となるべく、大礼国第五代皇帝の第二皇女である澄蘭は、現王の側妃候補としてシャグンに向かうこととなった。
澄蘭たちがシャグン王宮に到着したのは、夕暮れ間近。姷明を含む三人の侍女と、二人の護衛官だけがシャグンに残り、あとの人員はそのまま祖国への道をとって返した。
護衛官は後宮への立ち入りが認められないため、所定の控え所に移っていく。澄蘭と三人の侍女は、そのまま真っ直ぐに、澄蘭にあてがわれた宮へ案内された。
歓迎の宴も、先住の他の妃との挨拶の場も設けられない。
(まさか諸手を挙げて歓迎されるとは、思っていなかったけれど──)
澄蘭は思わず、目を瞬かせた。
大理石を基調に建立されたシャグン王宮は、木造建築が基本の礼国出身の澄蘭たちにとって、見慣れないものだ。
暁の支援によって建ったシャグンは、街づくりや王宮建築については、かの国を手本としている。
王宮を北端に抱き、碁盤目状に広がる城下町は、階級によって居住区分が細かく定められている。王宮自体も作りは共通しており、南に王や官僚が国の大事を決める政治の場である「外宮」、中央に王の居所である「本宮」、北に王の妻たちの居所である「後宮」があった。
礼と異なるのは、成人後の男性王族や先王は王宮を出て、近隣の離宮に住まうこと。そして王の子たちは、母とは離れて、きょうだい揃って王宮内の離宮で養育されることだろう。
色とりどりの玻璃でかたどられた窓──ステンドグラスというそうだ──に、澄蘭が見入っていると、案内役の女官がおもむろに振り返った。
「こちらの北の宮、流星宮が、皇女様のお住まいとなります。お荷物はすでに
、お部屋に運びました。……宮の前に控えておりますのが、皇女様付きとなる侍女たちです。用はなんなりと、彼女たちに」
淡々と告げる彼女が発したのは、流暢な礼国語だ。その言葉を受け、宮の前に跪いていた女官たちも、一斉に頭を下げる。
彼らの公用語はシャグン語だが、ある一定以上の階級の者は、礼国語も会話に困らない程度に習得している。
それは、シャグンの交易相手には、礼の支配下にあったり、支援を受けている国が多く、彼らとの意思疎通に便利だからだそうだ。
もちろん、礼国語での込み入った会話などは難しいようだが、そのあたりの事情を知らなかった昨年の礼国の特使は、ひどく驚いたと聞く。
武人民族を倒した商人たちの国であるシャグンは、感情豊かでありながら、実利を伴うのであれば冷静に割り切りも出来る、礼の人間にとっては不思議な国だった。
澄蘭たちは女官たちに案内され、自身にあてがわれた流星宮に足を踏み入れた。
宮の主である澄蘭の部屋は、水の噴き出す涼しげな池に面した、眺望の良い場所にある。その隣、茶などを用意する続きの小部屋を挟んで、侍女頭となる姷明の部屋が用意されていた。その他の女官は、宮の端に三人一部屋で配されるそうだ。他には軽食を用意する小さな厨房、主用と女官用の浴室、裁縫室、応接間などがある。
澄蘭たちに宮の中を一通り案内してまわったあと、オミアと名乗った女官が、ややぎこちない礼語で言った。彼女が澄蘭の宮の、シャグン側の女官の取りまとめ役のようだ。
「それでは、夕刻に食事をお運びします。それまでは、入浴されるなど、ご自由に旅の疲れを癒してください」
オミアの言葉に、澄蘭と姷明は顔を見合せた。恐る恐る、姷明が口を開く。
「あの……。恐れながら、私どもはシャグン式の浴室の使い方が、分からないのですが……」
オミアははじめ、不思議そうに首を傾げた。だがすぐに、得心がいったように「……ああ」と呟き、小さく息をついた。
「お湯の支度は、後ほど侍女の御三方に説明します。――ただ、我が国では通常、貴人の皆様方も、入浴はおひとりで済まされますので」
必要なものは一式、浴室に揃えてあります。
感情のない声でそう告げ、オミアは他の女官たちを率いて、部屋を出て行ってしまった。澄蘭は再び姷明と顔を見合わせ、ふうっと溜め息を零す。
「……とりあえず、お湯に浸かりたいわ。悪いけれど、落ち着いたら支度をお願い出来る?」
「……澄蘭様。ご自身で御髪は洗えますか?」
伺うような姷明の問いに澄蘭は視線を泳がせ、「努力する」と頼りない声で答えた。




