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命花伝 ─薄明の皇女は涙河(るいか)に寄り添う──  作者: 冬生 恵
【第三章】暗澹(あんたん)たる思い
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十六.側妃と侍女頭

 洒落者で名高い妃は、かつて澄蘭の香について質問責めにした時のように、礼の服飾や音楽、後宮文化の話題を次々に姷明に投げかけてきた。姷明は自分があくまで礼の後宮で見聞きした内容だと前置きして、彼女の問いに一つずつ答えていく。衣装の流行、化粧の手法や材料、好まれる音楽や楽器、女性が推奨される学問。

 やがて話題は、皇帝の子の養育に流れていく。外に出して問題ない内容か吟味しつつ、姷明は慎重に答えた。

「……礼の後宮では、お子も母君と一緒に育つの? 素敵!」

 目を見開くファリダに、姷明も問い返した。

「シャグンでは、王の御子は離宮でお育ちになるのですね」

「そうなの。妃たちは、後宮内では特技を活かした仕事を、外では出身階級の支援や、実家の力を用いた王の補佐を行うでしょう? 母妃や周辺の思想の影響を受けないように、という配慮なの」

 明瞭なファリダの返答に、姷明は感じ入ったように頷いてみせた。

(軽やかに振る舞いながら、後宮政治の本質を端的に捉えている。この方もやはり、賢明なお方なのね)

 姷明の表情に何かを感じたのか、ファリダは浮かべる笑みの種類を変え、真っ直ぐに姷明の目を覗き込んだ。

「──ねぇ。澄蘭様がいらして、そろそろ六月よね。もう王とは、お目通りは済ませた?」

 姷明はピクリと口元を微かに動かす。

 けれど、澄蘭がいまだ側妃候補のままであること、妃は六人しかおらず、王の後宮での動静を探るのは容易であることから、誤魔化しても意味がないと断じた。

「国王陛下は、ご多忙のご様子。残念ながら、未だ機会に恵まれず」

 堂々と答えた姷明に、ファリダは笑みを深くして頷いた。

「そう。──実は、私たちもこの一年ほど、ほとんど訪いを受けていないの。王が通われているのは、正妃様の宮だけ。……たまに、サミーラだけは寵をいただいているようだけど」

 やはり率直に述べたファリダに、姷明は内心で驚愕した。いくらシャグンの後宮の妃の役割が、「王の補佐」にあるとはいえ、夫の自身への無関心をこうも明け透けに認めるとは。

 ファリダはやはり武人の出だ、と姷明は舌を巻く。自然体で相手を翻弄し、自分の速度、自分の間合いで相手に近付く。度胸と直感で動く妃の真意がまるで分からず、姷明は息を詰めた。

 ファリダはまた話題を変え、今度は宝飾品について一通り話したあと、満足気に侍女を連れて部屋を出て行った。

 姷明は彼女を宮の外まで見送ったあと、応接間を片付けながら盛大に溜め息を零した。主が戻ったら、どう報告しようか。

「本当に、お話をされにだけいらした? ──まさかね」

 思わずひとりごち、姷明は茶器を持ち上げた。



「ファリダ様が?」

 慰問から戻り、姷明から報告を受けた澄蘭は、目を瞬かせた。

 珍しく仏頂面を全開にした姷明が、澄蘭の着替えを手伝いながら唇を尖らせている。

「はい。澄蘭様が不在の間に、あからさまに探りを入れに来られました」

 姷明が不機嫌そうに見えるのは、ファリダへの反発心ではなく、彼女の真意を読み取れない自身へのもどかしさからだろう。彼女の腕を軽く叩き、澄蘭はふとひとりごちた。

「シュレヤ様とラティカ様も、サミーラ様のあの事件だし……。アーリヤ様も先日のあれだし……。皆様、何を考えていらっしゃるのか」

 肩をすくめる澄蘭に、姷明は険しい表情で尋ねてきた。

「正妃様ですか?」

「ええ。ほら、あの晩、王との逢瀬の様子らしきものを聞かされて……」

 ハッと口を閉ざし、澄蘭は恐る恐る姷明を見上げる。姷明が唇を引き攣らせて、澄蘭を湿った目で睨みつけていた。

「……聞いておりませんよ。オミアも、『皇女様が真っ赤な顔で出ていらした。お酒に酔っておられたのか、足取りが怪しく』としか申しておりません」

 姷明の剣幕に、澄蘭は冷や汗を浮かべ、慌てて言い募った。

「オ、オミアにも話してなかったの。……あなたを信用していないとか、そんなことは有り得ない。ただ、あまりにも衝撃的だったし……口にするのも憚られたというか……。意図も分からなかったし」

 しどろもどろな澄蘭の言い分に、姷明は頭痛を堪えるようにこめかみに手をやる。

「牽制以外に、どんな理由があると?」

「……そうよね」

 しゅん、と項垂れた澄蘭は、しばらくして後、おもむろに顔を上げた。茶をいれて戻ってきた姷明から茶杯を受け取り、一口すすって意を決したように言う。

「アーリヤ様の件は一度、ラナ様に相談してみるわ。忘れがちだけど、あの方一応、異国枠の妃の後見役だし」

「……は?」

 ドスの効いた声で姷明が応じる。澄蘭に敵意を燃やし、露骨にお飾り扱いした上、「消す」などと物騒な発言を繰り返す彼を、姷明はひどく嫌っているのだ。

 澄蘭は姷明の表情に恐れをなしながらも、控えめに応じた。

「そんな顔しないで。話せば理解してもらえるような、そんな甘い相手だとは思っていないわ。……真っ直ぐな方なんだと思う。遠珂様と築かれた友情は真実で、だからこそ、あの方を救えなかった私が許せない。私を一人の人間としても皇女としても、信用しない」

「澄蘭様……」

「遠珂様が、誓ってくださったことがあるの。いつか、礼とシャグンの関係が改善したら……って。あの方が夢見た景色を、私も見てみたい」

 柔らかな赤に燃える夕日を、澄蘭は窓の玻璃越しに見上げている。姷明は溜め息をつき、微苦笑で答えた。

「では、私は、他宮の動静を探りつつ、情報収集に努めます」

「お願いね」

 穏やかに微笑み、澄蘭は姷明の肩をそっと叩いた。



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