十五.宴のあと
互いの国への特使交歓は、何とか揉め事もなく終わったそうだ。先に礼に出向いたシャグン側の特使たちから、表立って不満は漏れてこないことから、礼側もそつなく立ち回ってくれたようだ。
(あちらで出迎えたのは、誰だったのかしら……)
ぼんやりと考えながら、澄蘭が桃児とヤトラを連れて、いつもの慰問に出掛けようと自身の宮を出ると、どこかへ向かう最中のシュレヤと鉢合わせた。
「おはようございます、皇女様」
「シュレヤ様。おはようございます」
慌てて頭を下げた澄蘭を制し、シュレヤは「どこかへお出掛けですか?」と微笑む。澄蘭はいつもの慰問だと答えると、シュレヤは目を細めた。
「ご出発は西門からですか? 皇女様がお嫌でなければ、そこまでご一緒しても?」
「え、ええ……」
澄蘭は頷き、互いの侍女を従えて、西門へ向かった。
「澄蘭を試す」というラティカの策に、シュレヤも応じたとの話を聞いて以降、澄蘭はどこかこの理知的な側妃を苦手としていた。たまに相手から誘われた礼儀として、澄蘭も茶会を主催して招き返すことはするが、当たり障りのない会話しかしたことがない。
シュレヤはいつものように穏やかに、美しく微笑んだ。
「皇女様は、貴国の特使たちとはご面識がおありでしたか?」
恭しいシュレヤの言葉遣いに、澄蘭は閉口する。降嫁から六月近く経っても、あくまで澄蘭を「礼の皇女」として扱い続ける彼女たちに、澄蘭は思いきって切り出した。
「そのようなお言葉遣いは、おやめ下さい。私はまだまだ世間知らずで、皆様の後塵を拝する未熟者に過ぎません。──お恥ずかしい話、祖国ではあまり、他者との交流がありませんでした。今回の特使も正直言って、どこの誰で、どの官職に就く者かすらも分かりません」
きっぱりと告げる澄蘭を観察するように、シュレヤはじっと見つめている。澄蘭は敢えてその視線を正面から受け、背筋を伸ばした。二人の間に漂う緊張感に、互いの侍女が息を詰めている。
シュレヤも微笑の仮面を外し、淡々と問うてきた。
「……ずいぶんと、率直な物言いをなさるのですね」
何かを探るようなシュレヤの言葉に、澄蘭は苦笑し、腹の中を堂々と晒してみせた。
「見栄を張ってもしょうがないので。私は祖国で、『駄目公主』と蔑まれた存在です。……それでも、礼とシャグンの融和を、心から願っています」
「……それは、かつて我が国に特使としていらしたという、元婚約者の方のため?」
いつかの夜宴でも出た話題だ。澄蘭は苦く微笑む。
「初めの動機は。──ただ、両国の民に少しずつ接して、彼らの安寧を願う気持ちは、私のものです」
持たぬが故に踏みにじられ、『存在しないもの』として扱われる、弱き立場。かつての自分もそうだった。
彼らを、過保護に守ろうとは思わない。望むものがあるのならば、自らの足で立ち上がる気概も必要だと、かつての澄蘭は学んだ。
(立ち上がるのは自らの力だとしても……。誰か、寄り添ってくれる人間がいるというのは、支えになる。彼らが、自らの誇りのために、立ち上がる気概を取り戻す力添えをすること。それこそが、私たち上に立つ者の役割だと思うから)
睨むように澄み切った空を見上げる澄蘭を、シュレヤは無言で見つめていた。
一方、澄蘭たちを見送った姷明は、残った女官たちを率いて仕事に追われていた。
礼の特使が申し訳程度に持参した献上品は、正妃の采配で側妃に下げ渡された。その目録の整理や、まだまだ夏の盛りで気温は高いものの、初めて迎えるシャグンの冬への備え。澄蘭はいまだ「側妃候補」の扱いのため、宮の予算管理は統括女官の管轄になるが、それでも必要品の購入経費の試算や、申請は侍女頭の仕事だ。
(それにしても、シャグン王は何を考えているのか。自らが望んだ降嫁であるのに、一度も澄蘭様を訪わず、側妃としての手続きも保留にし続ける。確かに、改革や支援のために、あちこち現地を飛び回っているようだけど……)
思えば、先日の礼の特使が荒れていたのも、王が一度も姿を見せないことが原因だったのではないか。礼では影を見せるだけであっても、王が歓待の宴に姿を見せて、体裁を取り繕う。
何とも晴れない気持ちのまま、姷明が仕事に没頭していると、オミアが声を掛けてきた。
「姷明様。──ファリダ様が皇女様を尋ねていらしたのですが」
どうしましょう、と微かに眉根を寄せる彼女に、姷明も似たような表情で立ち上がった。
「公務でご不在とお伝えして、私がご要件を伺います。応接間にお通ししてください」
かしこまりました、とオミアは頭を下げた。
澄蘭の宮の応接間は、この六月で試行錯誤を繰り返した結果、個性の際立つ雰囲気となっていた。
調度品は造り付けのため、意匠や形はシャグン式が基本だ。そこに飾る小物は、たとえば礼の陶器にシャグンの花を活けたり、シャグンの絵を入れる縁枠に、礼の画家の絵を飾ったり。ちぐはぐにならないよう、均衡に配慮した空間は、先日の衣装と同様、澄蘭の目指す「両国の融和」を表現したつもりだった。
部屋に通されたファリダは、興味深げに室内を見渡していたが、澄蘭の姿がないことに首を傾げた。伴っていた侍女は、澄蘭の不在に不満げに顔をしかめている。彼女を制し、ファリダは明るく姷明に問うた。
「……あら? 公主様は?」
「いつもの慰問に……。差し支えなければ、私がご要件をおうかがいしてもよろしいでしょうか」
淡々と切り出した姷明に、ファリダは「うぅん」と反対側に首を傾ける。そして何か名案を思いついたばかりに、パッと顔を輝かせた。
「要件というか、単にお話がしたかっただけなんだけど。……そうだ。姷明、だったわよね? 良かったら、あなたが付き合ってくれる?」
「私め、が、ですか?」
姷明は意表をつかれて、思わず口ごもってしまう。ニコニコと楽しげなファリダに、姷明は観念したように頷いた。
「側妃様がお嫌でなければ、喜んで、お相手つかまつります」
「ふふ、律儀ねぇ」
猫のように気まぐれな妃は、楽しそうに笑った。




