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命花伝 ─薄明の皇女は涙河(るいか)に寄り添う──  作者: 冬生 恵
【第三章】暗澹(あんたん)たる思い
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十四.緊迫の宴

「──礼から、特使が?」


 サミーラの宮での騒動から、二ヶ月が経った頃。

 自宮で過ごす澄蘭の元に、王務長官の遣いだという統括女官から、その知らせがもたらされた。


 国交復活一年経過を記念し、互いの国の特使が両国を訪れることになったという。先にシャグンの使者が礼へ向かって出発したのを確認し、礼からの特使もシャグンへやって来るそうだ。


 澄蘭たちはシャグンへの道中、馬車をゆっくりと走らせたため二十日ほども掛かったが、互いの特使たちは馬に乗って移動し、旅程は半分ほどで済むという。

 女官の知らせから一月も経たないうちに、シャグン王宮に礼の特使が到着した。早速、歓待の場が設けられ、澄蘭も外務長官であるラナの命により、宴に出席することとなった。

 久しぶりに姿を見せたラナは、いかにも不愉快、不機嫌だとの空気をまったく隠さず、言葉だけは丁寧に呟く。


「我らが王の要請により、皇女様にはぜひ、特使を招いた食事会にご参加賜りたい」

「それは……。私でよろしければ、ぜひ……」


 思えば、街中の貧民院訪問以外で、初めて澄蘭に与えられた公務だった。澄蘭はラナの不機嫌に気圧されながらも、一も二もなく頷いた。








「シャグンの宮廷料理というのは、一風変わったものですな。いや、何というか、獣の野性味が鼻につくというか……」


 嫌味を言って、一度箸をつけて以来、何を出されても礼の特使は水ばかりを口にしていた。


 歓待と言いながら、礼国からの使者と、シャグン官僚の間に横たわる空気はひどく殺伐としている。礼の特使は「わざわざ来てやった」という内心を隠しもしないし、それを感じ取ったシャグンの官僚たちは露骨に舌打ちをしてみせる。

 間違って火でも投げ込まれれば、物理的に爆発しそうなほど殺気立った両国の態度に、澄蘭(ちょうらん)は頬を引き()らせていた。

 隣に座す王宮代表であるシュレヤは、そんな澄蘭をちらりと横目で見たあとは、無言で優雅に食事を口に運んでいる。


 会話など一切弾まず、時折飛び交うのは嫌味と挑発のみ。重苦しい空気は、まるで国交再開前に戻ってしまったかのようだった。

 歓待の責任者であるラナは、酒だけを口にして、黒々とした眉を(ひそ)めている。


(ここに、遠珂(えんか)様がいらっしゃれば……)


 心の底からそう考えてしまい、不意に澄蘭は、砂のように味気ない食事の手を止めてた。



 遠珂が生きていれば、そもそも自分がここにいることはなかった。

 遠珂が生きていれば、少なくともラナが、礼へこれほどの悪感情を抱くことはなかった。

 遠珂がここにいれば、あの朗らかな笑顔で、場を和ませてくれたはずだ。



 でも、遠珂はここにいない。

 他でもない、澄蘭の身内が彼を手に掛け、彼女はそれを止められなかった。




 その事実に、澄蘭はぎゅっと奥歯を噛み締める。




 礼の特使の一人が、不意に澄蘭に目を留めた。彼は馬鹿にしたように鼻を鳴らし、水の杯を傾ける。

 澄蘭の纏っているのは礼の襖裙(おうくん)だが、化粧や髪型はシャグンの型式にならった。侍女の姷明(ゆうめい)と何日も話し合い、両国の融和を澄蘭なりに表現したつもりだった。

 だが実際には、礼の特使からは、「蛮国に媚びを売りやがって」という雰囲気がありありと伝わってきたし、反対にシャグン側からは、「所詮は思い上がった礼の皇女だ」という視線をひしひしと感じていた。

 隣に座るシュレヤも、心なしか澄蘭に向ける目の色が冷たい気がする。

 澄蘭の従者として背後に控える姷明の様子は分からないが、彼女だけは自分を案じてくれていることは、気配で分かった。

 (くじ)けそうになる気持ちを奮い立たせ、澄蘭は背筋を伸ばす。


(遠珂様は、両国の融和のために尽力したいと仰った。私は、その遺志を継ぐと誓った。……怯えている場合ではないわ)


 ともすれば一触即発の空気の中、澄蘭はすっと背筋を伸ばした。








 礼の特使は、あくまでシャグンを自国の属国のように扱って話す。いよいよラナの堪忍袋の緒が切れそうになった瞬間、澄蘭(ちょうらん)はおもむろに口を開いた。


「――(りん)殿。シャグンの米は昨年、礼国の民の腹をいかほど満たしてくれましたか?」


 緊張のあまり、特使の責任者の名が飛びかけたが、すんでで気付いた姷明(ゆうめい)の耳打ちで事なきを得る。澄蘭(ちょうらん)が涼しい顔を取り繕って問い掛けると、名指しさせれた礼国の官僚は、垂れ流していた嫌味をようやく止めた。


「……貧民への炊き出しを、賄えるほどには」

「それは良かった。ならば、礼は、シャグンへ感謝を述べねばなりませんね」


 澄蘭は微かに息をつく。ひとまず、直接の火種は力ずくで抑え込んだが、今度はシャグン側の官僚の対応次第で、礼側が爆発しかねない。澄蘭は返す刀で、ラナに笑顔で問い掛けた。


「ラナ殿。礼から渡った薬草は、シャグンの民をいかほど癒してくれましたか?」


 問われたラナは露骨に舌打ちをするが、答えないわけにはいかないと悟ったのか、大人しく澄蘭に答えを返した。


「……喀血(かっけつ)を繰り返していた民たちが、起き上がれるようになるほどには」


 忌々(いまいま)しそうなラナの言葉に、澄蘭はあえて釘を刺すように続けた。

「それは良かったわ。なら、シャグンには、これからもその薬草が必要ですわね」


 澄蘭が言外に匂わせたのは、「互いの国に利があるはず。つまらない意地の張り合いで、台無しにする気か」という、両国外交官への叱咤(しった)だ。バツが悪そうに目線を逸らす両国の官僚たちに、澄蘭はもの柔らかに微笑んで言う。


「お互いに、次は何を必要としているか。──よくよく考えて、話し合っていただければと」


(遠珂様ならきっと、こう仰ったはず──)


 真っ直ぐに背筋を伸ばし、澄蘭は唇だけを笑みの形に吊り上げていた。

 微笑む澄蘭をシュレヤが見つめていたが、震える身体を堪えるのに必死だった澄蘭は、気付くことはなかった。






 宴が終わり、シュレヤと澄蘭(ちょうらん)は早々に解放された。

 シュレヤとはそれぞれの宮の前で分かれ、澄蘭は力ない足取りで自室へ戻った。着替えもせず寝台に腹這いで飛び込んで行った澄蘭に、後から続いて入室した姷明(ゆうめい)が、腰に手を当て溜め息をつく。

 澄蘭はしばらく、寝台の掛け布にくるまって(もだ)えていたが、やがて恐る恐る顔を上げて姷明に尋ねた。


「……ねぇ、姷明。あれで合ってたのかしら。戦争になったらどうしよう」

「落ち着いてください、澄蘭様」


 呆れ混じりの視線を向けつつも、姷明はぐしゃぐしゃに乱れた澄蘭の髪から、シャグン式の飾りを引き抜きながら応じた。


「少なくとも、『米と薬草の次は、何を出し合うか』という話題にはなったでしょう。卑賤(ひせん)の身には政治など分かりませんが、澄蘭様の言動は間違っていないと思いますよ」

「……それなら、良いんだけど……」


 のそのそと寝台から()い出した澄蘭は、やけになったように、「お酒、姷明、お酒をちょうだい」と唇を尖らせた。


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