十二.彼女の正義
のろのろと顔を上げた女性──清静宮の女官、ドワーニは、青ざめた顔で目線を逸らした。
その先に立っていた姷明が、ドワーニの退路を塞ぐように扉側に回り込み、澄蘭の追及の言葉の続きを、礼国語で引き取った。
「……あの場で澄蘭様の紋が見つかった時、おかしいとは思ったんです。澄蘭様は昨夜、入浴を終えられてから朝目覚められるまで、一度も部屋を出られていない。そして、入浴前に紋章箱に仕舞われるまで、確かに紋を腰に下げていらしたのは、我々侍女が見ております。
ならばいつ、紋がサミーラ様の宮まで運ばれたのか。
──あなた、ヤトラに命じて、紋章箱を持ち出させましたね?」
ドワーニは黙り込んで答えようとしなかったが、姷明は構わず淡々と言葉を紡いだ。
「鍵は、澄蘭様ご本人と、万が一の事態のため管理者のみが持っておられる。その管理者とは、──シュレヤ様ね」
姷明の言葉に顔を背けたドワーニに、澄蘭が静かな声音で続ける。
「ラティカ様は、シュレヤ様の元でお仕事をされることが多い。今回の件も、お二人の共謀だったのかしら。
あなたは、衣装担当として私の部屋に出入りすることが多いヤトラに、紋章箱を偽の箱とすり替えさせた。そして、皆が寝静まった後に、彼女から本物の紋章箱を受け取った」
ヤトラが事件の前日、夜間に宮を出たのは、このドワーニに、紋章箱を渡すためだったのだろう。
桃児が目撃したヤトラの言い争いの相手は、ラティカの侍女のドワーニだった。
今回の件は、最初はラティカ単独の策かと思ったが、紋章箱を開けられるのはシュレヤのみ。このことから、シュレヤとラティカの共犯だと考えた。
無言で俯くドワーニに、澄蘭は表情を曇らせた。
「今朝、サミーラ様の宮で事件を起こしたあと、あなた方は私の紋をその場に残した。私の目を誤魔化すために、ヤトラに置かせた偽の紋章箱は、私が取り調べを受ける間にでも、本物と入れ替えようとしていたのでしょう。
でも、正妃様が私に命じたのは禁足で、あなた方は身動きが取れなくなった」
紋章という動かぬ証拠がありながら、正妃アーリヤは、澄蘭を取り調べることもしなかった。彼女の考えは分からなかったが、桃児が目撃した内容から、澄蘭はこの推論を立て、証拠を掴むために姷明に頼んで一計を案じたのだ。
ドワーニは悔しそうに顔をしかめ、澄蘭を見上げた。
「……証拠は、あるのですか?」
「ないわ。でも、私が毒に倒れたことは、うちの宮の女官にだけこっそり伝えた嘘よ。──あなたが今、ここにいる。誰に聞いたのかは分からないけど、それが何よりの証拠じゃないかしら」
ドワーニはもはや反論も出来ないようで、拳を握り締める。澄蘭は痛ましそうに眉根を寄せながらも、ドワーニに突き付けた。
「言い逃れをするのなら、ヤトラに私の推測を話すわ。恐らく、『サミーラ様のお役に立てる』とでも言って、あなた方はヤトラを巻き込んだのでしょう。現に、あの子が盗んだ私の紋が、あの現場に落ちていたことで、ヤトラはあなたを責めた。事実を知れば──」
「――それは、やめてください」
自身の言葉を遮った声に、澄蘭はハッと息を飲む。慌てて振り返った姷明の背後で、いつの間にか細く扉が開いており、その隙間から姿を見せていたのはラティカだった。
戸惑い顔で扉を開けた姷明にちらりと目線をやり、ラティカは悠々とした足取りで入室してくる。地面に崩れ落ちたドワーニの傍らに屈み込み、彼女を立ち上がらせたあと、ラティカは静かに微笑んで続けた。
「ドワーニが、ヤトラから『皇女様が毒に倒れたとはどういうことか』と聞かれたと報告してきた時は、驚いたけれど……。まさか、こういうことだったとは。お見逸れしました、皇女様」
「ラティカ様……」
目を見開く澄蘭を、ラティカは真っ直ぐに見つめる。
「ヤトラやこの子を、責めないでやってください。二人とも、それぞれ大切に思うもののために、私の指示に従っただけです」
この言葉に涙ぐんだドワーニの肩を叩き、彼女を退出させたあと、ラティカは改めて澄蘭と姷明に向き合った。
「お騒がせして申し訳ありません。私が皇女様を試そうと、シュレヤ様に進言いたしました」
「試すとは……、どういうことでしょうか」
険しい表情になった姷明に苦笑し、ラティカは静かに溜め息をつく。
彼女は窓の外の月を見上げ、目を細めながら言った。
「あなた様の人となりを、探るために。
罪を着せられ、追い詰められた時にどう行動するのか。あなたはこの後宮にとって害になるのか、機転で乗り越える有効な駒になるのか。それを、私たちは、知る必要があると思ったから」
澄蘭は微かに鼻白んだが、平坦な声音でラティカに問い返す。
「……それでは、私をどう評価なさったのです?」
不機嫌が滲む澄蘭の声に、ラティカは小さく喉を鳴らして笑う。
彼女は澄蘭と姷明に目線を戻し、首を傾げて言った。
「……当面は、保留ですね。とりあえず、あなた様もその侍女も、頭が切れる、油断ならない方々だということは分かりました」
明け透けな言葉に閉口する澄蘭に構わず、ラティカは「それでは」と頭を下げて立ち去ろうとする。姷明が慌てて、その背中に声を掛けた。
「恐れながら、側妃様。この度の事態は……」
「アーリヤ様とサミーラには、上手く私とシュレヤ様から説明しておくわ。安心して」
ヒラヒラと手を振るラティカを、澄蘭と姷明は顔を見合わせて見送った。
翌日、統括女官たちの調査により、この度の事件は、サミーラに良からぬ思いを抱いていた武官の犯行だと結論づけられた。サミーラへの思いが拗れ、このような狂行に及んだと。
澄蘭の紋は偽造されたもので、礼への悪感情を抱いていた彼が、澄蘭に罪を着せるために置いたものだと説明がなされた。
もちろん、これは全て捏造された事実だ。もともとこの武官は、部隊での度重なる窃盗を咎められ、懲罰を受けて追放されるところだった。ついでとばかりに、覚えのない罪を彼に着せた形となる。
(辻褄合わせのために、弱い立場の者が利用されるのは、どこの国でも同じね……)
澄蘭は小さく溜め息をつく。かつて自分が、父と義兄によって被せられた冤罪を穏便に収めるため、弄した詭弁を思い出したのだ。自身と遠珂たちの名誉のためとはいえ、死者に鞭打つ言動をしたのは事実であり、それは苦い経験となって澄蘭を責めた。
とはいえ、この結論をもって澄蘭の禁足は解かれた。
涙ながらに詫びるヤトラと、少し話が出来るようになったことだけが、澄蘭に残された成果だった。




