十一.疑惑の女官
澄蘭が、香玉の運んでくれた朝食を取り終わった頃、疲れた様子の姷明が戻ってきた。
彼女を迎えた澄蘭は、さり気なく香玉を続きの間に下がらせ、姷明の報告を受ける。
まず、「洗濯女官に変装して洗濯場に潜入」のところで目を三角にした澄蘭は、じっとりと姷明を睨み付ける。だが、先を急ぐ姷明の話に、とりあえずは耳を傾けた。
姷明が一通りの説明を終えると、澄蘭は食事の手を止め、じっと考え込み始める。姷明は無言で、そんな澄蘭を見守っている。
やがて澄蘭が、ポツリと呟いた。
「それだけサミーラ様を慕っているヤトラが、彼女を怖がらせるようなことに、加担しているとは思えないけれど……。
姷明、悪いけれど、しばらくヤトラの様子を観察してくれる?」
「分かりました。……澄蘭様は、大丈夫ですか?」
後宮中から疑われ、陰口を叩かれる。
覚えのある状況に、澄蘭は微かに表情を曇らせながら、それでも大きく頷いた。
(大丈夫。──私は、一人じゃない)
「――大丈夫よ。部屋で大人しく、シャグン語の勉強でもしているわ」
「……承知しました」
姷明も頷き、卓の上の朝食を片付け始めた。
数日経っても澄蘭の禁足は解除されることはなく、その間澄蘭は、姷明、桃児、香玉以外の女官とは、ほとんど顔も合わさず過ごしていた。シャグン出身の流星宮付き女官たちは、最低限の仕事はこなしていたが、礼国出身の四人と関わることを拒否したのだ。侍女頭代理のオミアも、サミーラの宮から移ってきたヤトラも、姷明たちとは口もきこうとしなかった。
正妃アーリヤに命じられたシュレヤの指示のもと、女官長か統括女官を指揮して調査を続けている様子だったが、澄蘭の元には何も情報は届けられなかった。
その日の夕餉は、桃児が運んできた。姷明が受け取り、二人で配膳を進める。嫌がらせで何か仕込まれていることも危惧したが、目視でおかしなところや、異臭などはない。澄蘭は卓に並んだ食器をしばらく見つめたあと、黙って匙を手に取った。
そこでふと、桃児が何かを思い出したような、焦った素振りを見せる。
姷明が、「どうしたの?」と声を掛けると、彼女はいつかと同じように懐から帳面を取り出して、何かを書き付け始めた。
身を乗り出す澄蘭に、桃児が帳面を差し出す。姷明も澄蘭の隣から、桃児の記した文字に見入った。
『やとら、他宮、女、話』
『争、やとら、怒』
「……ヤトラが、他の宮の女官と揉めていたの?」
澄蘭が確かめると、桃児はコクコクと頷いてみせる。姷明と顔を見合わせ、澄蘭は桃児に問い掛けた。
「何を言い争っていたかは、分かる?」
桃児はしばらく考え込み、やがて帳面に手を伸ばす。受け取った帳面にしばらく筆を走らせ、桃児は微かに頬を赤面させて、帳面を再び二人にかざした。
『何故、嘘』
『不許』
「……嘘をついた? ヤトラがそう言って、相手に怒っていたのね?」
澄蘭の念押しに、桃児は再度頷いた。姷明が桃児を下がらせているうちに、澄蘭は再び思考に戻り、しばらくしておもむろに顔を上げる。
「姷明、少し相談があるんだけど……」
目を瞠る姷明に、澄蘭は真剣な面持ちで言葉を続けた。
「……澄蘭様が?」
彼女の主は顔をしかめて、侍女頭の報告を受けた。
招かれざる異国からの客、流星宮の仮の主である蘇 澄蘭が、食事に含まれていた弱毒で倒れ、医務室に運び込まれたというのだ。王后アーリヤの厳命で、私的な報復は禁じられたはずだが、我慢ならず、嫌がらせをする者が出たのだろうか。
しょうがないことだ。
シャグン国民が、暁と、その後継たる礼に抱く悪感情は根強い。百年前、知識階級にも被害を受けた者はいたが、それ以上に不当な暴力や略奪に苦しんだのは、平民だった。
暁の血を引く礼の皇女が、平民出身のサミーラに危害を加えたとなれば、怒りが沸騰するのは仕方のないことだ。
主はじっと顎に手を当て、何かを考え込んでいる。彼女はそんな主を、無言で見つめ続けた。
やがて、主は意を決したように顔を上げ、彼女をひたと見据えて口を開いた。
「──今が好機です。すべきことは分かっていますね?」
彼女は緊張の面持ちで、黙って頷いた。
主が連れ出され、女官たちも、付き添った者以外は寝静まっているのだろうか。
無音の宮の中を、彼女は慎重に歩いた。数日前の霧雨の空が嘘のような清かな月明かりが、窓の玻璃越しに差し込んでくるが、道行きを照らすほどではない。宮の造りは共通ではあるが、彼女は壁に手探りで触れながら、息を詰めてゆっくりと歩を進めていた。
やがて、一際大きな部屋の窓に辿り着き、彼女は思わずホッと息を零す。
扉に手を掛け、音がしないように推し開けながら、彼女は滑らせるように足を踏み入れ──
「……ここで、何をしているの?」
何かを確信したような力強い声に、彼女はハッと息を飲んだ。
「こう、……じょさま……」
部屋の隅の暗がりから姿を見せた澄蘭と姷明を、その女官は信じられないものを見る目で凝視している。月明かりの中でさえ、健康的な色をした澄蘭の肌に罠を悟ったのか、侍女はがくりとその場に崩れ落ちた。
懐から、乾いた音と共に、紋章箱が零れ落ちる。
姷明が素早く拾い上げ、澄蘭に差し出した。
澄蘭はすっかり馴染みになったシャグンの民族衣装の胸元から、貸与された鍵の下がった首飾りを取り出す。先日、自室にあった箱には入らなかった鍵の先が、彼女が取り落とした箱にはすんなりと入った。
中に入っている紋章は、鶏の死骸の下に落とされていたものだ。何とも言えない表情で碧玉の紋を取り出し、澄蘭は唇を歪めてそれを腰に下げる。
そうして、その場にへたり込んだままの侍女に歩み寄り、彼女の顔を見下ろした。
「あなたは……、ラティカ様の侍女の、ドワーニだったわね? 何故、こんなことをしたの?」




