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十.洗濯場にて

 侍女頭である自分以外の女官には、三人で一部屋が与えられている。


 祖国から共にやって来た桃児(とうじ)香玉(こうぎょく)が同室だが、そこに人員の都合上、もう一人、シャグン人女官が加わっている。

 姷明(ゆうめい)は一度自室に戻り、その後すぐに二人の部屋を訪ねた。

 部屋には二人きりしかおらず、扉を開けた香玉は今にも泣き出しそうな顔をしている。


「……何かあれば、遠慮せず澄蘭(ちょうらん)様を頼りなさい」


 そう力強く声を掛け、姷明は無人の裁縫室へ向かった。


(裁縫は先ほどのヤトラが得意で、よく任せている。今は誰かの部屋にいるのかしら? 桃児たちの同部屋の女官も、部屋にいなかったし)


 しんと静まり返った廊下を確認しながら、姷明はひっそりと宮の外に足を踏み出した。









「……そこのあなた、こちらもお願い」


 不意に声を掛けられ、姷明(ゆうめい)は内心で飛び上がった。


 彼女が纏っているのは、洗濯女官や厨房女官のいわゆる雑役女官の衣装だった。

 食事は異物混入防止の観点から、各宮所属の女官が取りに行くが、洗濯物は洗濯女官が届けに来るのが常だ。姷明はそんな女官の一人を装い、後宮内を堂々と歩いていた。

 だが、通りがかったシュレヤの宮の手前で洗濯物を押し付けられ、冷や汗をかきながら受け取る羽目になった。


 洗濯女官と、厨房女官は共に二十名ずつ。各宮の侍女たちに顔を覚えられている恐れもあったが、シュレヤの女官は、新人か何かだと思ってくれたようだ。姷明は気配を殺し、そそくさと洗濯場に向かった。





 洗濯場は後宮の南西のファリダの宮、その更に外側に位置している。

 初めて足を踏み入れたそこは、かつて祖国で洗濯女官をしていた姷明(ゆうめい)には、懐かしい香りが漂っていた。

 勝手が分からず、姷明は一瞬戸惑って周囲を見回す。そこに運良く、同じように洗濯物を抱えた女官が通りがかるのを見て、さりげなく後に続いた。

 預かった洗濯物は一番手前の部屋に保管しているようで、素早く見渡す限り、各宮ごとに洗濯物を置く場所は決まっていた。そして置き場ごとに、各宮の名前と、洗濯前か洗濯完了分かという表示が掲げられている。


(合理的な国で助かったわ)


 姷明はほっとしながら、洗濯物を所定の場所に置き、忍び足で部屋を出た。


 道中では肝が冷えたが、収穫もあった。

 雑役女官の制服を身に着けていれば、意外と後宮内では怪しまれないものだ。祖国のように大量の女官がいるわけではないので、勢い込んで出て来たものの、内心は不安があった。だが、何とか目的が果たせそうだと、姷明は嘆息する。

 洗濯に用いるムクロジの香りを追い、姷明が足を進めていると、天井の高い開けた広間に大勢の女性が集まっているのが見えた。

 素早く通路に身を隠し、耳をそばだてていると、ジャブジャブという水音の合間から、勢いの良いシャグン語の会話が響き渡った。


「──まったく、とんだ女狐が紛れ込んできたもんだねぇ!」

「あの礼国女? ほんと、お優しいサミーラ様になんてことを。許せないわ」


 早口な上に、水音に遮られるため、聞き取れない内容も多い。それでも、澄蘭(ちょうらん)の悪口で盛り上がっているのは間違いなさそうだ。姷明は通路から別の女官が現れないか、気を配りつつ、洗濯女官たちの会話に耳を澄ませる。


(それにしても、雑役女官にもこれほど慕われるとは……。サミーラ様は、ただの大人しい側妃というだけではなさそうね)


 自分にぶつけられた悪意に泣きじゃくり、怯えた目で澄蘭を見つめていた妃の姿を思い出し、姷明は内心で溜め息をついた。

 洗濯女官たちはひとしきり、澄蘭の悪口で盛り上がり、やがて誰かが「そうだわ」と話を切り替えた。


「――そういえば、あの異国女の宮に移られた、ヤトラ様。私、昨夜、外を歩いておられるのを見た気がするのよ」


 よく知った名前を聞き止め、姷明はピクリと眉を跳ね上げる。女官たちも(いぶか)しげに、彼女を問い質した。


「夜に? というかなんであんたも、そんな時間に外にいたのよ」

「眠れなかったのよ。……ほら、実家の母が倒れたって話したでしょ? 女神様の祭壇にお祈りに行ってたの」


 ああ、と気まずげに呟き、先ほど声を上げた女官が頭を下げる。

 澄蘭の流星宮の更に北にある祭壇は、下働きの女官でも祠の外から参拝することは可能だ。後宮内の夜間外出も、推奨はされないが、禁止されているわけでもない。

 しんみりとした空気を切り替えるように、その女官は明るい声で話を続けた。


「それで、お参りを終えて帰るところで、ヤトラ様が流星宮から出てこられたのに遭遇して。

暗かったけど、驚いてお互いに顔を上げたから、見間違いじゃないと思う」


 彼女の言葉に、洗濯女官たちは顔を見合わせた。ちなみに雑談に興じながらも、洗濯の手は一切止まっていないのはさすがだ。


「……サミーラ様の宮に戻れるよう、お祈りに行かれたのかねぇ?」

「随分、慕っておられたものね。あの異国女が嫁いでくるせいで異動になって、よく後宮の陰で泣いていらしたわ」


(……そうか、ヤトラは元々、サミーラ様の穏明宮(おんめいきゅう)の女官だったわね)


 目を細める姷明の視線の先で、夜分にサミーラを見掛けたという女官は、不思議そうに首を傾げた。


「それが、すれ違ったあとにこっそりお姿を目で追ってたら、南東側に向かって行かれたのよ。あっちはラティカ様とサミーラ様、それに厨房しかないでしょう?」

「……それなら、サミーラ様の宮を外から眺めに行かれたのかもねぇ。あの女がやって来て、三ヶ月ぐらいだろ? 見上げた忠誠心だよ。──ああ、そういや、」


 女官たちは仕事の合間に、次々と話題を切り替えていく。今朝の事件からは話題が逸れていき、姷明はそっとその場を後にした。



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