紫の瞳の謎
俺は研究の傍ら、「紫色の瞳」についての調査を続けていた。
美咲と橋田先輩が俺の瞳が紫色に見えていたということが気になったためだ。
そう見えた二人が脳腫瘍だったというのは偶然なのだろうか?
最初は手当たり次第に検索などしていたが、次第に文献が集まるようになって行った。
主に医学関係と宗教学に関する文献を多く当たるようになって行き、膨大な資料が集まって行った。
そしてその中でも二つ、興味深いものが見つかった。
一つはアメリカの医学研究所の所員が書いた医学論文であり、脳に障害を負った人間に関する記録だった。
大脳辺縁系に先天的後天的な異常があった患者たちの視覚の記録であり、現実には存在しないものを知覚するという研究だった。
脳の障害がどのような幻覚を生み出すのかを集めたものだ。
医学論文としても非常に興味深い。
498人もの患者についての長期に亙る調査記録であり、様々な幻覚を見ている事例を集めたものだ。
幻覚は人間や動物などのものが多いようだが色覚への異常の事例もあった。
その中の一つに脳腫瘍患者のものがあり、特定の人間に対して瞳が紫色に見えるというものだった。
論文の執筆者はこの事例に特に興味を持ったようで、詳細に記録を残していた。
《特定の異性に対してそう見えるようで、強い恋愛感情を抱く》
そうあった。
俺は衝撃を受けた。
俺にはもちろん覚えがあるためだ。
美咲がそうだったし、橋田先輩もまた俺の瞳が紫色に見えたのだということだった。
論文でも、もちろん現実にはその対象相手の瞳は紫色では無かった。
人種も様々で、アジア圏での事例もあり、光彩が紫色になることは皆無のはずだ。
光の反射の具合でそう見えたとしても、何度でもそう見えるようでおまけに恋愛感情を抱くのだという。
もう一つは旧い聖書にまつわる文献で『St.Violet』というものだ。
12世紀のローマのキリスト教の聖職者が書き残したものであり、当時としては珍しくユダヤ教のラビとの共同研究書だったようだ。
そのため原文はヘブライ語だったらしい。
そのヘブライ語で書かれていたものを英語に翻訳されたものが読めた。
バベルの塔の崩壊の際に現われた神についての文献だ。
かつてシンアルの地の人々が天まで届く高い塔を建設しようとした。
この話には諸説あるが、人間の思い上がった心を諫める話として知られている。
実際のジグラットなどがモデルになっていると言う者もいる。
聖書の記述が荒唐無稽な作り話ではなく、実際の歴史を記した文献であると考えている人間は多い。
創世記の記述がビッグバンと類似しているとか、ノアの洪水の痕跡を示そうとしている人もいる。
バベルの塔の話も実際の歴史的事件と考えている人間は、煉瓦やアスファルトで造られた場合の建築強度などを試算している人間もいる。
本当に当時の人間は、天に向かった高い塔を作ろうとしていたのだと。
しかし神はこの人類の傲慢を怒り、人々の言葉を乱して協力して作業できないようにした。
これが『旧約聖書』の創世記の記述であり、文献ではこれに関連すると思われる伝承を集めている。
一つは『旧約聖書』の記述に「我々は下って、彼らの言葉を乱そう」というものがあるが、神が複数形で書かれていることに注目していた。
通常神は唯一の存在であり、「三位一体」の概念はあるが、それであっても同一存在であることを示している。
だが、創世記の記述では「我々」となっている。
だから著者たちも不思議に思ったのではないだろうか。
そして様々な伝承や古文書をあたり、その中の神の一人が紫色の目を持つ存在であることを突き止めた。
ユダヤ教の口伝の中にその存在を見つけ出す人間たちの話があり、その人間たちは神の瞳が紫色だったと言っている。
その人間たちはそれで神の存在を知り、遠くへ離れてバベルの塔の災害から逃れたという。
また他の時代にも紫色の瞳の神と遭遇し、災害から逃れたりしているらしい。
ノアたちだけが逃れた大洪水の前にも顕われているし、ソドムの崩壊の前にも顕われたりしている。
そして、毎回その神を見出しているのは、神の瞳が紫色だと言っている人間たちだ。
著者はそういった伝承を集めているようだった。
俺は考え込んだ。
もちろん俺は神などではないし、全然偉い人間でもない。
ただ、俺は美咲の遺した最期の日記の中で一つ不可解な部分を思い出していた。
美咲は幼児退行を起こし子供の美咲になった。
しかし大人の美咲が時折表に出ていたようだ。
《子供のわたしも「私」だから。 そうみんなで話し合って決めたんだ。》
子供の「わたし」と大人の「私」がいた。
だがそうであれば「二人の私で話し合って」ということではないのか?
それに、5歳児の精神の美咲と話し合うことが出来るだろうか?
もしかしたら、子供の「わたし」、大人の「私」の他に、もう一人誰かがいたのではないのか?
日記を書いていたのは大人の美咲だ。
ならば、このような単純な書き間違いは起こさないのではないかと思った。
そうであれば、美咲は誰と話していたのだろうか。




