A4の紙
「兜坂君!」
真上から声が聞こえた。
俺は全身が熱く、節々の痛みに苦しんだ。
起き上がろうとして、誰かにそっと胸を押された。
そっと目を開くと、橋田先輩が泣きそうな顔で俺を見ていた。
身体を動かそうとすると、全身にチューブが入っていることに気付いた。
「動かないで! お願いだから大人しくしてて!」
「橋田先輩?」
「死に掛けていたのよ! もう少し発見が遅れてたら本当に危なかったんだから!」
「……」
俺は意識に霞が掛かったように、自分の状態がよく分からなかった。
見ているものは理解しても、そこに繋がる状況が分からない。
俺の胸を押さえていた橋田先輩が俺の目を見て涙を零した。
みるみる俺の胸が濡れて行く。
「良かった! 意識を取り戻したのね!」
「橋田先輩、どうして……」
少しの間橋田先輩は俺の胸を押さえ続け、俺の様子を見てやっと身体を離した。
「眠っているあなたが暴れ出したから……」
そう言った直後に医師とナースが部屋に入って来た。
きっと暴れた俺の容態を見てナースコールを押したのだろう。
ようやく落ち着いて部屋を見ると、ICUではないが特別な個室のようだった。
病室には幾つもの機械があり、バイタルを観察し俺の身体に送り込む様々な薬品やブドウ糖などの点滴などが周囲にあった。
橋田先輩が話し、俺に医師たちが近づいて来る。
「ご気分はいかがですか?」
「ええ、全身が痛いのと熱さを感じています」
「そうですか」
医師が俺の瞳孔反射や聴診器で容態を診て、ナースたちが俺に繋がった機器を確認して行く。
点滴が腕と腿に入り、チューブも何本か伸びている。
医師がシリンジに入れた薬品を静脈に打つと、熱と痛みが少し退いた。
「少し楽になりました」
「鎮痛剤です。また痛みが出てきたら呼んでください」
「ありがとうございます」
何の説明もなく、医師たちは部屋を出て行った。
俺はまだぼんやりとしていた。
意識が上手くまとまらない感覚がある。
ここが病院であることは何となく分かったが、その経緯の記憶も、またそれを探ろうとする意欲も無かった。
ただ痛みや熱のことだけで、それすらもどこか遠い出来事にも感じていた。
「良かった……」
「橋田先輩?」
「そうよ、分かる? あなたは3週間も眠っていたの。危険な状態だったのよ?」
「そうですか、すいません」
よくは分からなかったが、俺はどうでも良かった。
しかし、少しずつだが意識の霞が晴れて来て、俺は自分の状況を理解した。
そうだ、俺は惨めに死にたかったのだ。
自分が嫌になり、美咲と同じく死にたかったのだ。
美咲を助けられなかった俺、裏切った俺は美咲に会えるとも思っていなかった。
美咲は綺麗な天国へ行き、俺はそんな場所へは行けないと思った。
橋田先輩が俺を見て泣いていた。
そしてまるで俺の心を読んだかのように言った。
「死なないで、お願いだから! 生きて! ねえ、兜坂君、お願いよ!」
「はい」
本気で叫んでいる橋田先輩に、俺はそう答えるしかなかった。
俺は死ねなかったのだ。
そして、夢で見た美咲のことを思い出していた。
美咲は俺に生きるように言った。
あれは俺が見た夢で、自分にそんな資格は無いのかもしれないが。
でも、そうであっても美咲に頼まれたのだ。
たとえ自分の生み出した身勝手な妄想であったとしても、美咲がそう言ったのだ。
橋田先輩はそれから毎日病室へ来て俺を看病した。
何度も必要無いと言ったが、橋田先輩は来た。
俺の両親と美咲の御両親も見舞いに来て、俺が助かったことを喜んでいた。
俺の身体は一時は本当に危険な状態だったようだが、病院で治療を受け整った食事をしていると1ヶ月で退院した。
家に来るようにお袋から言われたが、俺は美咲と暮らしたマンションへ戻った。
美咲の御両親が簡易的に美咲の遺影と位牌を置いておいてくれていた。
綺麗に掃除され、酒の類は全て無くなっていた。
お袋が付いて来たが、翌朝には帰って行った。
「辛いだろうけど、ちゃんと生きなさい」
「ああ、分かってる。ごめんな、心配をかけた」
「いいよ。あんたが美咲ちゃんをどれだけ好きだったのか知ってるからね。でも孝道の人生は終わってないの。美咲ちゃんが悲しむようなことはもうしないでね」
「うん、ごめんな」
マンションに戻っても、俺はまだ現実感が無く、取り乱すことは無かった。
だからお袋も安心して帰って行ったのだろう。
助かってしまった俺は、もう死ぬつもりも無かった。
生きたいわけではないが、美咲の言葉に従うしかなかった。
何をすれば良いのかは分からないし、今は何も考えられない。
会社の方は丁度バカンスを申請していたこともあり、若干の休職扱いということになっていた。
橋田常務も入院中に見舞いに来てくれ、ゆっくり養生するように言われた。
「そうだった」
俺は美咲の夢の内容を思い出し、ベッドの下を探した。
すぐに革製のトレイ型の書類ケースが見つかった。
「おい、夢の通りじゃないか」
書類ケースには、A4の便箋にびっしりと文字が書かれていたものが重なっていた。
数えてみると4枚あった。
美咲の字だ。
書いた日付があり、俺への感謝と不甲斐ない自分の詫びが綴られていた。
恐らく大人の美咲が意識を取り戻すことがあったのだろうことが初めて分かった。
その僅かな時間で、この便箋に書き残していたのだろう。
途中で子供の美咲に切り替わりそうになり、言葉が乱れる箇所もあった。
美咲は毎回最後の意識で、これを隠していたに違いない。
俺に言わなかったのは、知れば俺が混乱することを恐れたせいらしい。
美咲は最後まで俺のためを思っていてくれたのだ。
俺は号泣した。
噴き出す涙で便箋を濡らさないように、遠くへ離した。
美咲がどんなに俺と話したかったのかを思って泣いた。
美咲の優しさを思い知って泣いた。
もう本当に会えないことを思って泣いた。
でも絶望は無かった。
美咲はこんなにも俺を思っていてくれたのだ。
だったら俺もまだ美咲を愛し続けることが出来る。
俺たちの絆は何があろうと切れてしまうものではないのだ。
自分の死後に俺をこんなにも思ってくれていた美咲のために、俺は生きなければならない。
そのことがどうしようもなく悲しくて、また泣いた。




