「私」が残せるものを
また私が表に出れた。
本当に時々しか私の意識は表には出られない。
タカちゃんは相変わらず優しい。
私のために一生懸命になっていろいろしてくれているのは分かっている。
多くの時間は幼児になったわたしが表に出ているが、時々大人の私も出て来れるようになった。
タカちゃんを混乱させたくないので黙っているが。
表に出ても、幼児のわたしのフリをしている。
そして私は幼児のわたしが見聞きしたことは、全部分かってる。
だからタカちゃんが幼児になったことに関係無く、わたしに優しいことも知っている。
微笑みかけ、わたしを抱き締めて、泣いていると優しく慰めてくれる。
幼児のわたしのお世話をして、美味しいものを作ってくれる。
タカちゃんが見つからなくて大泣きしているのを何とかしようと、お母さんも呼んでくれた。
幼児のわたしもお母さんがいると落ち着いている。
でもお母さんにも大人の私が時々出ていることは知られてはならない。
大人の私に戻ると、いろいろなものを見る。
タカちゃんがわたしに美味しいものを食べさせたいと思って、ノートにいろいろなメニューや献立を考えてくれていることも分かった。
タカちゃんの研究データなども見て、タカちゃんが何をしようとしているのかを知って驚いた。
どうやらタカちゃんは昔からの夢の、ガン細胞を克服するナノマシンの切っ掛けを掴んだようだ。
本当にタカちゃんは凄い!
あの「トウサカ・ストラクチャー」の発見も凄かった。
タカちゃんは「偶然だ」と言っているけど、絶対にそんなことはないことを私は知ってる。
タカちゃんは本当に努力して、一生懸命に探して、あの世界的な発見をしたんだ。
その上に今、ついにガン細胞を駆逐する構造体まで見つけた。
今は橋田先輩と協力しながら、それを実現する研究に没頭しているらしい。
それは本来長い時間が掛かるものだが、タカちゃんは何とかしようとしている。
そのために、どんなに頑張っているのかがタカちゃんのノートやコンピューターの記録からも分かった。
「5A169」構造体とタカちゃんは名付けた。
本当に凄い発見だ。
もしも「5A169」構造体が実現したら、多くの人たちが救われることになるだろう。
タカちゃんなら、絶対にやり遂げる!
でもタカちゃんは褒め称えられるためにそれをやってるんじゃない。
私のためだ。
そして、それは多分間に合わない……
タカちゃん、それでもいいんだよ?
ナノマシンはキラーT細胞に似せたもののようだけど、高分子構造の複雑なものは非常に難しいことは知っている。
単純な構造のものは成田教授の研究室でも多く作れるようになったのは知っているけど、高分子は複雑過ぎてまだまだ時間が掛かるだろう。
ナノマシンで幾つもの構造体を作りながら、それを結合しなければならない。
構造体のモデルを見出しただけでもスゴイことだけど、それを実現するのは長い年月が必要だ。
それに多分、それが製薬として認めてもらうのは、もっと時間が掛かる。
これまで世界にナノマシンの製薬は存在しないためだ。
だから安全性の確認には様々な臨床実験が必要になる。
それでもタカちゃんはやろうとしてる。
私のために、絶対に諦めない人だ。
知ってる……
タカちゃんは少し痩せてきたし、あまり眠ってもいないようだ。
時々私の隣でうなされていることもある。
幼児のわたしも大人の私も、気付けばタカちゃんの額を撫でて落ち着かせている。
私たちはタカちゃんが大好きだからだ。
無理をしないで欲しいけど、私には何も出来ない……
タカちゃんを見詰めることしか出来ない。
『むらさきいろの目の王子さま』を橋田先輩が書いたのだとさっき聞いて驚いた。
丁度大人の私が目覚めている時だった。
幼児のわたしがあの本を一目で気に入ったのは、表紙の王子様の瞳が紫色だったせいだろう。
私も気に入って、タカちゃんがいない時に最後まで読んでみた。
美しい話だった。
主人公のナッチャンは王子様のためにどんなことでもやって行く。
オオカミの群れに危険を冒して飛び込んで行ったり、食べられるものを探し回って危ない目にも遭う。
でも王子様が喜ぶと自分も嬉しい。
私と同じだ。
私もタカちゃんのために何でもしたい。
でも、何も出来なくなっちゃった……
そして『むらさきいろの目の王子さま』を橋田先輩が書いたのだと知って、私は全部分かった。
主人公の「ナッチャン」は橋田先輩自身だ。
橋田先輩も私と同じなんだ。
タカちゃんの瞳が綺麗な紫色に見えたのだ。
だからタカちゃんを好きになって、タカちゃんのために何でもしたいんだ。
タカちゃんのあの美しい紫色の瞳を見たら、どうしようもなく好きになるんだ。
だったら、タカちゃんには橋田先輩を大事にして欲しい。
もうすぐいなくなる私の代わりに、橋田先輩と幸せになって欲しい。
橋田先輩は本当に素敵な人だ。
何よりもタカちゃんのことを大事にしてくれるに違いない。
橋田先輩がタカちゃんのことが大好きだけど、私を選んだタカちゃんだから身を退いてくれていたのは分かってる。
美人だし背も高いし優しいし、それにお金持ちだ。
橋田先輩のお父さんがアストラール社の常務だったことを知った時はびっくりした。
タカちゃんは本当は橋田先輩と結婚したら幸せになるんだろう。
でもそのことを考えると胸が苦しくなる。
だけど、私はもういなくなるんだ。
だったら、橋田先輩にタカちゃんを支えて欲しい。
タカちゃんのために……
大人の私が表面に出ている時間は少ない。
だから私が出来ることを何とかしようと思っていた。
ほとんど何も出来ないけど、それでも何かしたい、出来ることは全部やりたい。
タカちゃん、私はもうすぐいなくなるけど、あんまり悲しまないで。
私はもう十分にタカちゃんにしてもらったよ。
それに私だってこんなにもタカちゃんのことが大好きになった。
もう私はそれでいい。
だから、せめてタカちゃんのために何かを残してあげたい。
私がタカちゃんのことをどんなにか好きだったのか。
そして、私がいなくなった後にタカちゃんの悲しみを少しでも和らげるように。
そのために、ほんの僅かな時間しかとれないけれど、出来るだけタカちゃんのために遺すようにしていた。
タカちゃん、愛してる……




