橋田先輩との再会
翌日は介護士の方をお願いして、数時間外出した。
連日になり美咲が不安がるかと思ったが、こればかりは仕方が無かった。
俺が約束した喫茶店に着くと、もう橋田先輩が広い窓辺に先に座っていた。
俺の姿を見つけて、弱々しく手を振って来る。
しばらくお会いしていなかったが、大分痩せられたようだ。
それでも相変わらず美しい人だった。
美咲のことを愛してはいるが、橋田先輩の美しさを感じないことは一切無かった。
本当に魅力的な方だ。
「御無沙汰してます」
「ううん、兜坂君、座って」
「はい」
ぎこちない遣り取りの後で俺も座った。
橋田先輩は既にコーヒーを頼んでいた。
一切口は付けられていなかったが。
すぐに店員が来て、俺はカフェオレを注文する。
「ごめんね、大変な時にわざわざ」
「いいえ、橋田先輩とはちゃんと話したいと思っていました」
「うん」
橋田先輩がまず、自殺未遂のことを俺にあらためて詫びた。
あのことがあって俺と会うのは、橋田先輩にとって大きな苦痛だったはずだ。
それでも俺を呼んだ。
俺ももちろん気にしないで欲しいと頼んだ。
「それでどうして橋田先輩は美咲の病気のことを知ったんですか?」
最も気になっていたことだ。
ずっと美咲の傍にいた俺でさえ、美咲が病気だなんてただの一度も思わなかったのだ。
「私のお母さんがね、同じだったの」
「え?」
「脳腫瘍だった。私が小さい時に時々感情が爆発してね。それが佐伯さんと同じだったから」
「そうだったんですか」
橋田先輩の母親が橋田先輩が小学生の時に亡くなっていることは聞いていた。
脳腫瘍だったことは今初めて聞いたが。
「まさかと思ってた。でも万一佐伯さんがそうだったとしたら、そう思って……」
「そうですか」
橋田先輩が複雑な気持ちでやったのだろうことは俺にも分かった。
もちろん美咲や俺のことを心配したことが一番だっただろう。
「もう分かってるだろうけど、私が調べたの。父は関係無いわ。私が勝手に探偵やいろいろな伝手を使ってね」
「そうなんですか」
そうなんだろうとは思っていた。
そうでなければ知られるはずはない。
俺にしてからが、美咲と婚約してから初めて聞かされたのだ。
きっと相当な無理をして調べさせたのだろう。
詳しい話は敢えて聞かなかった。
「もちろん兜坂君のことがあったから。もう謝っても許されないことだけど、どうしても兜坂君と結婚したかったの」
橋田先輩は正直に打ち明けてくれた。
本当は美咲や俺への心配からだったろうに、自分が最も嫌われることを口にした。
誠実な方なのだ。
「いつ頃ですか?」
「2年前」
「え?」
「兜坂君が佐伯さんと正式に付き合うようになったから。あのね、言い訳にしかならないけど、別に佐伯さんの秘密を握りたいとかではなかったのよ」
「はい、信じますよ」
そういう人ではない。
純粋に俺たちのことが心配だったのだ。
それに、むしろ自分を納得させるためではなかったんじゃないだろうか。
俺と美咲のことを調べて、自分が立ち入る隙が無いことを確認したかった。
それが思わぬ真実へ辿り着いてしまったのだ。
美咲が自分の母親と同じく脳腫瘍であることは、可能性の一つでしかなかった。
もしそうであれば、俺は美咲から離れることになる。
でもそれは橋田先輩の淡い期待でしかない。
実際にそれが真実であったことを知って、橋田先輩は大きな衝撃を受けてしまった。
自分の罪深さを思い知ったのだ。
そしてその真実をもって俺と美咲を引き裂こうとは微塵も思わなかった。
「偶然だったの。佐伯さんを心配してのことだったのよ」
「はい、そうでしょうね」
「調べる人に、佐伯さんが時々感情的になることがあるから、その原因が分ったらとは思っていたわ。私の母親がそうだったから、万一佐伯さんが同じ病気であれば大変だと思って。でもそのことと、佐伯さんが毎月通院していることが分ったのが繋がって来て」
「……」
「調べてた人たちが無理に調べたの」
「どうやってですか?」
「分からない。報告書にはその方法までは書かれていなかったわ。でも病院関係者からの証言で間違いないと。MRIの画像データも添えてあった」
「!」
それは病院関係者の重大な違反だ。
でも今はそのことはどうでもいい。
「本当にごめんなさい。そんなことを知るつもりはなかった。父にも話したの。父からも叱られたわ」
「そうですか」
橋田常務が俺と美咲のためにあんなに奔走してくれたのは、そういう背景もあったのかもしれない。
そうであれば納得も行く。
「橋田先輩、もう気になさらないで下さい。今となってはもう……」
「ごめんなさい。許されないことだって思ってる。謝って済むことじゃないよね」
「いいえ、もういいんです」
本当にそれはもういい。
「兜坂君、あなたはガンの克服のためにナノマシン開発をしているわよね?」
「はい」
ずっとそうだったのは、橋田先輩もよく知っている。
「今はまだ研究途上だけど、あの後で私はあることに気付いたの」
「はい?」
「あの後」というのは、橋田先輩の自殺未遂のことだろう。
「佐伯さんの脳腫瘍が今の医学ではどうにもならないことは分かってる。可能性があるのはナノマシンだけよ」
「いや、でもまだ臨床段階にさえ……」
「4か月前に兜坂君が提案した「5A169構造」のこと覚えているでしょう?」
「はい、キラーT細胞の一つを模倣したものですよね?」
「そう。あの「5A169構造」を徹底的に分析してみたの。この論文を見て」
橋田先輩が鞄から分厚い英語論文を出して俺に渡した。
アメリカのスタンフォード大学の教授の医学論文で、あるキラーT細胞に関するものだった。
橋田先輩が箇所を指摘し、俺は開いた。
「これは……」
「脳腫瘍が縮小した患者に関する論文よ。あるキラーT細胞の増殖を指摘してる。この構造って、兜坂君が提案したものによく似てると思わない?」
「!」
論文には電子顕微鏡での画像があり、橋田先輩の言う通りだった。




