結婚したんだよ?
美咲を家まで送り、美咲のお母さんと一緒にそのまま行きつけの病院までタクシーで移動した。
途中で電話して美咲の状態は話しているが、お母さんはとても心配していた。
だがずっと美咲は俺を向いてニコニコしている。
自分が記憶を喪っているなどとは全然考えてもいないようだ。
それはそうだろうが。
とにかく美咲はどこだろうと、俺がいれば安心できるようだった。
すぐに担当医が美咲を診察した。
MRIを撮り、美咲に幾つか質問をした。
一人でMRIに入る時は大泣きしたが、美咲は俺と一緒だったので医師の質問には笑顔で答えた。
担当医が言った。
「間違いなく脳腫瘍の影響です。記憶領域が影響を受けて、精神年齢が退行しているようです」
脳腫瘍の症状では時々あるそうだ。
「それは今後どうなるんですか?」
「分かりません、このままなのか、また記憶が復活するのか。脳神経の圧迫によって起きていることなので、まずは脳圧を下げることを検討しましょう」
「お願いします!」
脳神経が壊死を起こせば、記憶は喪われる。
今はその兆候があるが、まだ多くのシナプスは無事なようだった。
圧迫が弱まれば好転する可能性もある。
だが担当医は沈んだ表情で「可能性」とだけ言った。
脳腫瘍が肥大していることを考えれば、そういうことは起きないのだろう。
記憶を喪っているとはいえ、美咲を目の前にしていたので言葉を濁したのだ。
美咲のお母さんに言われて、俺は一度会社へ戻った。
片付けなければならない仕事もあった。
その夜、美咲のご両親に呼ばれた。
どうしても手放せない仕事があって夜も遅くなったが、二人共起きていて俺を家に入れてくれた。
美咲はもう眠っていた。
「孝道君、どうやら本当にここまでだ」
「……」
「美咲はこのまま死んでいくだろう。もう美咲のことは忘れて、孝道君には自分の人生を歩んで欲しい」
そうお父さんに言われた。
お母さんは悲しそうな顔をしていた。
俺にも分かっていた。
だから決意していた。
「今だからこそです」
「え?」
「美咲と結婚させて下さい。美咲はあとどれだけ生きられるのか分からない。だから俺が最後まで美咲の傍にいたいです!」
「孝道君、それは……」
「お願いします! 美咲と一緒に! 最後まで美咲の傍に!」
「そうは言っても、もう美咲は戻らないんだよ。君は立派な仕事を抱えている優秀な人間じゃないか、美咲のことは有難いが、君の……」
「俺は美咲が一番大事なんです! 他の俺の人生なんてどうでもいい! 最後まで美咲の傍にいさせて下さい! どうかお願いします!」
「孝道君……」
「美咲は記憶を失くしたのかもしれません。でも、今も俺と一緒にいれば、あんなにも嬉しそうに笑う。お願いします!」
お母さんが泣いていた。
しばらく話し合って、俺はどうにか許可を得ることが出来た。
その後の詳細な検査で、美咲はどうやら3~5歳の精神年齢であり、記憶の一部は残されているようだが、多くの記憶がその年齢辺りまでのもののようだった。
断片的には覚えていても、それが意識の表層に出て来るかは分からなかった。
俺は会社の近くにマンションを借り、そこで美咲と一緒に住むこととなった。
俺が会社にいる間は専門の介護士の方を雇う。
会社の方にも美咲の病気のことを話し、なるべく俺に在宅勤務をさせてくれるように手配してくれた。
非常にありがたかった。
週に一度は出勤の必要があるが、俺は自宅で研究を続けながら美咲と一緒にいられる。
俺は急いで家を借り、様々な手配をした。
業者に無理を言って1週間で家の準備を整え、美咲を迎え入れた。
新しい生活を始める。
「美咲、今日からここで一緒に暮らすんだぞ?」
「え、タカちゃんと! ほんとに!」
「本当だ、よろしくお願いします」
「え、なんで! どうしてタカちゃんと一緒に住むの?」
「結婚したからだよ。俺たちは今日から夫婦なんだ」
「タカちゃん、ほんと? タカちゃん、嬉しいよ!」
「俺もだ。さあ、入ろう」
美咲は理由も尋ねず、ただただ喜んで俺に抱き着いた。
どうして結婚したのだだとかは、美咲の中で問題にはならない。
そのことは多少は悲しいが、有難いことでもあった。
美咲はとにかく俺だけを見ていてくれている。
8階建てのマンションの8階の角部屋だった。
3LDKの部屋で、結構広めだ。
ファミリー向けの間取りであり、俺たちが暮らすには十分だろう。
内装は全て新しくし、全室に手すりや柔らかな緩衝材の入った壁を貼っている。
床もある程度クッション性があるものにして、美咲が今後運動機能が衰えてもなるべく安全なようにした。
家具の角にも全てクッションを充てている。
ドアは鍵を改造して、内側からは開けられないようにしてある。
介護士の方には専門の鍵を渡した。
俺が週に一度出勤する時と、何かの用事で出掛ける場合に来て貰う契約だ。
美咲が部屋を見て喜んだ。
俺も楽しくなって、美咲を案内した。
「ここがリヴィングだ。広いだろう? 28畳もあるんだぜ」
「すごい! きれい!」
「な! こっちが寝室だ。リヴィングのこのドアで続いている。12畳だよ」
「へぇー! 私の?」
「いや俺たちのだよ。ベッドは広いから、一緒に寝られるよ」
「……」
「おい、どうした?」
美咲が不安そうな顔をしている。
なんだ?
「タカちゃん」
「うん?」
「エッチなことはダメだよ」
「!」
なんで5歳児がそんなことを!
これが記憶の断片ということか。
5歳までの記憶と、大人になるまでの記憶の一部が発現しているのだ。
それが美咲の脳内で矛盾の無いものに作り替えられている。
性的なことに臆病な美咲がそのままでいるのだ。
「もちろんだよ! 大好きな美咲と一緒に寝たいだけさ!」
「うん!」
俺の言葉を聞いて、美咲はニコニコしていた。
良かった。
夜でも美咲の容態に変調があるかもしれない。
だから一緒に寝たかった。
俺は料理には少々自身があったし、ある程度は美味しいものが作れるつもりだ。
もちろん今後も勉強して行くつもりだ。
あとの部屋は9畳間は俺の仕事場、もう一つ5畳間はフリースペースにした。
美咲の遊び場にしてもいい。
風呂場とトイレも案内した。
美咲は興奮しながら見て行ったが、ずっと俺の手を握っていた。
「どうだ、新しい家は?」
「うん」
「あれ、気に入らなかったか?」
「そうじゃないの。すごくうれしい」
「そっか、良かった」
「だって、タカちゃんと一緒なんでしょ!」
「そうだな!」
二人で笑った。
美咲が俺に抱き着いて来た。
「タカちゃん!」
「おう!」
「うれしい!」
「そうだな!」
美咲を抱き締めた。
美咲の最期の時間を過ごす空間。
俺は精一杯に美咲を笑顔にすることだけ考えていた。




