第八話
「それって、どう言う意味かしら?」
「……そのままの意味だ」
帰す気はない、真白の言葉は私たちが恋人同士であればとても甘い囁きであったのだろう。
だが私達はただの幼馴染であって、恋人ではない。何より、真白の表情は曇っていて――とても甘い意味を持たせたいなどと思っている雰囲気ではなかった。
「知りすぎたんだ……俺の事も“あの人”の事もお前の父親――久賀先生の死についても」
真白は眉を顰め、辛そうに言う。真っ直ぐ私を見つめていた瞳は逸らされる。
「外で誰かに言いふらされたら、困るんだ」
気がつくと真白は、高い背を丸め体を抱くように両腕を胸の下で組んでいる。何かに怯えている様子にも受け取れる。
「……困るって。真白、あなたは何を隠してるの?」
静かな部屋に、私の声だけが落ちた。
真白は固まり、こちらを見ようとしない。視線を逸らしたまま、掴んでいる自分の腕へさらに力を込めた。白く浮いた指先が、彼の緊張を雄弁に語っている。
「隠してなんか──」
言いかけた言葉は、喉の奥で途切れた。
噛みしめた唇が白く変色し、沈黙が部屋を満たす。まるで、言葉そのものを飲み込み、鍵をかけたようだった。
私の胸の奥に、冷たいものがすっと落ちる。
「その隠し事を突き止めなきゃ、私は……ここから出られないのね」
告げた瞬間、真白の横顔が揺れた。相反する感情が同じ顔に同居していて、目を離せなかった。
「違う、家から出したくないのは……先生に、見せたくないから」
「先生……?」
「あの人は……奪う。俺のものを、なんでも。久賀先生も」
久賀先生――父の名を聞いた瞬間、呼吸が浅くなる。
真白の言葉の意味は、まだ霧の向こうにあるのに、胸だけが先にざわついた。
「此処から出す気なんか……無い」
その宣告に、部屋の温度がすっと下がった気がした。
真白が私の手を掴む。指が絡みつくように強く、逃がさないと告げるような力で。
「俺は、もう間違ってるのかもしれない。……でも、久賀先生を失った今――お前を失うくらいなら、正しさなんてどうでもいい」
真白の瞳は真っ直ぐで、声音は狂ってはいないけれど、常軌を逸したほどに澄んでいて、恐ろしく、同時に胸が痛んだ。
「真白……」
呼びかけると、彼の指がさらにきつく締まり、骨に痛みが走る。
「……痛いわ」
その一言で、真白の指がぴくりと震えた。
はっとしたように手を放し、見る間に顔色が変わっていく。
「っ、ごめん……」
震える声が、湿った空気の中に落ちる。
真白は自分の両手を見下ろし、まるでそこに罪でも刻まれているかのようにかすかに身をすくませた。
私はそっと手を胸の前に戻した。痕がうっすらと赤い。
けれど、それよりも真白の姿のほうが胸に刺さる。
――彼は、何に怯えているのか。
答えは、もう少しで触れられそうなところにある気がした。けれど同時に、その扉の向こう側を知れば、戻れなくなる予感もした。
真白は、俯いたままかすかに呟く。
「……離したら、どこかに行く気がして」
まるで幼い頃の真白が、そのまま大きくなってしまったように。胸が締めつけられ、私はほんのわずかに息を吸った。
「真白。私は逃げないわ。ただ、真実が知りたいだけ」
その言葉に、真白はゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、痛いほどまっすぐで、揺らぎ、歪み、誰よりも必死だった。
――この人は、何を抱えて生きてきたんだろう。
手のひらがまだ少し痛む。
けれど、それすらも真白という存在の影の一部のように思えてしまった。
(少なくとも今のところ…私に明確に危害を加えようとは思っていない)
そう思うと、自然に笑みが溢れる。
「ねぇ、真白。」
意を決して言う。
「私を住み込みの女中として雇って欲しいの」
「…………女中?」
私の提案に、真白は目を瞬かせた。
「ええ。真白が私を家に帰す気が無い事も、真白が父の事について知って欲しくない気持ちもよく分かったわ」
「…そうか」
「だからと言って、私だって何も理由無くこの家にいる事はできない」
私が淡々と告げると、真白はさらに眉根を寄せた。
彼にとっては、私がここに「居てくれる」ことだけで、十分なようであった。
「……何もしなくていい」
「それじゃあ、居心地が悪いわ。私だって家事くらいできるんだから手伝いたい。お給金は、そうね、寝る場所と食事、後、ほんの少しのお手当でいいわ」
(真白が父親の真相について、何か握っているのは確かだ。真白の側にいれば何か分かるかもしれない)
「ね? 女中として雇ってくれる?」
真白は長い沈黙ののち、小さく頷いた。
「……雇う。お前を、俺の手元に置く理由になるなら……」
そして、ごく淡い声で続ける。
「誰にも……渡さずに済む」
その言葉の冷たさとは裏腹に、握った手は熱く震えていた。




