第七話
不気味なほど静かな部屋で思考を巡らせていると、扉を叩く音がした。
襖を開け廊下に出る。人の気配はない。
ただ、扉の前には膳と蝋燭が置かれていた。
漆の膳の上には、湯気の立つ味噌汁、白飯、大根の漬物、そして田楽豆腐並んでいる。
湯気と一緒に立ち込める、美味しそうな香り。
どれも私の好物ばかりだった。
部屋に持ち込み、蝋燭をつけると部屋が明るくなる。
その灯の下、初めに味噌汁に口をつけた。熱いくらいの温かな味噌汁を飲み込む。
無意識に緊張していた体の力が抜けていき、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。
味噌の柔らかな香りで、ふと呼び起こされる記憶。
夕暮れに、父と真白と私の三人で囲んだ食卓。
ありし日のぬくもりが鮮明に甦る。
だからこそ、胸に浮かぶ疑問が離れないのだ。
(この人は、本当に、お父様を、殺したのだろうか)
なんど胸の中で、自問自答しても答えは出なかった。
―――
夜が明けた。
結局、真白とは部屋に案内された時以降会っていない。お膳は廊下に出すよう書置きがあり、布団はいつの間にか廊下に用意されていた。
温かな布団から名残惜しいが抜け出し、身支度を行う。身支度と言っても、私は何も持っていないし、この部屋には何も無い。
出来る限りの身支度を整え、廊下に出る。
板張りの床はひんやりとして、裸足に冷たかった。
廊下に差し込む光は細長く、落ちる影が几帳面に床へ並ぶ。歩くと古い建物特有の、木が軋む音が耳の奥に残る。
(昔ながらの……大きな家。人の気配は、しない)
湿気を孕んだ木の匂いに交じって、どこか懐かしい味噌の香りが鼻を擽った。
―――
香りを頼りに奥へ進むと台所に辿り着いた。
台所の戸口越しに、ふいに湯気が立ち上るのが見えた。
中にはこちらを背にして立っている、真白の姿が確認できた。
「おはよう、真白」
声をかけた瞬間、真白の動きがぴたりと止まった。味噌を溶いていた手が宙に浮いたま振り返る。
「……部屋に戻れ」
無表情。なのに、声だけが緊張で押し潰されていた。
私は真白の無言の静止を気にせず真白に近づく。
「夕食ありがとう、おいしかったわ。私の好きな物がいっぱいだった。お布団もふかふかしてて、ぐっすり眠れたわ」
笑ってそう告げ、真白を覗き込む。真白は目を逸らす。
菜箸を握る指先が痛々しいほど強張った。
「誰が食事を作ってくれたのだろうって思ったけれど、真白が昨日の食事を作ってくれたのかしら」
「…あぁ」
「本当に?お料理上手なのね!美味しかったわ!」
明るい声で、笑顔で、なにも無かった頃のように。私は真白に接する。そうすれば、真白も昔と同じように接してくれるのではないかと思った。
「ねぇ、何かお手伝いすることはあるかしら?」
「手伝い……?」
「そうよ。だって、一人では大変でしょう?」
明るい声。優しい提案。
昔なら、それでよかった。
真白は、静かに息を吸った。
それは、話すための呼吸ではなく堪えるための呼吸だった。
「あさひ」
真白に名前を呼ばれる。
「……なあに?」
努めて平然とした態度で真白に向き直る。しかし、真白はまるでその仕草さえ許せないように、強く視線を伏せた。
「……もう、俺の前でそんなふうに笑わないでくれ」
「え?」
「嬉しいとか、楽しいとか。俺なんかに向ける顔じゃない」
ゆらり、と真白の睫毛が震える。まるで泣き出しそうなほど声が震えていた。
「俺は……」
真白は唇をかすかに噛む。
自分を押し殺すための癖のように。
「お前を、家に帰す気はない。」
その言葉だけは、迷いがなかった。
震えていた指先も、呼吸の乱れも、その時だけは真っ直ぐだった。
沈黙が、部屋いっぱいに張り詰める。




