描く為の道具
姉上が向かったのは、
彼女の治める山域――翠竜塔付近の繁華街だった。
夕闇に灯りがともり、人の往来も多いその場所に、
何故向かうのか分からず、俺は小さな違和感を抱いた。
……次の被害者だと言っていたが、こんな人目の多い場所で?
そう思った、その時だった。
姉上は急に進路を変え、
人通りの少ない路地裏の小道へ迷いなく足を踏み入れた。
「……。」
喧騒が遠のき、
湿った空気と影だけが残る。
そして――その先にあった、
とある店の前で立ち止まると、姉上は強く戸を叩いた。
「ッ店主さん!
扉を開けてください!
早く……外に出て!!」
張り上げられた姉上の声に、
俺はようやく理解した。
――“次の被害者”は、この店の主なのだと。
「店主さ……
プリスナさんッ!!」
「無事か?!
プ、プリスナさん!」
俺も扉へ駆け寄り、名を呼ぶ。
だが――
中からの返事は、無い。
「姉上、変わってください!
……ッ無理やり開けます!」
そう言って、
俺は扉へ体当たりをした。
――だが。
「?!
……ッ駄目です!
この扉……結界が張られています……!」
「ッそんな……」
衝撃に合わせて、
扉の表面に淡く光る紋様が浮かび上がる。
まるで――
俺の攻撃を待っていたかのように。
これは物理でどうこう出来る代物ではない…。
いや……それどころか、
衝撃に反応して顕現する結界。
――まさか。
「ッ……まだ火はつけられてない!
この結界だって、破れる可能性はある……!
……兎に角、解析してみよう。
犯人の魔力跡が残っているかもしれない!」
「……はい!」
姉上の指示に従い、
俺はすぐさま結界の解析に入る。
だが――
「ッ……駄目です。
俺の知らない術式だ……」
「……古代術式なのは分かる……けど、
私にも破れない……。
魔王城に張られてる結界の方が
まだ理解できたよ……」
結界には、
見た事もない複雑な古代術式が
幾重にも組み込まれていた。
しかも一重ではない。
違う性質の結界が、何層にも折り重なっている。
……ここまで来ると、
専門家でも容易には手を出せないだろう。
「……でも……」
解析も解除も出来ず、
どう突破すべきか考えていると――
不意に、姉上が結界を見つめたまま
そう呟いた。
「この色……魔力跡……
……見覚えがある」
「……え?」
「……やっぱり……。
これ、人魚の魔力だ」
「それは……ッ
まさか……?!」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になる。
立ち尽くす俺を見て、姉上は静かに頷いた。
「今まで帝国内で起きた
多くの事件に関係してきた犯人と、
……全く同じ魔力跡よ」
――つまり。
この連続火災事件も、
偶発的なものでも、
単独犯の犯行でもない。
「……。」
非常に凶悪で、
計画的な者達が
裏で糸を引いている。
そう確信した瞬間、
夜の翠山が――
一層、重く息苦しく感じられた。
「……厄介な事になりましたね」
「えぇ……ものすごく……困ったわ」
姉上はそう言いながら、
開かない扉へもう一度手を伸ばし、
次々と結界解除術を施していく。
淡い光が結界表面を走るが――
やはり、結界が消える事は無かった。
「姉上は何故……
この店の店主が
次に狙われると気付けたのですか?」
俺も姉上に倣い、
駄目元でも……と結界解除術を施しながら、問いかけた。
姉上に渡した資料は、俺が事前に集めたものだ。
被害者の名前、死体の状態、
事件の発生場所……。
だが、どれも
“次の被害者を絞り込める”
ほど決定的な情報では無い――
少なくとも、俺にはそう思えた。
姉上は……
何を見て、この店に辿り着いたのだろう。
「……火災事件の被害に遭った人達は、
職人である事以外にも、共通点があるの」
姉上は結界の綻びを探しながら、
静かに答えてくれた。
「火災の被害じゃなくて、
健康被害を引き起こしてしまった人達は、
この山で生まれた――翠山の民。
でも……」
姉上の声が、少しだけ低くなる。
「火災事件の被害者達は
皆、この山の出身じゃないの」
「……ッ」
俺は思わず、
被害者名簿を再び開いた。
……確かに。
火災事件の被害者達は、妖族でも鬼族でも無い、
他の種族の民ばかりだった。
「このお店の店主さん……。
”プリスナ・インビジブル”さんが、
きっと……その“最後の一人”だと思ったの」
「……最後の、一人……」
その言葉が、
胸に重く沈む。
もし……
もしこの最後の一人を救えなかったら。
次は誰が狙われる?
誰が、被害者になる?
――もしも。
兄上達や姉上が……
小夜家の子供達が狙われたら……。
俺は……
今度こそ、立ち直れない。
「永護」
姉上に名を呼ばれ、
俺は暗い思考の渦から引き戻された。
顔を上げると、
姉上はいつの間にか翠羽を喚び出し、
その手には魔法武器を握っていた。
「結界の綻びを見つけたわ。
強行突破する。
……力を貸してほしい」
私だけじゃ出来ないから――
そう続けて、
姉上は武器を持たない方の手で、俺の手を握った。
あぁ……本当に……不甲斐ない。
どうやら俺は、
また姉上に気を遣わせてしまったらしい。
――しっかりしろ、俺。
姉上の足を引っ張るな。
力を……
己の価値を、示せ。
「……承知しました」
俺は気を引き締め、刀を鞘から抜く。
そして――
自らの式神を喚び出した。
『妖術駆使……
氷雨の式神よ。
今こそ、我らに助太刀し給え』
俺の声に応え、
黒猫のような姿をした式神が現れる。
姉上は結界の綻びを指で示し、
迷いなく告げた。
「……先ず私が綻びに魔法を打ち込む。
永護は、それを目印に
只管――突き技を叩き込んで」
「わかりました。
任せてください」
合図と同時に、
俺は刃を突き出した。
――意外にも。
その綻びは大きく、
刃を突き立てる度に
結界へ確かな亀裂が走る。
一突き、
また一突き。
そして――
──バリンッ……!
硝子の割れるような音が、
夜の路地裏に響き渡った。
「……割れた……」
「流石ね!ありがとう永護!
さぁ行きましょう!
店主さんを助けに!」
「ッ……はい!」
行く手を阻んでいた結界が消え、
俺達は迷う事なく
店の中へと駆け込んだ。
……しかし。
『……?』
「……店主さん……?」
「誰も……居ない……?」
店の中には、
本当に――誰一人として、居なかった。
この店は二階建てで、
一階が画材屋、二階が店主の私室らしい。
一階には、
思わず足を止めてしまうほど色鮮やかな絵の具が
ずらりと並べられていた。
緑、黄色、朱色……。
絵の具など使わない俺でも、
それらが上等な品だと分かるほど発色が良い。……いや。
……良すぎる、と言った方が正しいかもしれない。
まるで……
色そのものが主張してくるような鮮やかさは、
どこか――不気味だった。
二階は、
店主の私室が一つあるだけ。
家具も少なく、
人が隠れられるような場所は無い。
……やはり、誰も居ないのか?
俺は部屋の中を何度も見渡し、
小さく首を傾げた。
――なら、どうして。
どうしてこの店には、
あれほど複雑な結界が張られていたのだろう。
俺はてっきり……
犯人が店主を外へ逃がさない為、
そして――
外からの助けを遮断する為に、
あの結界を張ったのだと……そう思い込んでいたのに……。
「……朱い……」
犯人の意図が分からず、
俺が思考を巡らせていると、
不意に……
姉上が壁を見つめたまま、そう呟いた。
改めて目を向けると、確かに……
この部屋の壁は、異様だ。
壁紙に使われているのは、美しく、上品なはずの朱色。
だが、それが全面となると――
色の主張が激し過ぎる。
視界を埋め尽くす朱は、
目が痛くなるほどで、落ち着きというものが微塵も無い。
折角美しい色を選んでも、
ここまで極端だと残念な事になるだけなのだと、
役に立ちそうで立たない知識を得られた。
――ガタッ。
……その時。
一階から、
何かが倒れたような物音がした。
「……。」
嫌な予感が背筋を走り、
俺は反射的に二階から一階へ続く階段へ近づき、
下の様子を覗き込む。
「……?」
目に映ったのは――
朱色……。
「……、ッ?!」
……いや、違う。
あれは……
朱い……"火"だ。
「ッ、姉上!火が!!」
「ッ?!」
気付くのが遅すぎた。
一階は既に火に呑まれ、熱と煙が立ち昇っている。
扉は遠い……。
今から下に降りて外へ出るのは、
あまりにも危険だ。
俺は急いで二階の窓を開け、
結界が張り直されていないかを確認する。
「……!」
……無い。
腕を、外へ伸ばせた。
どうやら犯人は、店に火を放っただけで
結界は張らずに立ち去ったらしい。
これなら……脱出できる。
俺は咄嗟に判断し、
姉上を抱えて二階の窓から飛び降りるつもりで、彼女の手を引いた。
「姉上!結界は張られていません!
ここから外へ――
俺が貴方を抱えま……ッ?!」
──しかし、
そう言い終える前に、
俺の口は姉上の手で塞がれた。
驚いて顔を上げると、
姉上は部屋の中を指差し、静かに告げる。
「ッ……この煙は毒よ。
外に出るまで、息を止めて」
「……ッ」
見ると確かに、
いつの間にか二階にも火と煙が回り始めていた。
だが……
毒?
ただの煙では無いというのか……?
「……。」
疑問は湧いたが、
今はそれを考えている暇は無い。
俺は姉上の言葉に従い、
大きく息を吸って口を閉じる。
そして――
彼女を抱き寄せたまま、
二階の窓から外へ飛び降りた。
••⋆̩*☂︎*̣̩︎︎*.⋆̩*⋆̩☂︎*̣̩︎︎*.••
「ッはぁ……ッ、はぁ……。
あ、姉上……ご無事ですか……?」
地面に降り立つなり、
俺は肺が悲鳴を上げるのも構わず、
大きく息を吸い込んだ。
姉上に口を塞がれてから、
ずっと息を止めていたせいだろう。
頭が少しぼうっとして、
視界が明滅する。
……ただの空気が、
こんなにも美味いものだなんて、知らなかった。
「ッ……はぁ……うん、ありがとう……。
永護のおかげで……怪我一つ、ないよ」
姉上も同じだったようで、
少し涙目になりながら、肩で息をしている。
長く息を止めていたのは、彼女も同じだ。
「早く……火を消さないと……
翠羽、お願い……」
呼吸が整い切る前に、
姉上はそう指示を出した。
『──ピィッ』
翠羽は短く鳴くと、すぐに宙へ舞い上がり、
燃え盛る店へ向かって風を送り始める。
その様子を見届けてから、
俺はようやく――
胸に引っかかっていた疑問を口にした。
「あの……姉上。
毒、とは……どういう意味で……?」
俺の目には、
あれは……ただの煙にしか見えなかった。
だがそれを、姉上は即座に“毒”だと言い切った。
理由が分からず問いかけると、
姉上は落ち着いた声で教えてくれた。
「絵の具に含まれる成分の中に、
毒があるのは……知ってる?」
「はい……聞いた事があります。
体内に蓄積すると、
非常に危険だと……」
「……絵の具の中には、
”熱する事で毒性を拡散させてしまう物”もあるの」
そう言って、
姉上は燃える店を見据えた。
絵の具の危険性……。
そして――
毒の性質……。
「毒……。
熱する……燃やす……火災……」
点だった情報が、
頭の中で一気に線になる。
……この連続火災事件の要諦は、
最初から――
“絵の具” だったのだ。
「……あの部屋、壁が朱かったでしょ」
「朱……あの朱色、ですか?」
姉上は、
燃え続ける店の二階を見上げながら、そう言った。
恐らく……
あの全面が朱色だった壁の事だろう。
「多分、あれは……“本古代朱”」
「……?」
色にも絵の具にも疎い俺には、
その名を聞いても、何一つピンと来ない。
俺は思わず首を傾げた。
──“本古代朱”。
普通の朱とは、
何が違うのだろうか……。
「……本古代朱はね、
“硫化水銀”を含む絵の具なの」
俺の反応を見て、姉上は続ける。
「りゅ……硫化水銀……?!」
「……えぇ。
今、あの中に蔓延しているのは、
”有毒な水銀の蒸気”。
もし吸い込んでいたら……
急性症状を起こしていたかもしれない」
……ぞっとした。
絵の具に、
そんな物が含まれているなんて、知らなかった。
ましてや……
熱する事で水銀蒸気などという
恐ろしい物が発生するなんて……。
あの時……
もし姉上が、
俺の口を塞いでくれなかったら……。
「……。」
俺は、
今ここに立っていなかったかもしれない。
「守護魔法を掛けておいて……
本当に良かった……。
水銀蒸気は、衣服にも付着するから」
そう言って、
姉上は俺と自分の衣服を確認した。
……あの一瞬で、
そこまで考えてくださっていたのか。
「姉上……。
お力になれず、申し訳ありません。
守っていただき……
ありがとうございます」
自分の不甲斐なさが胸に刺さり、
俺は顔を上げられなかった。
「家族を護るのは、当然でしょ?」
しかし、
姉上はあっさりとそう言って、
俺の視線を無理やり上げさせる。
「弟を見捨てる姉がいて、堪るもんですか。
……それに、永護だって
私の事、守ってくれたじゃない」
あぁ……敵わない。
本当に、
この人には。
そう思いながら、
何気なく視線を上へ――
その瞬間、俺は“それ”に気付いた。
「あれ……?これ、は……?」
ひらり、ひらりと舞い落ちてくる
一枚の紙。
それは空から降ってきて、そのまま地面へと落ちる。
「……朱い、兎……?」
姉上も気付いていたようだ。
その紙には、絵――というより、
印のような”朱色の兎”が描かれていた。
「……?」
朱……?
朱色……
本古代朱……ッ?!
「ッ、姉上!
まさか、これも本古代……」
「そうだね。同じ絵の具だ」
「ッ――え?!」
俺が止める間もなく、
姉上はその紙を拾い上げた。
「ッ、さ、触って……?!」
つい先程まで“毒”の話をしていた直後だ。
躊躇なく触れる姉上を見て、俺は完全に混乱した。
「大丈夫。
ちゃんとした用途で扱う分には、
この色も……比較的安全な画材だよ」
だが姉上は、
その紙をひらりと揺らしながら、
少しだけ落とした声で言う。
「だって、絵の具は……
……絵を描く為に、あるんだから」
そう言われると、
確かにそうだ…と思った。
どれほど恐ろしい毒性を含んでいたとしても、
本来絵の具は、人を害する為の物じゃない。
正しい知識を持ち、正しく使えば――
それはただ、
美しい作品を生み出す為の道具でしかないのだ。
「……だから、それを……
こんな風に……
人を傷付ける為に使う犯人を、
私は――絶対に赦せない」
姉上はそう言って、
燃え残っていた火を完全に消し切った。
木造の店は嘸よく燃えただろう……。
ずっと風を送り続けていた翠羽が、
疲れた様子で姉上の肩へと戻る。
「……絶対に、
後悔させてやりましょう」
「えぇ。勿論……」
姉上は静かに踵を返し、
本邸へ向かって歩き出した。
俺も、
今夜起きた全てを兄上達に報告する為――
その背中を追った。




