"私"
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「エタン――……」
……声が、聞こえる。
「エタン――…!」
“私”の名前を呼ぶ声が……
遠くから、確かに……。
「エタン――!!」
「……ハッ?!」
目を開けた瞬間、
そこに広がっていたのは、何も無い夢の空間だった。
地平も、天井も無く、
ただ白く、静かな場所。
状況を理解するより先に、
私は慌てて周囲を見渡し――タルタニュクス様を探す。
「エタン――……」
あぁ……良かった。
彼女は、すぐ傍にいた。
心配そうに“私”の名を呼ぶその姿は、
いつもと変わらない。
……此処にいる。
ただそれだけの事でも、
私は酷く安心した。
「タルタニュクス様……
聞きたい事があるの」
返事を待たず、
私は言葉を続けた。
「昨日……私の夢に、
小さな子供が出てきたんです」
昨日見た夢は、普通じゃない。
間違いなく“現実”に鑑賞してきた。
……タルタニュクス様と、同じように。
「あの子は……一体、誰なの?」
直感的に思った。
あの子供は、タルタニュクス様と同じ“側”の存在だ、と。
……だからこそ。
彼女なら分かるかもしれない。
教えてくれるかもしれない――そう、思った。
「…………」
けれどタルタニュクス様は、
口を閉ざしたまま、静かに首を横に振った。
とても……悲しそうな表情で。
「……そう。
教えられないか」
答えを拒むその姿を見て、胸が少し沈む。
やっぱり、これも呪いの規制がかかるのか……と。
でも、一つだけ……わかった事がある。
「……。」
これはあくまでも、私の勝手な予想……だけど、
あの子供は、きっと……
「あの子は貴方の……子供、ですか?」
「ッ……?!」
タルタニュクス様の、"子供"なのだ。
「……何故……わかったのだ……」
目を見開き、
珍しく動揺を露わにする彼女を見て、
予想は確信へと変わった。
……あぁ、やっぱり。
そう思いながら、
私は彼女の髪にそっと手を伸ばす。
一束、できるだけ優しく摘み取って。
「髪の色……。
あの子も、同じだった」
指先に挟んだ髪の先を見せると、
タルタニュクス様の目は、さらに大きく見開かれた。
そして――
「……もう、余の姿は
色まで見えているのか?」
信じられないものを見るような眼差しが、
私に向けられる。
……そう。
今まで、私はタルタニュクス様の“色”を見る事が出来なかった。
最近は随分と、“人の形”に近付いてきた彼女の姿。
……けれど色だけは、ずっと白いままだった。
まるで――
石膏で作られた彫像のように。
私は彼女の髪から手を離して、口を開く。
「今日ね、私……
マイユスって人に会ったの」
ついさっき出逢ったばかりの少年。
その存在を、
私はタルタニュクス様に報告する。
「"私"が……知ってる人だった」
「……そうか」
「きっと……好きな人だった」
「…………そうか」
タルタニュクス様は、それを否定も肯定もせず、
ただ静かに、受け止めてくれる。
「でも……彼の名前、聞いた事無かった。
マイユスなんて……知らない」
その言葉を最後に、
タルタニュクス様の返事が消えた。
私はもう一度、彼女と向き合って――
……ずっと胸の奥に引っかかっていた、ある質問をする。
「……別の身体に、
記憶を移す事って……出来るの?」
「…………。」
……返事は無い。
でも……タルタニュクス様は、頷いた。
それを見た瞬間、
胸の奥に張り詰めていた何かが、ふっと緩む。
「……そっか」
……ようやく、わかった。
「“私”は……。
“私”の“身体”は、
もう……何処にも無いのか……」
"私"と、
"今の私"は別人なのだ。
“私”の記憶の断片を観た時、
私は酷く混乱した。
――知っている。覚えている。
そう囁く“私”と、
――知らない。これは私の記憶じゃない。
そう否定し続ける“今の私”……。
“私”の記憶は、“私”だけのもの。
“今の私”がどれだけ思い出しても……
きっと、“私”は帰ってこない。
「タルタニュクス様、
初めの頃……言ってたよね」
私は視線を逸らさずに、続ける。
「『余の姿が見えるようになった時、
お前は記憶を取り戻す』……って」
「あぁ……」
「まだ……完全じゃないんだけどね」
私はそこまで言ってから、
色付いたタルタニュクス様の瞳を見た。
「私……"私"の記憶、
ちょっと……思い出したの」
綺麗な……まるで、輝く一番星の色と目が合う。
「今の私が何者なのかは分からないけど……。
"私"も今の私も、タルタニュクス様が
大切なのは変わらないよ」
一番星が、少し……潤んだ。
「"私"の記憶を全部思い出しても、
私の目指す先、大切なもの……
"今の私"は変わらない」
私は、強く言い切る。
「最後まで皆と戦うから…
……だからタルタニュクス様!」
目覚めが近い。
その気配を感じて、私は大きく口を開いた。
「貴方の呪い……すぐ解くから!
私……"私"の事、ちゃんと思い出すから!」
――だから、待ってて。
その言葉を口にする前に、
私は現実世界で目を覚ました。
その後、暫く布団の中で、
夢の会話を整理していると……
廊下の方から、
アルテと永護の声が聞こえた……気がして。
私は寝巻きのまま、廊下へ出た。
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《永護視点》
霧が立ち込める翠山に、
夜の終わりを告げに来るのは、この山に生息する小鳥達だ。
彼らは毎朝、日の出の光と共に
霧を割くように飛んで来て、楽しげに、実に愉快な歌を歌う。
重たい瞼を持ち上げると、今日も彼らと目が合った。
「……おはよう。今日もご苦労」
毎回決まった時刻に、
わざわざ窓際まで来て俺を起こしてくれる小鳥達。
心地の良い目覚めを用意してくれた彼らに、
俺は深々と頭を下げて朝の挨拶を返す。
このまま彼らと並んで日光浴を嗜みたいところではあるが、俺の……いや、俺達の朝は早い。
今日も、やるべき事は山積みだ。
俺はすぐに身支度を整え、
朝に弱い二人の兄達と姉の部屋へ向かう。
兄上達と姉上を起こし、三人分の朝支度を手伝う――
それは俺が自主的に担っている、とても光栄な役目だった。
最初は、破天兄上の部屋。
翠雨様亡き今、破天兄上は翠山の現当主……そして、四山領主長だ。
翠山は大きく四つの山に分かれており、
それぞれの山域には、領地を管理する為の屋敷が一つずつ建てられている。
一つ目の山には、翠山の中心核――
翠雨様が管理されていた小夜公爵家の本邸「四山核心邸」
二つ目の山には、破天兄上が治める「先駆塔」
三つ目の山には、雅火兄上の「高雅塔」
そして四つ目の山には、翠嵐姉上の「翠竜塔」がある。
つまり破天兄上は、今後――
ご自身の先駆塔と並行して、
四山核心邸も管理していかなければならない立場にある。
難しい事を抜きにして簡単に言えば……
破天兄上は、この山で一番偉い御立場にある、という事だ。
一日に取り掛からねばならない仕事量は人一倍……二倍……いや、恐らく四倍……。
その分、疲労も比例しているはずだが――
それでも兄上無しでは、この山は機能しない。
だからこそ、一番早く起きて頂かなくてはならない。
……尤も、破天兄上の場合は「睡眠」というより、
「気絶」と表現した方が適切な気もするが……。
「……。」
……本当に、
毎日お疲れ様です、兄上。
俺は、兄上に少しでも休んで頂きたいという気持ちを胸の奥に押し留めながら、足を進めた。
次は、雅火兄上の部屋だ。
……ここだけの話、
雅火兄上を起こすのは特に手がかかる。
寝起きの雅火兄上の機嫌は、兄弟の中でも最大級に最悪で――
起こしに行くと、寝ぼけた兄上が無意識に放つ無数の怪火球が飛んでくる事も珍しくない。
覚醒前の本人に自覚は無いらしいが……正直、かなり熱い。
せめて火傷しない程度には、手加減して頂きたいものだ。
短い格闘の末、今日も無事に雅火兄上を起こす事に成功した俺は、
ほんの僅かな達成感を胸に、次の部屋へと向かった。
最後は、翠嵐姉上の部屋に来た。
俺が扉を軽く叩くと、
兄上達と同じく、かなり眠そうな姉上の声が返ってくる。
「……? んぅー……永護?」
「はい、永護ですよ。姉上、おはようございます」
「おはよぅ……」
扉越しに朝の挨拶を交わすと、
気力の抜けた姉上の返事が聞こえてきた。
……と思った次の瞬間。
俺が扉に手を伸ばす間もなく、姉上は自分から扉を開き、
寝惚け眼を擦りながら、ふらりと姿を現してくれた。
しかし――
「……顔が、まだ寝ていますね。姉上」
部屋から出て来た姉上は、非常に眠そうな表情のまま、
どうにか立っている、という状態だった。
「……あと、五分……」
少しは開いているのか……
それとも完全に閉じているのか分からない目で、
姉上は俺にそう訴えかけてくる。
だが……ここは我慢して頂かねばならないので、
首を横に振らせていただく。
「あと五分は、一時間の始まりですよ。
さぁ、起きましょう」
「……うん……起きる」
軽く諭すように言うと、姉上は素直に頷いた。
恐らく“今起きなければならない”という事は、
姉上自身もよく分かっているのだろう……。
懸命に――
自分の中に巣食う睡魔と戦っている様子が、こちらにも伝わってくる。
……頑張ってください、姉上。
俺は心の中でそっと声援を送りながら、
彼女の頭で元気に跳ねている御髪を梳かした。
「本日はどのようなご予定が?」
姉上の意識をいち早く覚醒させる為、
俺はそう問いかける。
「うーん……昨日出来なかったから、
今日は“風質の浄化”をしないと……。
強化訓練の関係で、
探偵さんと師匠は午後に帰ると思うから、
お見送り……して……
書類は……昨日の夜終わらせたから、
時間あるかも……。
……久しぶりに、絵を描こうかな」
姉上は一つ一つ言葉を選ぶように、ゆっくりと思考を巡らせながら、今日の予定を組み立てていく。
その後、顔を洗い、眠気覚ましの白湯を口に含むと――
ようやく目が冴えてきたのか、
姉上は普段通りの落ち着いた表情を取り戻していた。
……“風質の浄化”か。
この季節の野外は、少々寒い。
お身体が冷えないよう、いつも以上にしっかり着込んでいただかなくては……。
俺はそう考えながら、窓の外へと視線を向けた。
“風質の浄化”――
それは文字通り、風の質を清らかに保つ為の作業だ。
この浄化が滞れば、風は荒れ、大地に恵みは施されない。
風は自然界において、必要不可欠な力の一つなのだ。
しかし……今、
この帝国内で自然界の“風”に干渉出来る魔法使いは、姉上ただ一人。
だからこそ――
唯一、風の自然属性を操れる姉上は、
ほぼ毎日、この世界の風を安定させる為……
“風守”としての、大切な御役目を担われている。
……帝国に、姉上以外の風の魔法使いがいれば。
いや、いっそ……
俺が風属性の魔法使いであったなら、
姉上を支えられたかもしれないのに……。
そんな悔しさを胸の奥に押し留め、俺は話題を変える。
「朝食は、いつ頃になさいますか?」
「……今日は皆が起きてから、
ちゃんと一緒に食べるよ。
永護も、まだなら一緒にどう?」
白湯を飲み終え、
空になった湯呑みを机にそっと置きながら、
姉上はそう誘ってくださった。
勿論、御一緒させていただくに決まっている。
「是非!」
俺はそう返事をしながら、湯呑みを回収した。
兄上達は、毎朝子供達と時間を合わせて朝食を取られているので、食堂でまた会えるだろう。
……だが姉上は、
敢えて彼等と時間をずらす事が多い。
子供達と一緒に朝食を取られるのは、少し珍しいのだ。
……今日は、リハイトさんと探偵さんが来ているからだろうか。
そんな事をぼんやり考えながら、俺は姉上の羽織を取り出した。
「姉上。お風邪を引かれないように、こちらを」
そう言って羽織を掛けると、
姉上は穏やかな表情をこちらに向けてくださる。
「ありがとう、永護。
気を付ける」
姉上はそう言って扉に手をかけ、部屋の外へと足を進める。
俺もその後を追い、姉上の部屋を後にした。
「あれ、アルテ?
永護も、おはよう!」
廊下に出ると、
翠竜塔の客室から探偵さんが顔を出した。
……寝間着のままで。
「あら……おはようございます、探偵さん」
「おはよう、探偵さん」
姉上と共に挨拶を返すと、
探偵さんは嬉しそうに頷く。
それから俺達二人の服装を見て、
外出するのだと察したのだろう。
「朝は外、寒いよ? なんか用事?」
……どこへ行くのかと、質問された。
「えぇ。でも、風邪を引かないように
すぐ戻ります……ね、永護?」
姉上に視線を向けられ、俺は頷いた。
「はい。ですが、もし寒ければ
どうかご無理はなさらず……」
姉上は、気温の変化に弱いですから……。
そう付け加えると、姉上は少し困ったように苦笑された。
竜族特有の体質だけは、どうにも出来ない。
それでも……
少しでも姉上の変温体質を改善出来れば、と願ってしまう。
「ねぇ、アルテ!」
その時、
不意に探偵さんが姉上を呼んだ。
見ると、強請るように姉上の服の裾を摘んでいる。
「私も、ついてっていい?」
どうやら探偵さんは、翠竜領に興味を持ってくれたようだ。
これから向かう先が、
まだ訪れた事のない場所かもしれない――
そんな期待に満ちた目を、姉上へ向けている。
まるで、冒険に出かける童のようだ。
「勿論ですよ。
探偵さんも風邪を引かないように、
ちゃんと着込んでくださいね」
「了解!」
姉上は探偵さんの同行を歓迎すると同時に、
魔法で彼女の服装を寝巻きから外出用へと変えた。
「うわぁ!この服、可愛い!
アルテありがとう!」
……探偵さんがとても喜んでいたので、
その服が子供用である事は、敢えて黙っておいた。
まぁ……姉上や俺より、
彼女の方が年下なのは確かだと思う。
……問題は、無いだろう。
…………多分。
••⋆̩*☂︎*̣̩︎︎*.⋆̩*⋆̩☂︎*̣̩︎︎*.••
『大いなる竜の始祖よ……
天つ風司る、偉大なる竜神よ……。
貴女方の子孫たる風の申し子、
小夜翠嵐が願い、申し上げます。
穢れし風は、世の乱れを荒ぶるばかり……。
荒みゆく都を救う為、
どうか……星包む数多の風を、清め給え……。
始祖よ、我が尊び仕ふる竜神よ……。
我が言の葉、この願い、
聞こし召し、叶へ給へ……』
姉上が風質浄化の唱え言葉を口にした瞬間、
それまで静かだった空気が、はっきりと色を変えた。
一際強い風が吹き抜け、渦を描くように姉上の身体を包み込む。
次の瞬間、その風は弾けるように四方へ散り、
山々を越え、都へと流れていった。
……今日もこの国には、穏やかな風が吹くだろう。
俺は空を渡る風の流れを確かめてから、
探偵さんと並んで、姉上の元へ足を進めた。
「今のが風質の浄化なの?
上手く言えないけど、その……
なんか、もの凄かった!!
一瞬、強い風がビュッ!って吹いて……!
バッ!って色んな所に飛んで……!
あの風、アルテの唱え言葉に
応えてるみたいだった!!」
探偵さんは、初めて目にした風質浄化に、
抑え切れない昂揚をそのまま言葉にしていた。
……俺も、この光景を初めて見た時は、
彼女と同じように浮かれ燥いだものだ。
そう思うと、胸の奥に懐かしさが灯る。
「そうですね……。
今のは唱え言葉を通して、
自然力と対話をしているので、
その表現は間違っていませんよ。
原理は魔法と同じですから」
姉上はそう言いながら、探偵さんの頭を優しく撫でる。
この世界で自然属性魔法を扱うには、
自然力を持つ精霊や使い魔、式神との対話が不可欠だ。
魔法を使える者であれば、
風質浄化の“理屈”を理解する事自体は難しくない。
まぁ……実行するには、
風魔法を扱えなければならないので、
そこが問題なのだが……。
「ここから見える景色は、美しいでしょう?
私のお気に入りの場所なんです」
姉上はそう言って、視線を遠くへ向けた。
ここは、翠山を成す四山すべての山域が交わる境界の崖。
周囲には目に優しい緑が広がり、
どこを見渡しても、心が解きほぐされる。
この山の美しさを凝縮したような場所で、
風の流れも活発だ。
だからこそ、風質浄化を行うには最適なのである。
俺も、ただ景色を眺める為だけに、
この場所を訪れる事がある。
だが――一つだけ、注意すべき点があった。
「でも、この辺りは特に風の流れが強いので、
崖から落ちたりしないように、
気を付けてくださいね」
「う、うん……うわぁ、高い……」
そう。
崖沿いは風の勢いが強く、
景色に気を取られて先端まで進めば、落下する危険がある。
下には川が流れているが……
この高さからでは、衝撃軽減の効果は期待出来ないだろう。
……もっとも、
魔法を扱える俺達や探偵さんであれば、
飛行魔法や浮遊魔法で回避は可能だ。
まぁ……勿論、
落ちないのが一番なのだが。
その後、俺達はしばらく景色を堪能し、
小夜公爵家の本邸――
四山核心邸へと向かった。
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風質浄化と、アルテがお気に入りだと言っていた景色を見た後、
私達は朝ご飯を食べる為に、小夜公爵家の本邸へ向かった。
アルテや雅火さん、破天さん達は、
基本的にそれぞれが治める山域にある塔で過ごしているらしい。
ただ、食事やお風呂は本邸で済ませるそうだ。
勿論、本邸にも自室はあるので、ここで過ごす時間も少なくはないらしい。
けれど、各領地の仕事はそれぞれの塔に送られてくる為、
効率を考えると塔にいた方が良いのだとか。
……領主って、本当に大変なんだな。
領地を治める経験なんて一度もした事の無い私は、
そんな薄い感想を胸に浮かべながら、本邸の門を潜った。
そして――
屋敷の中に足を踏み入れた瞬間、
私は思わず立ち止まった。
何故なら…
「……子供ばっかり?!」
そこにいたのは、
とにかく大勢の子供達だった。
普通の家庭では、まず考えられない人数。
一、二、三、四、五……六、七、八、九……
混乱しながら数え始めて、
十五人を超えたあたりで、私は数えるのをやめた。
……多すぎる。
どうしてこんなに子供がいるのか分からなくて、
理由を聞こうと、
隣にいたアルテへ声をかけようとした――その瞬間。
「翠嵐姉様!!」
「姉サマ!!」
「ネーネッ!!!」
「おはようございます!」
「はよざいましゅ!」
「朝ご飯食べましょー!!」
弾けるような歓声が、屋敷中に響き渡った。
あっという間にアルテは子供達に囲まれ、
私は完全に取り残される。
状況が!
状況が、全く掴めない!!
それでも子供達の波は止まらず、
私とアルテの距離は、みるみるうちに引き離されていった。
「探偵さん、大丈夫か?」
子供達の波の中で揉みくちゃになり、
溺れかけた私を助けてくれたのは、永護だった。
「永護!
何これ、どういう事?!」
私は彼の手に縋りつくようにして子供達の波から脱出し、
即座に説明を求めた。
すると永護は、すっかり子供達の渦の中心になってしまったアルテを見つめながら、静かに教えてくれる。
「この子達は、孤児なんだ。
親がいない者、捨てられた者……。
この屋敷にいる子供達は、
俺と同じ……全員、兄上と姉上に拾われた」
「……孤児……」
その言葉を聞いて、私は思い出した。
アルテと二回目に会った時、
彼女が話してくれた事を……。
『──永護は……
私達が初めて拾った孤児なんです』
“初めて拾った孤児”が永護であると、アルテは言っていた。
そして……あの時私は、小夜家が"何人の孤児を拾ったのか"、までは聞かなかった。
……いや、でも。
それでも――まさか、
こんな大人数だなんて……想像出来る訳なくない?!
そう叫び出しそうになるのを、私は必死で堪えた。
けれど、
驚きと混乱は、どうしても抑えきれない。
もうここまで来たら、
孤児院を開いた方がいいんじゃないかな??
そんな考えが頭をよぎった、その時。
永護は、さらに衝撃的な事実を告げた。
「翠山の孤児達は、
全員……余す事無く、小夜家に保護される。
翠山に住む民の子供でなくとも、
翠山で捨てられ、この山で孤児となった子供は、
小夜家の養子として、独り立ちするまでは、この屋敷で生活する」
「……全員?」
「あぁ。
勿論、本人の同意の上でだが」
…………凄すぎる。
私は、完全に言葉を失った。
孤児一人を保護するだけでも大変だというのに、
この小夜公爵家は――
“領地内の全ての子供を救う”という、
とんでもない選択を、現実にしている。
固まったままの私に、永護は続けた。
「この制度は、翠雨様ではなく、
兄上達と姉上が作ったものなんだ。
彼等が四山領主として行った、
最初の仕事……それが、これだ」
私は、まだ若干混乱気味のまま、
永護の方へ視線を向ける。
すると……
彼の手には、いつの間にか取り出された書類。
アルテと破天さんと雅火さんが作ったという孤児達の為の制度……その内容が記載されている書類が握られていた。
──── ──── ──── ────
〈児童総保護養育〉
この制度は、
親に捨てられた子供、
子育ての環境が十分に整っていない家庭の子供、
障害や病気によって生活が困難になった子供、
魔界や他国から逃れてきた子供……等、
翠山内すべての子供達を対象とする。
子供本人が、保護・支援・養育を希望した場合、
小夜公爵家が責任を持って引き取る。
子供達は小夜公爵家の養子として育てられるが、
本人が独り立ちを希望した場合、
または里親を希望する者が現れた場合、
その進路を最後まで支援する。
全ての子供には、保護され、擁護される権利がある。
その権利を“当たり前に使える場”を、
小夜公爵家は提供し続ける。
──── ──── ──── ────
四山核心邸――
小夜公爵家の本邸は、
主に孤児達……養子となった”子供達の家”として使われているのだという。
「……領地の仕事をする為に
塔に籠もってる、か」
私は書類を閉じながら、
再びアルテと、彼女を囲む子供達へ視線を向けた。
……嘘、下手だなぁ。
どの子も笑顔で、
皆、本当に幸せそうだった。
「永護も……幸せ?」
書類を返しながら、私はそう尋ねた。
すると永護も、
私と同じようにその光景を見つめ……
そして――静かに答えた。
「幸甚の至り……だ」
✿ ✿ ✿ ✿
「たんてーさん」
「たんてぇ」
「マンマおいしいね〜」
あの後……
アルテが何とか子供達を落ち着かせて、私の事を皆に紹介してくれた。
すると子供達はあっという間に私に懐いてくれて、
今ではこうして一緒に朝ご飯を食べている。
「探偵さんは、お魚好きですか〜?」
「野菜も食べなきゃ
お兄ちゃんに怒られるよ!」
「うん!魚も野菜も好きだよ!
沢山食べちゃう!」
当たり前だけど、子供達の年齢は本当にバラバラだ。
お喋りが出来るようになったばかりの子もいれば、
永護みたいにしっかり成長している子、
アルテ達より年上の子もいる。
これは永護から聞いた話だが……
里親に引き取られる以外で、
自主的に小夜公爵家を出る子供は、ほとんどいないらしい。
多くの子達は、大人になっても小夜公爵家の中で仕事を見つけ、そのまま家の為に働くそうだ。
……ごく稀に、
「いつまでもお世話になり続けるのは申し訳ない」
と、屋敷を出ようとする子が現れる事もあるらしいのだが……。
その場合、破天さんが全力で落ち込み、全力で悲しんでしまい、
結果、その子の決意が揺らいで家に留まるのだとか……。
以前、破天さんが永護を可愛がっている光景を見た事がある私は、それを聞いて素直に納得してしまった。
あの人、自分の兄弟姉妹、大好きだもんな……。
まぁ、つまり……
(ほぼ破天さんが原因で)
子供達は独り立ちできる年齢になっても、
小夜公爵家に居続ける、という事だ。
とはいえ、翠山内“全て”の孤児ともなると、その人数は凄まじい。
一人二人姿が見えなくても、危うく気付けないレベルだ。
勿論、全員が同じ時間に食事をしなければならない、なんてルールは無い。
だから今ここに子供達全員が揃っている訳ではないのだが……それでも十分すぎるほど多い。
「ガキがチビの面倒見てる……」
隣の子の口元が食べこぼしで汚れていたので、それを拭いていると、
背後から……なんとも失礼千万な言葉が聞こえてきた。
……コイツは私をおちょくらないと体調でも崩すのだろうか???
「誰がガキだ!
リハイトだって子供のクセに!」
振り向くと、そこにはすでに軍服に着替えたリハイトが立っていた。
今日は午後に強化訓練があるから、
私もそのうち着替えなきゃいけないのだけど……
せっかくアルテが用意してくれた服を着ていると思うと、少し勿体ない気がする。
「お前と同じ土俵に下げるなよ……。
それより、俺はもう食べ終わったから、
転移装置の確認して来る。
不具合があると困るからな」
余計な一言を混ぜつつ、
リハイトはそれだけ言って行ってしまった。
ムカつくけど、ちゃんと仕事してるから文句が言えない。
私は小さく溜息を吐いて、再び食事に向き直る。
……美味しい。
✿ ✿ ✿ ✿
朝ご飯を食べ終わった後も、
子供達はアルテに引っ付いたままだった。
袖を掴んだり、腰に抱きついたり……
離れまいとする小さな手がいくつも伸びている。
アルテの率いる疾風の堅守隊は、確か今日は訓練の無い日だった筈だ。
だから子供達に構う時間もあるだろう……と思っていたのだが、
どうやら彼女にもこの後用事があるらしい……。
アルテは子供達に目線を合わせ、何度も謝るように言葉を掛けてから、すぐに部屋を出て行ってしまった。
渋々……といった様子でそれを見送った子供達は、
扉が閉まるのを確認すると、
まだ部屋に残っている破天さんや雅火さんの方へと向かい、今度はそちらに甘え始める。
「今日は朝ご飯一緒に食べてくれたけど、
すぐお仕事行っちゃったね……」
「もっと姉様と一緒にいたいね……」
その小さな会話が、ふと耳に届いた。
私は手を止めて、声のした方へと視線を向ける。
そこには、猫のような耳を揺らす女の子と、真っ白な髪の女の子が並んで座っていた。
二人は、アルテが出て行った扉をじっと見つめている。
「いつもは、一緒に食べないの?」
“今日は”という言い方が気になって、
私はそっと声を掛けた。
毎日は、朝食を共に出来ていない……という事なのだろうか。
「うん……食べてないよ。
姉様はいつも早い時間に起きて、
一人で食べて……すぐ塔に戻っちゃうの」
「それにね、
軍のお仕事で、お山にいない日もあるから……」
「そうなんだ……」
胸の奥が、少しだけ重くなる。
どうやらアルテは、
思っていた以上に子供達と一緒に居られていないらしい。
それは忙しさのせいなのか――それとも……。
「姉様はきっとね……
私達と一緒にいるのが、辛いんだと思うの」
そう言ったのは、白髪の女の子だった。
視線を落としたまま、指先をきゅっと握りしめている。
「それって……どういう事?」
私は意味を確かめたくて、言葉を促す。
子供達を保護しているのは破天さん達だけじゃない。
アルテだって、同じように手を差し伸べているのに……。
それなのに……
彼女が子供達を避ける理由なんて……あるのだろうか?
「前に姉様が言ってたんだ。
どうしても、華暖様と私達を
重ねて見てしまう……って」
「だからきっと、
ザイアクカン?
を、感じてしまうんだと思う……」
……あぁ。そうか。
点と点が、
ようやく線で繋がった。
アルテは、自分の妹の事を……
今でも、ずっと引き摺っていると話していた。
彼女はきっと、孤児である子供達を、
ただ純粋に……見過ごせなくて保護しているのだろう。
だけど、幼くて、弱くて、守られる立場の彼等を――
魔界へ攫われてしまった妹と、どうしても重ねてしまうのだ。
それが、彼女自身を余計に……傷付けているのかもしれない。
きっとアルテだって、
子供達と一緒に居てあげたい筈なのに……。
彼女だって、寂しいと思っている筈なのに……。
子供達と、アルテの想いは、すれ違ったまま絡まらない。
「姉様が私達の事、
嫌いじゃないのはわかってるよ!
……でもね、やっぱりちょっと寂しいよ」
「華暖様……早く戻って来てほしいな」
その言葉に、私はハッとした。
そして同時に、気付く。
――そうだ。
これは、華暖ちゃんさえ戻ってくれば……解決出来る問題だ。
「大丈夫!
華暖ちゃんは、もうすぐ帰ってくるよ!」
私は、精一杯の笑顔を作って言い切った。
魔界のパーティーで、私達は必ず華暖ちゃんを奪還する。
そして、子供達の笑顔も……アルテの笑顔も、全部取り戻す!
「ほんとに?」
「華暖姉様、帰ってくる?」
「うん!もうすぐ会えるよ」
やってみせる。
私の大好きな友達の為に――
ここに居る、子供達全員の為に。
私は決意を込めて、子供達に小指を差し出した。
「皆の笑顔を取り戻す約束をするよ」
すると子供達は、ぱっと目を輝かせて……
一人、また一人と、私の小指に自分の小指を絡めてくれる。
「たんてーさん!ありがとうです!」
「信じてます!」
「うん!」
この約束を、違えるつもりは無い。
……絶対に。




