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生彩放つ無神世界  作者: 美緑
〜第九章〜強化訓練
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桃色の悪夢





『……しい……かなしい……』




私は、いつものように、夢の中で目を覚ました。



……けれど、

そこは見慣れた真っ白な空間ではなく……

底の知れない闇に満ちていた。


光も輪郭もなく、

ただ……黒だけが、広がっている。


何も無いという点では、いつもと同じはずなのに——

胸の奥がざわついた。





「あ……れ?タルタニュクス様は……?」


私は思わず周囲を見渡す。

けれど、あの神々しい姿は……どこにも見当たらない。



『どうして……どうして……』


……それよりも。

さっきから、誰かが泣いている。


闇の奥から、

か細く、途切れ途切れに響く声……。


タルタニュクス様を探すのは一旦やめ、

私はその声の方へと歩みを向けた。

理由はわからないけれど、

放っておくのは……

どうしても、忍びなかったから。





「……あなた、誰……?」


闇の中で見つけたのは、

桃色の髪をした小さな男の子だった。

身体を縮め、蹲ったまま……

声を殺すように泣いている。



私は彼の前にしゃがみ込み、

そっと声をかける。


「ねぇ……」


『僕は……ただ……』


「ねぇ、どうして泣いてるの?」


けれど、

男の子は私の存在に気づいていないのか…

あるいは意図的に無視しているのか……。

こちらを見ようともせず、

独り言のように言葉をこぼし続ける。



『皆と……仲良くしたかっただけなのに……』


「……」


……友達と、喧嘩でもしたのだろうか……。


私は口を挟まず、

そのまま話を聞く事にした。



『皆……意地悪……嫌い……いらない……。

全部……壊れてしまえばいいのに』


「……何があったの?

教えてくれなきゃ、わからないよ」


なんだか物騒な事を言い出した男の子に、

私はもう一度問いかける。

こんな事言うなんて……流石に只事じゃないよね?


私は彼の背にそっと手を伸ばし、

震える身体を落ち着かせようとした。




——その瞬間。



『……消えてよ』


「……え?」



低く、冷え切った声が、私の動きを止めた。

それが誰のものか……理解する前に、

次の言葉が叩きつけられる。


『ッ無くなればいいんだ。……全部』


「や、やめ——!?

ッ、か……がはッ……!」


そして私は突然、

首を強く締め上げられた。

視界が揺れ、息が詰まる。



……此処には、

自分以外の誰かなんて……男の子しかいない。


つまり——今、

私の首を絞めているのは……。


『壊してやる……壊してやるんだ……

壊れろ……壊れろ、壊れろ壊れろ壊れろ

こわれろこわれろこわれろこわれろ

コワレロコワレロコワレロコワレロ……』


さっきまで泣いていた男の子だった。


「あ……あがッ……くァ"ぁ……!」


手加減なんて一切無い。

本気の殺意と、首を絞めてくる手……。


「──ッ」

……怖い。


私は必死に暴れ、

手を振りほどこうとし、蹴りを入れる。

けれど、その指は一向に離れない。


……ッどこ……

行ったの……タルタニュクス様……。



「ッタル……く"……ぁ…」


呼吸ができなくなりながら、

私は必死に、闇へと手を伸ばす。


助けてほしくて、縋るように。





「……た……さん……」


──すると、

男の子の声ではない、別の声が聞こえた。




「た……ぃさん……!」


……聞き覚えがある。




「たんていさん!」


そうだ。

これは――”アルテの声”。


そして、ここは……"夢の中"。



「探偵さん!!!」


「ッう、ッう"わああぁぁぁ?!

……あ、アル……テ?」


アルテの声に引き上げられるように、

私は悪夢から目を覚ました。


……なのに。

首に残る、あの感触。


今の……

タルタニュクス様と同じで、

あの子も“夢の中だけの存在”じゃない……のかな。



「お休み中に起こしてしまい、すみません。

探偵さん、随分魘されていましたよ。

……大丈夫ですか?」


首元を摩りながら夢を思い出していると、

アルテが心配そうに顔を覗き込んでくる。


彼女は手を伸ばし、私の頬に触れ――

涙を拭ってくれたらしい。


……いつの間にか、泣いていたみたいだ。



「え……あ……うん、大丈夫。

すごく……怖い夢、だった……。

でも、何でだろ……

それ以上に……悲しかった」


自分でも状況がよく掴めていなくて……

私は涙を擦りながらそう答えた。



「……探偵さん」


「え、うわぁ!!ッ……アルテ?!」


すると突然、アルテに抱きしめられる。

悪夢から抜け出したばかりの寝起き状態で混乱していた私は、

その勢いに耐えきれず、

アルテ諸共ひっくり返ってしまった……。


……色々驚いたけど、アルテの体温が温かくて…

なんだか酷く落ち着いてきて――

そういえばここはどこだっけ?私はどうしてここに?

……と、

抱きしめられたまま、眠る前の記憶を辿る。



えっと…確か……

魔獣隊の訓練が終わってからアルテに引き渡されて。

ボロボロな私を見た彼女が救護室に運んでくれて。

……それでえっと、

ソフィアに治癒魔法をかけてもらって……

あ、そうだ……そのままここで寝ちゃったんだ私。


ソフィアには治療してもらった時、

お礼言えたけど……


でも――。


一番感謝すべき人には、

まだ、ちゃんとお礼……言えてなかったな。



私はそこまで思い出すと、

密着したままのアルテに向けて、口を開いた。


「……アルテ、ありがとうね」


すると一瞬、

アルテの身体が強張る。


「いえ……

私が治癒魔法を扱えないばかりに、

迅速な処置ができず……申し訳ありません」


返ってきたのは

彼女らしい、律儀な返答。


「……いや、もちろん

ソフィアのところに連れて行ってくれた事も……だけどさ」


アルテの言葉を聞いてから、私は首を横に振る。

だって、私が今一番伝えたいのは――。


「私、アルテの守護魔法に……

また助けてもらった」


何度目か分からないけれど、

アルテの守護魔法に命を救われた事に対しての感謝だ。



「──ありがとう」


私がアルテの背に、ぎゅっと力を込めて腕を回すと、

彼女もまた私を包む両腕に、静かに力を込めた。



「……貴方を……護れて、良かった」


それは消えそうなほど小さな声だったけれど……

私の耳に、確かに届いたアルテの言葉。

微かに震えるその声には、押し隠しきれない深い心痛が滲んでいる。


……きっと、私が不安にさせてしまったのだ。

アルテがいきなり抱きついてきたのも、

そのせいなのかもしれない……。



……心配させちゃったな。


自分が本気で死にかけた事。

そして一度は、死を覚悟して諦めてしまった事。

それが情けなくて、気まずくて――

私は黙り込んでしまった。



すると……


「……守護魔法、かけ直しますね」


アルテが、

その沈黙をそっと断ち切るように言った。



「そういえばさ……

今回の守護魔法って、いつかけてくれてたの?

全然、気が付かなかったんだけど……」


守護魔法の準備を始めたアルテに、

私はずっと気になっていた疑問を投げかけてみる。

すると、

アルテは少し考えるように、右上の宙を見上げて――。


「えっと……

確か、芸術心祭の時かと」


こう言った。



「えぇ?! ウソ?!」


結構前じゃないか……と驚きながら、

私も自分の記憶を辿る。



……あ、でも。

そういえば……

翠雨様に呼び出されたアルテと別れて、

しばらく単独行動になった時――。

別れ際に、

自分のものじゃない不思議な魔力の流れを感じた気がする。


会議の時と同じで、

気のせいじゃなかったんだ……。



そこまで思い至った時、

私の口から零れたのは、とても素朴な疑問だった。


「なんで、守護魔法こっそりかけたの」


言ってくれたら、もっと早くお礼が言えたのに――

そう続けると、アルテはとても申し訳なさそうな顔で答えた。


「貴方の了承もなく、

勝手な事をしてしまいました……すみません。

あの時は……色々な事件の後でしたし……

探偵さんを一人にするのが、不安で……

正直、ほとんど無意識でした」


そう言って、そのまま頭を下げるアルテ……。


「ちょッ……あ、頭下げないでよ……!」


私はその様子に慌て、

今度は自分から彼女へ抱きついた。


……まったく。

どうして私の恩人は、こうも腰が低いのだろう。

もしそれを美徳だと思っているのなら……

それは大きな間違いだ。


「……私、嬉しかったよ。

アルテが護ってくれて……

私の事、たくさん考えてくれて……」


私はただ、この感謝と喜悦の気持ちが本物で、

この気持ちを……

他の誰でもない"アルテ"に向けたものだと、知ってほしいだけ。


そう……知ってほしかった。



「今、私がここにいるのは……

アルテのおかげなんだよ。

本当に……ありがとう」


精一杯の気持ちを込めて、改めて言葉にすると――

ようやくアルテは、柔らかな笑顔を見せてくれた。


「……お礼を言うべきは、私です」


そこには、いつもの死んだ魚の目はなく……

感情のままに輝く、まっすぐな瞳があった。



「私達は、貴方が考えているよりもずっと……

貴方に救われています。

……貴方は、私にとってかけがえのない人。

これからも、お護りします。……何度でも」


そう言って、アルテは――

初めて出会ったあの日と同じように、

守護魔法をかけてくれた。




……その後、

「約束を違えないために」と、

彼女自らが魔導契約書を用意しようとしたのは、

さすがに止めたけれど……。



……それでも。


いつどんな時も惜しみなく

全力で支えてくれるアルテや皆がいるからこそ、

私も皆を支えたいと、

願い続けてしまうのだと思う。




「探偵さん、今夜は私がお傍にいます。

次は悪夢に魘される事も無いでしょう。

安心して、お休みなさい」


窓の外はすっかり暗く、

もう夜更けである事が分かる。

アルテは、寝かしつけるように

優しく私の頭を撫でながら、そう言った。


「それは凄い……

落ち着く……心強いや」


「それは何より」


言われるまま横になると、

さっきまで眠っていたにもかかわらず、

また急な眠気が押し寄せてきた。




「……。」


……悪夢を見た直後だから、

眠るのは、少し……怖かったけれど。



「……アルテ」


今は、アルテがいてくれる。

それだけで、怖くなかった。



「……ありがとう」


感謝を伝えると、

すぐ近くで、クスッ……と小さな笑い声がする。


「……良い夢を。探偵さん」


穏やかな声と共に、

おでこに触れたのは――

柔らかくて、温かいキス。


あぁ……

彼女の傍は、安心できる。

こんなにも素敵な贈り物のお返しは何にしようか、

そんな事を考えながら、私は眠る。




……彼女の言う通り、

その夜、もう悪夢を見る事はなかった。






✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿






「やっばいいぃぃーッ!!!

遅刻、遅刻、遅刻するッ!!!」


次の日――

私は朝から、文字通り大慌てで身支度をしていた。


原因ははっきりしている。

アルテの添い寝が、あまりにも心地良すぎたのだ。

安心感に包まれたまま、つい眠りすぎてしまった。



枕元には、一枚の置き手紙……。


『──訓練の準備があるので、先に行きます』


「……。」


どうやらアルテは、

私を起こさないように、静かに出ていったらしい……。


彼女の事だ。

きっと、寝ている私に配慮して、

何も言わなかったのだろう……。


……今はその優しさが

私の寝坊に繋がっているわけだけど。



「……走れば、間に合うよね」


救護室に設置された時計を見て、もう一度時間を確認する。

今日は、アルテの隊で訓練を受ける日。

絶対に遅れたくない。

私はそう自分に言い聞かせ、部屋を飛び出した。

廊下を、全速力で走る。


……と、その瞬間。


「ンがッ?!」


盛大に、転んだ。

……障害物なんて、何もない場所で。


「いったぁ……」


膝を見ると、昨日せっかくソフィアに治してもらったばかりなのに、

そこには新しいかすり傷ができていた。

この程度の怪我なら、自分の治癒魔法で治せる。


……けど。

「そんな事してたら、遅刻する……」


私は大きく溜息を吐いた。

治療魔法は、正直あまり得意じゃない。

下手にやると、時間がかかる。

……よし、我慢しよう。


この傷は瘴気が入り混じるような深刻なものでもない。

私は怪我よりも、遅刻問題を優先して立ち上がろうとした。

すると、その時――



──コロンッ……。


何かが……音を立てて、床に落ちた。



「……え?」


私は音を辿って足元を見る。

そして、

床に落ちた物を見て……固まる。


そこに落ちていたのは……時計。

――あの、腕時計だった。



腕時計自体はいつもポケットにしまって持ち歩いているので、

床に落ちてしまった事に驚いた訳では無い。



私が驚いたのは――


「……光ってる」


時計が、淡い光を放っていたからだ。



それは、

私を帝国へと導いた……あの日と、同じ光。


「ッ……」


反射的に、時計から距離を取る。

また、あの瞬間移動みたいな現象が起きたら……

たまったもんじゃない。


時計を持ち歩く上で、この心配はずっとしてきたけれど……

そんな危機感を覚えながらも、

私は結局この時計を手放せなかった。


勿論何度か捨てようと思った事もあったけれど、

その度に……

何故か思いとどまってしまった。



いつからか、この時計を見ると

「懐かしい……」と感じるようになっていたから。



……理由は分からない。

けれど、自分の失った記憶に関係しているかもしれないと思うと、

どうしても……手元に置いておきたかった。




……とはいえ。

この光は、さすがに警戒しないとまずい。

瘴廃国に送り戻されるとか、絶対に嫌だし。


私は光る時計を見つめながら、どうすべきか考える。

もはや、遅刻問題は解決できそうにない……。



「ごめん、アルテ……

本当は、遅刻なんてしたくなかったよ」


もう今日は何もかも上手くいかない厄日な気がしてならなかった。

さっきから立て続けに運が悪い。


……あの時計本当にどうしよう。



もうどうしようもないのでは……。

でも、絶対に捨てたくない……。

私はそんな思いを抱えたまま、

床に落ちた時計と睨めっこを続けていた。



――その時。


「あれ、探偵。今日は訓練じゃないの?」


不意に、

背後から声をかけられた。



「え……」


突然の出来事に肩を跳ねさせて振り向くと、

そこに立っていたのは……コンドだった。



「あ……いや、その……

時計……落とし物、しちゃって」


訓練に遅れるのでは……?とでも言いたげなコンド。

その表情を見た私は、咄嗟にそんな言い訳をする。

……まぁ嘘では無いけど。



「あぁ……もしかして、

そこに落ちてるやつ?」


「ッ……う、うん……」


コンドは私の言葉に視線を落とし、

床に転がる時計を見る。


私は小さく頷きながら、必死で考えていた。

どうやって、この時計からコンドの意識を逸らすか。

……コンドを巻き込むなんて、一番まずい。

次期皇帝候補の彼をよく分からない地に飛ばす訳にはいかないのだ。

……絶対に!




「はい、どうぞ」


「え? ありがとう……」



…………。


………ん?

……あれ、今何を…?


私は、コンドから手渡された物を

ワンテンポ遅れて確認する……。



――そして、

手に乗っていたのは案の定……


「……。」


さっきまで床に落ちていた腕時計……だった。




……勘弁して。

「……どうしよ」


気づいた時には、もう遅かった。

淡い光は一段と強まり、

あの日と同じように時計がじわじわと熱を帯び始める。



「え……な、何?!

探偵、大丈夫?!」


眩しさに目を細める私の耳に、

コンドの焦った声が届いた。



「コンド……離れて……

危ないから」


私は時計を握りしめたまま、彼から距離を取ろうとする。


……このまま近くにいたらいけない。

もし私のせいでコンドに何かあったら――

皆に顔向けできない。


頭の中から、自分の安否は完全に消えていた。

今はただ、”コンドだけは守らなきゃいけない”。

その思いだけが、私を突き動かしていた。



「それを持ってる君の方が危ないでしょ!

ッ早く手放すんだ!」


しかし必死に離れようとした瞬間、

コンドに腕を掴まれた。



「だめ……これは手放せない……」


私は身を捩って、

その手を振り払おうとする。


この時計が何なのか。

私とどう関係しているのか。

……まだ何も思い出せない。



それでも――


ダメだ。

こんな事になっても、捨てられない。



「思い出せないけど……それでもきっと、

この時計は私にとって、すごく大切な物なの……。

だから捨てられない。

……自分勝手だって分かってる。

でもお願い……コンドを、巻き込みたくない」


私はそう言って、時計を握りしめた。

『絶対に離さない』と、

揺るがない意志を見せつけるように……強く。




「──ッんで……なんで……!」


すると、なぜか……

私の腕を掴むコンドの手にも、

さらに力が込められた。


「ッ巻き込みたくないって……

どうして皆、そうやって……」


「くッ……」


それでも諦めずに彼の手を振りほどこうと

私が腕を引けば……

コンドの、絞り出すような……震える声が続いた。


「……ッ僕はもう、

これ以上護られてばかりじゃいたくないんだよ!」


「え……」


その言葉を理解するより先に、

私は強く、抱き寄せられていた。



「コンド、それって……」


叫びにも似た声で放たれたその言葉に、血の気が引く。


眩しさに閉じていた目を思わず開けば、

光の中でも――

コンドは、まっすぐ私を見ていた。


──悲しさと悔しさが入り混じった、

苦悶に満ちた瞳……。



「ッ……」


それを見た瞬間、

私まで泣きそうになる。



……コンドは、“あの事”を知っていたんだ。


そう理解した、その瞬間。

腕時計の不可思議な力が、完全に発動してしまった。


――もちろん、

コンドを巻き込んだまま。



「ッ……」


アルテ……ごめん……。

私、遅刻どころか……訓練にすら行けないかも。

それに……

私の問題に、コンドまで巻き込んじゃった……。


後悔しながら、

私はなおも強く私を包むコンドの腕にしがみつく。



せめて、コンドだけは――

帝国内に。

皆の傍に。

そう、心の底から願った。




「……聞き入れてくれるでしょ。

あの日と同じように」


時計にそう語りかけながら、

ほんの僅かな希望に縋って……


私は再び、目を閉じた。







✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿









──ドスンッ……。



鈍い音が耳に届いた瞬間、

腰のあたりからじわりとした痛みが走った。



「ッ、いったぁ……」


どうやら思いきり

尻もちをついてしまったらしい……。


腰をさすりながら顔をしかめていると、

すっと視界に手が差し出される。



「あ、どうもありがとう」


有難く思いながらその手を取り、

私は立ち上がった。



「探偵……今の、何だったの」


……が、

その手の主を見て固まる。


「コンド……」


そうだ……。

私達、あの腕時計に飛ばされて――。

状況を理解した途端、私は慌てて辺りを見渡した。




「……あれ?」


けれど、心配していた事態は起きていないらしい。

瘴廃国に飛ばされたらどうしようと怯えていたのに、

目に映るのは見慣れた景色ばかりで……

いや、それどころか、

此処は――。



「あら、探偵さん?

私、てっきり貴方がお寝坊でもしてしまったのかと思って、

今から起こしに行こうとしていたのですが……」


──疾風の堅守隊の訓練場だ。


入口から姿を現したアルテは、

私の存在に少し驚いたようだった。



「アルテ……」


その顔を見た瞬間、胸の奥がすっと軽くなる。

此処は間違いなく帝国で、

私はちゃんと皆の傍にいる――そう実感できたからだ。




「……よりにもよって、どうして…」


しかし……安堵する私とは対照的に、

コンドは目を見開き、

みるみる顔色を失っていた。


「このタイミングで、彼女のところに……」


それは私にしか聞こえないほど小さな呟きだったが、

そこに込められた動揺は痛いほど伝わってくる。



「まぁ博士、御機嫌よう。

……本日はどうされたのですか?

私の部隊に、何か御用でしょうか?」


アルテは、コンドの異変に気づいていないのか――

あるいは、敢えて触れないようにしているのか。

いつもと変わらぬ調子で声をかける。

……竜眼を使っている様子はないが、

その態度はどこか白々しくも感じられた。



「い……いや、特に用事があった訳じゃないんだ。

その……探偵と偶然、廊下で会って……それで……

……ね、探偵?」


コンドはそう言って、話を私に振ってくる。


「え、あ……うん……

ここまで、送ってもらったの」


咄嗟の事で、私は彼に話を合わせてしまった。

完全に、腕時計の件を説明するタイミングを逃してしまう。



「そうでしたか……。

博士、ありがとうございます。

実は昨日、探偵さんは大怪我をしたばかりで……

本調子でなかったらどうしようかと、心配していたのです」


アルテは、私達の話を信じてくれたらしい。

そう言って、コンドに丁寧に礼を述べた。

すると――。


「え、それは知らなかった。

……大丈夫なの、探偵?」


彼女の話を聞いたコンドが、私に尋ねてくる。

本気で心配してくれているのだと分かる表情に、

次は私が慌てて首を振る。


「もちろん!ほら、大丈夫だよ。

ちゃんとソフィアに治してもらったから。

……心配してくれて、ありがとう」


袖を捲り、傷一つない腕を見せると、

ようやくコンドの表情が和らいだ。

……さっき転んだせいで、足は見せられないけれど。

昨日の怪我が治っているのは本当なので、そこは黙っておく。



それよりも――


今は、一刻も早く

コンドをこの場から遠ざけなければ……。

私は袖を戻しながら、そう考えた。



……恐らくコンドは、

“英雄の代償”について知ってしまったのだ。



「……はぁ」


先程の反応や言葉を思い返し、

私は内心で頭を抱える。


ソフィアから聞いた話では、

コンドの代償は一人で背負うにはあまりにも重く……

だからこそ、本人には伏せられてきたという。

しかも……その代償は、

次期皇帝候補である彼に降りかからぬよう、

今は“代理人”が肩代わりしている状態なのだとか。


……そして、

その“代理人”とは。



「あの……博士、

もしかして、かなりお疲れなのでは?

なんだか、顔色が……」


今、彼の目の前に立っている――

──”アルテ”、なのだ。



「え、あはは……そうかもね。

最近、公務が忙しくて……

ほら……芸術心祭の事件の影響で、

貴族からの反発とか色々あって……」


アルテに気遣われ、

コンドは苦笑いを浮かべた。


貴族への対応で心労を抱えているのは事実だろう。

けれど――

それだけじゃない。

明らかに、別の理由で無理をしている。


先程の、苦悶に満ちた瞳ほど露骨ではないが……

私は確信していた。


一番会わせるべきではなかった相手のもとへ、

私が今、彼を連れて来てしまったのだ。



……もしかして、此処に来たのも。

私が腕時計に、

アルテの訓練に遅刻したくないって願ったから――?


その可能性に気づいた瞬間、

頭の中が混乱する。


……どうしよう。

やっぱり、正直に話すべき……?




「博士が倒れてしまったら、皆が悲しみますよ。

どうか、ご無理なさらず。

いつでも、私達を頼ってくださいね」


私が腕時計の事や代償の事で思考を巡らせている間に、

アルテはそう声をかけていた。

……続けて、


「大切な友人の為ですもの。

”死力を尽くして、支えますよ”」


その言葉を聞いた瞬間……

コンドの身体が、分かりやすく硬直する。



「あ……そう、だね。

気をつけるよ」


「……。」


……きっと

アルテの言葉に、嘘は無いのだろう。


でも、だからこそ――

コンドの胸には、

深い悲しみが積もっていく……。




……もし、私が彼と同じ立場だったら。


自分の為に、大切な友人が命を捧げ、

知らぬ間に脅威から護ってくれていたと知ったら……?


「……ッ」

……きっと、耐えられない。





私は二人の……

”英雄達五人”の未来に

亀裂が入っていくのを見て、立ち竦む。


英雄達が”全員揃って笑い合う未来”を、

ずっと望んできた。


……でも、

そんなハッピーエンドを望むのは……

問題から目を背けて、

盲目的に夢を見続けるのは……


……こんなにも、苦しい。


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