癒し手
『依代…今回もお前には
英雄達の過去を観てもらう』
───夢の中。
底の見えない静けさに包まれた、いつもの場所で――
“彼女”は、変わらぬ声色で私に語りかけてきた。
「あ……タルタニュクス……様」
自分でも驚くほど自然に、
その名前が口から零れた。
前回の夢で、ふと胸に浮かんだ響き…。
目の前に立つ彼女を見た瞬間、
それ以外の呼び方が思いつかなかった。
……すると。
『お前……今……なんと?』
彼女――
タルタニュクス(?)様は、ぴたりと動きを止めた。
まるで、あり得ない光景でも見たかのように。
その瞳には、驚愕と困惑、そして隠しきれない動揺が一気に浮かんでいる。
「え? 違った?
あなたの名前、“タルタニュクス”なのかと思って
呼んでみたんだけど……」
確証はない。
でも、あの時感じた直感だけは確かだった。
だから自分の直感を信じてその名を呼んだのだが……
「……。」
彼女の反応を見て、
私は肩を竦めてしまう。
……やっぱり、違ったのかな。
もし…そうなら、
かなり失礼な事をしてしまったかもしれない……。
『遂に……記憶を取り戻したのか?』
そうして私が心の中で反省会を開催していると、
彼女がそんな事を問いかけてきた。
その問いかけは、ひどく慎重で、恐る恐る――
まるで壊れ物に触れるみたいで……
そこには、
ほんの僅かな期待が混じっていた。
………だけど、
「……ううん」
私は、その質問に対して
首を横に振る事しかできない。
「ただ、前回あなたの事を
呼ぼうとした時……
この名前が急に頭に浮かんで……
ピンとは来ないけど、
きっとこれは忘れちゃいけない
大事な名前だと思ったんだ」
その言葉を聞いた彼女は、小さく……それでも確実に溜息を吐いた。
それを見て、
私は慌てて頭を下げる。
「……でも!
もしあなたの名前じゃなかったならごめん!今のは忘れて!」
今のやりとりは
なかった事にしてもらおう……。
そう思って顔を上げた瞬間、
彼女は片手を上げて私を制した。
『いや、お前の言う通り
余は“タルタニュクス”という名の……』
――けれど。
「──。」
その先が、どうしても聞き取れなかった。
それは彼女が口を閉ざしたわけじゃない。
だって、確かに言葉は紡がれていた。
声も、音も、
ここにあるはずなのに――
それが意味として、私の中に届かない。
……歪む。
…砕ける。
理解出来ない言語のように、"音の塊"だけが、
殺風景な夢の空間に反響している……と、表す方が正しいだろう。
「…名の……?」
思わず首を傾げる私を見て、
タルタニュクス様は分かりやすく肩を落とした。
『すまない……やはりお前には
“伝わらない”のだな』
言葉だけ見れば私の理解力の無さを煽られているようにも思えるが……きっと、そうでは無い。
理由は分からないが、タルタニュクス様は"自身"に落胆しているのだ。
「伝わらないって……どういう事?」
私は、先程よりも慎重に問いかける。
初めて出会ったあの時よりも、姿形がハッキリと具現化しつつあるタルタニュクス様に近づいて、その手をしっかり握りながら。
すると少しの沈黙の後、彼女は口を開いた。
『……記憶に影響が出てはいけないと思い、
今まで何も話さずにいたが……
お前には、そろそろ伝えるべきだな』
言葉を選ぶように、
何度も間を置いてから――
タルタニュクス様は、ようやく教えてくれた。
私に隠していた情報の断片を。
『余は……ある呪いによって、
お前やこの星の子ら……
英雄達に、直接力を貸す事が出来ぬ。
そして……
お前達の助けになるような情報も、
その呪いによって……
余の口から言葉として発しても、
お前達の耳に入る事無く
潰され……消滅してしまう』
「それって……まさか……邪神の?」
息を呑む私に、彼女は静かに頷いた。
『……あぁ』
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
私は思わず、自分の胸に手を当てて声を絞り出した。
「……私の記憶が
無くなっちゃったのが悪いけど……
そんなに大変なもの抱えてたなら、
早く教えてほしかった……」
『……そうやもしれぬな』
タルタニュクス様は、
私の言葉を聞いて申し訳なさそうに俯く。
……でも違う。
そうじゃない。
貴方を責めたいんじゃない。
何もかも忘れてしまった自分が……
何も出来ない自分自身が、不甲斐ないから苦しいんだ。
「あなたはずっと一人で
その呪いを抱えて……
それでも、私達を見守ってくれてたんだね」
顔を上げる様子のない彼女に、私は言葉をかける。
『すまない……余は何も出来なかった。
そして……お前の記憶も、
余ではどうしてやる事も出来ぬ』
しかしそれでも……
その表情は、さらに曇っていく。
「タルタニュクス様……」
私は感謝を伝えたい……。
謝ってほしい訳じゃなかった。
タルタニュクス様が何者なのかは……
まだ、分からない。
……けれど、
きっと……この人は誰よりも……
「タルタニュクス様って……
すごく優しい人なんだね」
──この星を、大切に想っている。
『……?』
「この星の為に……私達の為に、
貴方はこんなにも
綺麗な涙を流してくれるんだね」
タルタニュクス様の頬を伝う美しい涙を、そっと拭う。
その一粒一粒は、星屑みたいに煌めいていた。
「大切な人を想う貴方の気持ち……
どうしてだろう……
……私、痛いほど感じるんだ」
私は彼女の手をもう一度包み込み、正面に立つ。
「でも今……
これだけは、ようやくわかった」
この人を、私は確かに知っている。
きっと……いや、絶対に。
「貴方は、私の大切な人なんだ!」
忘れてはならない人だった。
……それが解るのに、
無慈悲にも……記憶は戻ってくれない。
けれど……それでも、心だけが知っている。
自分の発した言葉を聞いた途端、
私は、タルタニュクス様を心から愛おしく感じた。
――するとその瞬間。
『ッエタ―……!』
タルタニュクス様が、
私の目をまっすぐ見て……”何か”を呟きかけた。
「え……まさか今のって?!」
身を乗り出す私に、彼女は眉を下げた。
『すまない……お前の”名前”すら、
余の口からでは伝えられない』
タルタニュクス様は眉を下げてそう言うが、
私は嬉しくて堪らなかった。
……自分の名前。
これは探し求めていた記憶を呼び覚ます為の大きな鍵だ。
そして……
「謝らないで、タルタニュクス様。
……私の事、私の名前……
覚えててくれてるだけで嬉しいから」
"私"が存在していた事を証明する
唯一無二の”証”。
「“私”を覚えててくれる人が
ちゃんといるって……
その事実だけで、私……
これからも頑張れるから!」
目を輝かせて、私はそう言う。
「だから……だからね、これからも
その名前で、私を呼んで欲しいな。
たとえ……私の耳に
伝わらなくてもいいから」
そしていつか、私が記憶を思い出せた時は……
きっとこの耳に、タルタニュクス様の声は届くから。
……だからめいっぱい、呼んでほしい。
『……承知した。
お前が望むのなら、何度でも
“お前”の名を呼ぼう……エタ―……』
少しだけ、穏やかな表情で。
タルタニュクス様は、改めて”私”の名前を呼んでくれる。
私は、それが嬉しくて、
「ありがとう!タルタニュクス様!」
お礼を言いながら彼女に飛び付いた。
すると……
「……あの~」
「そろそろいいかしら?」
「ッうおあうぁ?!」
何もないはずの空間に、突然“別の声”が重なった。
静寂に慣れきっていた耳に直接叩き込まれたせいで驚いた私……。
その声のなんと間抜けな事か……って、それよりも!
この声――!!
「あぁ探偵ちゃん……
驚かせてごめんね?」
「驚きすぎじゃない?」
「お取り込み中、失礼致します……」
「ソフィアとレイン?!
それにアルテも!いつからここに?!」
慌てて振り向いた先……。
そこには、見慣れた三人の姿があった。
柔らかく手を振るソフィア。
腕を組み、呆れ半分の表情を浮かべるレイン。
そして少し控えめに立つ、アルテ――
彼女はおそらく、
過去を“視せる”ために力を貸しに来てくれたのだろう。
「今さっきだよ。
……えっと、その方に呼ばれて」
ソフィアはそう言ってから、視線を少し伏せ気味にし、
私の隣にいる存在――タルタニュクス様へとそっと目を向けた。
「そっか……。
じゃあ、今日観る過去って……」
私が言葉を続けるより先に、落ち着いた声が答える。
『うむ、ソフィアと……レインの過去だ』
見ればいつの間にか、
さっきまでの悲しげな雰囲気は影を潜め、
タルタニュクス様は“いつもの調子”を取り戻していた。
私の肩に、そっと手が置かれる。
その感触を確かめる間もなく、彼女は視線をアルテへ向けた。
『翠嵐、今回も力を貸してもらうぞ』
「お任せ下さい。
……ただ、今回は私自身の記憶では無いので、
少々解像度が悪いかもしれません」
アルテは小さく会釈し、申し訳なさそうにそう告げる。
どうやら今回は、ソフィアとレインの記憶を“間接的”に、
アルテの力を介して映像化するらしい……。
……そんな事まで出来るんだ。
凄すぎる……。
私は声に出さず、ひとり静かに感心していた。
タルタニュクス様はアルテの言葉にゆっくり頷き、
私の肩に手を置いたまま、再び口を開く。
『構わぬ。エタ……いや、この子に、
今を生きる英雄の事を知ってもらえれば
それで良いのだ』
その言葉に、アルテ、ソフィア、レインの三人は、
示し合わせたかのように頷いた。
そして――
「では、巫女ちゃん、先生……
私の手をとって」
「うん、アルテちゃん」
「アルテ……お願いね」
ソフィアとレインが、それぞれアルテの手を握る。
その瞬間。
視界が、すっと白く霞んだ。
足元の感覚が薄れ、空間の輪郭が曖昧になっていく。
私は慣れたその感覚を受け入れながら、
また“夢の世界”へと引き込まれていった。
――いつものように。
✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿
「ッお前のせいだ!」
誰かの――鋭い怒鳴り声で、
私ははっと目を開けた。
さっきまで霧に包まれていた視界が、
一気に色を取り戻す。
目の前に広がる光景。
荒れた地面、曇った空気、張りつめた空気……。
……たぶん、ここが。
ソフィアとレインの過去…。
そう理解するより早く、もう一つの声が重なる。
「ッ違う…違うの……私は…」
必死に言葉を紡ごうとする、か細い声。
怒鳴り声を上げていた少年の、その視線の先を追った私は――
そこで、蹲って震える小さな背中を見つけた。
……あ。
その後ろ姿を一目見ただけで、
分かってしまった。
……レインだ。
幼い頃のレインは、地面に膝をつき、両肩をすくめながら、
目の前の少年を怯えた瞳で見上げている。
何度も、何度も、首を横に振って……。
「私は…ただ……」
「ッ…黙れ!! 黙れよ!
もう……喋るなよッ!!」
少年の声は荒く、怒りに満ちていて、
何かに怯えるようでもあった。
……これは、ただ事じゃない。
そう思った瞬間にはもう遅くて、
私はいつものように、
ただ“観る事しかできない”自分に気づく。
止めたいのに。
間に入りたいのに。
声も、手も、届かない。
……そのもどかしさに、私は顔を顰めた。
「ッやめて!」
その時、不意に――
二人のいる場所とは違う方向から、声が飛んできた。
そして、私が声の主を探すよりも早く、
その子はレインの前へと飛び出していた。
「ソ……ソフィア…」
レインが、
驚いたようにその名を呼ぶ。
……そう。
そこに立っていたのは、ソフィアだった。
小さな身体で、必死にレインの前に立ち、
少年を睨みつけるようにして、彼女は叫ぶ。
「もうやめて!
レインちゃんは悪くない!」
でも――
その声は、少年には届かなかった。
悲しい事に、罵倒は止まらない。
「ッこいつが……こいつがぁ!
あんな事、ッ言わなければ!!
こいつの言葉は、呪われてるんだ!
大人はお前らを英雄って言ってるけど、
俺は信じないぞ!!
お前らは、化け物なんだ!!」
「ッ…酷いよ……
私達、ただこの星を
守りたくて頑張ってるのに」
ソフィアは、それでも声を震わせながら訴える。
……でも、
その必死さは、少年の怒りを煽るだけだった。
「ッうるさい!!お前も喋るなよ!
こいつだけじゃなくて、
お前の言葉も俺達を呪うんだろ?!
"コトダマ"とか……それっぽい名前つけて!
もうッ……余計な事言うなよ!!」
「ッ…?!」
「きゃあッ!」
?!ッ……ソフィア! レイン!!
遂に……
顔を真っ赤にした少年が、二人の小さな身体を突き飛ばした。
軽い身体は簡単にバランスを崩し、
土埃を上げて地面に転がる。
少年は、倒れた二人を一度も振り返らず、
そのまま走り去ってしまった。
転がって泥だらけの二人に、
私は思わず手を伸ばす。
……でも。
当たり前のように、
その手が二人に触れる事は叶わない。
指先は空を掴み……
「―ッ」
私は、何もできないままその場に立ち尽くす。
「レインちゃん大丈夫?!」
そうしている内に、
二人は互いの手を取り合い、
第三者が手を貸さずとも立ち上がっていた。
「えぇ…私は平気よ……
ソフィアは?」
「私も平気だよ」
そしてお互いに怪我が無い事を確かめ合うと、
揃って大きな溜息を吐いた。
……しばらくの沈黙。
その重たい空気を破るように、
レインが、ぽつりと口を開いた。
「ごめんなさい…私……」
その声は、小さくて、弱々しくて、
聞いているだけで胸が痛くなる。
「……謝らないで、レインちゃん。
今回だっていつもみたいに、
あの子達を助けようとしたんだよね」
ソフィアはすぐにレインの手を包み込み、
彼女の顔を覗き込んで、そう言った。
レインは小さく頷く……
けれど――
「……えぇ。でも失敗したわ」
その表情は、暗く沈んだままだ。
「仕方ないよ……だって
何を言ってもあの子達、
私達の言葉を聞こうとも
してくれないもん」
ソフィアは、慰めるように、
何度も何度もレインの背中を撫でる。
……それでも。
「きっと私の……この力のせいよ。
……巻き込んでごめんなさいね、ソフィア」
レインは、まだ自分を責めていた。
「巻き込まれただなんて思ってないよ!
友達を……家族を護るのは、当然だもん!」
謝り続けるレインに、
ソフィアは思いっきり抱きつく。
突然の抱擁に、
レインの手は一瞬宙を彷徨う……が、やがて。
諦めたように、
そっとソフィアの背中へ回される。
「ソフィア……
……そうね、ありがとう」
その声は、少しだけ柔らかくなっていた。
……顔は見えないけれど、
きっと、ほんの少し救われたんだ。
「……。」
私は、
その姿を見つめながら考える。
ここは――
二人が英雄になった後の時間。
そして、さっきの少年が怒っていたのは、
まだ幼かったレインが、力を上手く扱えずに……
何か“事故”を起こしてしまったから…。
……そう思った時、
私は、レインがいつか教えてくれた言葉を思い出す。
………………………………
『言霊って、言った事が
本当になるんでしょ?すごいなぁ…』
レインの特殊体質、"言霊"。
私はその力の効果を教えてもらった時、
目を輝かせていた。
『そうね。でも……
いい事ばかりじゃないわよ』
『そうなの?』
しかしあの時、
レインは少しだけ悲しそうな様子で……こう言った。
『言った事が本当になる…。
それは…悪い予感や、危惧している事を
言ってしまった時にも
効果を発揮してしまうの。
そういう時……大抵この力のせいで
思いもよらない事故を引き起こしてきたわ。
今はこの力を制御できるから、いいけど
昔は大変だったのよ』
………………………………
……あの日の言葉の重さを、
私は今、ようやく理解した。
そうして場景を整理していると、
今度はソフィアが、ぱっと明るい声を出した。
「周りの態度がどれだけ変わったって、関係ないよ!
私達は二人で一つ。……だから二人揃ったら、
きっと、なんでもできるよ!」
レインは、その言葉を聞いて、
ゆっくりと顔を上げる。
そして――
そこに、ようやく笑顔が灯った。
「貴女が傍にいてくれて……
本当に良かった」
そしてもう一度。
次はしっかりとソフィアの背に手を回す。
「ねぇ、ソフィア……。
この国には、私達の他にも
英雄がいるそうよ……。
私達以外で英雄に選ばれた子達も
こんな酷い仕打ちを
受けているのかしら……」
くっついたままの状態で、レインはそう呟いた。
すると、
ソフィアは少し考え込むように視線を彷徨わせ……
やがて、ぱっと顔を上げた。
「……ねぇ、レインちゃん。
これから仲間になる子達を
私達二人で癒してあげようよ!」
「え? ソフィアはともかく……
私の力でどうやって?」
首を傾げるレインに、
ソフィアは満面の笑みで答える。
「それは勿論!私が怪我の治療を!
レインちゃんが魔力の回復を!だよ!
ねぇ! やっぱり私達、
二人揃ったらなんでもできるんじゃないかな?!」
心の底から嬉しそうに目を輝かせるソフィア。
その輝く表情に、
レインは一瞬目を見開き――
「ふふッ……それ、とっても素敵な提案ね。
不思議……。
なんだかさっきまで落ち込んでいたのが
バカバカしくなってきたわ!」
とびきりの笑顔で、笑った。
二人は手を取り合い、
里の方へと駆けていく。
……そして。
私の視界は、再び霧に包まれ、
この過去の終わりを告げた。




