神話時代を生きた始祖
芸術心祭で、自分の磨きたい芸術が“生き物”に関わるものだと判明したあの日から――
私は、頻繁に教授のもとへ通うようになっていた。
理由は明白だ。
自分の芸術力を、もっと伸ばす為。
多様な生き物の芸術を取り入れたいと考えていた私にとって、生物学が好きな教授の授業は相性が良く、話を聞いているだけでも感覚が研ぎ澄まされていくのが分かった。
どうやら私は、専門的な知識を身につけるだけでも、芸術力を伸ばせるらしい。
「教授、こんにちは!」
「やぁやぁ、よく来てくれたね。
今日はどんなお勉強をしようか」
教授は今日も、
柔らかな笑顔で私を研究室へ迎え入れてくれる。
政治や皇族の業務にはほとんど興味がなく、
勉強や教育活動に力を注いでいる教授は、
毎日のように研究室に籠もっている。
……正直、とても会いに行きやすい。
ちなみにこの研究室は、
帝国軍本部の中にある施設だ。
軍の業務や任務、訓練の帰りに、
ついでに立ち寄れてしまうほど身近な場所にある。
その為、殊更に
教授と面会しやすいという事情もあった。
「前回は何の話だったかなぁ……。
蜂は雌しか針を持っていない話だった?
それとも、バッタの耳が胸部にある話?」
研究室に入って、私がソファに腰掛けるやいなや、教授は嬉しそうに語り出す。
昆虫や虫に関する、ちょっと変わった知識の数々……。
目を輝かせながら話す教授に、
私は前回勉強した動物の名前を挙げた。
「いえ……フェネックの話です」
ちなみに、私がフェネックギツネについて勉強しようと思った理由は単純だ。
アルテの妹――
華暖ちゃんが、フェネックギツネの妖族だという話を思い出し、純粋に興味を持ったからである。
「あぁ! そうだったね!
前回はフェネックギツネの話か!
暑い地域に生息するフェネックは、
太陽の熱で熱くなった地面から
自分の身体を守る為に、全身に
とてもやわらかい毛を生やして……」
「教授は、なんでいつもそんなに
虫の話ばっかりするんですか?」
再びフェネックの話を続けようとする教授に、
私は首を傾げて尋ねてみた。
これは、教授の授業を受け始めてから気づいた事なのだが――
教授は、とにかく虫の話をよくする。
多い日は、十回くらい。
生物学が好きな教授なら不思議ではない……かもしれない。
けれど、
それにしても虫の話題になる確率が高すぎる。
「いやぁ……“知り合いの子”がね、
大の虫好きで……。
その子の話を聞いているうちに、
知識がどんどん増えてしまってさ。
……つい、誰かに話したくなるんだよ」
そう言って、教授は困ったように笑う。
学んだばかりの事を誰かに話したくなる気持ちは、私にも分かる。
その点については、素直に共感して頷いた。
「それに、なかなか内容も
面白いものばかりだからね」
教授はそう続けると、分厚い図鑑や書きかけの論文が広げられた机の上から、一冊の黒いノートを取り上げ、私に見せてくれた。
高級そうな素材で作られたそのノートの表紙には、
何か文字が書かれている。
目を凝らして読んでみると――
『虫』
……と、たった一文字だけ。
それも、無駄に綺麗な手書きの字で。
『なんて安直な題名なんだ……』
と内心で思ってしまったけれど、それは胸の内にそっとしまっておく。
「これが教授の……
知り合いの子のノートなんですか?」
私がそう尋ねると、教授は大きく頷いた。
「そう!その子が見つけた虫の情報が詳しく書かれているんだけどね!
興味深くて面白い豆知識が、ぎっしり詰まってるんだよ!
この間、貸してもらってね〜。
そろそろ返そうと思って、机の上に置いておいたのさ」
興味があるなら、少しだけ見てみるかい?
そう言いながら、教授はノートを差し出してくれる。
けれど――
さすがに人から借りている物……それも手書きのノートを、持ち主の許可もなく覗くのは気が引けた。
……ので、
「いえ……大丈夫です」
そう答えて、私は丁重に遠慮する事にした。
✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿ ┈ ⋯ ┈ ✿
「さて……それで、今日はどうしようか?
いつも通り、生き物の知識を学んでいく?
もちろん、他の教科でも構わないよ。
僕が教えてあげられる事なら、何でもね」
黒いノートをしまったあと、
教授は腕いっぱいに教科書や参考書を抱えながら、そう声をかけてくれた。
物知りで博識な教授は、
本当に質問すれば何でも教えてくれる。
それがたとえ、私の芸術力を伸ばす事と直接関係のない知識であったとしても――
教授が知っている事でさえあれば、だ。
「あ……そういえば、ずっと
気になってた事があるんです!」
教授の提案を聞いた瞬間、
胸の奥に引っかかっていた“ある疑問”を思い出し、
私は思わず口を開いた。
「おぉ! いい目をしているね!
知りたくて仕方がない、という
君の気持ちが伝わってくる!
一体、どんな事なのかな?」
私が質問を思いついたのと同時に、
教授は楽しそうに身を乗り出し、話を聞く姿勢になってくれた。
……ので、
そのまま勢いで質問を口にしたのだが――
「加護神……って呼ばれてる
神様について、知りたいんです!」
……見事に、質問の仕方を間違えた。
「加護神か……。ごめんね。
それについては謎が多すぎて、
僕も知らない事だらけなんだ。
教えられる事があれば良かったんだけど……」
ッ私のバカぁ!!
加護神の事は英雄たちでさえよく分かってないのに!!
いくら教授でも、答えられるはずないじゃんッ!!
「あ、いえ!ちがっ……間違えました!
加護神じゃなくて、ええと……
……そうだ!
ア、アロマルム様って、どんな方だったんですか??」
答えられずに申し訳なさそうな顔をする教授を見て、私は慌てて質問を言い直す。
加護神は、神になる前――
皆、生前の時代があるとリータクト様は言っていた。
ならば、アロマルム様もきっと、生前はとてつもない人物だったに違いない。
……そう思うと、
彼の生涯を知りたくてたまらなくなった。
けれど、本人に直接聞く事はできなかった。
もし、今の英雄たちのように、
彼も生前辛い境遇を生きていたのなら――
そんな過去を、無理に思い出させたくなかったからだ。
「あぁ! アロマルム様についてなら、
もちろん知っているとも!」
私がそんな事を考えていると、
教授は胸を張って、自信満々にそう言った。
さすが……帝国一の物知り、教授様。
「なんと言っても彼は、この国の……
“始祖の英雄”と呼ばれる人物だからね!」
「始祖の……英雄?!」
その言葉に、私は思わず仰天した。
……し、そ? シソ……始祖!?
意味を理解するのが一瞬遅れるほどだった。
「あ、あの……アロマルム様って……
一体、何年前の人なんですか?」
恐る恐る尋ねると、
教授は歴史資料を広げながら答えてくれる。
「うーん……彼の生きた時代や年号は、
あまりに昔すぎて、どの資料にも
正確には記されていないんだ」
「ッ……そんなに昔の人なんですか?!
ま、まさか……神話の時代から……?!」
信じられない気持ちのまま問いかけると、
教授は今度もはっきりと頷いた。
「そうだね。神話時代にはすでに、その名を後世に遺すほどの偉人だったとされているよ」
……開いた口が、塞がらなかった。
アロマルム様と出会った時から、どこか只者ではない、不思議なオーラを感じてはいたけれど……
まさか本当に、神話時代を生きた人物だったなんて。
「すごい……生きた時代が
かけ離れすぎてて……。
そんな昔から、今もこの世界に……」
思わず零した独り言に、教授が首を傾げる。
「え? なにか言ったかい?」
「え、あっ、いえっ! な、何でも!
そ、それより!
神話時代から名前が遺るほどの偉人なら、
当時それだけ、とんでもない事を
してたって事ですよね?
神様がいた時代の偉業って……
一体、どんな事をした人なんですか?!」
余計な事を言ってしまったと焦り、
私は慌てて話題を切り替える。
「あぁ……たしか彼は、
エデンカル帝国が建国されるより
遥か昔に存在した大国――
“エデン”の王だったそうだよ」
落ち着いた口調で答える教授に、
私はほっと胸を撫で下ろす。
「エデン……?
聞いた事ない国名だ……」
「単純に“エデン”とは、
この国がエデンカル帝国に変わる前の名前さ。
……神話を知っている君なら、
邪神が、"この星を滅ぼそうとしている存在"だという事は分かるよね?」
「え? あ、はい……それはもちろん」
まだ英雄と呼ばれる理由が掴めない私に、
教授は神話には語られていない“神話時代の真実”を語り始めた。
「神話で語られる物語の後からすでに、
邪神による侵食――
瘴廃国の膨張は始まっていたんだ」
「えぇ?! そうだったんですか?!」
十年前から始まったものだと、ずっと思い込んでいた私は、思わず声を上げる。
「多くの人がそう思い込んでいるのも、無理はないよ。
瘴廃国化が進んでいたのは、
この地から遥か遠く……星の反対側、
“神が死んだ”とされる場所だった。
しかも侵食は、とてもゆっくりだったからね。
十年前になって、ようやく
この地にまで迫ってきて……
我らエデンカル帝国は、
邪神の存在を思い出したのさ」
教授は古い歴史書をめくりながら、静かに続ける。
「アロマルム様は、
神が死んだ直後、その地を離れ、
生き残った多くの生き物を率いて
この地へ辿り着いた。
そして瘴気から人々を守る結界を張り、
エデンという大国を築いたんだ。
彼の結界術は、嘗ての英雄たち……
そして神域の五英雄にも受け継がれ、
今もこの地を守り続けている。
……彼は神話時代からずっと、
瘴廃国化に抗い、
僕たちの生きる世界を
延命させてくれているんだよ」
「す……すごい……
そんな人だったんだ……」
あまりにも規格外すぎて、
次に会った時、どう接すればいいのか分からなくなってしまった。
リハイトやアルテは、この事知っていても
あの落ち着きようだったの?
……だとしたら、それはそれで凄い気がする。
「そして何より……
彼は、英雄の中でも特に強い。
“最強の英雄”と呼ばれていてね。
詳細は不明だけれど、
とにかく凄まじい力を
持っていたと伝えられている」
私が、これまでのアロマルム様への
無礼な言動を思い返して唸っていると、
教授はさらに爆弾を落とした。
「えっ……まだ力、隠してるんですか?!
というか……そもそも英雄って、
一体何人いたんですか?」
「この帝国に名を遺す英雄は、
神話時代に存在したとされる十人だよ」
「え、そんなに?!」
「あまり表立って語られないけれどね」
教授は私の質問に答えると、
間を置かずに、アロマルム様の話を続けてくれた。
「そうそう!これは彼の偉業とは
直接関係ない話なんだけどね。
彼にまつわる有名な昔話があって……」
そう言いながら教授が本の山の中から取り出したのは、
背表紙の色も褪せた、古い絵本のような一冊だった。
紙の角は丸く、長い年月を経てきた事が一目でわかる。
教授はそれをそっと開き、私に見せながら、
まるで読み聞かせるかのように語り始めた。
『──神が生み出した十人の英雄……
その中の一人は、
頭に一角の立派な角を生やした
ユニコーンの獣人――
アロマルム・モノケロースであった。
彼はある日、
仲間の一人に恋をした。
”双竜”と呼ばれる竜の英雄……
その片割れである、姉竜バジリスクに。
バジリスクはとても気難しい性格をしていた為、
モノケロースを相手にしなかった。
だが、それでも彼が
あまりにも執拗に愛を囁く為……
彼女はとうとうその恋心を受け取った。
モノケロースは愛するバジリスクと共に、
この星を見守っていく事を決め、
今も夫婦揃って暮らしている……』
「っ、ふ……夫婦―――?!?!」
……物語の内容は、
想像以上に甘ったるい恋物語だった。
人違いであってほしい気もしたが、
立派な角を持つユニコーンの獣人……いや、幻獣人なんて、
彼以外に心当たりがない。
だから多分……いや、きっと
この“モノケロース”は、間違いなくアロマルム様なのだろう。
あれ……おかしいな、どうしてだろう。
彼の事を知れば知るほど、私の中でのイメージが、少しずつ、でも確実に崩れていく気がする。
「ロマンチックだろう?」
あのアロマルム様が、色恋沙汰に夢中になるなんて……。
人の恋愛事情を勝手に覗き見してしまったような、
知る必要はなかったかもしれない事を知ってしまったような――
そんな、なんとも言えない居心地の悪さを抱えた私に、
教授はうっとりとした表情で語り続ける。
「アロマルム様は昔から
女性達に大人気だったそうだよ。
バジリスク様との恋物語も、
国中に広まっていたらしい」
「英雄バジリスク……様。
初めて聞く名前です」
この甘すぎる話題から逃げ出したくて、
私は新しく出てきた英雄の名前に食いついた。
すると教授は、ようやく話の軌道を切り替えてくれた。
「生まれがこの帝国じゃない君にとっては、
“英雄”そのものが
あまり馴染みのない存在だろうから無理もないさ。
……あ、ちなみに!
彼女は“双竜”と呼ばれた”双子の竜”の姉竜だったみたいでね。
古い資料だと、妹竜とセットで活躍が記されている事が多いよ」
双竜……?
どこかで聞いた事あるような……?
その言葉を聞いた瞬間、私の中で好奇心がふっと息を吹き返した。
「教授、その十人の英雄の名前って、
アロマルム様みたいに
ちゃんと残ってるんですか?」
「うーん……そうだね。
神話時代の英雄十人の“名前”だけなら資料があるよ。
……ただし残念ながら、一人一人の偉業までは
ほとんど残されていないけれどね」
そう言うと教授は、近くにあった紙とペンを手に取った。
さらさらと迷いなく文字を書き連ねながら、英雄達の名を口にしていく。
「一人目はアロマルム様……
基、“モノケロース”様。
そして、その妻だと語られる
双竜の姉竜“バジリスク”様。
妖精族の王とされる“セクァヌ”様。
大海に海中国を建国した“ネーレーイス”様。
前皇帝リータクトのアニマと同じ名を持つ“アラエル”様。
そして残りは……
今を生きる五英雄達のアニマと同じ名前の英雄様達だ」
書き終えた紙を、教授は私に手渡してくれた。
「皆の……
アニマと、同じ名前……?」
私はそれを受け取り、小さく首を傾げる。
神域の五英雄のアニマを、私はまだ、きちんと把握していなかった。
ちゃんと覚えているのは、
ソフィアとコンドのアニマだけだ……。
『アズラーイール
ラファエル
メティス
ウァプラ
クエレブレ』
紙に書かれた五つの名前を見ると、
うろ覚えだったアニマがようやくハッキリしてくる。
あ、確か……
コンドが"アズラーイール"で、
ソフィアが"ラファエル"、
"メティス"はレインで、
"ウァプラ"はリハイト……
そして、"クエレブレ"……。これが、アルテのアニマだよね。
私が情報を整理しながらメモしていると、
教授が静かに続ける。
「彼等が英雄に選ばれた理由は、
英雄力と呼ばれる凄まじい力もあるけれど……
一番の決め手は“アニマ”なんだ」
「え、そうなんですか?」
思わず目を見開く私に、
教授は落ち着いた声色で説明を続ける。
「神話時代の英雄達と
同じアニマを持って生まれた子供達は、
必ず何かしらの偉業を成し遂げてきた。
それだけじゃない。
性格や力の性質まで、
過去の英雄達と驚くほど一致している」
「アニマは魂の名。
それが同じという事は……彼等が始祖の英雄、
その生まれ変わりであるという確かな証拠なんだ。
……それに五人とも、
体の目立つ場所に英雄の紋が現れてしまったからね……。
帝国に見つかるのも早かった」
その話は、あまりにも重く、残酷だった。
子供である彼等を縛り付けるには、理由として余りにも理不尽だ。
「……だからって、
あれこれ押し付けていい理由には
ならないのに……」
自分ではどうにもできないと分かっているからこそ、胸の奥がきりきりと痛む。
それに、私が欲しいと願っていた“アニマ”が、皆にとっては枷だったなんて……知らなかった。
……レインは、あの時。
どんな気持ちで、
私の話を聞いてくれていたんだろう……。
「そうだね……」
教授は小さく息を吐いた。
「でも……この帝国では昔から、強者こそ正義だ。
神なき今、神の次に力を持つ英雄が、国の象徴にされるのは……
避けられない事でもある」
もう、二つしか国が残っていない…この狭い世界では、余計にね……。
そう付け足しながら、教授は溜息混じりに呟き、私の背にそっと手を添えた。
「……まぁ、だからこそ!」
しかし彼は、すぐにいつもの明るい声色に戻ると、
こんな事を教えてくれた。
「僕は僕に出来る事で、
彼らを支えようと思ってね。
子供なのに英雄業で忙しくて、
普通の学校に通えない彼らの為に、
僕は“特別な教室”を創ったんだ!」
「英雄の為の……特別な教室……?」
教授の言葉が気になり、
私は「それって……?」と心の中で呟きながら、
項垂れていた顔をゆっくりと上げる。
「誰であろうと、勉強はとても大切なものだよ。
一度身につけた知識は、誰にも奪えない宝物であり、
決して己を裏切らないものだからね!
僕から学んだ事は、きっと彼らの力になる……。
僕はそう信じているんだ」
教授は、上げたばかりの私の顔を覗き込むと、
にこりと柔らかく笑ってそう言った。
……教授は、帝国の民や他の皇族とは違って、
英雄達に対して迷いなく手を差し伸べてくれる素敵な大人だ。
この人が、彼らの幼い頃から傍にいてくれた事を、
私は心から良かったと思った。
……いや。
真心や道徳心を持つ大人は、教授だけではない。
きっと彼のような人は、ちゃんと他にもいるのだ。
私は教授を見つめながら、そんな事を考える。
今はもういないけれど、
ユウゴさんや翠雨様だって、自分の子供を必死に護っていた。
……家族だからとか、身内だからとか、そういう理由ではなくて。
彼らは確かに、この帝国の“悪しき当たり前”に染まっていない人達だった。
芸術心祭の事件が終わった後、
ソフィアの教会にいる見習いの巫女達が、
彼女の仕事を積極的に手伝うようになった――と、そんな話も耳にしている。
大多数の人が英雄を“存在”として扱うから目立たないだけで、
本当は彼らのすぐ傍に……心を支える存在は、今も確かにあるのだ。
そう思うと、ほんの少しだけ――
まだこの世界には希望があると、信じられる気がした。
「皆の……学生時代か……」
今よりずっと幼かった頃の皆を思うと、
どれほどの苦行を乗り越えてきたのだろうと……胸の奥が少し沈む。
……それでも、さっきよりは心が軽かった。
英雄の心を支える存在が、全くいないわけではない。
そう分かっただけでも、十分に救いだったから。
「君は彼らの友人だし、興味があるなら……
彼らの学生時代――と言っても、
正式に学校に通っていたわけじゃないけれどね。
あの子達が僕の生徒として学業に励んでいた頃の
写真、見てみるかい?」
私が一人で感情を浮き沈みさせていると、
いつの間にか分厚いアルバムを抱えた教授が、そう問いかけてきた。
「見たいです!!」
もちろん、私は即答した。
我ながら……
皆が好きすぎでは?と少し呆れるが、
実際に大好きなのだから、仕方がないと思う。
✿ ✿ ✿ ✿
「うわぁ……!
皆……ちっちゃ……!
か、可愛い!!」
数分後。
私はアルバムを覗き込みながら、一人で燥いでいた。
……でも、こればかりは仕方ない。
どの写真に写る皆も、本当に可愛いのだ。
アルバムの中には、私の知らない――
英雄になりたての、幼くて小さな彼らがいた。
手を繋いで楽しそうに笑い合うレインとソフィア。
リハイトと並んでお絵描きをするアルテ。
楽器を演奏するソフィアとコンド。
コンドに悪戯を仕掛けるリハイト。
レインから魔法を一生懸命教わるアルテ……。
小さな英雄達五人の、微笑ましい姿に、
私はすっかり癒されてしまった。
……教授は、皆がこんなにも小さい頃から一緒にいたんだ。
こんな光景を、すぐ傍で見てきたなんて――少し、羨ましい。
そう思って羨望の眼差しを向けると、教授もまたアルバムを見つめながら、穏やかに微笑んでいた。
「……。」
あぁ……やっぱり教授は、
英雄達にとって素敵な保護者なのだ。
英雄達と同じように戦えなくても、
彼らを想う心さえあれば、誰でも支えになれる。
心を護る存在でいられるのだと――
私は、改めて感じていた。
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「やぁ!会いに来たよ、愛しい人」
恥ずかしげもなくそんな言葉を投げかけるのは、加護神の一柱――アロマルムだ。
「そうか。我は微塵も会いとうなかったがな」
彼が声を掛けた人物は、淡々とそう言い切る。
アロマルムに対して欠片ほどの興味も示さず、
近づいて来る姿を見ても、向けるのは冷めた視線だけだ。
アロマルムはそんな態度など意にも介さず、
当然のように彼女へと身を寄せた。
……が、次の瞬間には容赦なく引き剥がされる。
「おや、寂しいじゃないか。
どうして私から離れるんだい……“落英”?」
寂しいと言いながらも、その口元に浮かぶ笑みは崩れない。
“落英”と呼ばれた美しい女性は、
苛立ちを隠すことなく彼を睨みつけた。
「はぁ……鬱陶しい」
翠緑の髪と同色の瞳……。
竜を思わせる立派な角を持つ彼女は、
アロマルムが惚れ惚れするほどの美貌の持ち主だが、
その性格は決して穏やかではない。
「近寄るでないわッ!
そなたは本当に……執拗い奴だな、モノケロース!」
心底嫌そうに彼の手を何度も払うが、
それでもアロマルムは一向に意に介さない。
「夫婦とは、常に寄り添い合うものだろう?
ならば、この距離感は間違っていないと思うのだけれど」
むしろ距離はさらに縮まり、
落英はあっという間に抱き留められ……身動きを封じられてしまった。
最早悪態を吐くことしか出来ないが、それでも抵抗だけはやめない。
「お前の言う“寄り添う”とは、
このように物理的な意味合いではなかろう!
さっさと退かぬか!!」
必死に抜け出そうとする落英と、泰然と纏わりつくアロマルム……。
傍から見れば幼稚な戯れに過ぎないが――
この二人は紛れもなく、“加護神”なのである。
そう……彼女こそが、アロマルムの妻――
“バジリスク”。
未だ神殿を解放されていない加護神の一柱だった。
「……朝から賑やかじゃな。父母よ」
やがて、二柱の戯れは
第三者の介入によってようやく鎮静化した。
加護神を父母と呼ぶその人物は、
上品な立ち振る舞いで現れると、呆れを含んだ溜息を一つ吐く。
「来たか、やよゐ……!」
彼女の気配に気付いた落英は、わずかに声色を上げてその名を呼んだ。
やよゐ……。
彼女は、人でも神でもない存在。
人よりも神に近しい、“仙人”と呼ばれる者であり、
神のみが立ち入る世界への介入を許された存在だった。
「そなたの糸で、こやつの口を
二度と開けぬよう、きつく結んでしまえ!」
憎々しげにアロマルムを指差す落英。
だが、やよゐは溜息を吐くだけである。
「……母の願いでも、それは嫌じゃ。
愚父に使うには、この糸が勿体無いからの」
「二人とも、ひどいなぁ……」
やよゐにまで冷たくあしらわれても、アロマルムの笑顔は潰えない。
「……茶番は終わりだ。
さっさと本題を申せ、モノケロース。
そなたが此処に来たという事は……
かの子の宝珠、見つけられたのか?」
ようやく戯れを切り上げ、
落英は不機嫌なまま本題を切り出した。
神や仙人が使うにはあまりに質素な椅子に腰掛けたアロマルムは、“宝珠”という言葉を聞くと、僅かに肩を窄める。
「いや……すまないね。
リータクトくんの力も借りたのだけれど、
やはりこの時代では、
彼女の宝珠の存在を感知できなかったよ」
申し訳なさそうな言葉に、落英も明らかに肩を落とす。
「そうか……。
やはり過去……あるいは“未来”に託されたか。
我ら神の身をもってしても、
時代を超えた物は探せぬな……」
陰鬱な空気の中、彼女は深く溜息を吐いた。
「……すまない。
あまり君達の役に立てなくて……」
珍しく眉を下げるアロマルムに対し、
「気にするな。
我は端から、そなたに期待などしておらぬ」
落英は即座に背筋を正し、凛とした声で言い切った。
「えぇ……またそんな悲しい事を……」
だが、彼女の調子が戻ったことが分かったのか、
アロマルムの表情にも再び笑みが浮かぶ。
「……。」
決して仲睦まじいとは言い切れない父母のやり取りを見届け、
やよゐは静かに腰を上げた。
「……母よ。
この件に進展が無いようなら、妾は翠山へ戻る。
宝珠の保管と英雄達の行動観察は、
引き続き妾が担おう」
その言葉に、落英はアロマルムとは比べものにならぬほど柔らかな態度で頷く。
「うむ。頼んだぞ、やよゐ」
「え、やよゐ?
どうして僕には何も言ってくれないの?」
隣に立っているにも関わらず完全に無視されるアロマルムの姿は、
まるで反抗期の娘に相手にされない哀れな父親のようだった……。
やよゐは、己の役目を果たすため、翠山へと向かう。
英雄と加護神を繋ぐこと――
それこそが、彼女に与えられた使命なのだから。




